05 戦いの前哨
「―――〝魔物百討伐〟?」
と。僕は、聞こえてきたその響きに間抜けな声を上げる。
「ああ」とガフは。僕の疑問の眼差しに、肯定してみせる。
「魔物百討伐―――通称、〝ひゃくとうばつ〟とも言うね。サルヴァスの決められた外の冒険エリアの中で、魔物を多く倒すんだ。……試験のタイプから言って、魔物の〝数〟で競うものだから、クレイトにとっては最も不利と言っていい」
「……そりゃあ、運がない……。というか、なんでそれが厄介なんだ? 確かに、僕たちは〝レベル1〟の冒険者だから、数を相手にするのは不利っちゃ、不利だが……。それで一筋縄ではいかない、というのは違うんじゃないか?」
「この試験の一筋縄でいかないところは、なにも〝魔物〟が相手だけではないからだよ。クレイト」
ガフは、運ばれてきた紅茶に口をつける。
この紅茶は、赤色の茶葉を使っていた。その値段は、なんと、いっぱい《250センズ》―――僕にとってはなかなか手が出せない値段だった。世の中には、いろいろな飲み物があるものである。
さて、そんな紅茶を口に含み、一つ息をついたガフであったが、
「―――この試験の真の恐ろしさは、〝競争〟にあるということだ。クレイト。敵がなにも魔物だけということではない。周囲の、〝冒険者たち〟も警戒する必要があるんだ」
「……?」
「そもそも、指定された《冒険エリア》の中で、冒険者たちが一斉に魔物を倒し始めるわけだ。冒険者たちにとって、最初に恐ろしいのは〝魔物の強さ〟だけだが―――。少しずつ、その恐ろしさが、別のところに変わっていく。……つまり、〝魔物の数〟だ」
ガフは言う。
《決められた冒険エリア》で、冒険者たちが一斉に魔物を刈り始めると―――起きるのは、〝魔物の数が足りない〟ということだ。
「……! それって、つまり、取り合いになるってことか?」
「ご明察。強い冒険者ほどどんどん魔物を倒していって〝数〟を稼ぎ、レベルの低い冒険者ほど、そのリードを明け渡すことになる……という寸法さ。今回の試験は、ただでさえ〝百討伐〟―――という、過去最大の数を指定されているんだ。脱落者は多くなるだろうね」
「……そ、そんな」
「それに、《冒険エリア》の奥―――。鬱蒼と生い茂る森の向こうほど、強い魔物の生息地になっていて、数には困らなくなるだろうが〝強い魔物がウヨウヨしている〟密集地に他ならない。なんの用意もない冒険者にとっては厳しいだろうし、――正直危ないだろうね。魔物だって倒せるか分からない」
(…………そもそも、)
僕は、日だまりのカフェテラスで考える。
僕らは押しも押されぬ、最底辺ランクの〝Fランク学徒〟―――であった。
どう望んでも次の『昇格試験』なんてものは受けられなかったし、今回こんな話が舞い込んだのは幸運の一言だった。魔物狩りの実績もなかった上に、必要最低限の〝レベル〟すらも怪しかったのだから。
今回の〝昇格試験〟についても、そんな《剣島都市》における絶対の掟が深く関わっていた。
〝レベル〟がないと強敵の魔物が倒せない。
〝レベル〟がないと、『聖剣』も強くならない。
〝レベル〟がないと必要最低限の肩書きもなく、また、《ステータス》も低いため他の冒険者の足を引っぱる。醜態をさらす。
今まで何度も触れたが、この《剣島都市》ではレベルこそが〝絶対〟なのである。
そのレベルが足りていない僕にとって、今回の〝昇格試験〟は非常に辛い戦いになるのは目に見えていた。
本来ならば僕は〝最低レベル〟―――つまり、レベル1。
僕が所属していた《剣島都市》の学園の『Fランク講義室』は、そんな腕のない〝レベル1〟~〝レベル3〟のマスターたちの巣窟となっていた。…………正直なところ、そんな中にいた僕が正攻法でいっても、勝てるかどうか怪しい。
「―――理解できたかな? クレイト」
「……あ、ああ。ヤバさだけは。僕にとって、かなりの苦戦になることも。分かった」
「それで十分だよ。認識は厳しめにしておくに越したことはない。最初から用心深く勝負に挑んで、なるだけ魔物から受ける〝ダメージ〟を減らすんだ。剣を振る体力があるなら、まだ何とかなる」
「そんで。最初の魔物が弱いうちに、全力を出したほうがいい、のかもな……」
「その通りだね。最初なら、たぶん〝スライム〟くらいの弱い魔物がいるだろう」
僕らが勝てる見込みは、正直なところ、それしかない。
勝算があるとすれば、最初のうちだ。魔物がまだ弱い序盤に数を稼いで、他の冒険者たちの一歩先を進む―――。
どうせ、後から追いつかれるのだ。倒せるときに、倒しておくしかない。
隣のミスズが不安そうな顔で僕たちの会話を聞いていた。先日の〝ランク昇格〟の件が舞い込んできたときは嬉しそうだったのに、もう早くも不安にかられているのだ。
そんな契約した精霊に、僕は『大丈夫だよ』と安心させる言葉を投げかけたかったが……。なにぶん。今回ばっかりは、僕にも自信がなかった。〝十匹〟や〝二十匹〟ならば、まだなんとかなったかもしれないが……〝百討伐〟とは。完全に予想を上回っている。
「ここに、二つの選択肢がある。クレイト」
正面のテーブルに座るガフは、長い人差し指と、中指を立てて示してきた。
「―――一つは、他の冒険者の先をいって、〝最初の魔物〟たちを多く狩り尽くしてしまうことだ。…………運がよければ、これだけで勝負の決着がついてしまうこともあるだろう。君の〝遭遇率〟の運にもよるだろうが」
「…………もう一つは?」
「後で説明する。―――実は、僕は今回の攻略法にあたり、〝これしかないんじゃないか?〟と思えるような方法を考えている。それを実践できるかは、君―――クレイト次第だろうが……ともかく、時間をかけて詳しく話し合おう」
「お、おう」
「クレイトにとって、ここが正念場となるはずだ。―――ランク『D』や、『C』を目指す冒険者なら、どうしても立ち止まってしまう昇格試験だ。だけど、それだけに価値はある」
ガフは、両手を重ねて、考えるように言う。
「『冒険者』として成功するためには、どうしてもこの昇格試験だけは乗り越えておかなければならない。―――クレイト。逆にいうと、ここさえ超えれば、冒険者としての視界もずっと開けてくるのさ」
「あ、ああ。……そうだな。弱気になって、怯えているだけじゃ始まらない……か。ありがとう、ガフ。なるべくやってみるよ。ここで―――いつまでも、〝Fランク〟の冒険者でもたもたしているわけには、いかないからな」
「その通りだ。早く、僕のところにきてもらわなければ、ね」
僕は、静かな気合いを入れながら頷く。
―――そうだ。ガフの言うとおり。
魔物を、倒すため。そのために冒険者になった。いつまでも〝Fランク〟にいては、この広い世界の〝ダンジョン〟をすべて見て回れない。世の中には多くの冒険エリアがある。洞窟に、遺跡に、雪山。――その、すべてを見たいのだ。
――そのために、まずは。
他の冒険者が集まる、〝昇格試験〟をクリアしなくては。
***
その喫茶店を出たとき、街の景色は夕暮れになっていた。
…………ずいぶん、長い時間を過ごしたものである。
僕らはあれから、ずっとガフについて『魔物討伐の対策』を練っていた。どう動けば〝撃破数〟を稼げるか。どんな魔物を狙えば、進めやすくなるか―――。ガフの意見は参考になった。あらかじめサルヴァスが指定している《王家の森庭》という冒険エリアで、どう立ち回ればいいのか、見えてきた気がする。
―――問題は、それを実行する〝僕〟が、どれほどやれるのかだ。
「ミスズ、ちょっと立ち寄ってもいい? 行きたい場所があるんだけど」
「……ふぇ? 別に構いませんけど」
帰り道とは違う茜色の街角を曲がった僕に、その精霊は少し意外そうな顔をしながらトコトコついてくる。
夕焼けの影が長く伸び、それが街中のタイルにうつっている。ついてくるミスズの影は小さく、まだ子供のようだった。
……そういや、この子と一緒に《剣島都市》にいるのも、長くなったよな。
もうすぐ、一年だっけ。
夕焼けの茜空。
《剣島都市》の湖の上に浮かぶ街並みを見つめていた僕に、ミスズが声をかけてくる。このサルヴァスは〝水運都市〟としても機能していて、街のあちこちに、湖から引いてきた水路がある。
その水路に向けて、落下防止用の柵がもうけられているのだが。その向こうの空を僕は見ていた。空には赤い鱗雲。そして、どこまでも続く、景観の整った―――冒険者の街並み。
魔物を倒して、持ち帰っている冒険者もいる。
どこかの酒場からは、もう冒険は店じまいなのか、陽気に歌いはしゃぐ冒険者たちの声が聞こえてくる。
「ミスズ。今さらだけどさ」
「……?」
「僕なんかに、ついてきて大丈夫だったの?」
と。僕は、足尾を止めて。今まで聞いたことがなかった、大事なことを聞いた。
ミスズは、意外そうにしている。
―――百討伐。
これから始まる戦いはそれだった。
不安じゃないのか。
どうしても、怖くならないのか。
怖くならないと言ったら、僕は嘘になる。これでも〝Fランク〟。魔物の討伐数は、たったの一回―――。強い魔物とは言え、その数はやはり心細かった。
先日の。《グリム・ベアー》。
あのときの手応えが、忘れられない。戦うことになったときの焦り。心拍数の上昇は――今でも、夢に出てくる。
精霊の御子が、一人犠牲になっていた。
〝ミスズ〟も、そうならなかったって……誰が保証できただろう。
厳しい戦いだった。ギリギリの状況だった。乗り越えた今だからこそ分かるが、あの時ほど素直に恐ろしくて、そして死の淵にあった戦いはなかっただろう。まさに紙一重。もし一つでも間違えていたら、僕らはまとまって冒険人生を終えたかもしれない。
怖くなかったと言えば嘘になる。
だからこそ、ミスズに問いかけてみたかったのだ。……僕なんかについてきて、大丈夫なんだろうか。って。
「―――ミスズ。僕らが今から挑む冒険は、たぶん厳しい戦いになると思うよ。魔物とのと《百討伐》だなんて、本当は〝Eランク相当〟の冒険者たちが、腕をふるって応募して参加するものなんだろう。それに対して、僕らはまだ駆け出しだ」
「…………」
「僕は燻っていられない。だから、立ち止まるつもりはない――。その気持は同じだ。なんのために、《剣島都市》に来たのか。なんのために、冒険に飛び込んだのか。すべては、僕がこの冒険の中で戦いたいからだ。……でも、君は」
ミスズは、違うはずだった。
もともと、住む場所がなくて『部屋住みの御子』として、《剣島都市》の街中にいた。僕と契約したのだって、たまたま寮の部屋が一緒で、そこで見つかってしまってから〝一緒にいる〟ことになったのだ。
だから、これから先の戦い。
〝Eランク〟の昇格試験や―――さらに、その先のランクを目指す戦い。〝D〟や〝C〟のランクに進むための道のりを、一緒に歩いてくれる義務はないのである。ミスズは、ミスズの住む場所があるんじゃないかと思えた。
でも。
「――マスターは、この《サルヴァス》の空――。見渡す限りの、どこまでも広がる世界中の冒険エリアを、旅して回りたい。……のですよね?」
「……? あ、ああ。そうだけど」
「ミスズも」
この精霊は、大きく息を吸い込んだ。
胸の前に手を置き。
ずっと考えるような。僕の言葉を頭の中で反芻して、何度も含んで、噛みしめて。そうするような顔で瞳を落とした後に、また眩しい金の前髪を上げた。
「―――ミスズも。そんなマスターと、同じ世界が。みたいです」
「……む?」
初めて、その気持を伝えたみたいに。
精霊は、ほんわりと微笑み。
……嬉しそうに言うのである。
「見てみたいです。ずっと、冒険してみたいです。マスター。……ミスズはずっと考えていました。『マスター様たちが見る世界は、どんな冒険なんだろう?』って。まだ契約されていない頃、サルヴァスの路地裏で、ずっと雨宿りをしていたときの話です」
それは、まだ僕と出会う前。
ミスズが、まだ無契約の御子として、《剣島都市》の仄暗い街中をさまよっている時の話だった。
この頃。街の中で、幽霊のようにさまよっていた。
僕は、まだミスズからその時の話を詳しく聞いたことがなかった。
「……あの時は……すごく大変で。レンガの街中、外灯さんの下で………雨に打たれていて。『ひもじい』『何か食べなくちゃ』ってずっと思いながら、《剣島都市》をさまよっていたんです」
―――通りから、路地裏を見つめる瞳は、みな冷たくて。
―――冒険者たちは、〝まーた、落ちぶれた精霊が寒さをしのいでるのか〟程度の顔しか向けなかった。その路地裏で。ミスズは逃げていた。
みんな、連れがいた。
精霊と冒険者という、〝仲間〟たちがいた。
「…………ときどき、見えてきた窓があるんです。それはどこか知らないところの学生寮で、そこにいた冒険者さんは、精霊さんと楽しそうに―――お夕食を食べていました」
それは、とても温かい光景で。
それは、とても微笑ましく見えて。
魔物を倒すことができたのだろう。冒険エリア―――〝広大に広がるダンジョン〟のどこかで、ドロップ品を持ち帰ってきて、道具屋で高く売ったのだろう。冒険の成功に、その冒険者も、精霊も、楽しそうに食卓を囲んでいた。
『あったかそうだなぁ』と思った。『自分も、あんな冒険ができたらなあ』と思った。ミスズはそう言った。しかし、自分はそんな窓の外から見るだけの精霊だ。……すぐに現実に引き戻される。
それは、サルヴァスの街中でさまよってきた、ちっぽけな精霊の夢だった。
「……そんな時、たまたま〝開いている学生寮の窓〟を見つけたんです。二階でしたけど、ミスズの〝新しい生活〟を作れないかなぁ……って。頑張って上って。そのお部屋に入ってみると、そこはミスズが思っているよりも広いところでした。内装も、素敵で。お掃除さえできれば、過ごせそうで」
「……それで。あんな状態で部屋にいたのか」
「はい」
僕は思う。
最初に出会った頃のミスズは、〝精霊〟なのに不思議と人間と同じ暮らしをしたがっていた。花瓶に花を添え、テーブルを片付け。まるで、小さな子供のオママゴトだった。
僕は思う。
―――〝一緒に住む〟と決めてから、ミスズはなぜあんなにも嬉しそうにしていたのか。たった〝人がいる〟ということに、なぜあんなに楽しそうにしたのか。
「…………」
「――ミスズのご主人様は、クレイト・シュタイナー……その人だけです。とても、とても、大きな存在なのです。たまたま、出会ったからじゃありません。ミスズは自分の意志で、ここに立っています」
ミスズは、意を決したように言うのだった。
「……、そっか」
「はいっ。何があっても、どう転んでも。マスターについていきます」
ぱあっと、顔を輝かせて微笑んだ。
まるで、それが、世界一幸せであることのように。
僕は黙り込んでしまう。
昇格試験で、本当に怯んでいたのは僕の方かもしれない。
ミスズは最初から信じていて、戦う決意をしていた。それは、本当は心の奥で竦んでいた僕の心を、柔らかく溶かした。
…………。勇気が、湧いた気がしたから。
心に、灯が灯った気がしたから。
「……。ははっ。もし、故郷に帰ってしまった情けないマスターになったとしたら? 僕だって、そんな強いマスターじゃないかもしれないよ」
「情けないマスターでも、ついていきます」
「……へ?」
そんな僕の、精一杯の照れ隠しに。
ミスズは、僕の構えた鉄の防御楯を、正面から突破してきた。
「セルアニアですよね? 南の王国の。ついていきます。もし冒険で怪我をしてしまっても。ミスズが働いて、働いて―――、一生マスターを。楽させてあげられる精霊になります」
「……それって、ヒモじゃん!? い、いやいやいや、待て! それはさすがに働くって! 養ってもらうのはマズいって! ミスズを養ってあげるって! というか、剣の御子ってサルヴァス出られるの!? ……ま。まあ、外の冒険エリアには平然と出て行っているけども! 神の樹―――《熾火の生命樹》がそれを許すのか!? というか、だいたい、冒険者についていくもんだろ、精霊って」
「ミスズのマスターは、冒険者だから――ではなく、〝ご主人様〟だからです」
そこだけハッキリと言われ、驚かない聖剣の主がいるだろうか。
…………たぶん。そこまで落ちぶれることはないだろうが。
……そう、信じたいが。
ただ、精霊の御子に、ここまで言われたら奮い立たなければいけなかった。なんとか、この《剣島都市》で――身を立てる。強くなって、生活も楽にして。それで、この精霊に少しでも恩返しをする。
僕は気持を引き締めた。
あと、ほんのちょっぴり嬉しかったのは、ここだけの話だ。
「……じゃあ、頑張らないとね」
「はいっ。頑張ってください。〝マスター〟」
嬉しそうに、子犬のようにはしゃぐ精霊に。僕は、気分を改め、両手の拳を握りしめて気合いを入れていた。
「……じゃあ、手始めに。まず、帰る前に。調べ物をしておかないとね」
「ふぇ? しらべもの……ですか?」
「もともと、立ち寄りたい場所があるって言ってたでしょ。サルヴァスには、大書庫があるんだよ。あんまり、生徒は近づきたがらないけどね。そこは学徒の《ステータス》に関する情報や、過去にあった冒険譚のデータベース。うまくすると、僕たちがほしかった情報が手に入るかもしれない」
僕は、神樹のそびえ立つ、島の中央―――。
その区画を指さすのであった。
学園の隣に設立された、神樹の樹下の屋根。王都の宮殿のような、高い屋根は、ここからも見える。
その場所を―――《神樹図書館》といった。
***
いくつもの区画に整理された、『本の宮殿』であった。
そこは『1の書架』から、『11の書架』まで―――十一通りの区画が用意されている。まるで《剣島都市》の小さな街の縮図のように、中央には大きな通りが走っており、両側にはうず高くそびえ立つ『書架の棚』がずら~~っと並んでいる。
ここばっかりは、『冒険者プレート』の強い弱いは関係ない。
あるのは、〝知識を求める、心のみ〟―――というのが、初代のサルヴァスの冒険者で、この図書館を設立した〝叡知の冒険家〟の言だったか。サルヴァスの学徒が、広く知識を学べるように設計されていた。
そして、
「うーーーーむ。なかなか、調べきれないものだな」
「……というか、数が膨大すぎる気もします……」
机で本を広げていた僕は、その調べても調べても終わらない資料の山に辟易としていた。
隣で、ミスズも『疲れましたぁ』とへたり込んでいる。
―――時刻は、あれから三時間。
僕らがいるのは、神樹図書館の『第3の書架』―――過去にあった冒険者たちの力や、〝冒険譚〟を記した本が並べられている場所であった。そこに潜り続けることしばらく。気がつくと窓の外の夕日が落ち、僕らの本探しも、小さな《燭台》を頼りにすることになっていた。
「ここに入り浸れば、僕らの《ステータス》……先日のグリムベアーとの騒動から、なんで急上昇したのか、分かると思ったんだけど……」
「ミスズ、頭を使いすぎて熱が出てきちゃいました……。はうう」
いつもの頼りない精霊と、悩み続ける冒険者が一人。
……そう。
僕がこの場所に入り浸っているのは、前に急上昇した《ステータス》について探るためだった。
あの時は《魔物》との戦闘中に、急にレベルが上昇していた。
レベル〝1〟や〝2〟の上昇値ではない――それは〝10〟レベルの階段を一気にすっ飛ばして上昇していて、今思うとハッキリ言って異常だった。だが、それで僕の体や聖剣に異変が起こったわけではなく、むしろ調子よく動けてしまったのだ。……まるで、最初からそれが普通であったかのように。
それが、少し不思議で。
もしかすると、そういった『力』が存在しているのかと思い、僕は学院の授業中に、先生に質問を飛ばしてみた。〝元・凄腕の冒険者〟である教師陣の人たちには、それが分かるかと思ったからだ。
……だが、結果は思わしくない。
『なんじゃー? クレイト。ついにワシの授業が退屈で寝るばかりか、夢を見るようになったのかぁ? フガフガ!』
…………など。
おそらく、聞く教師が悪かったのだろう、と思っていろんな先生に聞いてみたが――誰一人としてその《ステータス》を伸ばす存在を知らなかった。
というか、〝夢〟って……。
教師に呆れられて、周囲の生徒にクスクス笑われたのを思い出した。当然ながら、彼らは、僕が先日を倒したなんて思っちゃいない。
「…………むう。教師陣に聞いて分からないなら、残された聖剣使いの知る方法は《神樹図書館》だけ……だと思って来たんだけどなぁ。すっかりアテが外れちゃったな。というか、調べようにも雲を掴むような話だ」
「マスター。ミスズはよく分からないのですが、あの時の〝強さ〟って……本当に《ステータス》なんでしょうか?」
と、ミスズは本の山積みを前にしながら、不思議そうにする。
(…………それは、)
確かに。僕は思うのだ。
「聖剣を使う冒険者たちが、《魔物》と戦うための方法――。それが、〝ステータス〟であって、これが低くちゃ話にならない。現に、僕たちは今まで、魔物と比べて〝ステータス〟が低すぎて冒険で苦戦していたわけだし」
「……そ、そうですね」
「でも、ミスズが言うことも、不思議と当てはまっているような気がする。……本当に、ステータスだけなのか……?」
ステータスは通常、〝努力の結晶〟とも呼ばれる。
普通の冒険者だったら、冒険で魔物を倒し続けていくことで『聖剣』を鍛え、強化していく。
……そりゃ、もともとの生まれによって《ステータス》なんか違っていたし、外の王国で〝騎士〟として生まれている人間が聖剣を握ったら、最初からある程度の《ステータス》が強いのも理解は出来た。
もともと、セルアニア王国の田舎で生まれ育った僕と、一緒であるはずがない。
でも……。
(――あのときの〝数値〟は、そんな僕じゃ考えられないくらい伸びたんだよな―――)
一瞬のことだったが。
《グリム・ベアー》騒動の時、魔物と戦っている僕の力が飛躍的に伸びた気がする。それこそ、〝10〟や〝20〟の単位で。あれが、本当に《ステータス》のみを使った戦いだったのか……? 数値上は、〝Cランク〟にも匹敵する力だった。
(もしや。僕や、他の冒険者たちの知らない〝力〟があるのか……?)
ステータスは上昇を司る。
しかし、それ以外の能力補正―――(例えば、〝火〟や〝風〟の契約のように、冒険者が使える特殊補正)――が、もしかしたらあるのかもしれなかった。
だが、それにしたって、《神樹図書館》にもない力って、一体……?
(……分からないな……)
パタンと、本を閉じ。
僕は眠くなった目を擦りながら、本を片付けていた。
隣では、調べ物に疲れたのだろう。最近ようやく『文字の読み書きを、再び練習するようになった』精霊のミスズが、本を枕にして、スゥスゥ眠っている。
そっと、起こさないよう―――本を抜き取って。片付けを続ける。あんなに本探しをするときに勇んで、『ミスズが全部探します!』と張り切っていた精霊だ。きっと、スタミナを使い尽くして疲れてしまったんだろう。
(……いつか、僕たちも)
僕は、《神樹図書館》の天井を見上げる。
そこは、切り取られるように天窓から星空が見えていた。夜空には、別の世界が広がるように――――無数の《燭台》が木の枝につり下がった、この島の神樹がキノコ状に広がっているのが見えるのである。
神樹図書館は、《熾火の生命樹》の下にあった。
―――いつか、この遠い星空をいろんな土地からみたい。
僕は、そう思った。
……冒険を支えてくれる人たちがいる。
……協力してくれる友がいる。
……そして、隣でこんな夜遅くまで、一緒に調べ物をしてくれる精霊がいる――。
僕は、幸せかもしれない。
田舎王国で夢見ていたのは、いつも強敵の魔物との戦いだった。《聖剣》を使って魔物の一撃を食い止め、また、僕の伸びきったステータスと《聖剣》をつかって、人々を苦しめる魔物を倒す――。
僕は、いつか、この島の《剣島都市》に恩返しがしたかった。
この聖剣を使って。
他でもない、他の冒険者でもない、僕だけの《聖剣》を使って――。
「…………むにゃ。ますたぁ」
「む?」
と。静かに、自分の腰にあった鉛色のボロ聖剣を見つめていると。
精霊のミスズが、楽しい夢を見るように呟くのだった。
僕は小さく息をつき、それから起こさないよう―――スッと腰を低くして、精霊を背中に背負った。精霊の体は軽い。冒険に慣れた体――《ステータス》で強化された体なら、楽々である。
僕が図書館から出るとき、本棚の整理をしていた図書館の精霊が―――そんな僕らを見て、微笑ましそうに見送っていた。
――いつか、きっと。
僕は、夜道でそんな《熾火の生命樹》を見上げながら、その思いに耽るのである。
夜が、更けていく。




