05 出会いのサルヴァス(中編)
まず、状況整理だ。
オーケー。オーケー。僕は慌てていない。
「まず、君の名前は?」
「ミ、ミスズと申しますぅ」
なんとも、歯切れの悪い口調で。その太い眉毛と、つぶらな瞳を上げてくる。
僕は情報を整理した。まず、背は高くない。むしろ小柄だ。マザー・クロイチェフと比べても肩のところまで。年齢から言って、僕と同じくらいだろう。
「君は、幽霊なのだろうか?」
「違います」
ほっ。これは、セーフだったようだ。
幽霊のたぐいなんて、縁起でもないと僕は思うのである。この世界の王都出身の人たちには、あまりピンとこないかもしれないが。田舎にはよくいる。
この世界にはエクソプラズムと呼ばれる霊魂―――いわゆる、鉱山や、廃棄された炭鉱後などに住まう『魔物』がいた。
悪霊から、浮遊霊。スケルトンを始め、ダンジョン化した砕石場の洞窟や、地下墓地などによく出現するらしい。生態についてはよく分かっていなかった。ただ、ダンジョンの瘴気を受け、非常に魔物として強力な相手でもある。というか、不気味だ。生理的に受け付けない。
で、彼女は、どうやらその類いじゃないらしい。ひとまず安心だ。
「じゃあ、君は何者なんだろうか? なんで半透明?」
これである。
こればっかりは、譲れない。彼女が幽霊じゃないことは分かった。じゃあ、その存在は一体何者なのか。新たな疑問が湧いてくる。
対して、彼女は、
「あ、怪しいモノじゃないですっ」
「…………それは、僕たちが決める」
怪しくないといわれて、アッ、ハイソウデスカ。とは残念ながらなるほど世の中は甘くない。きちんと確認してから、自分で決めないと。
「お、お願いです。追い出さないでくださいっ」
なぜか説明の前にすがってくる身元不詳、年齢不詳の幽霊疑惑(?)のかかった女の子である。
隣でマザー・クロイチェフもおつまみ《辛口ヨプチップス》をボリボリ食べながら(……というか、寮の管理人はあんただろ。アンタが何とかしろよ!)見守っているようだが、この部屋に今日、この瞬間から住まうのは僕だ。
だったら、この問題はキッチリと僕が解決しなければいけない。
初日から厄介な問題が浮上したものである。『満室だったら、相部屋でオーケー?』と寮母さんに言われているが、それはあくまで『人間』の話なのである。こんな半透明な幽霊まがいがいていいわけがない。
「わ、私は…………『剣の御子』です」
「えっ」
この言葉に、僕は驚いて目を丸くした。
本日、二度目の衝撃。剣の御子って………あの、《剣島都市》の剣の御子のことか?
その響きは、僕も知っていた。
剣の御子というのは、この学院島の中心―――《熾火の生命樹》の世界樹から生まれたという『聖剣』の化身のことである。一応、精霊の一種だそうだが。その存在は、《五つの元素》の属性―――〝地〟〝水〟〝火〟〝風〟〝空〟―――などと契約することが可能であり、刀身に炎などをまとわせる。
僕の想像の中にある剣の御子は、いつも戦場に臨むような凜々しい風貌をして。一流の〝マスター〟のそばに待機しているイメージだった。あと美人かわいい。いわば、戦場でのパートナーというところか。
凜とした面持ちで、『持ち主』の隣に佇む――そんな憧れと、イメージと、あとちょっぴりの期待を抱いていた。
どう間違っても、こんな頼りない、ハの字眉毛の女の子なんかじゃない。
「嘘だ」
「ふ、ふえええん! 速攻で否定されましたぁ!」
泣かれたって、知ったことではない。
「だって、剣の御子でしょ? あの刀身に〝炎〟をまとわせたり、超絶強くて王国軍の兵士にも手に負えないような魔獣―――雪国の中で、一週間滞在して見つける『A』ランク指定のモンスターとかも、戦って勝っちゃうような凄腕の聖剣なんだよ? その『持ち主』をサポートする精霊なんだよ?」
「そ、それは偉いお姉様方のお話ですー」
……ん? お姉様方?
戸惑って首をかしげてしまう僕に、うつむいて指を『つんつん』させる少女は説明してくる。
「わたし、そんな立派な剣の御子じゃありません……。力もせいぜい、箒を持って部屋の掃除をしているくらいの……落ちこぼれです」
「……?」
「無契約の、剣の御子なんです」
「あー」と。
その言葉に、隣でぽんと手を打ったのは寮母さんだった。
マザー・クロイチェフ。この学生寮の管理人にして、僕をこの部屋に割り当てて案内したその人は、今まで無責任に黙って僕たちの話に耳を傾けていたが、ここでようやく「あんた、無契約のはぐれもんかー!」と納得したように声を上げていた。
まるで、親戚のおっちゃんが酒樽を片手に「大きくなったのーう。酒、飲むんべえか?」と感心するような、あんな顔である。
「………いや。一人で納得していないで、僕にも分かるように説明してくださいよ」
「いやー。知らないのも無理ないわ。あんた《剣島都市》の外からきた人間だもんね。とにかく、この街にはそういう精霊がいんのよ」
「…………?」
「この子はね、都市の中でも『パートナー求め中』って呼ばれている珍しいケース…………何らかのはずみで、主人との契約が消えてしまったり、契約を破棄されたりした御子なのよ」
僕は首をかしげた。
なんだそりゃ?
確かに、この都市には『剣の御子』という存在がいて、聖剣と一緒に成長していくことくらいは噂で知っている。『持ち主』と契約して、二人で力を合わせて、パートナーとして頑張っていく存在だ。
それなのに契約の相手がいないって意味不明だ。
「ピンとこないでしょうけど、いるのよ。そういう輩が」
「はあ」
「彼女たちはねぇ、よく街の酒場とか、道具屋とかでアルバイトしている『姿』を見かけるわ。ほんの少数。都市でも100名いるか、いないかじゃないかな。普通の生活をしていても注意しないと街で見落としちゃう。
……まあ、人間ほどに物覚えとかもよくないし、そもそも客商売なんかに向いてないことが多いから、人間よりも思いっきり時給が低くて、ほとんど小間使いなんだけど……貧乏でマスターの稼ぎが少なくて、やむをえず共働き……っていう下積み時代を送っている子もいる。けれど、中にはひどいマスターに捨てられた子もいてねえ」
「……? 捨てられるって?」
僕は、驚いてしまった。
思ってもいなかった言葉が、飛び出してきたからだ。
「悪いことは言わんから、覚えときなさい。少年。……彼女たちは、いわゆる『道具』なのよ」
あえて、厳しいい方をするように、寮母さんは腰に手を置いて。顔を近づけてきた。全然そうは思っていないのに、『言葉』にすることで、キツい現実を分からせようとする……そんな『年上の教育者』顔だった。
…………そして、すげえ酒臭かった。
「私なんかは『道具』だなんて思わないし、それに、どう見ても彼女たちは人間と同じ―――。見て聞いて、話して、学んで、ときどき怒ったり悲しんだり……まったく人とは変わらないわ。あんたも、そんな彼女たちのことを『道具』だって思うような酷いヤツじゃないでしょう。それは分かっているけど」
マザー・クロイチェフは、続ける。
世の中には、強さのみを貪欲に追い求める『餓狼の相』と呼ばれる人間がいる。彼らは意識の中で、明らかに『人間』と『精霊』に差別をもうけて考え、彼女たちを道具としてのみしか見ておらず、『使えなかったら、捨てる』と考えるらしい。
「そ、そんな」
「《剣島都市》では禁じられているわ。当然よね、人生で一度きりの聖剣―――《熾火の生命樹》という母なる世界樹より授かった一振りを、そんな都合よくポイ捨てして、新しいのに変えるなんて許されないもの。万物の神様が許さないし、私だって許さない」
と、この豪語する女性。
もう一人の自称・『神様(ただし、学生寮限定)』は、強く頷いてみせた。
「じゃあ、なんで」
「許されないことと、できることは違うのよ」
マザー・クロイチェフは話した。
この学院島は、周辺人口と併せて10万人を数え、一大商業都市としても栄えていた。王国世界と呼ばれる300を超える各国から、様々な種類の人間たちが集まり、《剣島都市》で剣を鍛えたり、道具屋を営んだりして暮らしている。
学生だけでも、2万人がいるのだ。
そんな巨大都市で、《裏の商売》が育たないわけがない。
剣の御子に不満を覚えた『剣士型』の学徒は、どういう方法を使ってか、裏の抜け道で《契約》を破棄してから、別の聖剣に乗り換えてしまうらしい。当然、《剣島都市》がそのような悪者を認めるはずもなく、受け入れないために、摘発運動が盛んに行われている。しかし、問題の学徒たちは、裏のルートで学院島を抜け出して消えてしまうらしい。
(――つまり新たな聖剣の〝持ち逃げ〟だ)
残ってしまうのが、彼女たちのような『孤児』も同然となったパートナーのいない精霊である。
「……そんなことって」
「あるのよ。実際に。残念なことだけどね。しかし、私も思いもしなかったわ。まさか街で見かけるような『はぐれ剣の御子』が、うちの学生寮に住み込んでいて、部屋を綺麗にしながら使っていたとは。あっっはっっは―――こりゃ一本取られたわ!!」
「わ、笑い事じゃねえ!」
僕は突っ込んだ。
悲劇的な話から一転。曇天の湿り気を吹き飛ばすように笑っている無責任寮母を前にして、僕は叫んでいた。
学生寮の管理がずさんだから、紛れ込むんだろうが!!
「で? どうするよ。田舎者の少年?」
「え」
「部屋には剣の御子が住み着いている。まさに借りぐらしってヤツだね。そんで、新しく部屋の持ち主になったあんたは、この子を追い出すの? 一緒にいてもいいの?」
「それは」
「私が決めるんじゃなく、決めるのは自分になさい。この《剣島都市》に入ったんだからね。今まで母親や、周りが決めてくれていたことは、甘えよ。〝決められない不自由〟の代わりに、〝決めてしまう責任〟を回避してきた。
……でも、今からの人生は『あんた』だけのものだからね。もうこの部屋は家賃を受け取ってカギを『渡した』。その日からアンタに義務は発生した。だから、決めるべき家主は、あんたってこと」
「…………」
僕は。
自分の手を握りしめた。その中に冷たい鉄の感触がある。『部屋のカギ』だ。それに目を落しながら、僕は生まれて初めて言われた『厳しい言葉』の中身を頭で転がす。全て言い終えて満足したのか、寮母マザー・クロイチェフは「じゃ、よろしくね~」と鼻歌を歌いながら『無責任』に去って行く。
人のいなくなった部屋で。僕は、その子を見つめた。
「…………ねえ」
びくっと。目を落としていたハの字眉毛の女の子は、まるで怒られる寸前のように怯えて、肩を揺らしていた。
「どうして、ここにいるの?」
何気ない質問のつもりが、その女の子はしどろもどろになった。
「はう。いき場所が、なくって………この《剣島都市》は、主人を持たない御子には厳しいところなんです……。雨風をしのげる場所がほしくって、路地を歩いてたら、この部屋の窓が開いていたのを見つけて……」
「…………」
「で。出来心だったんです」
……そりゃ、気の毒だと思う。人間の都合によって振り回されて、捨てられてしまった精霊なのだ。見た目は人間と変わらなかったし、少し耳が尖っているくらい。人間というものに怯えてしまっている。
僕は、開きかけていた口を、閉じて。
そして、一番聞きたかったことを口にするため。もう一度あけた。
「――。君の名前を、教えてほしい」