02 デドラ・キーズー
「――へえ? アンタあてに、名指しの《依頼》?」
その日、小首をかしげる寮母さんはそう口を開いていた。
場所は、サルヴァスの寮の一室。カウンター。
いつもみたいに街中で僕が労働―――(……僕みたいな田舎から出てきた冒険者は、持ち金が少なく、冒険を請け負えるような《依頼状》もないため、結局は低賃金で働くことになる)――をこなして、いい汗を流して帰ってきていた僕は、そう声をかけるのだった。お相手は、『ぼりぼり』とおつまみを食べる寮母さんだった。
……しっかし、この寮母さん、よー食うなぁ。
口におつまみの焼き菓子をくわえて、それを揺らせている。
この時期は、ちょうど僕が《グリム・ベアー》の討伐を達成して、島中が湧いた後だった。これで名声も上がり、周囲は《依頼状》を持って僕に殺到―――そんな期待が、ちょっぴり肩すかしに終わりそうだったときの、《依頼》だった。
「……はい。なんでも、僕個人に頼みがあるらしくて」
「ふーむ。(ポリポリ)」
焼き菓子を口にくわえながら、寮母さんは腕を組んで考えている。その顔は真剣で、だからこそだらしなく食べる姿と合さて滑稽さを漂わせている。この寮に通う生徒たちにとって〝保護者〟や〝管理人〟に近い人だが――必ずしも尊敬している生徒というのも、少ないんじゃなかろうか。
寮母さんは、カウンターで渡した手紙をヒラヒラとさせていた。
「……ふーーん。報酬は……まあ、破格みたいね。王国硬貨500センズ」
「僕らみたいな〝Fランク〟の冒険者にとって、なかなかない条件だと思います」
「ただ、アンタ相手に名指しってのが少し引っかかるわねえ。まっさか先日の《グリム・ベアー騒動》の顛末を聞いて、早くも依頼をしよう、って金持ちでもあるまいし」
「…………違うんですかね?」
「可能性は低いかなー」
ぺろっと。
カウンターの向こうで、今度は座りながら指をなめている猫みたいな寮母さんは言っていた。
僕は生まれてこの方、《依頼状》というものをまともに受け取ったことがない剣士なので、その書状の中身については寮母さんの意見は貴重だった。寮母さんは、これでも、元は《腕利きの冒険者》だったそうだからだ。
だから、こうした《依頼状》などの読み解きも、慣れていた。
「様子見ってところかねぇ」
「……む? 様子見、ですか?」
「そ。冒険者が少しでも名をあげた際、その実力の中身には関わらず、『腕試し』的な依頼を持ち込む人がいるのよね。野次馬てきな好奇心というか」
―――それは、将来の有望株を見定めたり。
――または、狙い目の冒険者。(この場合は、相場よりも安い、しかも実力がある冒険者を早めに押さえて、依頼をさせる)
それらを相手に、依頼を持ち込む『上』の人間がいるとか。
そこまで寮母さんが言ってから、手紙の裏を見たときだった。そこに書かれた差出人を見て、思いっきり顔を顰めるのだった。
「………………あいつか」
「?」
知り合いですか? という僕の問いかけに、『ううん、べつに』と首を振って誤魔化した寮母さんは、しかし思い直した顔で、
「ま、いいんじゃない? 今のクレイトなら魔物相手に即死することもないでしょうし――この依頼主なら、たぶん安全よ。どちらにしろ、腕試しに行く、いい機会なんじゃない? 行ってきたら?」
「む。大丈夫なんですか」
「たぶん。オッケーよ」
それから寮母さんがカウンターからずずいっと身を乗り出し、『お姉ちゃんへのお土産も、分かってる?』と豊満な胸を揺らせて、僕の顔をのぞき込んできた。
「…………お酒でしょ、どうせ」
「大正解っ☆」
僕がため息とともに言うと、舌をぺろっと出しながらウィンクをしてみせる。そんなダメダメな大人モードに戻った寮母さんは、さらに身を乗り出して『アンタはよく分かってるねぇ、偉いねえ』と愛でるように、僕を抱き寄せてこようとした。頬ずりをしてくる。
振り払って、ため息。親子のようなコミュニケーションもいいが、どうにも、この人は酒臭い。
「…………ではでは、行ってらっしゃい! 愛弟子キュン☆
その《依頼状》の内容は、『一日程度』の魔物討伐って書いてあるでしょ? 行って帰ってくるだけだよ、日帰りだよ、日帰り~。お土産もヨロシクねぇ」
…………と、そんな感じで。
テキトーな見送りをされながら僕らは、《剣島都市》の七階層の学院の―――その、『Dランク』の階層へと足を踏み入れたわけだ。
中層を越えた先に待っているという、その依頼人の元へと。
***
「―――ようこそ、来てくれました」
飲み物を持って、その人が現れる。
僕らは、三重もの警備の『扉』を通り。教員の居住区である―――その《熾火の生命樹》の下にある学院の、一室へと通されていた。執務室のようである。
そこは、《剣島都市》でも異色の空間。
風景はなく、地下のように閉ざされていて、しかしどこか『学問』に専念できそうな―――そんな不思議な執務室だった。壁に掛かったのは、この世界の『周辺諸国の地図』。細かな『地形の書』や、『森の形』『水はどこへと流れるか?』『魔物が生息する条件一覧』など―――多くの紙がまとめられた書棚があり。しかも、中身が詰まりすぎて、こぼれ落ちていた。
床に散乱する紙が、机の周囲にまで続いている。
と、
「あらためて、わたしの名前はデドラ。―――デドラ・キーズー。よろしくね」
「………ぼ、僕は。クレイトです」
「うん。楽にして」
その教師―――いや、『Dランク学部長』という人は、かなり若かった。二〇代後半くらいか? 金髪と碧眼。そして、相変わらず、パッとしない用務員服に、豊満な肉体を包んでいる。
派手なしつらえの『王国長剣―――(おそらく、僕と形状は同じ)』を腰に帯びていた。これだけは、肌身離さないらしい。ということは、この人も聖剣使いということだ。サルヴァスの教師なのだから、考えてみたら、当然なのだが……。
……強いのか? というのが、最初の疑問。
……そして、年はいくつなのかな? というのが、単純に起きた次の興味。顔は学者然とした『古い眼鏡』に、長い髪を床にまで下ろしている。
…………何というか。
一目見て、『ああ、この人は絶対に忘れないだろうな』という印象さがある。なんか、そんな感じ。
その人は、
「―――さて、飲み物はなにがいい? お酒?」
「が、学生にいきなり飲酒!? いやいや、まずは《依頼》の話しでしょう!」
「いいえ。交渉ごとは、まずは雰囲気が大切よっ」
その人は、なんというかマイペース。僕に片目をつぶってウィンクを返すと、いまだに室内になれなくてソファーできょろきょろ見回す小動物のようなミスズに『精霊ちゃんは、何がいい?』と聞いて水を向けていた。
ミスズが『ジュース』と答えると、そのことに了解してテーブルの上で飲み物の容器を傾ける。中身を注ぐ。『柑橘の水よ』と出してきた。
「あなたは?」
「…………………………。僕も、ミスズと同じで」
「あら。つまらない」
と、僕に残念そうな目を向けてくるこの人は、一体何を求めているのだろうか。冒険者だ。生徒だ。そんな、お酒なんか飲むわけないじゃないか。
「……残念ね。てっきり、〝あの人〟のところの生徒さんだから、もっと型破り。〝お酒〟だって、べろべろになるまで飲んでくれると思っていたのに」
「……? あの人?」
「クロイチェフよ」
と、その人の名前を口にした。
僕は驚いてしまった。
ここで、寮母さんの名前が出てくるとは思わなかったからだ。寮母さん――学生寮の管理人、クロイチェフという黒い修道服の人は、またぞろ、戒律を破ったシスターさんみたいに、寮の玄関からすぐの扉を入ってのカウンターで、酒を飲みながら留守番をしている。
昔は、すごい冒険者だったらしいが――。
その話を思い出しながら見ていると、その人は親しそうな表情で、
「あの人の弟子だって噂を聞いたから、ちょっと期待して《依頼状》を持ち込んだのよね。一つに、信頼と……。もう一つは、腕試し?」
「……腕試し、ですか? というか、知り合い?」
「ええっ、昔にね」
微笑みながら、その人はグラスを傾けていた。
業務の間の、ちょっとした休憩と、小話――そんな風情で語っているが、透明なグラスの中に入った液体は、どういうわけか見覚えのある琥珀色だ。……これ、寮母さんがよく飲んでいる酒と同じ銘柄じゃないのか……? あの、度数が超高いっていう。
「若い頃は、よく冒険したのよね。あの人。《剣島都市》ではちょっと変わった冒険者だったから、ロクに誰かとつるまないし、その頃から冒険っていうのに興味をなくしていたんだけど。島に立ち寄っては、一緒に酒を飲んでたわ」
「……へ、へえ?」
「ああ、懐かしいわ。……少しの間だけだったけど、お世話にもなったし。超絶強かったのよ? あなたの寮母さん。ちゃんと、言うことを聞いて修行して、あなたも負けないくらい強くならないとね。応援しているわ」
「……は、はあ」
なんだろう。
この懐かしい、親戚のおばちゃんの小話を聞いている感じは。ともかく、そのほわほわとした金髪の教師の言うには、そういった寮母さんの〝縁〟があって、僕を何となくマークしていて、それで《依頼状》を持ちかけることになったのだとか。
「ともかく、《依頼状》ね」
「……! は、はい」
「あなたたちに頼みたいのは――ある知り合いから伝手で回ってきた、ちょっとした困りごとのトラブル。サルヴァスから島を出て、東へ向かうこと200舎。……つまり、一山を越えた先ね。日帰りで帰れるわ」
「……? 何があるんですか?」
「温泉よ」
端的に、その人は僕に口を開いた。
僕とミスズは、思わず顔を見合わせた。
「『温泉』―――精霊や冒険者にとって、非常に重要なものなのだけど、まだ駆け出し冒険者たちには価値が分からないかも知れないわ。その真価は―――〝生命源〟、つまり、その回復能力にあるの」
「……? 回復のうりょく……ですか?」
「ええっ。精霊が、温泉好きって言うのはご存じ?」
と、問いかけられ、僕は思わずミスズを見た。
―――精霊が、温泉が好き。
そういえば、前にどこかで聞いたことがある。精霊たちの生みの母、《熾火の生命樹》という世界樹は――そのふもと、木の根っこのところに凄まじい炎を宿しているらしい。そのため地熱が湧いており、それは、恩恵として島にも〝源泉〟を生み出している。つまり温泉は精霊と性質が近い。
だから、なのか。精霊は温かい水――すなわち、〝温泉〟というものが好きなのだとか。母なる炎の温もりを感じるからかもしれない。
「話しだけは、聞いたことがあります」
「そう。《温泉》と《精霊》というのはね、実は密接な繋がりがあると言われているの。この学説は―――〝地の利〟を研究する、私にとっても重大な課題でもあるんだけど、温泉には魔力が宿っていると言われているの」
「……!」
「この意味するところ、分かるかしら?」
楽しげに。
まるで研究成果を発表するように、その人は首を傾けて笑う。――まるで、その内容が。『まだまだ、これは学問の序の口よ』――とでも言っているように。考える僕を微笑ましそうに見つめている。
「《温泉》というのはね、実は冒険にとって大事な〝回復源〟でもあるの。冒険者にとって、傷を受けたら〝回復薬〟で治癒すればいい。――でも、精霊は? 聖剣の力を使って、すり減った魔力を、どうやって回復するのかしら?」
「……まさか、それが温泉……とでも?」
「ご明察よ。温かなお湯の下には、この世界の熱源―――《熾火の生命樹》の恵みの、さらに深い地底にある命の恵みが宿っていると言われているの。この下からあふれ出てくる〝魔力〟というものは神聖で、魔物を寄せ付けず、精霊にとってもとても相性がいい。吸収できるの」
温泉の講義は、進む。
僕にとって、その湧き出る温泉というものが、そこまで価値のあるものだとは思わなかった。《魔物の森》で、たまに湧いているのを見かけたことがある。森や、ダンジョンや、迷宮―――場所を問わず、あらゆるところで、急に湧いて出る温泉があるらしい。
それは、冒険者たちにとって、とても重要な《回復の場所》だという。
冒険者の傷を癒やす効果があることは知っている。湯治という言葉もあるくらいだ。〝回復薬〟よりも即効性が落ちるとは言え、天然で湧いた温泉は何度も利用することができ、しかも魔物を寄せ付けないため、拠点としても使える。
「温泉に、精霊の魔力の回復効果があるなんて……」
「それで。今回、お願いしたいのは、そんな『天然の温泉』にまつわること」
教師、デドラは片手を広げた。
依頼の内容。今回の僕らのやるべきことを、言ってくれるらしい。
「――このサルヴァスの森を越えて、半日。東へ向かったところに、ジュレス山脈という場所があるの。―――あ、安心してね。魔物は弱いから。
で、そこに向かって、ある村の問題を解決して欲しいの。〝温泉〟がよく湧く特殊な村があるんだけど、その郊外に、ちょっと不思議な《魔物》が現れてね。なかなか、村の人じゃ退治できないみたいなの」
「……? どんな魔物なんです?」
「それがねえ」
そう前置きして、『ふぅ』と憂いを帯びたため息。
その金髪碧眼。古い眼鏡を傾ける人は、艶っぽい仕草で『執務机』に向くと、一冊の《魔物図鑑》を取り出してきて、その〝しおり〟を挟んでいたページを見せる。
古い装丁。ページも色あせ、年月の染みを作った紙には、ある《魔物》の姿が躍っていた。
「――――『スライム』よ」
「……は?」
「だから、スライム。最低最弱、魔物の世界の中でも、ひときわ弱く、いっつも他の魔物から襲われている―――そのくせ、繁殖力だけは妙に高く、環境への適応性も高いため、どこにでも現れる。湿地帯でも、草地でも。まるでカビのように。……その魔物が、スライム」
―――そして。
―――退治するべきも、その〝スライム〟だという。
「―――今回の《依頼状》は、そんなスライムを討伐すること。
『あなたたち』を呼んだのは、適任者だと思ったからよ。先日の《グリム・ベアー騒動》を聞きつけてね。実力も織り込み済み。この『依頼状』を発行する―――正式な書類も用意するわ」
「……で、ですが」
「よろしくね。その名も、『剣と湯けむりの温泉退治』~。たっぷり、味わってきてねぇ」
と。その人は、笑顔で手をヒラヒラと、振るのだった。




