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19 卑劣な欲望



 僕らが、その場所にたどり着いたときは、辺りはうっすらと夜のとばりがおり始めていた。

 山の向こうに姿を隠した夕日も、遠くの方で紫色のヴェールだけを残している。周囲には夜が満ちてきて、最後の〝宿営地キャンプ〟をするため―――僕らは、最後の大橋を渡って、対岸の冒険エリアに足を踏み入れようとした。


 そんな、ひとときのことである。




「…………よォ。待ってたぜ」



 静かに。

 そう、橋の向こう側で、待ち受けている獣人がいたのだ。


 大柄な体躯に、獣の獰猛な顔。自信に満ちた、竜のような黄色い眼光に、鋭利に生えそろった口元の牙。鎧の造詣などに品格がありそうに見えて、その実、少しも品性の欠片も持ち合わせていない―――その中身は。


 その、冒険者は。


「…………獣人ライデル……」

「待ちわびたぜえ。なにせ、お前らの冒険、遅いんだもんなァ。待ちくたびれて、へとへとになっちまうかと思ったぜ。〝百討伐〟を追えて、《剣島都市サルヴァス》に帰還するばかりだった俺様に―――えらいご挨拶をしてくれたじゃねえか」


「なんの用事だ」


 僕は、鋭くにらみ返しながら言った。


 ……分かっていたからだ。この獣人が、わざわざ、何も目的がなくてこんな場所に居座るはずがない。僕らを待ち受けていた、といった。ということは、僕らの冒険の、わざわざ先回りをしてこの場所に来たのだろう。

 …………その目的は、なんだ。


 僕は先ほどから、背中に嫌な予感を感じてしまっていた。周囲に目を向ける。橋の周囲には―――例の〝ラッド〟という頭巾の小男と、そいつを含める、黒い鎧の軍団が、ぐるりと囲んでしまっていた。


「まァ、そう嫌な顔をすんなよ。せっかくあった冒険者じゃねえかァ。こんな人里離れた山の中で、《冒険者》同士が集まることなんて、そうそうねえことだぜ。もっと嬉しそうな顔をしたらどうだァ?」


「…………よく言うわね。白々しい」


 メメアは。

 獣人が残念そうに深い息をつくと、メメアが鋭い視線を向けて言った。



「あなたが、なんの用事も無くこんなのところに。思っていないわ。さっさと言いなさい。それか、私たちが通るまで黙って」

「―――へえ。よーーーく、分かってるじゃねえかァ」



 静止して、その鎧の金属音もしなくなる。大柄の獣の体はゆっくりと息を吸いながら上下し、それから、獣人の顔に静かな変化が起こった。

 ただし。

 それは……決して、僕らが思っているような〝変化〟ではなかった。


 獣人は―――歪な目を、湾曲させ、不気味な笑みを作っていた。


「そうだぜ。確かに、俺様はそこまで。暇じゃねえ。お前らみたいな雑魚を待つなんて。言ってみたら、俺様の貴重で、かけがえのない人生の、壮大な時間の無駄遣いだ」

「じゃあ、なんで」


「そこの兄ちゃんに用事があったんだよ」


 え。と。

 その言葉に、メメアは目を丸くした。

 意外な言葉だった。今回の冒険では、獣人ライデルと僕の間には、何ら接点はなかったはずなのだ。


「うひゃふや。ずいぶんと。思い出すのに苦労しましたぜぇ」


 調子の外れた笑いを上げ、橋の後ろで言ったのは、頭巾をかぶった小男だった。



「――兄さん。だって、どんな冒険者も。だいたい、この『あっし』が覚えているもんだからなぁ。冒険者図鑑みたいなもんだ。だが、さすがに、お兄さんばかりは見落としちまってましたよ」

「……?」


「なにせ――そこまでの《実力》を示す数値、《ステータス》がねえ。ときたもんだ。だから見落としていた。―――それが、最近出てきた。有名冒険者なら、なおさらなぁ」

「…………え。どういう、こと?」


 頭巾の内側から笑う小男に、メメアが驚きの声を上げていた。

『知り合いなのか』……いや、そもそも、なぜ、彼らは知っているような口ぶりなのか。メメアだけじゃない。隣にいた精霊のアイビーも、話しが飲み込めずに橋を見回している。まるで、彼らと、獣人ライデルたちの間で、知っている内容の食い違いがあるようだった。


 獣人ライデルは、そんな橋の前で、こちらに指を突きつけてきた。



「――――お前、〝クレイト・シュタイナー〟……だろ? 先日あった、《グリムベアー騒動》の」

「……っ!」


 それを。

 獣人は、『知ってるぜ』という薄笑いを浮かべながら言った。


「思い出したんだよ。お前、確か騒動の凱旋の時に、いたよなあ。あの時は、《剣島都市サルヴァス》でも大きな騒動だった。島の外で暴走した、ランク《D》相当の魔物―――俺たちにとっちゃ、遙かに手に余る大物、グリムベアーを討伐した冒険者が現れたんだよ」

「……」


「あの時は、どっかの『アホな冒険者』が、森の主であるグリム・ベアーの親玉を暴走させちまった。だが、そこでたまたま居合わせた冒険者が、闘ったらしいじゃねえか。対峙して、戦闘。―――普通だったらなぶり殺しだったはずだが、そいつは―――殺しちまった」


「……!」

「俺様は興味あってよ。どんな冒険者がやったんだ―――ってな、そのチンケな英雄様の顔だけはおがみたくて、島の門に張ってたんだよ。凱旋の時。運営の用意した馬車に乗っていたのは、見るも巨大な―――〝推奨レベル20〟は越えている化物。《グリム・ベアー》の親玉だった。そして、同じく馬に乗って現れたのは二人の生徒だった。……片方は、見慣れた、誰もが知るCランクの冒険者―――陰気の〝ガフ・ドラベル〟だ。誰もが、魔物を討伐したのは、コイツじゃねえか、って噂していた」


 獣人は言葉を句切り、首をポキポキ鳴らしながら、合間に沈黙を挟む。

 しかし、すぐに否定するように、


「…………当前だよな、この島の知る生徒なら、それを〝ガフの仕業だ〟――と言うだろう。俺様の周囲だってそうだった。どんな事情通でも、目を欺かれちまう。…………だが――。違うな。その時、凱旋の行列の中で、ひときわ妙なもんを見かけちまってな」



 獣人ライデルは、鼻を鳴らしながら言う。


 ―――ひときわ、地味で。

 ―――ひときわ、冴えなくて。


 周囲の冒険者からも。明らかに浮いていて。ボロを身に纏い、血の汚れを服につけながら馬に揺られた冒険者がいた。


 その冒険者は、騒ぎに関わった『現場を見てきた生徒』から一目置かれ、しきりと話しかけられながら慣れない乗馬さばきで、揺られていた。……特に、〝Cランク冒険者〟のガフ・ドラベルから、驚きと尊敬を受けていた。



「―――お前だよ、『クレイト・シュタイナー』――!」

「……!」


 獣人が、僕の顔を、その時と重ねるように見つめてきた。


「お前だろ。《グリム・ベアー》を殺したのは。俺様には分かるんだよ。

 グリムベアー討伐…………とんでもねえ手柄だ。《剣島都市サルヴァス》の低レベル帯で、そんなことを達成した冒険者なんか、いねえ。一体、どういう裏技を使ったんだ。お前のレベルは―――《レベル1》―――じゃねえか!!」

「…………」


「許せねえんだよなあ。そういうの。すましたような顔をして、冒険者として一発で成功をさせちまう。

 《剣島都市サルヴァス》第一位―――〝閃光のベン〟も同じだ。冒険に希望を持ったような顔をした男が、許せねえ。なにかに期待していやがる。冒険を、いいモンだと、勝手に解釈していやがる」


「……違うのか?」


 僕がそう言うと、「ああっ、違うぜ」と獣人は拳を握り、僕らを睨み下げてきた。「大間違いだ」と繰り返す。


「才能もなく。ただ、運だけで。自分の努力だけで、冒険が成功できるモンだと思い込んでやがる!! ――いいかァ、冒険ってのは、悪意なんだよ。分かるか?〝戦い〟だ。俺たちは今ここに、騙し合いをしにきてンだ。

 誰かを助けるために依頼を受ける? 誰かを助ける? 同じ冒険者は仲間? ……ハッ、違うな、大間違いだ。冒険者ってのは、ただ純粋に、己の欲望を満たすため、〝ランク〟を上げるため―――殺し合ってこそなんだよ!」


「……! ち、違うわ! 冒険者は、そんなもののために《冒険》なんかしない! 冒険者は、信じ合ってこそなのよ!」



 獣人ライデルの鉈で切って落とすような断言と、その眼光に、真っ向から反論したのはメメアだった。

 その瞳を強く前に向けて、『意志』を形にするため、声を振り絞っていた。


「…………クレイトが、そんな冒険者なんて……思わなかったし、今でも信じられないけど……。でもっ! その話とは別に、私たちは私たちで《クレイト》を知っているから、そんな冒険をしたんだって信じられる!

 今も話を聞いても、どうしてクレイトの冒険が否定されるのか分からない。冒険者って、助け合いじゃないの!? 誰かを守るため。誰かの力になりたいため―――そのために、頑張れるものじゃないの!?」


 強い冒険者が現れることに、なんら不服はないはずだった。

 この世界では、それが《冒険者》のはずだった。冒険者とは、誰か困っている人を助けてあげられる存在のはずだ。メメアは言った。その通りだと僕も思う。だから、力の強い同業者は、本来歓迎するべきものだった。


 それが、有名ランカー……学内での上位者たちは、そんな生徒たちの尊敬と憧れの的だった。第一位、第二位、第三位…………上にいる『強者』たちがいることで、こんなにも僕らは勇気を分けてもらえる。


 なのに、その島には《ランクシステム》があり…………この獣人のような、歪な思想者を出してしまう。



「………………臭え」

「? なんですって……?」


「協力? 仲間? 助け合い? ―――ハッ、甘えことぬかしてんじゃねえぞ。《リューゲン王国領》の落ちこぼれが。ムカつくんだよ。きもちわりいんだよ。俺様が。俺様が―――『一番』になる世界が必要なんだよ。腸が煮えくりかえるんだよ。テメエの。テメエらの―――その顔を見るだけで、偽善の匂いが鼻につくんだよ」


 獣人ライデルは、そう言った。

 憎悪と、そして……欲望。ドロドロと黒く渦巻いていて、それは、誰かに向けて、なにかに優れていると言われることへの―――憎悪。それだけだった。


「その《聖剣》一本で、冒険できると思っていやがる。その顔が許せねえ。いいか、冒険ってのは本来〝限界〟なンだよ。―――〝限界〟ってモンが必ずある。

 人が多くの魔物に囲まれたら勝てねえし、最初から小細工無しで、正面から挑んでも、格上の〝強敵〟には勝てねえ。八つ裂きにされて失敗するのがオチだ」


「…………」

「―――いいか、俺様たちの冒険にゃ『限界』がある」


 獣人ライデルは、そう言い放った。

 冒険の、もう反対側にある側面。裏側。暗い、希望とは真逆にある感情だった。



「魔物に腕を噛み切られ。足を叩き潰され。泥の淵に落ちて。泣きながら冒険に失敗する――惨めだろ? 情けねえだろ? 俺様もそうさ。――俺様は今まで、そういう冒険者を腐るほど見てきた。俺様は、そんな冒険者にはならねえ。なりたくねえ、と思って今まで冒険を重ねてきた」


 獣人は、もう一度言った。

『《聖剣》一本で、冒険するには―――限界がある』。と。


「だから、俺様は欺き。他人を貶め。他者を殺し。それから俺様は俺様の冒険を成功させるンだよ。俺様が『一番』の冒険者になるためにな。上位ランカーになるために」


「だからって、ほかの誰かを欺いて……殺すまで冒険を追い詰めるの!? おかしいわよ。絶対に間違ってる!」

「―――ハッ、ウルセえぜ。妾腹の子。最後には、勝つのは俺様だ。そして、お前らは―――どうにもならない絶望の淵で、俺様の言葉を思い出すのさ。『―――ああ、正しかったんだ』ってなァ」


「……? なにを」


 獣人は。

 僕らのいる世界とは、真逆の理屈でこちらを見ている。


 この橋を取り囲む黒鎧も。あの獣人の軍だって、分かっていない。ただ、そうあるべきだと信じ、『獣人ライデルこそが、周辺王国でも、冒険者の島でも〝一番になるべき〟』――と。そう信じる感情で、僕らを囲んでいる。


「残念だなァ。ここでお別れなんてよォ。……ま、これから『死者』になる相手に、何を言っても無駄だけどな」

「……な、なんだって」


「俺様のムカつく、いけ好かねえ冒険者候補。そして、その横にいる、忌々しいカドラベール家の妾腹の子―――。そのまま帰すわけねえじゃねえか。―――幸い、ここは昇格試験の舞台。強い魔物ばかりがいる森。何が起きても、不思議じゃねえよな?」


 それから獣人は、立ち退いて。

 この橋を物々しい雰囲気が囲む。『ヒヒッ』と声が聞こえてきた。後ろで小男が動いている。手に持っているのは、ただの『斧』だった。聖剣なんかではない。


 …………あんなもので、何を……。


 僕は呆然とし、その一瞬の空白の中で、精霊の『アイビー』だけがなにかを悟って『しまった―――』と声を上げていた。焦る声だった。


 斧が、振り上げられる。何もない橋で。

 その瞬間に、僕の脳裏にとっさに浮かぶものがあった。それは最悪の予想だった。マズい、と目を見開き、そう叫ぼうとしたときには、手遅れだった。



「―――あばよ。落ちなァ。――――クソ冒険者ども」



 獣人ライデルの声。

 それから、僕らが乗る橋の綱が切られる。凄まじい衝撃が押し寄せてきた。刃物の一撃を受け、橋を支えていたロープは、その編み込まれた形状が弾けるように回転しながら飛んだ。


 瞬間、僕らも吹っ飛ぶ。足下の感覚が揺らぎ、まるで、そこに巨大な落とし穴でも開いたように、地面の感触が消える。


 ―――真っ逆さまになる。


 僕は焦る。焦るが、掴むものはない。橋の中央だ。吹き飛ばされ、暗い虚空に向かって吸い込まれていく。地上が離れていくのが見える。


 明るかった地上が遠のき。

 吸い込まれていく。ミスズやメメアが、驚きの顔を上げているのが近くに見える。そんな『仲間』たちとも―――僕は手が伸ばせない。散っていくのが見えた。




(ウソ、だろ……)


 僕は虚空に手を伸ばして、みるみる離れていく崖を見た。


 …………まさか。

 死ぬのか、ここで……?




 なんの冒険も成功させることなく。

 冒険者として、今よりも希望に溢れた世界ランクに行くこともなく。



 長い長い、下積み時代のことが蘇る。

 ミスズと、寮母さんと。それから呆れる――ガフの顔。


 あんなに賑やかで、貧しかった時代に。

 何もかも恵まれなかったけど。《レベル1》だったけど。でも、雑多な日常に溢れていて、苦しくて、でも、いつも賑わいと笑顔があふれていた、あの時代に。


 ―――それなのに。

 冒険の正義もなく。僕は、ただ、ここで…………死ぬのか……?




 それは明確に塗りつぶされた〝悪意〟だった。歪んだ冒険は、いつか、僕が信じていた『希望』に満ちあふれたものではなかった。何もかもを奪って―――冷たく塗りつぶし、ただ、暗い虚空へと消えていくのだった。




 僕の意識ごと、断ち切るように。






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