05 温泉騒乱
暗い洞窟に、《燭台灯》の光が照らす。
それは、少しずつ闇を染めていき、まるで夜道のような――心細い道に光を灯していくのであった。村の洞窟はほとんど人が足を踏み入れることはなく、『神聖なる源泉』として、今も、昔も存在し続けている。
…………と、まぁ。
僕らは、そんな洞窟を進んでいるわけなんだけど、
「ますたぁ、本当にそんな魔物さんが、いるんでしょうか?」
「……さぁねぇ」
僕らは、洞窟で灯火を揺らしながら、進んでいた。
…………なんというか、妙な依頼だよな。
村を救うのには変わりないんだし。そこは《冒険者》としていいんだろうけどさ。何とも微妙というか。魔物と人の、血で血を洗うような戦闘ではないらしい。肝心の道中も、《魔物》らしき影はちっとも現れないし、やっぱり温泉の神聖なオーラは退魔の効果を発揮しているようだ。
…………なんとも、変な依頼である。
(そして、極めつけは――)
僕は、チラッと後ろに視線を向ける。
「あのー、見送りは、もうこの辺でいいんですけど」
「何言ってるんだ、旅人さん!」
…………この、〝村人〟の人数である。
村の若い男女、ほとんどが参加しているんじゃないか? という人数が僕とミスズの後ろに、少し離れてついてきていた。『戦闘が起こった場合、微力ながら加勢するぜ』ということらしい。全員が王国の一揆のように、農具や、鋤、鍬などを抱えている。中には、お祭り騒ぎのように興奮した顔の村人もいた。
「俺たちの村の困りごとだ。《冒険者》さんだけじゃなく、俺たちも手伝うぜ!」
「――いや、でも。村の長老、『任せましたぞ』って言ってたじゃないですか。危ないからって、村の人数が手出しするのも、ダメだって」
「長老はああ言ったが。俺たちはやっぱり心配だ。黙って、誰かに任せきりにするなんてできない。それこそ―――こんなイベントを見逃すことなんか、できないっ!」
「ええっ、そうよね。ダーリン☆」
「…………」
手伝うのは、うら若き男女。
…………まぁ、男だけじゃなく、女性もなぜか乗り気っぽいからいいんだけど……。一緒に。注意を引きつけることはできても。戦えるのかな? まあ、死ぬことはなさそうだからいいけど。なんか、ソワソワとしているというか、まだカップル未満の微妙なお年頃の少年少女たちも、お互いを意識した視線を向けて、恥ずかしがっているというか。
…………ぶっちゃけると、とても居づらい。
『カップル』だらけじゃないのか……? ここって。ひょっとして。
僕はそう思い、思わず警戒していた《聖剣》にかけた手も、緩みそうになっていると。いよいよ洞窟の最奥部に達しようとしたとき、後ろから悲鳴が上がった。
「きゃあああ――――っ!! だ。ダーリン……!!」
「ぬわあああ――――。マイ・スゥイート・ハァニィィィ!!」
独特の妙な悲鳴が入り交じり、『そいつ』が姿を現わした。
―――〝水の液状魔〟。
「……っ、ミスズ」
「はいっ、『結合』!」
ミスズの体が精霊として『神樹の光』に包まれ、そして、青空をたゆたう神樹の黄金色の葉のように、細かな光の粒子として聖剣へと吸い込まれていく。聖剣に向かって凄まじい風が吹き荒れ、局地的な大風が旋回。
僕の聖剣を強化し―――《ステータス強化》の輝きを与える。
目指すは、魔物。薄黄緑色の〝スライム〟だ。
不思議なことに、この〝水の液状魔〟は水色ではなかった。温泉の源泉の温もりがもたらしたのか、輝くようなその色は外海の水――エメラルドブルーのような輝きを秘めている。
姿は、大きい。―――馬車二台分くらいか。30メルト。おおよそ、1メルトくらいしかない野生のスライムとは違い、とんでもない大きさである。間違いなく、その姿だけで言うとボス級であった。
「い、一斉に農具を放て―――!」
と、僕らが引き返したのもつかの間。
その熱を帯びて、じっとりと温かくなった洞窟では『村人』たちが勇敢な戦いを始めていた。スライム相手に農具を投げ、王国軍が使う馬上槍のように投擲している。……が、それが通用する魔物ではないらしく、『ぶよっ』『ぶよっ』とぷるぷるボディ、半透明な薄黄緑色の体によって弾かれていた。
反撃は、痛烈である。
「きゃあああ―――。な、なんて破廉恥なのぉぉ!?」
スカートを押さえて、叫ぶうら若き乙女の悲鳴。
村人の女性が、その悩ましい肢体をくねらせて、頬を洞窟の地熱によって真っ赤に染めながら叫んでいた。その服装に、『べとっ』、『べとっ』、と容赦なく液体が飛散される。信じられなかったが、本当に服が溶けているらしく、彼女のスカートに付着した液が湯けむりのような白い水蒸気をあげて、下の黒い下着がのぞいていた。
「な、なんてこった―――ああああ!? なんてスケベなんだ!? ハニー! とても周りに見せられるものじゃない!!」
「…………じゃ、じゃあ。ダーリン☆ せっ、責任とってくれる……? わ、私たちの、結婚を……」
「モチロンだ、ハニー! 僕が一生幸せにするよ!」
「ミスズ、加速するぞ」
僕がその横を飛び、無反応に魔物へと剣を向けて突撃していく。ようやく村人たちの集団を追い抜ける位置まで到達した。――途中、その男の顔を蹴って、足場に加速したような気がするが、気のせいである。
僕らは《聖剣》を斬り結んだ。
――さすが、強化した聖剣は、その魔物の『ぷるん』とした体の弾力を押し返すことができた。神聖なる力が宿った、光の剣である。その強い輝きは、『温泉』なとどは比較にならない。魔物退治の神樹―――《熾火の生命樹》の加護を、存分に受けているのだ。
僕らは洞窟の壁を蹴って反転、さらにスライムへと斬りつける。魔物の抵抗の『液体』が宙を舞い、僕はステップを刻みながら回転して剣を振り、それを振り払う。
〝剣士〟である僕は丁寧に避けることができたが、その後ろにいる、村人たちへは容赦なく注がれた。
「きゃああああああああああ――――っ☆」
飛ぶ。さすがスライム。飛散の距離が長い。
触手のような、その攻撃のために絡めてくる腕も厄介だった。無数に伸びた『ぷるぷる』の触手を僕は切り落としていったが、村人たちへと襲いかかったそれはモロに直撃だ。年若い娘や、少女までも容赦なく剥がしていく。
「ぬあああ、なんてヤツだ…………。ハァ、ハァ……」
「うぬぬ、なんてエロい……」
「ぜ、絶景だ……ぁ。温泉では見られない、桃源郷がここにある……ハァ、ハァ……」
うら若き悲鳴や、同じく服が剥がされているはずの、男たちの声が聞こえてくる。
そして僕は聖剣で戦う。まだ『結合』は解いていない。僕もミスズも、その戦いを乗り切るには気力と体力ともに十分だった。―――ただ、一つ言いたいのは、視界に入ってくる味方や、なぜか身動きがとれず、前屈みになった男たちが『邪魔』だった
「―――ええい、飛ぶぞ。ミスズ」
「は。はいっ」
手頃な洞窟内の岩場を見つけて、それに足をかけ、飛翔する。
背中を丸め、空中で前転するように前へ。一瞬無防備をさらしたが、それを狙って『液体』をぶちまけてくるスライムの攻撃を、回転し終わった後の《聖剣》で叩き潰す。かなり近くに踏み込むことができたが、今度は別の村娘がやられた。被害が出てしまう。
「…………う、うひゃあ!? わ、わたしそんなに『胸』ないよ!? と、溶けてもそんなに服の下にボリュームなんかないんだから!」
「――うぬぬぬぬ、村一番の美女フィーリアスたんの衣をはぎ取るとは! 想像以上の貧乳……、だがそれがいい! 《冒険者》よ、侮れん!」
「―――わざとじゃないよ!!!」
戦いながら、そう突っ込み。ヤケクソ気味に叫ぶ。
ともかく、洞窟内はものすごい混乱状態だった。羞恥心の入り交じった悲鳴と、下着姿の女の子たち。そして、それすらもはぎ取ろうとする魔物の体液をガードしようか、それとも別のことを考えているのか。忙しそうに前屈みをして、ヨロヨロと歩く男たちなど、まさしく混沌としていた。
―――『ぐっっ』、と僕は、剣をたてに構えて、魔物の横なぎの『触手の鞭』をガードする。
それから、振り返り、
「…………、あのー。楽しんでませんかね!?」
「……な、何を言う!! 冒険者殿!! そんなわけないだろ!!」
「その体勢で言われても、説得力ゼロなんですよ」
僕はともかく、このカオスな空間をおさめるために、洞窟内の村人を『外へ』と追い払うことにした。
聖剣を振り、戦い、魔物の注意を引きながら、女の人たちを次々に撤退。それを支援しながら、男たちを移動させていく。この順序が正しい。たぶん。そして、前を隠しながら、服をボロボロにした村娘たちが外へと向かう。
――すると、計算外の『不幸』が起こった。
魔物の《聖剣》で切り払った『ぷるぷる』の塊が、洞窟の逃げ道のところではじけ飛んだのだ。最後の抵抗なのか。――しかし、それを直撃させてしまった女性たちは、今度こそ『あられもない肌色』の姿になってしまう。
傍観していた、やや消極的で大人しい女性たちをも、容赦なく襲った。
「―――ぬあああああああ!!!」
「もう限界だあああ。なんて攻撃だ。もう持たない―――エロすぎるううううう!!!」
「―――……って。どこに血を流す要素があった!?」
ぱっと、空中に血の花が咲く。
爪もない。拳もない。そんな魔物のスライムを相手に、鼻っ柱がへし折られたように顔を押さえ、悶絶の極みに達してしまった村の男たちがいた。
「……………………あのー。ますたー」
「…………うん。戦おうか」
精霊すら、若干引いてしまっている。そんな戦い。
僕は早く、この無残で残念な戦闘を終わらせ、幕を下ろすことにした。(……というか、精霊のミスズが引いた声、初めて聞いたぞ。僕は)
僕は跳躍。それから。
魔物相手に―――《聖剣》を振りかぶり、拳に力を込める。最大限。最大級。たとえ――こんな村の《依頼》でも、全力。――〝限界〟の、その先を突破するように。
振り下ろした。すれ違う。
その一閃で、わけもなく魔物の薄黄緑色の体が、ふわっと弾ける。――もう、男たちはいない。村人たちも。静かになった、少し温もりのある洞窟で、その『ぷるぷる』とした小さな体……魔物の〝中心〟だけが、残った。
―――どうやら、これが魔物の本当の姿。らしい。
神聖なお湯を吸って、膨張して、暴走してしまっていたのか。今では僕らの聖剣を見て、壁を背にして『ぷるぷる』と怯えたように震えている。
「……もしかして、困難だったのって……村人のせい?」
いいや。深くは、考えないようにしておこう。
僕はその《聖剣》を振り上げ―――しかし、光の一撃は炸裂させずに。そっと、静かに鞘に締まった。
魔物は驚いたらしい。もう、本来の姿に(……だけど、世にも珍しい。薄黄緑色の体をした〝水の液状魔〟)戻った魔物は、ぷるぷると僕を見上げるようにして。それから、『もう、悪さするんじゃないぞ』と頷くと、慌てて洞窟の外の森へと逃げていった。
「…………はぁ。魔物より恐ろしいのは、人間の邪念だなあ」
「マスターの、そんな優しいところ。ミスズは好きです」
と。そんな光景を、ただ〝一人だけ〟みていたミスズは、『結合』状態を解いて下り立った体で。僕の隣へと歩み、それから従者としての距離で微笑みながら見ている。
村に帰ると。その〝異変〟が解決したことが、〝戻った湯量〟で分かったのか。村人たちが総出で歓迎してくれた。
**
「――それにしても。ヘンでしたね?」
その温泉の村を、後にして。
二人で無事に《依頼状》をやり遂げた僕らは、島へと帰る道のりを歩いていた。二人ともお土産やら、民芸品の詰まったリュックを抱えて、緑の山道を下っている途中である。話しによると、村人が使う、麓へのゆるやかな道があったのだという。
ミスズは、僕の後ろへとついてきながら、
「あの村での人間さんたちは、どこか『ヘン』でした。恥ずかしがっているような、それでいて嫌そうではないような……? 人間さんって、そこまで〝生身の姿〟を見られるのが恥ずかしいんでしょうか? それでいて、どうして、最後の村では、あんなに手を繋いで、嬉しそうに見送ってくる方たちが多かったのでしょうか??」
「…………知らないよ」
充実した人間の暮らしなんか、知らない。
正直、僕は《冒険者》としてあの村へと魔物退治に向かったわけだが、村人たちのあの充実した愛の形には閉口する一方である。……まぁ、報酬さえもらえば、冒険者としては満足していいんだけどさ。
…………ぶっちゃけ、羨ましくもあったような……。
(――ちえっ。僕には、そういう人はいないしなぁ)
『冒険者に、恋人は二の次!』
島のサルヴァスには、そんな格言があるくらいだ。冒険者よ、恋するより、冒険にもっと励むべし! ってことらしい。僕だってそう思うし、サルヴァスの冒険者って、ぶっちゃけ独身者が多いような……。
冒険が恋人、ってことなのだろうか。
スリルを求め、冒険の景色の中にロマンを見いだす僕らは、そう多くは望んじゃいけないのだろう。……だろうとは思うけど、やっぱり、あんな村の光景を見たら羨ましくて仕方ない僕でもあった。僕だって、年頃である。男である。……好きな人と、手を繋いだりしたら、どんなに幸せなんだろうなぁ。
僕にとって、そういう人って、誰だろう。
『憧れ』―――その言葉に、一番ピンとくるのは、やっぱり茶色の髪の、あの麗らかな瞳をしたお姉さん。『第六位様』のララ・フロードナさんだろうか。同郷セルアニアの王国の出身で、あの国の『専属契約』をした冒険者。――英雄だ。
でも、遠いなぁ。
虚しくなるほど、遠かった。小さい頃の憧れって、なんだか、気がつくと手に負えないほど遠くなってて、雲の上にいっているものかもしれない。
と、
「――ますたー! ますたーって言ってます!」
「おわっ!?」
後ろから回ってきて、正面の道を塞いで『もう!』という瞳で見上げてくる精霊が、そんな声をかけてくる。僕はビックリして、考え事を中断して立ち止まった。
「…………ずっと、呼んでいました」
「あ。ああ。ごめん。考え事しててさ」
「マスターに、一つだけちょっとお聞きしたいことがあったのです。……ミスズは、そういうこと聞けるの、マスターしかいなくて」
「……? なんだ?」
「マスターも、『エロい』が好きなんですか?」
ぶっ、と僕は噴き出した。
…………な、なーにを、純粋無垢な天然の顔をして、この精霊さまは言ってくれちゃってるんだろう。あまりにも真剣な眼差しに、僕は動揺してしまった。
「恥ずかしかったり…………するのでしょうか」
「………」
「《精霊》にだって。その、冒険者様を……どきりと。させることって、できるのでしょうか。『エロい』って何ですか? 嬉しいことですか??」
ミスズは首をかしげている。
学術的な興味を引いたような、そんな透明な眼差し。
「………………あのな」
「? はい」
「そこに直れ」
言ってから。いったん落ち着かせるために、ミスズの両肩を持って。岩に座らせる。
純粋無垢。不可思議そうに首をかしげる精霊に、僕はため息をついて、
「どうやら、あの村では。特殊な色々があって、女の人たちもそれほど怒る感じじゃなかったけど、本来はそう言うのはダメだからな? ミスズ。教育上よろしくない。僕は――君の《契約者》として、それは認められない」
「…………は、はい」
「いいか、それは恥ずかしいことなんです。とっても」
僕は指を立てて、できる限り真剣な、父親のような顔で言った。
ダメだ。初心すぎる。しかも、あの魔物――〝水の液状魔〟の一件により、ちょっと興味を持ってしまっている。それじゃ、母なる《熾火の生命樹》―――彼女たちの、生みの親に、剣士として申し訳が立たない。
その魔物――(のちに。再び温泉に引き寄せられて現れ、今度は慎ましい〝イタズラ〟をして村と友好関係。縁結びのカップルを生む魔物として商売の神様扱いされる〝水の液状魔〟のことは、今の僕は知るよしもない。後のお話)――のことは、置いておいて、
「…………コホン。〝服を着ていない姿〟を見られるのって、とーーーっても、恥ずかしいものなんです。人間でも、精霊でもね」
「…………? でも、『ますたー』が見たいなら、ミスズはいいですよ?」
「いや。だから、そういうことじゃなく――ええい、村人たちの悪い影響がここにも! だから、じゃあ、想像してみるべし! 自分が見られる姿を。それは、とーーっても、恥ずかしいことなんだって」
「…………?」
「ほら、目を閉じて。ジッと考えて。――今、僕は『温泉』に入るミスズの姿を見ています。じっと見ています。集中してみています」
「…………」
「じっくり、じっくり見ています」
こんな山の中で、何やってんだろう。という突っ込みは置いておく。
僕がそう語りかけていると、ミスズは、岩に座らせた状態で『もじもじ』と、足を閉じて動かし、腕も心持ち前に、落ち着かない顔になってきた。
「……???」
「ほら、じっと見られています。視線を注がれています。僕に。どうだ」
「…………、…………、は、うう」
どんどん、その顔が赤くなっていく。
おお、なんか、変な可愛らしさがあるな。初心というか。
僕の前で、その精霊は必死に耐えるようにぷるぷると震え、やがて我慢できなくなったように涙目の瞳を開く。
「……な、なにか。ダメです。恥ずかしいです」
「だろう」
言ってから、少しホッとする。
ミスズにも、一応は、そういう感覚があるらしい。これで、これからの共同生活で、妙に引きずることもないだろう。
冒険者と精霊。冒険以外にも学ぶことが山ほどある――そんなことを、今日は学ばされた気がする。
空を見ると、もうすぐ日が傾いてくる。この山登りで半日使い切ったように感じたが、《依頼状》をやり終えてみると、それもあっという間だった。《剣島都市》までは、山を下りていけばもう湖が見えてくる。
(……学ばされたのには、感謝しなくちゃな)
空を見上げ。僕は、そんなことを思う。
***
「―――でえ、どうだったかしら?」
と。《剣島都市》の三階層目。
本日で二度目になる教師区画へと足を踏み入れた僕らは、執務室で書類を整理していて、振り返ってくるその金髪の女性に目を向けられた。
心なしか、どこか楽しそうにしている。
「…………あら。ふーん。色々あったみたいねえ、その精霊ちゃんとの距離を見てみると」
「……う、うっさいですね」
「後ろの精霊ちゃん。顔がまーだ赤いみたいよ?」
『うふふ』、と。
古い王国の眼鏡越しに、微笑む女性は僕らの顔を見ている。《依頼状》については、もう達成したことを示す封書を持ってきているので、何があったかは一目で分かるはずだった。
「聞いていないですよ。あんな――変な魔物。〝水の液状魔〟がいるなんて」
「あら? スライムがいること自体は、伝えていたと思うけど。それに、色々な冒険の記録が取れたわ。あなたたちの《依頼状》の達成の書類、なかなか面白いわね。また後で、じっくりと目を通させてもらうわ」
執務室のソファーに腰掛け、相変わらず丁寧な仕草で、僕らに銀食器の中の飲み物を勧めてくる。中身は柑橘系の水。ジュースだ。ミスズは色々と気持ちの整理をしているのか、言葉も少なくそれを両手で抱えて飲んでいる。
「―――冒険者と精霊って、面白いでしょう?」
「え?」
「ううん。まぁ、これは将来分かることなんだけど。いつまでも子供じゃないし、少しずつ成長もしていく。関係だっていつまでも〝契約者〟じゃなくて、主従として、もっと深い信頼関係で繋がっていくの。年月を経て、蔦が絡みついていくように。
――そうすると、《魔物》にも負けない。そんな信頼が生まれる。どんな冒険でも挫けない。そんな無言の〝絆〟が生まれる」
「…………」
「それってね。この島で――とっても、大事なことだと思うの」
講義室で教鞭を執るように、その女性は大人の顔で微笑んだ。
「では――後で、帰ってエリ――ううん、クロイチェフに伝えて頂戴。『今回の冒険、任せて正解だったわ』って。冒険って、どうしても剣の実力だけじゃなく、色々と学び、経験することが大事だったりするのよ。成長って〝腕っ節〟だけじゃなく、メンタルも大事。―――だから、一つ。クロイチェフには貸しを返した、わ」
「……! まさか。」
僕らを、教育するために……?
そう思うが、女性教師は腰を上げて、『チリン』と面会の終了を告げる鈴を鳴らした。透明な音色に誘われて、外の廊下から、案内を受けつける精霊が迎えに来る。僕は、その真意を問うこともできずに、部屋の外へ。
だが、最後に。
「……あのっ、」
「? どうしたの? 駆け出しの冒険者くん」
「これ。お土産です。―――山あいの村の地酒。温泉が使われているらしくて。寮母さんにも買ってきたんですけど――デドラ先生も、お酒が好きそうだったので」
渡すと。それこそ意外だったのか、ちょっと驚いた顔で。
でも、嬉しそうに受け取って、微笑むのだった。
「…………かなわないなぁ、弟子もそっくりなのね。クレイトくん。――ええ、ありがとう。受け取るわ。一つ、借りを作っちゃったわね」
そう言って、手を振る。
それから、僕らは今度こそ、無事に《剣島都市》の街中の寮へと帰還するのであった。
―――その後。飲み明かそうとした寮母さんに、酒が足りないとせがまれ。半分以上をデドラ先生に渡したことを知られると、大暴れし、散々手こずったのは―――、また後のお話。
サルヴァス番外編 《剣士と精霊と、湯けむりの舞曲》 おわり




