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25 黒い月



「―――バカだよなぁ。あいつ」


 暗い月夜に、そんな話し声が響いていた。

 夜道だ。


 先頭を切って歩くのは、周囲の子分に《燭台灯カンテラ》を持たせ――。周囲を軍隊で固め、自分自身は、用意され、安全が約束された夜道を歩く―――そんな冒険者。獣人ライデルであった。


 冒険するためにある《聖剣》も、柄が長く、形が大きく、〝太刀たち〟と呼んでもいい重量と形状であったが……それ自体は、《用意された魔物狩り》でしか抜かない。


 それが、〝正義〟だと思っていた。

 彼にとっての、揺るがない正しさ。


 『魔物討伐』において、真正面から、正直にぶつかるのは馬鹿馬鹿しかった。魔物が強かったり、隙を見せただけで、それは一転して〝ピンチ〟へと切り替わる。一度ピンチになれば立て直すのは難しく、最悪、死んでしまうかもしれない。


 魔物を討伐するということは、そういうこと――だと。

 うそぶく冒険者もいるだろうが、獣人ライデルの考えは違った。それは、『どうしようもない、愚かなことだ』と。



 ―――用意しないで《冒険》するなんて、ばかげている。

 ―――なんの準備も無しに、《勝利》できるなんて、甘えている。



 考えが、違っていた。

 獣人ライデルは《騎士道》の家に生まれていた。リューゲン王国領、そこでは、数多くの騎士の『名家』たちが国王に仕え、その領主として、古い戦争の時代から騎士団を率いる。獣人ライデルは〝亜人種〟の一団を率いる家柄に生まれ、その〝勝負〟は、〝勝利が約束されたもの〟でなければなかった。


 ―――生まれ落ちて、一度の『敗北』も許されない。そんな家系。


 そこで獣人ライデルが培ったのは、『勝負の強さ』というのが、あらかじめ決まってしまうことだった。


 個人の武術や、力量には限りがある。

 ―――それこそ、《軍隊》に囲まれてしまったら、どんな歴戦の剣の達人でも、どうしようもないし……。《魔物》だったら、ゴブリンクラスの敵でも、森で30匹などに囲まれてしまうと、もう『人生が終了』になってしまうのだ。


 それは、不公平なことだった。

 それは、騎士として《勝つこと》を背負ってきた獣人にとって、どうしても不満なことだった。



 許しがたい信念は、いつしか、思想へと生まれ変わる。

 獣人ライデルは、もちろん『武術の稽古』を怠ったつもりはない。人よりも大きな『長柄武器』を振り回し、人よりも巨大な剣―――〝太刀たち〟などを、自在に操る工夫を重ねてきた。


 だが、それまでだ。

 個人の力量に限界を感じている獣人ライデルは、勝負をする際、あらかじめ〝勝つ方法〟を模索していた。


 それこそ―――故郷で戦歴を重ねてきた、彼の華々しい『勝利』がそれを物語っているだろう。事前に、騎士見習いとして、『打ち勝てる』相手のみを選んで、勝負をしかけてきた。王国公式の試合でも、それは意外なほどすんなり通用した。自分の実力と、実家の『名家』としての名前を出せば―――名声に弱い人間や、同族の《亜人種》たちが協力してくれ、弱いばかりの相手と当たることができたのだ。


 ―――メメア・カドラベールとの試合でも、そうだった。


 事前に、勝負する相手を聞いていた。『女の子』だという。『どんな相手か?』と、油断せず、女だからこそ猛者である可能性を疑って、そのカドラベール家を調べた。…………妾腹の子だという。


『――本当かァ?』と。最初獣人は、拍子抜けした。

 同時に、笑ってしまっていた。


 …………勝負を、舐めている。

 そんな人間が、勝負事の場に出てくるのだ。調べれば調べるほど、獣人ライデルにとって、弱く、蔑むべき要素が出てくるのであった。〝勝負事〟を舐めていた。実力で―――いや、真っ正直に戦って、勝てると思い込んでいた。


 その信念が、許せなかった。

 ここまで多くの労力を重ね、策を巡らし、万全には万全を期して―――『絶対に勝たなければいけない騎士』として生きてきた亜人種のライデルにとって、その相手は、それに相応しい汚く歪んだ信念を持っているべきだった。だが、誰もそんな工夫をしていなかった。知恵が無かった。



 それが、獣人ライデルにとって、許せないことだった。

 実力だけで。勝てると思っている―――。傲慢だ。怠慢だ。それはこの世界のルールに甘えていることだった。



 だから、そんな戦いぶりで、〝結果〟を上げている冒険者が許せなかった。

『閃光のベン』―――第一位も、そうだった。涼しい顔をして、正々堂々と戦っていて、それでいて、その軟弱な容姿からは想像も出来ないほど―――凶悪で巨大な、〝飛竜族ドラゴン〟を討伐して帰還してくる。


 ………………死ねば、よかったのに。

 ………………今度こそ、命を落とせば、よかったのに。


 毎回、凱旋パレードを出迎える騒ぎに参加して、大通りで彼ら《上級生》を見つめる獣人ライデルの目的は―――彼らを〝呪う〟ためだった。今回も、無事。しかし、次はどうなるか分からない。


 いつしか、自分が〝ランクA〟などのクラスに登り詰める頃には、もう、そんな馬鹿正直な戦い方をしている愚か者など、命を落としていることだろう。だから、待てばよい。自分は、自分の領土から率いてきた、〝黒き軍隊〟を使い―――安全に狩をこなす。なに、実力ならある。獣人ライデルは、そう思っている。


 しかし、許せないことに、その思想にケチをつける冒険者がいた。




『―――なんだァ、あれは?』

『おやっ? ライデル様、ご存じではなかったのですか? 今《剣島都市サルヴァス》を賑わせている、最もランクが低いのに、絶対にあり得ない《魔物》を討伐したと。そんな、半信半疑の噂をされている、冒険者が帰ってくるのです』



 …………《グリム・ベアー騒動》。


 それが、ライデルにとって、致命的な転機だった。



 そのパレードは、華やかすぎた。

 《剣島都市サルヴァス》の上級生を迎えるために、紙吹雪のようなものが街並みの上の階層から降りそそぎ。誰もがその〝英雄〟の謎めいた姿を見ようと、浮かれ立っていた。一つに、その前の《グリム・ベアー討伐》のときの、《剣島都市サルヴァス》を包み込んでいた、魔物が身近に迫った恐怖のことがある。


 その恐怖が晴れて、騒動が一件落着したとき、人々に戻るのは笑顔だった。平穏を祝う、その顔。


 先頭を切って歩く、騎乗して風に揺られる美男子―――〝上級生、ガフ・ドラベル〟の女子人気があったとはいえ――。その騒ぎは、《騎士》として生きてきた獣人ライデルにとって、ハナにつくものだった。


 …………何より、許せなかったのが。


 上級生ガフと一緒に、別の馬に揺られている生徒が―――生まれ持って、馬にも乗ったことのないような、片田舎から出てきたことが丸わかりの―――『庶民』の少年だったことだ。いや、身分は関係ない。


 そのボロボロの服装や、泥臭い顔。そして、自信がなさげで、馬の手綱の取り方すら覚束ないような『少年』が―――これだけ多くの観衆の前で、《騎士》の獣人ライデルすらも観衆にいる中で、祝福を受けていることだった。


 ――――正々、堂々としか。

 ―――戦って、いなかったくせに――!



 奥歯を噛みつぶし。己が捉えてきた、その《魔物》の戦果の肉を握りつぶした時から―――獣人ライデルの戦いは始まっていた。


 〝ランクE〟への昇格試験に参加していることを知ったとき、心の底で沸騰する憎たらしさと。そして、同時に、潰すことが出来るチャンスがやってきた快感に、混沌とした感情が渦巻いていた。殺せる、と思った。

 そのためには、魔物のいる森の奥地にですら――足を運べた。



「…………なのに、馬鹿だよなァ」

「ええ。ええ。まったく」


 獣人ライデルは、愉快に獣の髭を風に揺らせていた。

 ……まったく、なんて愉快なのだ。


 潰すことが出来た。もう、あの谷底の森の奥地に向かって、あの冒険者たちは助からないだろう。昔から、密かに目をつけていた少女―――〝メメア〟を殺すのは惜しくはあったが、あいつにも、当時の借りを返さねばならない。

 借りというのは、『苛立たせた』ということだ。

 騎士であるライデルの目の前に、正直者などいらない。だから、レノヴァ村を王国硬貨で乗っ取って、《冒険者》たちを懐柔したとき―――欲望と、圧力に屈した冒険者たちには、慈悲を与えてやることにしている。


 人間は、本能に忠実であらなければならない。

 ――また、弱いところも。抱えて、苦しみ、持ち続けるのが人間だ。


 と、



「ん―――フフフ、なーかなか~。楽しげな見世物でしたよぉ」



 足が止まる。

 ―――なぜ、と。最初に浮かんできたのは、疑問だった。


 声が聞こえる。

 暗い夜道。《剣島都市サルヴァス》からも遠く離れ―――山間の夜道には、他のどの《冒険者》もいないはずだった。なぜなら、反抗的な冒険者一党は、すでに偽情報を流して排除していて。

 しかも、手なずけた冒険者たちは、この付近には近づかせていない。なぜって、目撃者になるからだ。


 ―――獣人ライデルは、危険を踏まない。


 だから。逆に、こんな計算外のことは、起るはずがない。のである。



 でも、それなのに。



「……おやぁ? なんですか、その顔は~?」


 ――――その〝教師〟は、立っていた。



 月夜の下で。不気味な、道化師の服装を揺すって、なにか、小刻みに湧き上がってくる〝嬉々〟の感情を、必死に押し殺そうとしているようにも見える。


「んーー、フフフぅ。いい茶番でした。いい茶番でしたよぉ! ブラボー。褒めて差し上げます。ああっ、素敵ですねぇ。人間って、ここまで負の情念が動くと、やってしまうんですからねえ。…………あ、ひょっとして、いい脚本書きになれますよ!? これって、いい脚本書きの仕事ぶりじゃないですかねぇ!?」


 ―――ああっ、もう、痺れる!! と。


 昇格試験が始まって以来、どこかに姿を隠していた教師『ゲドウィーズ』は、そんな闇夜の下で、不気味に白い化粧で『くねくね』と躍るのであった。


 その隣には、森のフクロウのように、ひっそりと佇む老人。―――〝道具聖〟と呼ばれる、キーズー教師が佇んでいた。



「―――ん、いいです。いいですよぉ。悪の策謀家として、百点満点をあげちゃいますっ! その道化さは素晴らしいですからねぇ、

 ……でもぉ、一つですよ。一つだけ、どうしても腑に落ちないことがあるんですけどねぇ。ええ、それって、質問しても構いませんかぁ? 構いませんよねぇ???」


「……………………な、なんだよ」



 あまりにも、不可解な状況。

 獣人ライデルは、その遭遇と―――この展開が飲み込めずに、呆然と口を開くしかできなかった。周囲の獣人もそうだった。機転が利くはずの、黒頭巾の小男も、こんな状況で奇妙な〝幻〟でもみているように、硬直している。



「―――あなた、なんで『戦わない』んですかぁ~?」

「…………、は?」


 と。その言葉に、目を丸くする。


「いぇー。戦う、っていうのにも少し語弊があるかもしえれませんねぇ、ええ~。でも、なんであなた、いつも周囲から他の冒険者を眺めてばかりいるのですかぁ? 楽しいんですかぁ? つまらなくないんですかぁ? 自分が主役になりたいとは思わないんですかぁ?」

「……な、何を言ってやがる」


 俺様が、いつそんなことをした。と。

 獣人ライデルは言った。十分主役だろ、と。他人の冒険なんか眺めたことはない。あるのは、いつも自分が中心に立った世界で、他人など二の次―――いや、陥れて、〝自分が一番になるための駒〟でしかなかった。

 他人を見ている?

 人の冒険を、眺めてばかり……?


 獣人ライデルにとって、わけが分からないことだった。

 だが、



「…………あなたの剣士としての〝形〟、ぜんぶ人の〝流儀マネ〟じゃないですか」

「―――っ、」


 喉の奥が、凍りついた。

 最初、何を言われているのか、理解できなかった。


「受け売り、いえ、受け流し―――って言うのですかねえ。こんな場合。あなた、ひとっっつも、自分の《個性》というものがありませんよ。

 オリジナルはどうしたのですか? 自分で決めた、道ではないんですか? 剣の型も冒険の仕方も、全て―――どこかの他人がやっていたような、マネばかりではないですか。継ぎはぎだらけですよ、あなたの存在。《騎士道》―――それ、ご実家の、獣人の家がやっていたんですか?」


「…………!」


「あなたの太刀筋、〝獣人ベン〟を意識していましたよぉ。ご自覚ないんですか? 《閃光のベン》と同じ動きをしようとしていましたよ、あなた。出来ると思うんですか?? はるかに実力が伴わない、劣化品―――下位互換でしか、ありませんでしたよ?」


 それを。

 それを――――〝双剣の剣士〟は、指摘してきた。


 本能の部分が、ある何かを予感していた。でも、それを猛烈に、外に追い出そうとする何かが働いていた。獣人ライデルは、懸命に、懸命に、その嫌な何かを外に押し出そうとした。


 気づけば、冷や汗が流れていた。


「……な、何言ってやがんだ……」


 声が、震えた。

 だが、


「冒険についても、そうですねえ。ええ、ええ、確かにそういう上級生がいました。卑怯者で、《剣島都市サルヴァス》を追放されちゃいましたけどねぇ。私は嫌いではありませんでしたよ、一本筋だけは通っていましたから。


 ―――でも、今のあなたは、なんです?

《騎士道》?? 《悪の道》?? …………そんな抜け穴だらけの、他の冒険者たちを《拘束》するだけしか、効力を発揮しない悪巧みをして。自分の冒険?? 美学? ―――根が腐っている行動をして、その剣さばきだけは、《閃光のベン》という神聖な光に寄せていて」


「…………っ、」


「実のところ、冒険が、『羨ましかった』んじゃないですかね~ぇ~?」


 首を、ねじ曲げて。

 道化師の化粧をした顔が、とれて、落ちてしまいそうなほど歪にねじ曲げてから、言葉に詰まった獣人ライデルのことを見つめてくる。


「冒険に成功した《冒険者》が羨ましかった。誰かに賞賛されて、凱旋してくる《冒険者》が羨ましかった―――。

 実のところ、なんの努力もせずに、簡単に大成果を上げてしまう冒険者たちが羨ましくて、羨ましくて、羨ましくて、羨ましくて、羨ましくて、羨ましくて、羨ましくて、羨ましくて―――

 羨ましくて、

 羨ましくて、

 羨ましくて、

 羨ましくて、

 ―――羨ましくて、仕方なかったんじゃありませんかね~ぇ~?」


「だ。黙れ……」


 苛立った。

 昔から、こう会話が噛み合わない相手が嫌いだった。合わせようともしない。なんで教師のゲドウィーズが、こんな夜道に現れて、獣人ライデルの前に立っているのかは分からなかったが。もし、事態がこれ以上面倒そうなことになるなら、容赦なく――〝斬る〟つもりだった。


 ゲドウィーズは《双剣》の使い手らしい。

 道化師の服の腰に、二本の細い剣がささっている。だが、それに手をかける素振りはない。剣士の訓練を受けたことのある人間なら、それが隙だらけだということが分かった。


 だが、


「汚いことをするのも、その裏にある『楽して勝てない』ことへの、反証なんじゃありませんかぁね~ぇ~? 『俺様は汚れた冒険でもしている』『こうまでしないと、冒険では勝てないんだ』―――って。自分を欺いています? 周囲を欺くため?」

「…………ぐ」


「でも、それすらも前例があるんですよねぇ。過去に、何人もいましたよ、あなたに似ている人。どれも、退屈な人物でした」


 それを。

 しごく、どうでもいいことのように、この無表情なゲドウィーズは言う。


「で、だからこそ、聞いているんです。『戦わないんですか?』って」

「……!」


「自分の手で、戦わないんですか? ヒトの仕草や、戦闘ばっかり眺めてて……それで楽しいんですか? 生きてて幸せなんですかぁ? 私には理解できません。主役として満足できているんですか? いえ、主役になる気があるんですか?」

「…………何言ってやがる!! 俺様は、戦ってきたぜ!」


 拳を握りしめ。

 獣人は、教師に向けて吠える。



「何を言ってるのか、さっきからわからねえが…………俺様は、生まれてこのかた、他人の真似なんかしたことはねえ!! 俺様ほど強い冒険者はいねえ。それこそ、この《剣島都市サルヴァス》にいる、どの冒険者よりもな!

 この試験でも―――いや、今までの冒険でも。そうだった。俺様が最強の冒険者なんだ。〝百討伐〟も真っ先に達成した。中級ランク以上の魔物も―――初日に、撃破した! 他の誰にも、負けねえ。俺様が――――一番の冒険者の《獣人ライデル》なんだよ!! どうだ、これが他人のマネか!?」


「………へぇー、驚きましたぁ。感銘を受けましたよぉ」


 教師ゲドウィーズは。

 そこに立っているのか、分からないほど気配が薄く、不気味な姿を動かして拍手をしていた。首が取れそうなほど、角度も歪にねじ曲げて。何度も、何度も、揺れながら頷いている。ともすれば、相手を馬鹿にしているのではないかと思うような姿だったが、この教師なりにこれが真面目らしい。


 そして、


「………………ところで。私、いつから『冒険者の戦歴』の話をしました?」

「…………、は」


 その、空気が凍りつく言葉を発した。


「ん~~。なんでしょう、話が通じていないんですかねぇ。―――私、今までで一言でも、『あなたの戦歴を教えてください』なんて、言いましたぁ? あなたの過去の話を聞いて、そのマネばかりの装飾にまみれた美談を聞かされて、一言でも―――『素晴らしい騎士の話を教えてください』――――って、言いましたぁ?

 ―――驚いてほしいんですかぁ?

 ―――見せつけて、賞賛してほしいんですかぁ??? 子供ですか?」


「……っ、ぐ」

「私は、ただただ、あなたが『どうしたいか』だけを聞くために、この稀少な時間を浪費してまで語りに費やしているんですけどねぇ。最後になるかもしれませんし。マネばかりしているあなたの、本当の中身が『どうしたいのか』を聞けば、少しでも明るく照らされる未来が見えるような気がしたんですけどねぇ。……残念です」


 獣人ライデルは、自分の奥底が抉られるように、顔を歪めた。


「あなたは、勝負事から逃げています。獣人ライデル―――

 その罪は重く、そして、冒険者ばかりが集まる島の中で、とうてい受け入れられるものではない。あなたは、誰かの同情を誘うような男でもない。人を何人も――冒険の〝死の淵〟へと、追いやっている」


「……っ、てめ」


「その根源にあるのは、果てしない『功名欲』です。ドロドロとして、醜く、誰も見たくない名声への執着を、誰もが賛美する『階級』へとすがりついて、果たそうとしている。――〝ランク〟がそうです。

 本来、閃光のベンなど、一流の生徒は〝ランク〟になど執着していない。捨てたいとすら思っている」


「…………っぐ」


「勝負事とは。」



 ゲドウィーズは。言った。

 明瞭で、今までに無いほど強い語気で。


 遊びの感情など無かった。その中にあるのは、たしかに、剣一本へと情熱を傾ける〝剣士〟としての矜持だ。



 ―――勝負事とは、自らを〝にえ〟に捧げることである。


 安全地帯など存在しない。

 ―――そんなのもが、あってはならない。


 魔物ですら命を賭けている。それは、この大陸で、お互いの生き方が衝突し―――引けない瞬間がやってくるからである。だから、冒険者は《命》を賭ける。魔物と戦うことに敬意を賞し、対等なる渡り合いで―――《聖剣》を握る。


 教師ゲドウィーズは言う。

 その勝負事から逃げるのは―――怠慢なのだと。


 生きることへと、執着する魔物から逃げることも怠慢。欺き、自分がいいように暮らしてきたのも怠慢。勝てる勝負を作るために偽って、他人にのみ修羅の道を歩ませるのも―――それ自体が、怠慢。


 怠慢。怠慢。怠慢の連続。

 その先に見えてくるのは、行き詰まりの修羅の道だ。実力に伴わない『名声』を求めたモノの、行き着く末路。それは、あくまで他人に犠牲を強い、周囲を引きずり回してまでも……もがく姿だった。

 その終わりに、見えてくるのは。



「―――粛正の道です。〝剣士〟よ」


「……っ!」


 そう言って、一歩近づいた道化師の姿に怯え、獣人は一歩下がる。



「ある王国で。私はそればかりをしてきました。…………あんまり気分のいい話ではありません。今思い出しても、胸くそ悪い気分がして、気分が晴れない。―――しかし、それをしてきた《騎士・・》には、騎士にしか見えないものがあります。

 ―――それは、排除するべき、人物が分かるということですよぉ」


「クソが」


 ついに、獣人は手を出す。

 もう、静寂の抑止力は破られていた。すでに『助からない』ということが肌で分かった獣人は、教師相手にでも、殺すことを考えた。


 人殺しへの、発想の切り替わりである。

 明確な殺意と、理由が生まれた。この教師は『事実』を知っている。ならば―――《剣島都市サルヴァス》へと報告される前に、ここで消しておくということである。


 幸い、この場にいる人数は教師の二人だけである。あとは、全て身内―――《獣人の軍隊》で取り囲んで、口裏を合わせてしまえば、どうにでもなると思った。それが〝動機〟だ。


 しかし、


「……え」


 その教師が、《双剣》に手をかけただけだった。


 その瞬間、糸が切れたように。周囲の黒い鎧を着た獣人たちが崩れ落ちる。あっさりと。何でもない、人形でも倒すように。屈強な訓練を受けた者達が。



「あれぇ。……そういえば、言ってませんでしたかねぇ」


 と。

 相変わらず《双剣》に手をかけたままだけに見える教師は、いつの間にか獣人ライデルの後ろに立っていた。



「……っ、」


「私の得意分野は、



 ―――――――〝人狩り〟、ですよぉ?」




 と。

 そう不気味な声が聞こえてきた瞬間に、獣人ライデルの聖剣が切断される。半ばから、半分に―――その鞘ごと斬った後に、次は冒険の道具入れ、そして髭へと―――剣の見えない旋風が押し寄せてきて、ライデルは肌が粟立った。


「ひっ―――」と、喉の奥が凍りついてしまった悲鳴を上げて、逃げる。しかし、すぐに足下の冒険の靴が切断され、素足になってしまった獣人は、バランスを崩して倒れてしまった。



「…………言ってませんでしたか。これは、処刑ですよ? 逃げることなんて、許しませぇん」

「………っ!?」


 恐怖の浮かんだ。


 逃げたかった。逃げるしかなかった。嫌な予感がした。

 この状況での、逃げ道は。とっさに考えた。『頭脳』で冒険しているはずの、自分の思考回路を頼った。味方の壁は―――すでに剥がれていた。教師はまだ、もう一人残っている。キーズー老人は、静かに佇みながら、こちらを寒気がするほど鋭い瞳で観察している。指一本、足一本の、一挙一動を観察されていた。


 味方の壁――いや、囲いがいなくなった場合の、〝人〟への対処法が分からなかった。じゃあ、いい。発想を切り替える。冒険だ。ここは冒険のエリア。冒険者なら、この場合どうする。魔物に囲まれたりしたときには。


『……っ』と。その時、未知の恐怖が押し寄せてきて、とっさに口を塞いだ。嗚咽にも似た、なにかがこみ上げてきて、全身が震えだした。


 冒険……そうだ、今の冒険の対処が……

 その先を感じて、恐怖を受けた。



 ―――― 冒 険 を、してこなかった。



「……う、あ」


 妙な声が出た。

 絶望だった。


 そして、月の影で黒く塗り潰された『道化師』の姿が近づいてくる。




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