余談1 お土産の行方やいかに
「―――お土産が欲しいっ!」
「…………へ?」
僕は、ポカンと目を丸くしていた。
場所は。《剣島都市》のいつもの寮の一室。
表通りでは学徒たちが行き交い、まだ若い少年少女たちの声が、『今回、すげえ冒険があったんだって?』『――まさか。ひょっとして、昇格試験で《王家の森庭》の〝ボス〟を討伐した冒険者のことか――?』などと、会話が行き交い、通りすぎる中で。
そんな窓辺からの風の中、「いぎぎぎ」と歯を噛んでみせる大人がいた。
「スミマセン、寮母さん。聞き間違いかもしれないので。もう一度――」
「お土産が、ほじい!」
…………ああ、聞き間違えじゃなかった。
聞き間違えだって、思いたかった。ああ。すごく。
その人は、喰い気味に言って、僕をジッと茶色の瞳で――(この、何もかも汚れきって、酒と泥の中で生きてきたような人のわりに、ひどく澄んだ)――眼差しで、見つめてくるのであった。ただ、いくら顔は純粋でも、その要求内容は最低である。
「えっと。順序を追って、くわしく」
「――クレイト、留守中全然、寮母さんのこと遊んでくれなかったんだもん!! 可愛い、カワイイ弟子が旅立っていって、大いなる試練に挑んでいるときに、お姉ちゃん心配で心配で夜も眠れなかったのに! 片想いなんだもん!」
「――お酒の瓶を抱えて、ぐっすり――。そのだらしなく寮の玄関で転がっていた姿を、〝僕〟は目撃しましたが? 寮母・クロイチェフ」
と。
窓辺の椅子に揺られて。
なんでこの男もここにいるのか、《ガフ・ドラベル》という片眼鏡をはめた生徒が、そんな窓辺の風の中、椅子で本を読みながら言っていた。正確には寮母さんに言うのではなく、自然と口に出てしまった、という感じだ。
その本は――いったい、何を読んでいるのだろう。『王国百代記』などと書かれた、僕が読んだら頭が痛くなりそうな本を静かにめくっている。
そんな姿に、寮母さんは『キッ』と大人げない、子供みたいな眼差しを向けて、「遊んでくれなかったガフは黙ってて!!」と叫んでいた。
…………叫んで、しまっていた。
いやいや、大人として色々ダメでしょう。あんた。それは。
「…………はぁ。寮母さん」
「待った! 言わんとすることは分かるわ。クレイトっ!」
僕が深い深い息をついていると、寮母さんは『皆まで言うな!』という感じで手を出してきて、その言葉の続きを遮る。
「でもっ、私だってこれで我慢していたんだから! 我が弟子なら、きっと試練を乗り越える……。そう信じて、待ってて、あと、ついでにお酒に合うおつまみとか、魔物の肉とかっ、そもそもお酒で有名な『レノヴァ村』がある森だから、きっとお姉ちゃんの愛おしい顔を思い浮かべて――『ああっ、師匠のために』って思って、買ってきてくれるとか! ――そんなのも全て、あんたが快癒するまで、待っておこうと我慢したんだからっ!」
「………………………………、我慢、できてないじゃないですか」
僕は、いろいろ言いたいことが山のように積もってしまっていたが。
全ての言葉を頭に浮かべて、でも、あまりにも混沌と化した突っ込みどころを前に、諦め、息をつき、それだけを振り絞った。
実のところ。まだ僕は全快ではない。
肩の傷口が少し残ってて、それが治るまで、冒険はやめて安静に――と、街の医者に止められているのだった。
――あと、レノヴァ村が銘酒の産地だったなんて、気づきませんよ。酒を飲まない未成年は。
「なんでもねっ。その土地には、古くから大きな王国があったらしく―――それって、戦乱で滅んじゃったんだけど、その残した文化と、一部の工芸品とか、お酒の技術とかがまだ土地の人々に残ってて。それで赤麦を使ったお酒があるの。有名なのっ!」
「…………さ、さすが。ダメ人間。酒のことなら何でも詳しいですね」
僕は呆れたり、すこし感心したりしながら、そう踊りを舞うように片手を広げた、自称《弟子のことを心配する師匠》を見上げていた。……っつーか、どうみても下心が見え見えである。
「寮母さん」
「……んっ? なにかな、なにかな。愛弟子きゅん」
「お土産なんか、あるわけないだろ」
ちょっぴり真顔で、僕は言ってしまっていた。
―――ったく、今回の冒険が、どれだけ命がけだったと思っているんだ。この人。僕がそう言うと、窓辺で読書に浸っていたガフも『まぁ、それが妥当な解答だね』と同意しながら、《昔の拷問器具》のページをめくっている。
寮母さんは、ショックを受けていた。
それこそ、『あわあわ……』と、両手を震えさせる、悲しい瞳を向けて。
「症状が出てますよ、飲酒愛好家」
「ちっ、ちっがーーーーう!! お姉ちゃん、これがお酒を飲んでいないときに起こる、禁断症状なんかじゃないんだから!!! お姉さん、これでも期待して期待して、超期待していたんだよ!? クレイト、なんだかんだで気が利くし」
「気が回っても、今回の冒険だと絶対に無理ですよ。途中、獣人が村を占拠していましたし。……帰りは、意識なかったですし」
「―――っ、ぐぅ~~~~っ。その獣人を出しなさい! お姉さん、とっちめてやる!!」
ぶんぶんっと、何もない虚空に向けて手を振りかざしていた。
そんな空間で、静かに調理場所から食器を鳴らす音が聞こえてきて、ミスズがティカップに入れたお茶を運んできてくれた。急な来客で、もてなす用意をしてくれていたのだ。一緒に出てくるのは、ガフの契約精霊で、いまだに謎の多い―――長身の前髪が目にかかったメイドさん。確か、〝カトレア〟とかいう人だ。
抜き身の刀身のように鋭く、研ぎ澄まされた冷たい美しさがある精霊だったが――ミスズたち精霊相手には面倒見がいいらしく、歳の離れた『お姉さん』のように、ミスズに紅茶の入れ方を教えてくれていたらしい。
「――はいっ。ガフ様。紅茶をお入れしましたっ」
「ありがとう。ミスズちゃん」
ガフは柔和な笑みで受け取り、(……きっと、この線の細そうな笑みが、島の街中で多くの女性の心を射止めていくのだろう)、それから素直に口をつける。作法にのっとった、外の王国の王宮でも背景に見えてきそうな、そんな美しい貴族の飲食スタイルである。
寮母さんは、その横で、ズズッと品性も何もなく。ただマズい泥水のように飲んでいた。どうも、ご機嫌が悪いらしい。
「―――っかあ! 安いお茶っ葉ね!」
「…………それ。ガフが、僕の快癒祝いに買ってきてくれた、王国硬貨700センズ分の茶葉だそうですよ? まぁ、味が分かるのがガフ本人しかいないから、ここで出したんですけども」
「わたしは、お酒がいいのッ!」
おお、さすが問題児。
お茶の茶葉の鑑定を見誤ったことなど何の問題にもせず、開き直って酒の味を要求してきた。こうなると、それはそれで、立派ですらある。
「……まあ、最低だけどさ」
「…………最低ですー」
「最低ですわ」
「…………最低だね」
僕が言い、ミスズが運んできたトレーで口元を隠しながら言い、その隣で長身のカトレアが凜とした佇まいで言った。次に、窓辺で本のページをめくりながら、『戦争と犠牲』という項目を無感動に見つめるガフが、茶をすすりながら言う。
寮母さんは、『うるさーい!』と開きなおって爆発し、それから僕に指を差してきた。
「―――クレイト! あんた、傷が癒えないからって毎日毎日、だらけているんじゃないでしょうね!? 修行よ、修行。傷が癒えしだい――これまで生きていた人生が、まるで天国だったって思えるような苦痛にまみれた修行を受けてもらうんだから! いいっ?」
「……む。は、はい。分かりました」
「まったく」
と、寮母さんは大人の顔に戻って、そっぽ向く。
……どうやら。
ここで、僕は寮母さんのホンネが分かった気がした。
―――寮母さん。修行もなく、ただ床に伏せっているだけの僕に、『体が鈍らないように』と注意を与えに来てくれたのだ。
修行というのは、その口実。
確かに治ったら、地獄みたいな修行が再開されるのだろうが……。しかし、その剣を取る日まで、少しも弛んじゃいけない。と。それを言いに来てくれたのだ。……〝精神〟と〝肉体〟は濃い繋がりで結ばれている。
だから、ただベッドで横になって傷を治すよりも、修行をしている心持ちで、気を引き締めるのだ。快癒したら、それこそ大変な特訓が始まるだろう。だから、今のうちに、少しでも体を動かして、やれることはやっておくべきだ。
「どうも。寮母さん」
「…………。ふーーんだ」
やっぱり拗ねて、腕を組んでいる。
ミスズはトレーを口元に当て、その中にある笑みを隠すように見つめている。精霊のカトレアは面食らったように、驚いた瞳を向け。そしてガフは、『……やっぱり、分からないね。君たちは』と本をめくりながら、ため息をついて見せていた。
「じゃあ、そんな寮母さんに、とっておきを」
「……? な、なによぅ」
『あんまり期待しないぞ?』という目で、その人が振り返ってくる。
僕が握りしめていた、―――ベッドの奥に隠していた『戦利品』を見て。それから、ぱあっと瞳を輝かせる。
「―――お、お酒じゃない!? しかも、結構古い。な、なにこれ? 何でこんな立派そうなものが、クレイトの部屋にあるの?」
「いや、そもそも『レノヴァ村』が銘酒の産地だったことは、初耳だったんですけど。……でも、僕たちが村の近くの魔物の〝ボス〟を討伐したから―――って。村の鍛冶屋さんが、代表して、お礼を送り届けてくれたんですよ。つい昨日」
「え。え。え……じゃあ……」
「ええ。今回の冒険で生き残れたのは、寮母さんが修行して稽古をつけてくれていたからです。剣術も役に立ちましたよ。それに、使ってみて分かったんですが、《寮母さんの構え》もすごかったですね。―――お礼は、したいと思ってましたから」
僕は、渡す。
その酒の瓶の入った木箱を受け取って。寮母さんは、また『わなわな』と小刻みに震え。その瞳に、透明な粒を浮かべているのだった。
感極まったように、鼻をすすって。でも、すすりきれない鼻水を残して、
「うわあああああああ―――――ん!! クレイト! ありがとう! 愛してるううう!」
「どわああああああああああ―――っっ、汚えええええ! 寮母さん、鼻水とってから抱きついてくださいよ―――うべしっ!?」
ボキッと。治りかけだった肩の骨が、また嫌な音を立てたのが聞こえてくる。
まあ、色々あって。
紆余曲折もあり。
《剣島都市》の街中に帰ってこられた僕らは、お師匠への念願のお土産を渡すことができたわけなのだが。
――――全治、一週間延びましたとさ。




