04 村人にとっては深刻なんです
「―――へ? 〝水の液状魔〟――?」
と。
僕は招かれた小屋で、温かいミルクの器を手に首をかしげていた。
場所はジュレス山脈の中腹。ちょうど、僕らがドボンと落ちた温泉から少し登った先にある小さな村の、その『村長の家』であった。
「そうですじゃ。たいそう。この辺りを荒らしておりましてのぅ」
老人は、温かい飲み物を手にする僕らを見る。
長老の家は山中にある。だが、決して粗略に作ったものではない。王国からの古き良き建築の流れを受け継いでいて、しっとりと落ち着いた雰囲気を醸している。『老後に隠居するなら、こんな静かな場所がいいな』と思わせてくれる、そんな場所だ。
そこに、村長(……さっき、僕らに声をかけてくれた長い白髭のお爺さん)や。村の一同が詰めかけていた。
僕は、円卓状になった木のテーブルに腰掛けて話を聞いている。
「ご無事で何よりじゃった。昔からこの土地では、温かい水を求めて〝水の液状魔〟という魔物が繁殖しておりましてじゃな。近年は、ようやく数も少なくなってきて、ホッとしておったところ……源泉に巣くった魔物が現れましてな」
「……へ。いや、ちょっと待ってください。魔物って、温泉が嫌いなんですよね?」
僕は思った。
矛盾している。昔から、精霊や人間は温泉が好き、そして魔物みたいな存在は、温泉―――引いては、《熾火の生命樹》のマナの加護を受けるエネルギーが、嫌いなはずだった。近づかないから、温泉は安全地帯なのである。
だが、
「それも、別の地域の話し。ここいらの事情は――少し変わっておりましての。昔から、この土地には天然の温泉が少なからず湧いておりましたのじゃ。そして、そこに住まう魔物も、環境に適応して生きながらえてきた。――特に、スライムというのは、環境にとても適応しやすい魔物でしてな」
…………そういえば、聞いたことがある。
火山地帯には《ファイアー・スライム》、氷の雪原には《アイス・スライム》、森には《グリーン・スライム》など――色々な環境によって、その身体の色や、生態系も違うスライムが大陸各地にはいるらしい。
昔からそうで、だからこそ、〝最弱なのに、ある意味最強〟と呼ばれる分布図を誇っている。繁殖能力が強いのだ。その環境に対する適応力も高く、例えば人や魔物でも足を踏み入れられない火山地帯にも、赤いスライムは平気で生きている。
つまり。そういう魔物だからこそ、この土地の『温泉』にも負けずに生息しているのだという。いわば、〝温泉のスライム〟といったところか。
「……へえ。かなり、特殊ですね」
「ですじゃ。地脈に精通していないと『探索』も難しいし、山肌で土地の匂いを感じなければならない。じゃから、昔から。〝水の液状魔〟の討伐には、なかなかの経験を積んだものが選ばれておりましてな。村の中から」
「……ふむ」
「じゃが、〝あやつ〟だけは、話が別でしての」
僕は、そこで首をかしげる。
長老が言いにくそうに話していた。何度村人が討伐に向かっても、倒しきれない〝魔物〟がいるそうだ。それは〝水の液状魔〟なのだが、姿がとても大きく、洞窟の奥の源泉を独占して、力をつけているという。
そう聞くと、けっこう厄介そうだった。
おかげで村へと引いていた〝温泉〟はめっきり量が少なくなってしまい、旅人を歓迎するのもままならない。だから、『なんとかしたい』と。
「――あの。実は、僕たち依頼を受けてこの村に来たんですが」
「むおっ?」
長老会議の、その主だった面々が、瞳を輝かせる。
キラキラ――という眩しい、期待の光がこちらに注がれて、
「――まさか、冒険者さんたちかい!?」
「おおお、マジか。よく見たら《聖剣》っぽい、立派なしつらえの装飾剣を持っているな」
「お、オラ。初めてみただぁ」
「すると、こっちが精霊さまかい?」
「は、はあ」
一斉に詰め寄ってくる。
どうやら、ここの人たちにとって《冒険者》というのは物珍しい人種らしい。山奥の、温泉だけが名物の村にあって、それは貴重らしかった。
おもてなしの待遇を与えるかのように、食べ物や、追加の飲み物を勧めてこられる。そんな中で、長老らしい老人は《依頼状》について詳しい話しを初めてくれた。
「いや、何より助かりましたじゃ。この村は、旅人が減っていくばかりでしてのう」
「…………ええと、具体的に。どんな感じの被害が?」
「まず、源泉。―――この村へとお湯を引く、山奥の洞窟に〝水の液状魔〟が陣取っておりましてな。そして、急成長するあまり、村へのお湯をほとんど塞いでしまっておりますのじゃ。おかげで、――湯量は十分の一に」
「は、はあ」
「来客をもてなすのに、十分ではありませんのじゃ」
『お湯』を中心に生活をしていた、この村の人たちの暮らしにも影響が出始めているという。昔から地熱の温もりと、温泉の恵みに溢れていた暮らしは、『冷水』ばかりになってしまったという。村の子供たちの笑顔も消えてしまうほどに。
「……それは、困りましたね」
「ええ。困っておりますのじゃ」
長老は、話を続ける。
「魔物を討伐するためには、その源泉が湧く、山の奥の洞窟に向かわなければならなりませぬ。それが今回の《依頼状》ですじゃ」
老人は、指を立てて言う。
――幸い、この村から、洞窟はさほど離れてはいないようだ。歩いて街一つ分。かなり近い。どうして、その近距離にいて魔物を村人が倒さないのか、ちょっと不思議だが―――そこの陣取って急成長する〝水の液状魔〟が、それほど強いのだろう。
「――やつめ、俺の嫁さんを!」
「ああっ、彼女を! な、なんてヤツだ……っ」
「え?」
口々に。村の会議に集まった男たちは、床を拳で叩き、悔しそうに呻いている。
え。え。
女の人を……? その深刻そうな口調と、眉間に険しさをつくった顔に、ただならぬ雰囲気を感じてしまう。村長の家の蝋燭が、不安そうに揺れていた。
…………もしかして、何かあったのか?
「連れ攫われたんですか……?」
「いいや。家にいる。家にはいるが…………くそっ、あの魔物め。討伐に出ていた村の人数だけじゃなく、助けに入った村のうら若き女性たちをも………っ、くそ。言葉では言い表せねえ! この怒りを! とんでもねえヤツだ!」
「…………ごくり」
僕とミスズは、そんな深刻な目を合わせた。
そのスライムは恐ろしい生き物らしい。思わず喉が鳴る。『旅人よ、心して聞きなされ』と村の長老会議の老人は言い、立ち向かった戦士一同を容赦なく包み込む、その魔物の恐ろしさを伝えていた。
その装飾のされた《剣島都市》の剣士でさえ。魔物に勝てるか分からないという。湯のエネルギーを吸って。一気に膨張をとげたスライムには、村人をも脅かす特殊な性能が加わっているらしい。それが、人間を苦しめていると。
「何があったのか、聞いてもいいですか……?」
「……。よいか。もう聞いたら、後戻りはできぬ。心して聞きなさるのじゃ」
「――ごくり。」
そうして、老人は瞑想するように瞳を閉じた。
何か。大いなる、世界の闇でも近づいているように。その遠くにある、村の外の洞窟の魔物――引いては、そこで起きた出来事が、その瞼の裏へと蘇ったように。
老人は決断に迷い、そして、ようやく口を開くのだった。
目を僕に向ける。
「…………『びしゃびしゃ』に。してくるのじゃ」
……。
………………。
…………、はい?
僕は、思わず聞き返した。
「あの、今なんて」
「じゃから。びしゃびしゃに。してくるのじゃ、その魔物。〝水の液状魔〟は―――温泉と同じホカホカした謎の液体を宿し、人の肌は溶かさぬが、人の身につける服の繊維だけは確実に溶かしてくる『液』を塗らしてくるのじゃ」
「……それで……いや、えっと。……それだけ?」
「飛ばしてくる。飛散する。大変じゃ。被害に遭った娘たちがいた。様子を見に行っただけなのに。洞窟の近くを伺っただけなのに、―――あられもない、その白い素肌をさらして、ああっ、この先はとてもワシからは言えん!」
「…………。はぁ」
「―――うちの彼女さんがやられたっ!」
と。長老会議で、膝を立ててそう憤慨するのは、ねじり鉢巻きをした厳つい男だった。心なしか、その憤慨した顔が。赤く染まっていた。
「くそっ、うちの大事な結婚相手を……そ、そのっ。ドロドロにしてっ。全身に服が溶けちまう粘液をぶちまけて。……な、なんてエロい…………っ、いいや、いいいいや、なんて凶悪な害を及ぼす魔物なんだ。婚前なのに。人肌に害はないとはいえ。それは、許されんでしょう!?」
「……でしょう、って。僕に聞かれても……」
「それとも、なにか!? 《剣島都市》の剣士様は、そんなオイシイ――いいや、そんな凶悪な被害を与えてくる魔物に、慣れっこだとでもいうのか!?」
『なにっ?』『なんだと』と村のいきり立った男たちは、全員前屈みになりながら聞いてくる。『それはけしからん』と。……お、おいおい。そんなに身を乗り出さないでくれ……。
僕は困惑する。確かに聞いたことのない事例ではあったが……。
「あの。一つ確認ですけど。………………………………困ってるんですよね?」
「ああっ、当たり前だっ!」
前屈みになりながら、男は拳をわなわなとさせている。
別の部屋の隅っこでは、『くっ、そのせいで、恥ずかしくて恥ずかしくて。俺の娘は家から出られなくなっちまったんだ――』と憤慨し、『嫁さんは。露出が多すぎたんだ。美人に着せていい服なんて、限られているのに!』と叫ぶ。…………よくよく見ると、村の男が多いな。この会議。
『くっそ。エロすぎるぜ……』と俯いて。悲しんでいるのか、義憤に駆られているのかよく分からない顔をする。
「―――ともかく。そういう魔物ですので。くれぐれも討伐を慎重に、ですじゃ。魔物は強い。単純に、並大抵の剣では、受けつけないのじゃ」
「は、はあ」
「よろしくお願いします。ですじゃ」
…………一応は上級の魔物。ってことか。
僕とミスズは、そんな長老会議で、困った顔を合わせるのであった。




