02 寮の負け犬
「いよぅ。お帰りー」
カラカラン。
いつもの学院の寮のラウンジに戻り、扉のベルを鳴らして『帰宅』した僕たちに。カウンターで雑誌を読んでいた『寮母』さんは、ひらひらと手を振った。
顔中、泥だらけ。
着ている服装は、落下中に崖の木枝に引っかかりまくって、ボロボロ。僕は水滴がぽたぽたと滴っていた。助かったのは、運良く崖下が『川』になっていたためで、それから漂流した僕らは《運悪くモンスターの巣に突入》したり、《運悪くモンスターの排泄した穴に落ちたり(肥溜め)》などを繰り返し、とても、人様に顔向けできるような『剣の学院の冒険者』ではなくなってしまっていた。
「……臭いね、どうにも」
「五回の危機に瀕して、少なくとも二度も魔物《グリーンドラゴン》に遭遇して生還した寮生に、他にかける優しい言葉はないんですか。寮母さん――、いえ、マザー・クロイチェフ」
「お風呂なら、あっちだよ?」
まるでやる気のない大衆食堂のバイトのように。その女性はお酒の『エール』をひとあおり。仕事後の一杯でも楽しむような姿で、指さしてくださいました。
「…………」
僕らは、大人しく浴場へと向かう。
と。
「あ、あのう」
つんつん。人差し指をつきながら。
後ろを歩いてた『女の子』は、沈黙に耐えかねたのか、その子がうつむきがちな目を上げてきた。
その子は、『御子服』と呼ばれる袖の長い着物を着て、『とぼとぼ』と戦場で100敗を重ねた敗軍指揮官のような、情けない足取りで歩く。
彼女は、急に出てきたわけではない。
この街―――《剣島都市》に戻ってきて、『結合』状態が解けているためだ。
今の彼女こそ、先ほどの『しゃべる聖剣(?)』の正体。
伝説の木―――《 熾火の生命樹》という世界樹から生まれた、剣の持ち主と『終身の契約』を交わす―――精霊の『御子』の身体である。名前を『ミスズ』といい、性格は素直、しかし戦闘スキルは〝ゼロ〟に近い致命的な剣の精霊である。
「もしかして、怒ってます……?」
「これが怒っていないように見えるなら、キミは一度《 熾火の生命樹》の業火にて、打ち直してもらった方がいいね」
「はう」
僕は、皮肉で答えてしまう。
冗談じゃない。
僕だって、こんなこといいたくはない。でも、この子のおかげで死にかけたのは何度目になるのか。
最初は、他の生徒との《優秀な聖剣との違い》で、困っているだけだった。優秀な剣を持てない、ということは、それだけで《学位》と《成績》に差が生まれる―――つまり、〝劣等生〟となる、ということだ。
最初は、この子も泣きながら『ご、ごめんなさいっ!』と謝っていたし。僕も自分の腕が足りなくて、『まあ、剣の修行をしていれば、実力も上がるだろう……』と、考えていた。それが、すべての甘さの原因であった。
結果。
この子は実戦授業になると、『剣の持ち主』である僕をケガさせるように、『ふええーん! ご主人様、怖いです!』と動き回り。先ほどなんか、密林で遭難しかかり、『ご主人様、わたしがご案内しますっ』と勇みきったポンコツぶりにより、あやうく死ぬところだった。
先日の授業でなんか、他の学院の生徒たちから『まーだ初歩的な訓練ばっかりしているのかぁ?』『劣等生の鑑だな』と皮肉を言われ、笑いながら《契約の炎》や《契約の氷》を刀身から発現させながら、隣を歩いて行った。
…………悔しかった。
とにかく、悔しかった。
僕だって『聖剣』を持ちたかった。
なにも、『無能』とか『落ちこぼれ』とかいわれるために、この剣術の学院―――《剣島都市》に来たのではない。いつか、一流の剣士になって、ちょっぴり刀身から《究極魔法》のような波動を出したりもして。そして、強くなって。誰にも負けない強力無比の剣士になって。カッコイイって故郷の子供たちの憧れになって。ちょっぴり女の子にモテモテになりたかった。
故郷では、母親も待っている。貧乏な農家から資金を何とか捻出し、学費を工面し、僕が『立派』になって帰ってくることを望んでいる。
でも、それなのに。
僕の夢は脆くも砕け散り。
現在、僕は20.000名を数えるという《剣島都市》の学生たちの中で―――最下位を争うほどの、〝逆100ランカー落ちこぼれ剣士〟と呼ばれるに到った。(下から数えて、100位以内にもれなく与えられる酷い名誉)
(……はぁ、もう)
僕は悲しくなり、今日も〝失敗〟で汚れた体を流そうと。
唯一の楽しみである、お世話になっている『学生寮』の浴場で泥を落とそうとする。このまま湯船に入ってはいけないし、本来であれば《伝承剣》クラスを手にした『上級生』たちが真っ先に入浴するものなので、なるだけ浴槽を汚さないように体を洗うのである。
と。
「おや。どうしたんだい、クレイト? 顔色が優れないが、また君のところの剣の御子とケンカでもしたのかい?」
どうやら、先客がいたらしく。
湯船で頭を出すのは、色白、美貌の『学生男』であった。こちらを人懐っこい笑みを浮かべて見る『名家の坊ちゃま』であった。彼は《職人の工芸片眼鏡》と呼ばれる眼鏡をかけて、優等生然と僕を見ている。
この男。
容姿に似合わず、剣士としての実力はかなり高い。よって、油断がならない人物でもある。
「べつに。ケンカじゃあないよ」
「あっはっは―――。そんな《火吹きドラゴン》が、激辛の《ヨプ果実》を6個も、7個も頬張ったような顔をして『怒っていない』というほうが難しいんじゃないかな? それに、いつもいうけど、剣の腕は『剣の御子』を使いこなす実力だからね?」
湯船で笑う、その柔和な笑みの男に。
僕は、無言で浴場に腰下ろしながら。『風呂桶』でその中身を一気に頭から浴びた。派手な水音がして、泥汚れを一気に洗い流していく。
僕は、湯船につかった。
「……ね、ミスズちゃん。健気じゃないか」
「…………」
「ケンカは止めたほうがいいよ。剣士というのはね、本来は『聖剣』のスペックを引き出してあげられるための職業なんだ。ボクの実家の、ドラベル家ではそういった家訓がある。剣士は、剣の『腕』には負けても、決して『聖剣』のせいにしてはいけないって」
「……んなところ、あんたんところの実家だけだろう」
僕はいった。
きれい事なんて、うんざりだ。
他人なんかに、僕の苦労が分かってたまるもんか。ましてや、この男はかの有名な『伯爵家』のドラベル家―――そこの次男坊で、遊学中の『ガフ』という男なのである。
こちらにも、言い分があるので、
「うちの『剣の御子』―――〝ミスズ〟は、本当にもう、どうしようもないんだ。《五元素の契約》のどれもできないし、肝心の刀身も、なまくらそのもの。おかげで、何度死にかけたことか……」
そう。
いくら、『聖剣』のカテゴリにある《 熾火の生命樹》から生まれた『刀剣』でも。そのスペックの違いによって、明らかに『強い剣』と『弱い剣』があるのである。
そりゃ、最初から『強い剣』など、ほとんどない。
期待の大型新人を『労力もなくゲット』なんて都合のいい甘い物語なんか、これっぽっちも抱いていないが。もともと《 熾火の生命樹》から生まれた『聖剣』というのは、それ自体が神聖なものである。
より詳しくいうと、〝レベルアップ〟できる仕様である。
その剣は、神聖な儀式により、〝レベルアップ〟する力が与えられていた。
野生の魔物を倒したときに、青い光が、水面のように『きらきら』と輝くことがある。これがいわゆる、〝経験値〟となるものであり。それを吸い込んだ『聖剣』が、刀身に経験値を蓄積してゆく。
大陸の恵みの神々が等しく与える力―――不思議な魔力の〝残滓〟を象徴するものであった。
それを、神木でもある《 熾火の生命樹》の下で、再び《熾火》によって打ち直し、選ばれた神聖な《刀鍛冶》によって槌を振られ、強化することで進化、成長してゆくのである。
―――これが、〝レベルアップ〟という現象。
だが、それにしても僕の精霊。『剣の御子』の〝ミスズ〟は弱かった。
弱すぎて、魔物が倒せない。
魔物にだって、ただいたずらに『やあああ――っ! えいっ。えい!』と気合いだけをかければ倒せるモノではない。僕がトドメを刺そうとすると、『か、可哀想ですよ。スライムちゃん、あんなにぷるぷるして可愛いのに』とか逆らってくる。
魔物が倒せない。
すると、『依頼』などで請け負う魔物退治ができなくなり。
当然ながら、僕たちに〝経験値〟が入らない。
経験値が全く入ってこないので、レベルアップのしようもない三重苦。究極の〝悪循環〟に僕らは陥っていた。
《上級生》や、他の《同級生のランカー》が、こうしている間にもバッサバサと『魔物』を倒しまくり、想像もできない強い魔物やら、冒険を果たして〝経験値〟を得ているのに――。
僕たちは、ずっと同じ場所で足踏みである。
彼らが、いかに想像以上の経験値を得て、いかに〝レベルアップ〟に〝レベルアップ〟を重ねていたとしても。
僕らには、なにもできない。
最弱の〝剣士〟と、最弱の〝御子〟がどうあがこうと、この環境からいつまで経っても抜け出せないのである。
「――ま、悲観することはないさ」
と。
人の気持ちなど、知らずか。
この学院に来てからの友人であり、自身も《2.000名を数える上位ランカー》の仲間入りを果たしている優等生の『趣味人』こと、弦楽器演奏、詩人、楽譜書き、建築指南―――すべてにおいて、秀でているこの『ドラベル家』の次男坊ガフは、湯船を上がりながら、いつもの謹直な顔でそう告げるのである。
「ボクは、クレイト達が頑張っているのを知っている。昔から、努力する英雄達を天の神々が『見捨てた』ためしなんて一度もないさ。そう焦らずとも、きっとそのうち幸運の風向きが向いてくるものさ」
(………なにを。勝手なことを)
僕は、『なんで上から目線なんだ』とか、『優等生だからそんなことがいえるのさ』なんて抗議も、返す気力もなく。ただ、言語が不自由な猿のように抗議をすっぽかして横を向いた。
ガフが上がっていくのを横目に、一人ぽつんと入浴場に佇んだ。そりゃ僕だって抗弁して、あげくに『御子を交換しても同じ事が言えるか』とかも言いつのろうと思ったけど、不可能なので言うだけでも虚しい。
と。少しぼうっとしていると、
「新入生―? いつまで入ってんのー? 生徒の入浴時間は、ひとり30小刻までって決まってるんだけどにゃあ?」
「どわっ!?」
酒の瓶を片手に。
お色気ぷんぷん、酒気帯びもぷんぷん、といった腹黒い寮母こと『マザー・クロイチェフ』が、入り口に手をかけながら、ニヤニヤと僕のことを見ていた。
「長風呂するのも結構だけどねー? 一刻、数秒でも遅れたら、この後の学徒にも迷惑がかかっちゃうものなんだから。そのへん、心得ておきなさいね」
「わ、分かってますよ。というか、なんでフツーに『男湯』に入ってきてるんですか!? ちょ、ちょっとこっち来んな!?」
「んにゃー? 若い男の子の裸を、酒の肴にしてやろうと」
「あ、あんたっ。最低だ!」
僕が思わず前を隠すと、
「あっはっは。かまわん、かまわん。減るもんじゃねえ。そんで、酒のついでといっちゃなんだが。この酒が切れそうだから買ってきてくんない? お駄賃は、このお風呂を『延長して使ってくれたお礼』ってことで。実は、地味に時間がオーバーしているんだよね」
「…………ぐっ」
こ、このダメ人間め……!
ギリギリ時間超過した後に入ってきやがったな。
僕は相変わらずの『利用できるものは、何でも利用するべし』な大人であるマザー・クロイチェフを睨みつけ。しかしながら、その要求に逆らう骨太さもなく、大人しくしたがうしかなかった。