01 精霊と赤子
番外編その二
―――その赤子を見たときは、降りしきる〝森の雨〟の中だった。
場所は、冒険エリア――《王家の森庭》。
中級レベルの魔物が徘徊し、夜になるとその危険度を増す。そのため旅人などは、回り道をしたり、森の《燭台灯》の浮かぶ道筋でも、昼間を選んで旅をするものとされていた。
少し離れた場所にある、湖に囲まれた島では――そこを〝禁域の森〟と呼び、〝昇格〟の試験をやるための場所にもしていた。
「――ハッ、全くもって、馬鹿馬鹿しい話しです」
そのチビな体をゆすって、大手を振りながら歩く〝精霊〟が一人。……いや、一匹。
冒険者の服をキチンと着込み、その腰には革のベルト、足下にはブーツ。冒険のリュックもしっかり装備して『お散歩』のようにして森を歩くクマがいた。その姿は少し滑稽でもある。彼はこの険しい森の中で、少しも怯まず――ただし、冒険者の姿などなしに、一人で進んでいた。
歩みは遅い。そりゃそうだ。〝クマ〟だ。ぬいぐるみの背丈だ。時には魔物に遭遇し、『大型のラガー・ドラム』――迷宮の番人・ミノタウロスのようなねじくれた角をもつ巨大な肉食獣に遭遇しても、息を潜め、森の木陰に隠れているだけで、〝相手〟は地響きをさせて隣を通りすぎてゆく。
―――これは、もしや。
一番いい選択を、自分はしてしまったのでは??
喜び、勇み立つクマのぬいぐるみである。彼の名前は〝アイビー〟といい、とある島――《剣島都市》という冒険の島において、〝精霊〟という身分に生まれてきた。主人の冒険のサポートをしなくちゃいけない精霊ではあるのだが、彼はずっと、自分の〝不相応な虚弱な体〟というものを恨めしく思っていた。
しかし、どうだ。
今日のような日に、証明されてしまった。やはり自分は『商人』になるべきである。
このような、自分よりも遙かに強大な魔物を相手に――真っ向から、勝負を挑み、勝てないかも知れない対峙をする。……そんな事よりも、諸王国をめぐり、悠々自適に、商売をしながら観光がてら各地を回ったほうがいい。《魔物》だって相手にしなくていいし……黙っていれば、今みたいに、スルーされる。
なるほど、人間とは、お荷物だったのだ。
「――《マスター》も、いつもそうです。昨日の冒険もダメで、一昨日の冒険もダメだった。失敗ばかりして、ぜんっぜん魔物を倒すための《聖剣》の力に目覚めない! 僕という、立派で、偉大で、将来ゆくゆくは大商人にまで出世し、サルヴァスどころか大陸中の国を手中に収めてしまう―――そんな大精霊には、不相応です」
ブツブツ。森を歩きながらこぼす。
少し前――《魔物の森》を探索したときなんかは、特にひどかった。
《燭台灯》どころか、聖剣図書を持ち帰ってくるのもやっとだったし、眠っている竜――グリーン・ドラゴンを目覚めさせてしまった。なんて間の悪さだろう。前々から、どこかドジをするところはあったが……しかし、それならそれで、真夜中に冒険することはないではないか。あの時間帯、森の魔物は遙かに狂暴になってしまっている。
「――僕はっ、一人で、商人を目指すんです!」
森の何もない道で、精霊は丸い拳を掲げた。
「――だから、家出しても全然平気なんです! 魔物の森で、冒険を失敗してからずっとケンカしていましたが、今朝こそは堪忍袋の緒がぶっ飛んでしまいました。僕はこれより森を出て、周辺王国の――その先で、商人になる! さしあたっては、」
そのカバンの中の、キラキラ輝く『銀色硬貨』を取り出した。
…………ああっ、なんて美しい響きだろう。
……ああっ、なんて充実した満足感を与えてくれるんだろう。
この硬貨だけで、この先、数ヶ月のメシは食っていける。――ただ、これを崩して銅貨にしてはいけない。金は砂と同じもので、一度溶かして、崩してしまえば、さらさらと手の中からこぼれ落ちて、消えてしまう。
金をより丈夫に、確かな〝絆〟にするなら、それは〝崩さず、増やす〟ことだった。銀貨一枚は、やがて二枚になる。銀貨二枚は、さらに増えていき、五枚。六枚…………そして、いずれ、その百枚分の『金貨』にまで成長するのだ。そうすれば、自分もいっぱしの商人である。クマは銀貨を柔らかい拳で握りしめた。
……この銀貨は、盗み取ったものではない。旅人からも、主人からも。
そもそも、あんなマスターに、そんな銀貨を蓄えるほどの余裕などない。二人とも、日々を食いつなぐのが精一杯で、故郷からの仕送りもそこが尽き……クラスメイトの金持ちの生徒たちからも、馬鹿にされていた時期なのだ。
じゃあ、なんでアイビーという精霊が銀貨を持っているのかというと、旅の商人との商談に成功したからである。ここまでに来る途中、珍しい草花を見かけた。それは、ある王国で重宝されている疾病を治すための治癒薬に必要で、アイビーは読み耽っていた図鑑の中にそれがあることを覚えていたのだ。
それを《王家の森庭》で発見し、採取して、〝銀貨〟に変えたのである。たった銀貨一枚分だったが、大きな一歩でもあった。誰にも渡さない。自分だけのお金だった。
と、
「あのー! すみません、すみません。魔物さん」
「…………っ、誰が魔物だ」
すわっ、早くも金貨を狙うヤカラか。
そう思い身構えるアイビーだったが、その警戒は虚しく肩すかしに終わることになる。彼に話しかけてきたのは、わずか13,14歳くらいにしか見えない、小さな旅人の格好をした女の子だったのだ。
「魔物さんに、少しお話があるの」
「僕は魔物じゃない」
「……? 違うんです?」
「…………ええ」
女の子は、小さかった。
幼子か、か、それより少し上か……。単独行動はできるような歳ではあるが、この森を一人で歩くのはさすがに危なすぎる気がした。冒険者が持つような道具入れと、薬草、短剣を持っているので、一応は『危険な地帯』という認識はあるらしい。
逃げられなかったのは、この《外見》のせいだろう。襲っても、怖くない、と判断されたらしい。そのくせ人を魔物と呼ぶのはなかなか失礼な話しだったが、近くに冒険者の島がない――この付近なら、〝精霊〟を知らない人間もいるだろう。(――彼が、自分自身を〝精霊に見える〟と信じて疑っていないのは、少し突っ込みどころであるが)
「それで、何のようです?」
「弟を探しているんです。人を」
「弟……?」
「はい。『村』の外で、小さな子を見ませんでした? 赤ん坊です。その……魔物から逃げる途中、転んで、それではぐれてしまって」
「……? 何で一緒に行動しなかったんだ」
そこだけは、保護者の責任としてアイビーは追及する。
こんな見た目でも、長年『大精霊』として、サルヴァスで子供たちや生徒たちを見てきたのだ。今はある少女の、保護者代わりでもあるような立場だった。
「逃げるので精一杯で……。それに、魔物は、わたしを追いかけていたし。囮になったんです」
今にも、泣き出しそうな顔でうつむいている。
どうやら、よほどの事情があったのだろう。思い詰めていた。『たった二人の家族』だという。両親は、自分たちを置いて、街へと逃げていった。残った二人を、親戚の『村人』が、扶育することになっていたらしい。
村は、この先にあるという。
「み、見ませんでした?」
「…………さあ。知りませんね」
ことさら冷たく、アイビーは言った。
ここで頼られて、道草を食う……それだけは戒めた。彼女の顔を見ていると、思わず同情してしまいそうになる。ずるずると、後ろ髪を引かれそうにな気持ちになる。だが、今は先を急がねば。
「あの子は、わたしの『弟』……ううん、たったひとりの、血の繋がった家族なんです。もし、あの子に何かあったら。わたし、どうしていいか……」
「知らないですよ。僕は商―――」
―――商人に、なるんですから。
そんな棘のついた鞭のような言葉、呑み込んだ。返せなかった。言わないでもいいことだろう。見たところ、彼女はかなり辛そうにしている。今でこそ守るべき家族のために気丈に振る舞っているが、いつ、それが決壊するか分からない。必死に捜している。
だが、周辺王国には、そういう人間も多い。
困っていたり、魔物に襲われたり――そんな人は、この世の中で山のようにいる。だから強くなり、助ける職業があるのだ。
アイビーは見る。その子は――少しだけ、〝ある少女〟に似ていた。背格好といい、髪の癖のかかった長さといい、そのまま〝小さくしたあの子〟である。
だが、関係ない。
自分は、もう自分の道を歩き出した、精霊なのだから。
「…………知らないですよ。会っていたら、とっくに教えています。それに、僕以外にも誰かが通りかかったりしたんじゃないですか? 今は〝昇格試験〟といって、魔物を狩るために冒険者がうろうろ歩いています。――誰かが見つけて、その村とやらに、届けていますよ」
「そ。そう。ですね」
「ええ。僕はだいたい。外の王国へと向けて旅に出るつもりだったんです。村へは立ち寄らず〝山脈〟を越えるつもりだったんですから」
そう言うと、『足を止めてしまって、ごめんなさい』と少女はうつむき、アイビーに感謝の意を伝えてきた。
やはり、どこか引っかかるモノを感じながら、しかし面倒ごとはごめんだとアイビーは黙る。沈黙という、消極姿勢に入る。これは『拒否』だ。拒絶だ。悪いことをしている、という自覚は十分にある。
少女は、本気で感謝しているらしい。『ありがとう』と言う顔は、本心かららしい。助けもしない相手に、感謝を伝える感情が精霊には分からなかったが―――、ともかく、最後に「さようなら、魔物さん」と手を振られたので、「だから、誰が魔物ですか! 失礼な!」と吠えて返事した。
ともかく、話は終わり。
それから少女は、村のある峠の向こうへと足を急がせた。弟を探すつもりなのか。その後ろ姿は深い森の緑によってどんどん見えなくなり、その頭上には、雨でも降るのか、暗い雨雲が立ちこめていた。
「山の天気は、変わりやすいな――っと」
アイビーは見上げ、心のモヤモヤした罪悪感を晴らすため、足を急がせる。
うかうかしていると、降り出すかもしれない。そう思って駆けていると、ついに曇天が決壊したような雨が降り出す。急な雨だった。もう少し持ちこたえてもいいじゃないか、とすら思った。最初はぽつり、ぽつり。次第に大降りとなって。アイビーは森の木陰に身を寄せたが、いつ晴れるとも分からない空に業を煮やし、『出発しようか』と傘になりそうなものを探した。
と、そんな時だった。
「……?」
森の大きな樹の下に、まるで雨天の恵みを求めるように、にゅっと葉を伸ばした『大型の草』が生えている。上に向かって皿を広げたような形をしていて、やや小さいが、アイビーが入るのにはちょうどよい。
それをちぎるために近づいていると、ふと、雨の音に混じって耳に慣れない声が聞こえる。声と言うより、それは『泣き声』のような―――。
そして果てしなく広がる、神樹のような――(アイビーからしたら)――巨大樹の下で、森の草花の雨音から守られるように、ひっそりとそこに転がった白い布地と、包まれる『人間』の赤子を見た。
「―――、ひょっとして」
これから起こる、彼曰くの『面倒ごと』に対して。そのときのアイビーの顔は、新鮮な驚きに包まれていた。




