20 始祖冒険者の夢
―――マスター。
―――マスター。
誰かに呼ばれているような気がした。
それはどこか温かく、ふわりと柔らかい、優しげな声であるような気がした。僕はすがって、意識の上ずみへと押し上がる。
…………ミスズか?
そう思うが、声に反応はない。
―――声も出ない。
ただ、そこは白い空間だった。
ふわりと、白い光が舞い。その光は、光源として、暗い場所を塗りつぶしていく。
白い空間は、とても現実味というものはなく。腕もない。頭もない。体もない。手も動かない―――そんな不思議な場所だった。ただ、それは深層の意識の下で、確実に『ある』世界だった。
僕の見えない手を包み込み、その指を絡めるように、優しい光が満ちてた。まるで、昼寝のように温かい、日だまりのまどろみに包まれているように。
やがて、その『世界』が明らかな形を見せてきた。
空の色彩。青い。
風景の色彩。土色と、葉っぱの緑。
そんな、どこか遠くの世界の風景を。
優しいくらい柔らかく蕩けそうな白さの後には、いやにはっきりとした、現実にも似た景色が押し寄せてきた。今までとは全く違う、別の空間の光景を見せてくる。
―――〝僕〟――は。
そこで、意識を半ば覚醒した。
自我が戻り、でも、相変わらずの手足の動かなさ。まだ、僕は、その『夢』の中にとらわれているのかもしれない。
やがて、風景が全て『その世界』のものへと、切り替わった。
「―――マスター。ちょっと、マスターってばっ」
「…………あん?」
その世界は、どこかの緑豊かな島らしい。
それは《剣島都市》にとても似ていた。湖の中に島が浮かんでおり、空には天をつくような世界樹―――《熾火の生命樹》があって、緑の葉を青色の中で茂らせている。
しかし、原始的というか、その場所は《僕》のよく知る《剣島都市》とはえらく違っていた。文明というものがない―――というか、その世界には『小屋』が一つあるだけだった。後は自然豊かな森――いや、魔物すら遠くに見える。
魔物が絶えた、《神聖な土地》―――その島から、《剣島都市》は始まったはずじゃなかったのか。
僕が目を疑うような光景の前に。―――一人の〝女性〟と、一人の〝男〟がいた。
「…………ふあぁ。ったくー。なんだよ、うちの《精霊王》さんよ? ヒトがせっかく、午後の畑仕事に勤しんでいたのに。いっとくが、おれは働き者じゃねえからな? 不精者だからな? その辺ちゃんと分かってる?」
「ええ、分かっているわ。あなたが十分〝グズ〟で、ロクでもない怠け者の冒険者だってことくらいはね? ロイス」
『ロイス』と呼ばれた男に。足をぷらぷらさせて。畑仕事の横にある、道具入れの木箱の上に乗っかっている素足の女性が言う。
なんというか……とても〝美しい〟女の人だった。
髪は長く、ウェーブのかかった水色の髪。その服装は簡潔だが、とても印象に残る白い貫頭衣を着ていて、目鼻立ちは田舎にはそぐわない垢抜けた上品さを持っていた。
後ろ髪を一つ結びにしていて、彼女は特徴がありすぎるくらいなのに―――どれも印象に残らないような。そんな、不思議な雰囲気を纏っていた。神様のように整った、人間離れした顔をしているからだろうか。
その人が話しかけるのは、赤い髪の、畑仕事をするぼさぼさした男だった。歳は、三十代半ばくらいか。
「…………まったく。神樹が始まって以来の、罰当たりよね。あなたって。まさか神樹の御使いである、この《御子》さまと―――契約するなんてね。で、その目的が、私たち精霊の力を使って、《魔物》を倒すことなんでしょ? 呆れるわ。さすがに、《熾火の生命樹》――その思し召しも、驚くわよ」
「はっはっは、ナ~~イス、アイデアだろ!?」
ぐっと、親指を突き出して。
その畑仕事の、土いじりがとても似合ってそうな男は、満面の笑みで顔を向けてくる。精霊は親父ギャグを聞いたように、呆れて口を開けている。
しかし、直後に男は『ん?』と考え込むように首をかしげ、自分が背後にしていた神樹を見上げて、
「…………あの木って、そんな名前だったのか?」
「は、はあ? 知らずに今まで《島》に出入りしていたの??」
「んー。なんかな、妙に神々しい、特別な力を出していると思っていたんだけどな。へー。ほー。なるほどー。そんな偉い木だったのかー。ふーん」
「……………………何だと思っていたのよ、逆に」
「ん? 人類最後の燃料」
けろっと。
男はなんの悪びれも見せずに、そう切り返すのだった。
人類最後の燃料。つまり薪。もし人類がすべての木々を取り尽くして、『ああっ、だめだ。もう地上に燃料になりそうなものはない。だからって、残り少ない木々をすべて伐採するのも……』と躊躇したところに、そのでっかい木を見上げて、『あっ、アレ一つ伐採すれば、十年は持つな!』と思わせる―――という。
「―――このっ、罰当たりがああああ!」
「どわっ!!」
すかさず、チョップを叩き込まれる。
男がそんな語りをしていたとき、水色の髪の女性が、木箱から下りてチョップを加えてきたのだ。
「痛ってええな!! オイ!」
「―――そんな冒涜者と契約するために、この精霊王サマが、わざわざ地上に降りてきたんじゃありません! 反省しなさい。改めて!」
足を揺らすことを諦めて、地上に仁王立ちした精霊は、腰に手を当てて『ぷうっ』と少女のように頬を膨らませていた。
…………どうやら、その仕草から見るに。
外見は大人びて見えていても。その精神は誕生してから間もない精霊のようだった。精霊と分かるのは、その耳が尖た特徴が残っているからだった。その他は、人間とそう大きく変わらない。背後にする《熾火の生命樹》も、心なしか、僕が知る神樹よりも一回り小さいような気がした。
「…………罰当たりの、ロイスめ」
「いいじゃねえか。その代わり。ここに将来、俺が《冒険者》として成功したとき、でっっかい都市を築いてやる! 賑やかだぞぉ。人が集まってくる。そうしたら、もう元の、オンボロ山小屋じゃねえ。巨大施設が建ち並ぶ。
―――だったら、どうだ。毎日が祭りだ! ハッ。お前だって信仰を受ける女神様だぜ。いいじゃん。楽しそうだろ。そんでもって、俺らの《熾火の生命樹》は――――」
見上げる。
赤い髪の男と、水色の髪の女性。その二人が、自分たちの頭上を見上げて、
「―――きっと、今よりももっと神々しい。神様、だ」
「…………ずいぶんと先の話ねぇ」
「ハッ、いいじゃん。それも立派な目標だろ? 都市が発展したらな、人が集まる。そしたら、各地から依頼が集まるぜ。そしたら戦争どころじゃなくなる。冒険者が力を持って、もう王国の軍隊じゃ手出しが出来なくなってるんだ。しかも相手が、賑やかで、ばかな〝冒険狂い〟どもだぜ?
―――その熱気に、さすがに相手をしている王国軍のほうが、馬鹿馬鹿しくなっちまうって。そしたら、世界は平和だ。もともと《魔物》の脅威があって軍をもっていた周辺王国も―――自然と、その肩にかかった力を緩める。
そうしたら、この世界の中心―――魔物狩りの島が、抑止力になる」
「へえ。壮大な計画だこと」
午後の微睡みをおぼえたように、『ふあぁ』と片手で口を押さえながら欠伸をする精霊に、男は『どうも』と自信ありげに頷いている。
とても楽しそうで、幸せそうな―――空間だった。
「…………だけど、どうやって。島を発展させるの? 各地から集まってくるって豪語している、冒険者は?」
「弟子を集めるさ。なぁ! エリス!」
呼ぶと。
僕からは見えなかったが、島の森のほうから歩いてくる少女がいた。『見えなかった』――ではなく、もともと、遠くにいたらしい。それが歩いて、近づいてくる気配を感じ取って、男が振り返って笑顔を向けていた。
その小さな女の子は、『薪』を持っていた。
どうやら、森の中に、その燃料になる薪や、小枝などを探しに入っていたらしい。だが、驚くべきは、その後ろに縛り付けた―――背負った大きな獣だった。僕は驚く。だって、それは推奨レベル〝20〟――今で出てきたら、島が大混乱になる魔物。《グリム・ベアー》だったのだから。
『よっと』、と。その女の子は、まるで、兎でも捕まえたように、その討伐した魔物を地面において、赤髪の男に胸を張る。地面が激しく振動した。
『どうっ。すごいでしょ?』と薄い胸を張るその少女の顔は…………不思議と。僕にとって、どこか見覚えのある顔に見えたのだった。
「エリスぅー。お前なあ」
「えへ。すごい? すごい? ししょー」
「お前、暴力女が過ぎるんじゃねえかぁー? こんなちびっ子幼女のくせしてて。将来が怖いわ。お師匠さん的に。っつーか、ただでさえ弟子が少ないんだから。あんま周りを怖がらせんなって」
「違うよー? 周りを怖がらせてるんじゃないんだよ? ただ、周りが弱くて、このお姉さんの力に恐れをなしているだけなんだよー?」
「………………こりゃ、一生独身かな。この子」
『はぁ』と。
その将来を、心底憂うように息をついてから、『つーか、お前お姉さんじゃねえだろ。一番年少者だろ』と、その髪をくしゃくしゃにいじって、男は言っていた。
「協調性を持ちましょう。これが、第一の教えだな。エリス」
「はへー。分かったよう」
「もともと、里でも『怪物』みたいな扱いをされてて、一人ぼっちだったじゃねえか。……まあ、あれは、周りの大人たちが悪いし。お前みたいに、村を想って、魔物を退治していた幼女を、村八分にしようとしていた大人たちの醜さがあったが」
「でも、おししょー。わたしは寂しくないよ? 聖剣の力で、魔物退治もしやすくなったしね。もともと、私は強いけど!」
「…………そういう自信満々なところも、相変わらずだなー。っつーか、さすがにその歳で《熊殺し》までやっちまうヤツは、俺は末恐ろしいと思うんだが……。まあいい。いずれ、お前も俺と一緒に、世界に名を轟かせるような『冒険者』になるんだからな」
「うんっ。わたしも、『おししょー』みたく、強くなる!」
親子みたいに、その二人は一緒に胸を張る。
《剣島都市》の原風景の中で、そんな二人を見つめ、母親みたいな精霊は『はぁ』と息をついていた。
「でも、わたしも『おししょー』みたいに、特別な力を使いたいな。だって、それってすごいんでしょ? …………『一匹だけを、集中して狙える』っていう」
「いやあ、それはちっと難しいんじゃねえかぁ? だってこれ、俺だけの特別なスキル―――《稀少技能》だし。よっぽど、相性がいいか、似ているヤツじゃないと無理なんじゃねえかな」
「似てるって、どれくらい?」
「そうさなあ。…………もし現れても、百年後とか。よっぽど性質の似ている人間が出てこないと無理っぽいな。『守りたい』っていう意志をな」
ボリボリと、畑仕事の鍬を休めて。
それに片手をのせながら、もう片方の手で髪をかいていた。
「―――それって、なんてスキル? 名前は?」
「う~~む。そうだな……」
考え。
しばらく手を止めた男は、真剣に悩んだ顔をしてから、『よしっ、決めた』と笑みを浮かべた。ニッと口元をつり上げる。
「―――《限界突破》―――ってのは、どうだっ?」
パチンと、指を鳴らす。
「冒険者たちには限界がある。いや、王国に暮らす普通の人たちも、『俺たちには、ここまで』とか、『剣を振っても、ここまでしかできない』―――って思い込んでいる。それって、俺はよくないと思うんだ」
「ふむ、ふむ」
「限界は自分が決める。限界は自分が超える。だから、その壁を―――限界を超えるっていう。無限に上昇するスキルは、その《加護》を受けているんだな。別名、ロイス様の加護―――って言ってもいいんだが。まあ、それじゃダサいし、自分を売名しているようで情けないしな。あと、あくまで闘っているのは本人だ。だから、そのスキルの名前を、これに決めた」
ビシッと、空へと葉を茂らせる、《熾火の生命樹》を指さした。まるで、そこに未来が見えるように。
「…………えー。ダサいわよ? ロイス」
「うわあ。おししょー、超カッコイイ!!」
「だろ!」
そんな、三者三様の反応。
特に、水色の髪の女性には不評だったようだが、小さな子は目を輝かせて喜んでいた。どうも感性がそっちに似ているらしい。
「そんな俺様の生まれ変わりのような冒険者と、精霊がいたらなー。会ってみてえなぁ。楽しいと思うんだよな、きっと。…………だから、それまでに、《冒険者》の苦労がなくなるように。早く冒険者が冒険者と呼んでもらえて、心置きなくこの戦争ばかりの大陸を冒険できるような―――、そんな自由な世界にしたいな」
「…………」
「きっと、冒険はなくならない。それだけは俺には分かる。いつまで経っても。百年後の未来でも、な。この島を立ち上げる、始祖冒険者の―――ロイス様の確信だな」
「…………どうしてよ?」
肘をつき、再び道具箱の上で足を揺らしていた精霊が、そう問いかける。
赤髪のロイスは、自信満々に頷くと、
「だって―――冒険って。ワクワクするだろ?」
「……は?」
「楽しい。単純に、楽しいんだ。強敵が出る洞窟がある。竜が眠っている秘境がある。ダンジョンがあるかもしれない。迷宮があるかもしれない。―――だからこそ、ワクワクするだろ? どうしようもないくらい、行ってみたくなるだろっ?
……それって。悪くねえ、って。そう思わないか? 《聖剣》を片手に、そこに挑む。それって、最高に胸が高鳴らないか?」
「なるぜ、ししょー!」
「あんがとよ!」
そうして、遠くの澄み切った青空を見渡した後。
ふと、男は真剣な目になって、
「…………なあ、エリス。いつか、遠い未来で…………冒険の秩序とか、信頼とか。何もかもが薄くなって、人の信頼なんてものが揺らいだ世の中になるかもしれない。俺たちは『精霊様』のことを、友達だと思い、大切な人だと思っているが。それもなく、悲しいくらい、すさんだ心をもつ人ばかりの世の中になるかもしれない」
「………」
「でもっ。《冒険者》と、《聖剣》と、《精霊》―――この三者が集まる限り。冒険者は、いつまでもなくならない。真の冒険者でいられるんだ」
ロイスは、小屋の上にある、紺色の旗を見上げる。
――《剣島都市》、創世記の旗。
そこには、ちっぽけなほど滑稽で。でも、真剣に気持ちを込めて作った、そんな『三匹の竜』の畑が会った。それは今も使われている、《剣島都市》の旗にどこか似ていた。
〝三匹の竜〟が、紺の布地に揺れている。
それは。〝人〟と〝剣〟と、そして〝精霊〟を模したものだった。全てが力を合わせ、運命に立ち向かっていく。
人は武術を鍛え、討伐を経験していく。
聖剣は、鉄を鍛え、《レベルアップ》していくことで、剣を強くしていく。
―――そして、精霊は神樹の恵みを受け。世界樹の恵みを代表するものとして、人に力を与え、《冒険者》を継承させていく。
いつか……その意志が、遠い世代の、孫の孫の、その孫にも、伝わるまで。
―――失われかけた、廃れた世の中に。
―――人が、少しでも温もりを見つけて、信頼を取り戻していくように。
残された世界に、再び、灯火を灯すように。
「―――いつか、この〝意志〟を受け継ぐために。そういう、熱い冒険者のために。カッコイイだろ?」
「うんっ」
「…………晩ご飯、何にしようかしら」
冒険者と、子供と、精霊。その三人が、〝世界〟を見つめる。
「そういや、エリス? お前も引退した後、なんか違う名前を名乗ることにしたんだって? あっはっは、まだ、冒険者にすらなっていないちびっ子が、俺様の真似ばっかすんなぁー」
「だって。おししょーの名前、カッコいいんだもん!」
「…………なんて名乗ることにしたの? マスター……ううん、ロイス?」
「え。俺か? 俺はな。その名も聞いて驚け、『ヴァンドレイク』って名乗ることにしたんだ! どうだっ、カッコイイだろ? この世界を賑わせる、歴史小説の主人公からとったんだ」
「…………相変わらずダサい……。たぶん、後世の誰も呼んでくれないと思うわよ」
「ハァ!? なんだよ、お前このセンスが分からねえのか!? けっ、けっ! ……って、まあいい。俺のことはいいとして、エリス。お前、どんな名前にしたんだ?」
『んー』と。その女の子は、口元を押さえ、自分たちが住居にしている―――その、仮設の、ボロボロの山小屋を見上げる。
「これっ」
「?」
「北国から持ってきた、この旗と山小屋―――〝クロイチェフ〟って。そう名乗るんだぜ」
「…………」
目を丸くする大人たちと、そう言って満足そうに胸を張る少女。男の口調をまねているらしい。一瞬の空白が明いたあとに、『……ああ、やっぱり弟子も似てきてる』と女性は頭を抱え、赤髪のロイスは『ほぉ!』と目を輝かせるのだった。
「最初からある、この立ち上げの時期の気分を残す――そんな名前にするってか! かぁ、さすがは俺の弟子! 最高に最強で、ぶっ飛んだ名前だな!」
「でしょ、でしょ!」
「ああっ。―――悪くねえ」
男は、腕を組んで頷いてみせる。『いいと思うぜ。エリス』と。ニッと笑ってみせる男の顔に、少女は明るくなった目元を向けて、微笑むのだった。
そうして、景色が遠くなる。
僕の視界が、霞んでいく。
…………その〝世界〟は続いていく――だが、見ていられるのは、ここまでだった。少しずつ視界が暗くなっていき、そして、僕の心に、男の最後の言葉が流れ込んでくる。
いや、言葉だけではなく。
その、『感情』さえも。
「―――冒険者。精霊―――。いつか、心を通わせて、どの周辺王国からも邪魔されない、そんな冒険が出来る、平和な世界が来るようにする。出来る。俺たちならな、エリス」
声が、薄ボンヤリと響き、反響する。
何も残らなかった、暗い空間に。
「だから、俺たちは頑張る。真剣に、《剣島都市》を築くんだ」
声が遠くなる。
暗闇で、男の声だけが、追いかけてくる。
それは希望に満ちていて、どこまでも、温かな声だった。『だから。』と、最後に前置きをして、誰に向けてか分からない、父親のような優しい声で、言った。
「―――いつか。そんな世界が、来るといいな」




