04 出会いのサルヴァス(前編)
ことの始まりは、今より少しさかのぼる。
僕が、初めての《剣島都市》―――あらゆる大陸の『聖剣伝説』『伝承の剣の逸話』などが集まり、最強と評判をほしいままにする、剣士の巡礼地のごとき場所―――そこに下り立ったときから、物語は始まっていた。
(…………わぁ)
まだ、夢も希望も抱いて、瞳も輝いていた頃の『僕』が、船着き場からの船から下り立った。なぜ船かというと、この学院島が大昔からの巨大な湖の中央に立っているからである。
僕にとって、そこは夢の宝島だった。
《熾火の生命樹》――というのが、この緑豊かな、楽園ともいえる学院島の中心であった。
周囲、2000メルト(1メルトが、だいたい家1軒分)沖には何ら人工物らしいものはない。ドーナツ状の湖が続き、僕らは、その外側からやってきた。上陸すると最初に目に飛び込んでくるのが、『船着き場』から見渡せる―――その景観の整った街。オシャレな街角だ。
冒険者の、街―――であった。
しかし、実際にこの街に数多くいるのが、『剣士学徒』と呼ばれる、『まあ、なんというか剣士の見習いみたいなもの』と僕が勝手に思っている存在である。《剣島都市》という剣の学校に通い、将来、どこどこの王国の『英雄』になったり、『勇者』になったりする―――そんな、未来のある〝剣士のタマゴ〟である。
で、僕も。
そんな未来のある〝剣士のタマゴ〟になるべく、故郷から夢を見てでてきた一人であった。
―――《剣島都市》の学院の学徒。
今の僕は、大陸の黄緑色の《ウカコイカ鳥の羽根》を立てた騎士帽子に、羨望の眼差しを送っていた。街で行き交う彼らは、いわゆる、その帽子が許された《上級生》―――しかも、特待生である。
特別、優秀な生徒である証。
僕は、青い水の波紋のような模様が流れる彼らの《学院のローブ》を羨ましく見送りながら、いつか、自分もああなるのだろうか、と思いながら歩いていた。
僕は《目印》をたどりながら、その王国の城下町と変わらない街中を歩き。そして、まず自分が世話になる『寮』を訪れた。
季節は、《新緑の季節》。折から、海辺のなだらかな坂の街のようになった麓のほうから、柔らかい春の風が吹いてくる。優しい風に香るのは、隣家の塀越しに匂う《セミア》の柑橘系の花である。
夢いっぱい、希望いっぱいの『大きすぎるトランク』を抱えて訪問する僕に、
「―――あー、ちょうどよかった。新入生、ちょっくら《酒》が切れそうだから買ってきてくんない?」
カウンターに、べたー。と横たわる、夢も希望もない最底辺生物。『マザー・クロイチェフ』―――寮母、その人が出迎えてくださいました。
「…………」
「……あれー? 新入生だよね? 合ってるよね? だったら、早いとこ買ってきてくんないかしらぁ。私ね、アルコールが切れることと、じらされるのが人生で最大級に嫌なの」
「……。ここ、寮ですよね?」
「うん。寮だよ。そして私は寮母の『マザー・クロイチェフ』。よろしく」
にっこりと。
その、あまりのショックに、一度ドアの外に出てまで『ここで合っているよな?』と寮の看板を確認した僕に、女性は微笑んでひらひらと手を振ってきました。
てか、おかしいだろ!? なんで寮を預かるその人が、昼間っから学生に見せられないような不健全な姿で、酒に溺れている!? カウンターだって、学生寮のカウンターって言うより、酒場のように酒瓶と空瓶でまみれてるんですけど。
「ぜんっっぜん、健全じゃないっっ!!!」
「あらぁ。失礼な坊やだわね」
と。寮母さんは、何が面白かったのか。ニヤリと笑ってみせる。
「どこが不健全か、教えてもらおうかしらん?」
「―――まず、昼間っから酒を飲んでカウンターどころか、玄関まで酒臭くさせた人が受付にいるなんておかしい! そんな人が寮母さんなんてことも! ――次に、寮母さんだったら新しく入居してくる生徒を案内しなくちゃいけないはずなのに、ぜんぜん応対をしない! どころか、自分が飲んでいる酒のおかわりを買いに行かせようとしている!!!」
「あらぁ。怒濤の攻めゼリフ。やっぱ若いっていいわねぇ」
しみじみと、酒瓶を振っている。
なんてダメ人間な光景なんだ。まさに人生の岐路にミスって、底辺に落ちてきたような姿だ。子供向けの『ダメな大人を描いた絵本』に、是非ともこの絵の切り抜きごと掲載してほしい。
と。
「じゃあ、私のほうから反論をさせてもらうわね?」
「え、ええ」
僕は嫌な予感を覚えながら頷いた。
「―――まず、第一。昼間からお酒を飲んでいるというけど、そもそも昼間だから夜だからと『定義』を決めたのは誰でもありません。私が『夜』だといったら、この時間は夜であるし、私が酔っていないといえば少しも酔っていないのです」
「な、なに!? あんた神様かよ!?」
「そう。寮での私は神様なのでーす。さらに、あなたの常識ではどんな優しくて無償の愛を注いでくれる『寮母』の妄想があるのか知らないけど、現実なんて、わりとこんなものです」
「そ、そんなばかな」
純真な少年の夢を、出会って数十秒で打ち砕くなんて!
僕がうろたえていると、寮母さんは論破するように指を突きつけてくる。
「それに、『寮母』さんだから優しく案内してあげなくちゃならない、っていうのも大きな勘違いによる思春期の暴走した妄想によるものです。そもそも、故郷を離れて『自立』する学生なんかは、自分で何でもできるべきだし、挑戦していくことで成長するものなのです。私にいわせれば、『甘えんな』ってこと?」
「ぐ、ぐっ」
「それに、これはアルコールじゃありません。オレンジジュースです」
「ウソつけ!!!」
それだけは、絶対にウソだと思った。というか、一発で分かった。
寮母さんである『マザー・クロイチェフ』は、僕を丸め込もうとしていた雰囲気だったが、失敗した瞬間に「ちっ」と闇の顔で舌打ちをした。
「とにかく、案内してくださいよ」
「…………もう、面倒くさいわねぇ」
おおよそ『大人』がいうべきことではないセリフを口にしながら、マザー・クロイチェフは。ボリボリと尻をかきながら、カウンターを立ち上がる。
そのまま、上の階へ。
やっぱりといってはなんだが、この人がずさんな管理をしているだけあって、そこまで『学生寮』は広くなかった。雰囲気は、少し昔の王国城下町の『酒場』を改良して作ったとか、『宿屋』を作り替えたとか……そんな感じだった。
雰囲気はいい。話によると、どうやら大浴場もあるらしい。
島には源泉があるのか。
この人のずさんな管理でも『文句が出ない』というだけあって、住んでいる人数も多くはなかった。学院の他の生徒は、別のところで『寮』を使っているようだ。
「あの、『寮』の使用料は?」
「ああ、《新緑の季節》から、《地竜の季節》までの切り替えで………だいたい、300センズくらい。あんたの故郷のお母さんから、前金でもらってるから」
………へえ。わりと破格だ。
というか、案外しっかりしているんだな。この管理人。300センズというと、銅貨三百枚。『金』に関することならば、わりと信頼してもいいのかもしれない。
僕の感覚だと、《剣島都市》のわりに安いように思えた。もし部屋が埋まるようなら『相部屋』にもなるらしいが、なに、故郷の母さんには迷惑かけっぱなしで申し訳ないのだ。それくらい、僕は引き受けられる。
僕が二回の自分の部屋―――殺風景な廊下の先、何も手入れのされていないらしき部屋に案内されると、
「…………ん?」
「あら?」
なぜか、窓が開いていた。
留守中の換気でもするように、大きく開け放たれた窓からは、白いカーテンが揺れている。窓辺にあるチェストには、飾り付けられた花瓶に季節の花が揺れる。部屋は木目調。やや広く、一方が畳敷きになっている。
それだけならば、センスだけは十分といえるし。
見渡した感じだと家財道具の一部はすでに整っているようで、一般的な宿泊施設におけるカーテンやベッドなどの必要品目は揃っていて、トランク一つ抱えてきた僕にはありがたい限り。正直、この部屋を使わせてもらえるなら《剣島都市》にきた僕にとって願ったり叶ったりだ。
だが、一つだけ。
この部屋には、どうしても納得がいかないものがあって。
「あの……管理人。いえ、寮母さん。あれは……?」
「んー。なんだろ。幽霊じゃない?」
と。適当に答える寮母さんに、僕は不信感を募らせつつ。
しかし。そこには、なぜか本当に『幽霊』のような少女がいた。
おっとりとした形のいい眉毛を、ハの字にひらく情けない顔で立っている。
消えてしまいそうなほど半透明で、掃除中だったらしい箒を片手で止めながら。その驚きと動揺と、あと怯えで、へなへなと座り込んでしまった。
『は、はわわわ………み、見つかって……しまいましたぁ』
《使用人服》の少女―――。彼女との出会いで、僕の人生が変わってしまったのである。
これが。僕と、後に契約することになる。
『剣の御子』――〝ミスズ〟との、最初の出会いだった。