02 精霊と冒険
「泣き止んでくれませんね」
雨の森の中で、一匹の精霊と、一人の赤ん坊がいた。
赤ん坊はかなり小さい。生まれてまだ数ヶ月も経っていないのか。降りしきる雨の中、それ以上の泣き声で誰かを呼んでいた。家族を探しているのかもしれない。真新しい白い布からは、肌色の小さな顔だけが出ている。
「……むう、こうもうるさくちゃあ、ですね」
アイビーは抱える。
…………人間の赤子など、生まれてこの方見たことがなかった。
いいや、《剣島都市》の街中には、いることにはいた。あそこは学生の都市であるが、大陸各地から〝魔物のドロップ〟や〝落ちる金貨〟を求めて、旅の交易商や、商人ギルド――《商天秤評議会》の人間なんかが立ち寄る。彼らは何も独身男ばかりではなく、妻帯し、子供も一緒に訪れていることもあるのだ。
だから、赤ん坊は見たことがある。
だが。
「困りましたね。精霊に、赤ん坊なんてないんですから」
生まれついて『ある程度の外見年齢』で顕現する、《熾火の生命樹》のマナの化身である生命体にとって、その姿はとても儚く、『果たして、一人で生きていくことができるのか?』という疑問に包まれる。
おそらく、答えは無理だ。
だからこそ、あの『姉』という少女は、必死で森を探していたのだろうが。
「そろそろ、泣き止んでくれませんかね」
「―――――!!!」
凄まじい声である。
耳をつん裂き、全身全霊をかけて『声』をあげている。
「ほら。王国硬貨――銀貨ですよ。綺麗じゃないですか。美しいじゃないですか。これを増やしたら、王国の富と財宝が全部自由――って、分かりましたよ!」
まだ泣き止むどころか、銀貨をちらつかせたら暴れてしまった。
しょうがなく、アイビーは腰の道具入れに銀貨を収納する。価値観の相違を突きつけられた彼だったが、かといって見捨てるという選択肢はなく、その赤子を背中にしばりつける。
………三頭身のぬいぐるみに、(約)三頭身の赤子がくっついた形だが。
これを見てギョッとする人間はいても、魔物はいないだろう。ともかく、暗い雨雲の中、降りしきる森の中を抜けなければ。アイビーは葉っぱで調えた『傘』を上に使いながら、その森へと歩き出した。後ろの赤子は、背負われると、いくらか大人しくなった。
「……手間がかかる。まったく、もう、人間というのはなんて不便なんだ」
***
山の中腹の裏手、向こう側から見たら『一応は、山と山の麓』にあるという〝レノヴァ村〟は、旅をしてみると意外と遠かった。
というか、アイビーの足が短すぎて、遅く感じるのか。
せっかく夜明けから、あらゆる冒険者たちに先んじて《王家の森庭》へと入り、家出と決め込んでいたのに珍妙な事態になった。アイビーは悩む間もなく、冒険者らしく深い森の蔦をつかんでは、手頃な足場におり、そして重心のバランスを崩しては前のめりに倒れる。
「うぐぐ……お、重い。……」
誰に漏らすともなく、その愚痴をこぼす。
雨の後のぬかるんだ泥に手を汚し、低く呻いて起き上がる。
雨は上がったようだ。局地的な通り雨だったらしい天候は回復し、それから地面のぬかるんだ森を精霊は探索していた。女の子の消えた方角から、『おそらく、あの方面だな』――という心当たりはあったものの、道のりは苦難だ。
赤子を抱えて、崖を登り。
魔物に見つかりそうになったら、木陰に隠れ、二人で覗き。
最初は落ち着かなそうにしていた赤子も、すっかり精霊の背中に慣れて、笑い声を上げていた。しかし、その笑いが起こる頃には、決まってアイビーが虚空をすべって崖から落下していたり、慣れない『おんぶの重心』にバランスを崩して、盛大に転んで顔を地面にぶつけたときだった。
「人の気も知らないで、さぞや楽しいでしょうね!!」
やけっぱちに呟くが、それも後ろには伝わらない。
やがてアイビーたち『一行(?)』は、山あいに見えてきた、黄色い風車に囲まれた村に出る。やや作りは小さかったが、それでも普通の村よりは人口が多いらしい。一応は、昔に滅んだ、ある王国からの子孫というだけはある。
アイビーが入ったときには、広場に酒の匂いが満ちていた。どうも、この里は銘酒が有名で、その樽開きを少しだけやっていたらしい。精霊のアイビーも『かけつけ、いっぱい』といきたかったが、確か精霊が人間のお酒を飲んだらとんでもなく酩酊するらしいと話しに聞いたことがあるので、ただ酒をぐっと我慢する。
…………それよりも、この赤子の家族を探さねば。
「――あのー、すみません。失礼します。この里に、『弟を探している』っていう、女の子はいませんか?」
「うわあ、魔物だ!!」
「………」
住人、『その一』は酒を片手に顔を真っ青にして逃げていった。
「あの、つかぬことをお伺いしますが。この里に、13、14歳くらいの女の子は」
「化物だ!? 不細工の化物が冒険者のカッコしてやがる。こ、こんな村の中に、何のようでぇ!?」
「………」
住人、『その二』の道具屋は、売り物の皮の盾をカウンター越しに構えて、その後ろにすっぽり隠れてしまった。
後ろで、赤ん坊が『うきゃきゃ』と楽しそうに手を叩いている。
「………………あのー、すみません。お尋ねなのですが」
「ひええええ、クマが喋った! ぬいぐるみなのに!? 魔物、《炭坑の幽霊》の仕業か!? 魂が乗り移ってんのか!」
「………」
通行人との会話を静かに終え、アイビーは広場の中央にまで歩いて行く。
そこにあった木の箱にのっかり、さらによじ登り、空高くにある青空に、ほんの少し近づけたような――そんな村の中で、
「だあああああああああああああああああ―――ッッッ!! いい加減にしろ! いい加減にしてくださいよ、僕は『 精 霊 』だっ!! 魔物なんかじゃなあーーーーい!!」
渾身の力で、叫んでいた。
村人たちは、ポカンと目を丸くしていた。それくらい強烈な光景だったのだろう。しかし誰も村の中に起きた不思議に取り合わず、ヒソヒソと眉をひそめて小声で話している。精霊は、諦めて木箱から下りた。
…………よく考えたら。
自分自身が家出中の身である。 壮大大的に騒ぎを起こすのは少しばかっかり『マズい』ような気もした。そうじゃなくとも、自分がこの村に来た後に、《冒険者》たちが雪崩を打って入ってくるのである。
自分を探している冒険者に『こんな変な精霊が村の中にいた――』。なんて知られれば、この旅最大の誤算となる。であれば、大人しくするのがいいのか。
木箱から下りて、背中を丸くする。
…………みじめだ。
こうして考えると、『精霊』という生まれついての身分は、なんて惨めなのだろう。不自由だった。ロクな生まれじゃないので人と話すこともできないし、そもそも、《剣島都市》の外での精霊自体が物珍しいので、誰も気づいてくれない。
「…………落ち着いて、静かに探すことにしますか。僕だって、ある意味『追われる身』だ」
決意が形として実るまで、まだ、時間がかかりそうである。
すると、
「……ばあ!」
「え。なんですか、これが欲しいのですか?」
見る。
精霊たちは、ちょうど身を潜ませたところの――村の路地裏にある、骨董商の店の前を通りかかった。そこは、さすが《魔物》の出没が近い村なだけに、戦いに備えての剣や、防具などが売っている。
アイビーたちが見つけたのは、そんな軒下の商品の中の―――美しい〝回復薬〟であった。
薬液。冒険の道具である。
しかし、これには種類がある。単純に《魔物》との戦闘で、受けた攻撃の傷を癒やすものもあれば――傷口からの毒、麻痺などの治癒に、役立つものまで。その美しい甘そうな緑の液体は、『万能薬』とも呼ばれていた。
ただし、高い。
見た目が小綺麗な『ガラス瓶』に入っているとはいえ、それは、小さいながらも王国硬貨――500センズ分。つまり、銀貨半分が吹っ飛ぶ値段と言うことになる。
「…………買えませんよ」
「ばあ?」
「そんな顔しても、ダメなもんはダメです。
―――これを欲しがるってことは、将来、冒険者として適性があるかもしれませんね。人間の世界では、子供が生まれて最初に〝何に興味を示したのか〟というもので、その将来を占う風習もあるそうですから。冒険者の道具を欲しがれば、冒険者に。〝回復薬〟が欲しいと言うことは、回復役ですか。
……ですが、ダメです。これは高いです」
「ぶぶぶー」
「ぶぶぶー、じゃないです。だいたい、なんで僕が他人のためにお金を―――」
言ってから、アイビーは王国硬貨――。その銀色の硬貨を、路地の日差しの中で、取り出して眺めていた。
きらきらと、相変わらず美しく光っている。自分の財産の輝きだ。
「そんな、―――《誰かのために役に立つこと》―――なんて。そんな、〝冒険者みたい〟なこと。僕がするわけないじゃないですか」
「……ばあ?」
……《冒険者》。
その言葉を口にしたとき、硬貨をギュッと手の中で握りつぶす。ズキリと胸をよぎる痛みがあった。それは忘れていたもの。いや、忘れたいものだった。
未練などない。
決めた道だ。
悲しい瞳をしていたからだろう。赤子が、不思議そうにのぞき込んでいた。
自分はそのことを決意して、道を分かつ。そう決めたんじゃないか。
そう思って聖剣の《主》である、あの少女の元を離れてきたのではないか。あの少女の顔が浮かぶ。悲しそうで、どこか不安そうな顔をしていた。白昼夢を振り払って、アイビーは赤子を見る。
赤子は、とても不思議そうに、そんなアイビーを見ていた。
「………………いい、マスターなんて。いないもんですよ。なかなかね。たいていは落ちこぼれるか、契約を振りかざして、手柄を自分のものだと高圧的に振る舞うか。…………契約は。ロクなもんじゃない」
「……ばあ?」
「…………。なんでもありません」
自分の中の未練を断ち切るように、アイビーはその話題を区切る。
自嘲気味だ。こんなこと言ったって、赤子にも、外の人間にも分かりゃしない。
結局は、自問自答だったのかもしれない。のぞき込んでくる赤子が、今度は笑っている表情を見つめながら、お気楽なものだな。と呆れる。自分も、こういう風に悩まなくて、深くは考えずに生きられたら、どれだけ楽なのか。
ともかく、この銀貨も誰かのために使う、なんて選択肢はない。これは自分のものだ。自分の、今後の商売のために使う。その元手だ。いまさら、森で会ったばかりの人間のために使うということもない。
「……探しましょう」
「ばあ!」
そんなアイビーの気持ちなんかつゆ知らず、赤子はもう道具のことなんか忘れたように、手を叩いて喜んでいた。
店先には、色々な道具がある。回復系の〝青色〟の瓶や、その他の状態異常回復のための〝緑色〟の瓶まで――。しかし、その中で、目を惹いたのは〝原材料〟の瓶だった。村だからか。規制が緩いのか? だって、
「――確か、この黄色の瓶は、」
思う。
が、今のアイビーたちに関係のないものでもあった。もう――《冒険者》じゃないのだから。
その子連れ精霊は、そんな陽光に瓶の輝く路地裏を後にして、女の子を探すために村へと戻るのであった。
**
「…………見つかりませんねえ。なかなか」
「ばあぁ」
と。すっかり似たもの同士になってしまった〝迷えるマスコット〟たちは、そんな村の家の裏手にあった樽に腰掛けて、ため息をついていた。
…………女の子の情報は、ない。
そもそも、この村には立ち寄っていないのか。
もともと『外の王国』の街から来たといっていた女の子は、この村の住人ではなさそうだった。だから、立ち寄ったにしても、あまりにも知り合いからの情報が薄い。だから、この場合は村に立ち寄っていない―――と仮定するべきなのだろうが、それもどうなのか。
(……そもそも、僕を『精霊』って名乗っても、信じてくれる人が圧倒的に少なかったですからねぇ。現状)
ため息をつく。背中を揺すって、赤子をあやして、喜ばせる。
『精霊』という不利さは、こういう時に最も出てしまう。これじゃ、仮に周辺王国へと旅に出ることが成功しても、商人としてやっていけるのか。商売の第一は、〝人への信用〟なのに。
(……まぁ、いいです。今はこの子のお姉さんです。あの分じゃ、まだ森を探してはいるでしょうが、さすがにそろそろ村に立ち寄ってもいい頃合いでは……。僕の言葉もありましたし。森の向こうでは、《冒険者》たちが魔物の討伐を初めて、えらい騒ぎが始まっているはずですが)
と、そんな時だった。
アイビーたちの目の前を、村の男が慌てて通り抜ける。
男にはこの『休む精霊』の姿が見えなかったのか、街の守衛をしていた自警団らしい青年をつかまえて、何やら深刻そうな話し。聞き耳を立ててみると、そうするまでもなく、大きな声で反応をしてきた自警団の青年によって、会話の内容が明らかになる。
「―――なっ、村の外に、《魔物》が!?」
「――しっ、声が大きい!」
混乱にならないよう、周囲を急いで目配らせしていた。
その男の視界から、アイビーは隠れている。赤子を後ろに背負い、とっさに樽の物陰に身を潜ませたのだ。裏側に回った彼は、会話に近づいた。
(…………?)
「く、詳しく話せよ」
「それがよ………薬草をとりに、村の外まで出ていたら。森が大きな騒ぎになっていてよ。魔物たちが何か騒がしいんだ。――そして、気が立っているのか、《ラガー・ドラム》まで近くに」
(……! ラガー・ドラムだって――!?)
アイビーは、樽の影で目を見開く。
危険な魔物だ。精霊は知っているが、その魔物の脅威は尋常ではない。『大型のラガー・ドラム』――迷宮の番人・ミノタウロスのようなねじくれた角をもつ巨大な肉食獣と、先ほどすれ違ったばかりだった。森でそんな魔物は多くはないが、間違いなく中級以上。
《剣島都市》の剣士でも、手こずっている。
「参ったな、そんな魔物がいたんなら、冒険者でもないとどうしようもないぞ」
「……いや、それがさ。この《王家の森庭》の入口付近に――冒険者が集まっているんだってよ。薬師の、リーザが見て帰ってきていた。なんでも、大々的なイベントがあるらしいが」
「――ってことは、魔物退治を頼めるかもしれない。ってことか?」
(……まだ、誰も来ていないのか……? 何やってるんだ)
その言葉を聞いて、裏側に隠れるアイビーは違った感想を漏らした。
……遅い。遅すぎる。
おそらく、魔物討伐のために〝低レベル狩り〟をやっていて、入口付近でもたついているのだろう。三百名はいたはずなのだ。それが、まだ誰も来ていない。昇格試験以上に――冒険者たちは、〝弱い魔物から、倒していく〟という方向性にシフトしている。
つまり、レノヴァ村に合流するのは、もっと先だ。アテにならない。
「じゃあ、冒険者を待ってようぜ。そうしたほうが」
「――いや、それが。大変なんだ。俺が焦っているのもそれだ。俺たち村人に魔物は倒せない……どうせ、挽肉にされちまうのがオチだ。だが、そこに――《女の子》がいたんだ」
「……なんだって?」
その言葉に、アイビーのほうが呼吸が凍った。
目を見開く。『女の子って、マジかよ?』という会話の続きを追う。嫌な予感が背中を駆け巡った。
「逃げ遅れた――おそらく、《王家の森庭》の森をうろついていたらしい、女の子がいて。あのままじゃ――殺されちまうよ」




