33 宮廷の記憶
「―――まぁ、花が美しい」
と。そこは、どこかの美しい宮廷の中だった。
白く光の注ぐ窓の前で、王妃らしき女性が、手の中の花を愛でている。その前には鳥籠が置いてあり、中には、その花と同じように―――美しい宝石のような、赤い《蜘蛛》がいた。
「あっはは、まったく。うちの《女王様》にも困ったもんだよなぁ? 王妃。なにせ、勝手に籠から逃げ出したと思ったら、こんな美しい花々を王国の野から持ち帰ってくるんだから。――ったく、人よりも賢いよ、お前は」
と、二人の幸せそうな夫妻が、籠の中をのぞき込む。
そこには、嬉しそうに足を動かす《蜘蛛》がいた。
とても綺麗で。王国一、賢い。
「……まったく。昔、商人から『賢い魔物がいる』と聞いたときには、眉唾ものだと思っていたが……。こうしてみると、魔物も人間と変わらない感情があるみたいだな。王妃と私の結婚祝いに、わざわざ城を脱走までするんだから」
「……あら、反応していますわ。あなた。しょげちゃって。ふふっ、人間の言葉が分かるみたい」
その蜘蛛と、国王の若い夫婦は、笑いあっていた。
―――かつて、その土地には王国があった。
滅んだ昔。その宮殿では、幸せな暮らしがあっていた。
そこは、他国との木材の貿易で成功し、慎ましくも、そこそこ豊かな生活が送れていた。贅沢を望みさえしなければ、幸せな暮らし。国王夫妻もその暮らしに馴染んでおり、使用人や兵士が多すぎないが、そこそこ――中流の家庭として、穏やかな毎日を送っていた。
蜘蛛は、そんな国にやってきた。
魔物の生まれだが―――人を噛まなかった。だから、商人たちに重宝された。生まれ持っての色鮮やかな『赤い宝石』のような体は、多くの人々を魅了し、サーカスにも出ていたことがあった。やがて、その蜘蛛は、辺境の国王夫妻に引き取られ、穏やかな暮らしを送り始めた。
この日は、国王夫妻の、一周目の結婚記念日。
生まれ持って、人の言葉を理解できた蜘蛛は――夜のうちから逃走し、城外にある花畑から花を摘んで、背中に乗せて持ち帰ってきていた。まだ、手のひらに載るくらいの、小さな蜘蛛だった。国王夫妻は喜び、感謝を伝えた。
「……まったく。客人をもてなすときも、芸を見せるし――お前は本当に万能だな。もし、我が国の世が続けば、子孫へと残す『国の宝』にするだろう」
「あなた、あなた。この子だって、いつまで生き続けるか分かりませんよ? ふふっ」
「……む。だがっ、魔物は人間よりも、寿命が長いというぞ? 長く生きてもらわねば困る。なあ? 女王」
そんな暮らしが。
満ち足りた平穏が、いつまでも、いつまでも、続くと思っていた。
やがて、《戦乱》が始まった。
魔物の黒竜たちが暴れ、それら魔物を討伐するために、周辺の王国は大きくなり、大勢の兵士を揃えるようなった。《軍団》を抱えた各国は、やがて、領土権を主張し――大陸中を包む戦乱が始まった。
そして。
――いつしか、戦乱の中で。最も国力が弱い、辺境の王国は滅び去ってしまった。
人間によって。王宮は崩壊し。あの美しかった国王夫妻も、帰らぬ人となってしまった。
『…………』
蜘蛛は、雨の降りしきる中。
屋外の、崩壊した宮廷の建物の中から、出てきた。鳥籠は半壊していた。見回す、どこにも城下町の面影はなく、墓だけが建ち並んでいた。
蜘蛛は、歩く。
数日かかった。墓の中を探して周り、やがて―――そんな優しかった国王の面影を感じる、ひときわ大きな墓を見つけた。
……魔物に、涙なんか流れない。
魔物に、そんな感情なんか無い。
そのはずだった。蜘蛛は異端だった。異物だった。人とともに歩み、その将来を見届けようとした蜘蛛は―――墓の前で、動かなくなった。
数年後。蜘蛛は、王の墓を荒らす、平和になった世界の〝墓泥棒〟たちを、初めて殺した。
―――を守るため。
温かかった、あの日の―――を、守るために。
……。
…………。
………………。
その、長い長い、夢のような『白い時間』を抜け出したとき―――。『僕』は、――《冒険者》として、《女王蜘蛛》の目の前にいた。
「……! えっ? い、今の……」
と。僕の近くに、援護のために回り込んでいたらしい――メメアがいて。先ほどの『白い夢』について、驚きながら見回していた。
精霊のミスズも同じだ。『な、なんでしょう……今の……?』と。まだ夢の余韻から覚めない声で言っていた。アイビーに到っては、考え込むように、黙っている。
『……もしかして、先ほどのは……この《女王蜘蛛》が過ごしてきた、記憶……なのでしょうか? クレイトさんの聖剣の光が白い景色を作って、その中で見た……ように、見えましたが』
「……」
僕はアイビーの言葉を聞きながら、一歩進んだ。
――《女王蜘蛛》がいる。
その八つの赤い瞳と、その瞳に宿る、悲しい光を――聖剣を携えながら、見た気がした。
「……もしかして、お前。泣いているのか……?」
その瞳に宿る悲しい光が、理解できたような気がしたから。
その一瞬の白い夢の中が――なんでかは、分からない。だけど……『本当に起きたこと』のような、気がしたから。
女王蜘蛛は、傷つき、弱っている。
おそらく、次の一撃を向けたら―――それが最後になる。それが分かるほどに。
その白い夢を見た。
その聖剣で戦いながら。その相手のことを。――《魔物》を理解した。
「……それで。戦っていたんだな。女王蜘蛛。
墓を守るために。自分を分かってくれた――その人たちを、守るために。国が滅んでも。その人たちが、眠りについても」
「…………」
僕は、そっと語りかける。
冒険と冒険は、信念のぶつかり合いだ。
それは一歩も引けない。今も同じだ。僕だって誰かを守る理由がある。この大陸に魔物もいれば。それを守るための生き様がある。
―――だけど、それは、《魔物》も同じかもしれない。
何かを守るために。何かを貫き通すために、命を賭けて。戦う。ズルなんかしてはいけなかった。信念を持って、魔物たちも、戦っているのだ。
だから。
だから―――僕ら《冒険者》は。
「…………もう、いい。大変だったな。女王蜘蛛。たくさん、苦しんだ。
僕ら冒険者にとって、その気持ちを本当に理解してやれる、なんて大それたことは言えない。駆け出し冒険者だし。なにも……なにも、冒険の奥深くまでは分からない。そんな人間だ。けど……もう、十分にやったよ。お前は、頑張った。
――もう、終わりにしても、いいんだ」
悲しい瞳に、同じ光を宿して頷く。
――もう、十分やったんだ。
終わりにしても、いい。
僕は《聖剣》に力を込める。
せめて、苦しまないよう安らかに。―――その魔物の最後を見届けるんだ。戦ったのだ。それで分かり合える気持ちもあった。僕は静かに目を閉じて、そんな女王蜘蛛に―――最後の静寂を贈った。
***
《 ステータス → 変動 》
―――契約の御子・ミスズ
分類:聖剣/固有技能《 限界突破 》S+
ステータス《契約属性:なし》
レベル:47 → 56
生命力:165 → 201
持久力:120 → 163
敏捷:233 → 304
技量:118 → 189
耐久力:96 → 140
運:_ex
***
その、最後で。
最も鮮やかで、最も強力で。
―――そして、苦しまなくてもいい。そんな、白い光の《聖剣》の一撃を使って。
僕の聖剣が光を放つと、女王蜘蛛は静かな眠りへと還っていった。
***
―――最終日、終了。
―――《冒険者》 クレイト・シュタイナー 魔物討伐 233匹 (+女王蜘蛛)
―――《冒険者》 メメア・ガドラベール 魔物討伐 124匹
〝昇格試験〟終了の日が暮れるまで。…………残り0日。




