13 覚醒の刻(後編)
草原に、凄まじいつむじ風が上がる。
黒い固まりが押し寄せ、〝僕〟は吹き飛ばされるように着地した。火花のように地面を土が跳ねていき、周囲は〝穴だらけ〟―――戦場跡となっていた。
魔物との位置が、入れ替わる。
「ガアアアアアアアアア――――ッッッ!!」
冒険者と獣の咆吼が、交差する。
《グリム・ベアー》が、僕の懐深くを抉るように飛びかかってきた。まるで黒色の疾風のごとく爪を振り上げたのだ。見えたのは、一瞬だった。絡みつく草を切断し、岩ごと破壊しながら巻き上がる漆黒の旋風に――――、僕は剣を横たえたまま、受け止めて空中に打ち上げられた。
なんて。
――――なんて、威力だ!!
僕は逆さになった視界の中で、魔物の攻撃に驚いていた。
真っ向から攻撃を受けずに、少しでも『受け流し』を意識して腕を回転させたまではよかった。だが、あまりにも強すぎる力の固まりは、受け止めた僕ごと草原の地面から吹き飛ばしていた。
もし、まともに一撃を受けていたら―――。考えただけでもゾッとする。
「ちッ、ミスズ。立て直すぞ」
『―――は。はい!』
僕は着地して、軽くステップを刻みながら後退した。三回飛び。《グリム・ベアー》の追撃がすかさず来る。一撃目。振り上げて、僕の胴体を狙ってきた。剣を盾のようにして受け止める。
二撃目。牙による『突貫』―――。これだけは受けてはいけない。僕はギリギリまで目を見開き、その正面からの軌道を読んだ。ぶち当たる寸前、襲いかかってくる噛みつきを横に転がって回避した。岩場の地形を利用して〝矢避け〟のように背を預ける。
魔物の一撃一撃に、肌がひりつくような『死』を感じた。
―――すでに、戦闘開始してから、一刻が経過していた。
僕の体力は、まだ尽きない。魔物の動きも、まだ加速する。僕は極度の緊張感によって、限界を超えて体を動かしているのか。
そして唖然と観戦をする『剣の御子』―――ミスズと同じ精霊の〝上級生カァディルの御子〟も、そんな戦闘の成り行きを固唾を呑んで見守っていた。だが、彼女の感情は、どうやら実戦の嵐の中にいる僕たちとは、違うらしい。
呆然としていた、その口が…………やっと、動いた。
「…………な、んで……?」
もはや、緊張感にすら絶えられない呻き。
長い剣術試合を観戦していると、戦っている本人よりも周囲のほうが疲れに耐えきれない。そんな表情で、精霊は呟くのであった。額にはびっしりと汗粒が浮かんでおり、彼女はもはや、岩場の影でうずくまる『マスター』のほうは見ていない。
危険を超えた、眼前の『死闘』にのみ視線を奪われ、目を釘付けにしている。
そう。
その疑問は、純粋にして。根本的なものだった。
―――〝なんで、戦えている〟―――?
なぜ、『F』ランクでしかない〝クレイト〟という冒険者が戦えている? だって、この冒険者たちは、剣島都市》の学徒の中でも、最底辺――いわば、それより下を探しても見つからないくらいの存在なのだ。
それが、戦えている。
上級生二人組でも勝てなかった、《グリム・ベアー》と死闘を演じているのに、一向に押し巻ける気配がないのである。いくら寮母さんに『剣の修行』を受けていて、人間離れした戦闘に慣れていても―――。
だが、それでも剣士。
サルヴァスの冒険者には、絶対に超えられない『壁』というものがあるはずなのである。
絶対的に克服できない『限界』だ。僕らは、どうあがいても『F』ランク相当の実力しか発揮できないはずだし、人間が腕相撲で《グリム・ベアー》の力には勝てないのと同じ。本当なら、魔物に秒殺されるはずなのである。
でも。
そうは、ならなかった。
僕らの動きが、少しずつ《グリム・ベアー》を圧倒していた。最初は一方的に虐げられるだけだった魔物との戦闘も、徐々に〝速さ〟に目が追いついてきて、打ち合えるようになっている。
その戦闘の中から、徐々に剣が《グリム・ベアー》との戦闘に慣れてきている。切り傷は増えているが、それでも戦闘を『続行』させているのである。
これは、異常事態だった。
僕も――。剣の御子の、ミスズも気づいていない。『ある変化』が、僕たちの死闘の中で芽生えてきていた。しかし、僕はそんなこと考えてもいない。考える余裕もない。
(―――『まだ』だ)
絶体絶命の戦場にあって。
僕の動きは加速していた。この戦闘にかける決意は最高潮に達していた。どちらかが一方が死ぬまで戦い、どちらかが一方が灰になるまで燃え続ける。勝負の世界は単純で、それだけに残酷で。
でも、それだけに分かりやすい。
だから、僕は剣を構える。
身体の血潮が熱くなり、気持ちが滾る。転んでもただでは起き上がらない。目の前の魔物を斬りつけて起き上がる。戦士なのだ。僕も。そう、あの魔物も―――。
『わわわ、突撃してきますっ!』
「剣に力を込めて。いくよ!」
その瞬間。僕の〝反応速度〟が魔物を上回った。
横に跳躍する。しっかりと石の出た足場を選んで、平原の軟らかい土を踏んだ以上の『地形効果』を得て、跳躍する。着地するまでに《グリム・ベアー》の突貫を確実に回避して、返す刀で『カウンター』を決めた。
―――無傷。
―――反撃で、一撃。
戦う。打ち合う。僕らは今。一種の壁を見つめていた。《グリム・ベアー》という捕食者にして、森の捕食王の壁。
絶対に勝てないはずの相手と、僕は互いに『血みどろ』になりながら。無限の戦闘を繰り返していた。
そこには〝レベル〟だの、『F』ランクだの、ちっぽけな格付けは存在しない。
頭上高くあった日が、傾いて血の色を帯びている。地平線から差し込んでくる夕日が、僕らの戦闘する影を長く引き延ばしていた。
筋肉など、あちこちが切断されている。
もはや構っているようもない。ポーションを使っている余裕もない。
「……はあっ、はあっ」
『グルルルルルッッッ!』
歯茎をむき、牙を向けてくる黒い魔獣。
全身の毛並みを、浅傷だらけの血みどろにして―――睨んできた。森の王者は、逃げるつもりなど毛頭ないようだった。《グリム・ベアー》の王者としての誇りが、僕を本気で殺しにかかってきていた。
手が震える。
しかし。同時に、僕の目にも一種の狂気が宿っていた。
(……っ、徹底的に。やってやる……!!)
僕は地を蹴った。




