12 覚醒の刻(中編)
同時刻。《剣島都市》の街中でも、その騒ぎが大きくなっていた。
いつもは落ち着いている街中の景色も、今は慌てて立ち駆ける生徒たちで溢れていた。色鮮やかに上級生から、下級生までが動いており、中には赤い服を着た教師陣の姿も見える。
一部ののんびりとした生徒たちは、そんな大通りでぼけっと『何があっているのか』と聞いて回っていた。
―――〝彼〟も、また、そんな生徒の中の一人。
名をガフ・ドラベルといい、王国の人間たちが多く流れ込んでくるこの《剣島都市》でも、身分の高い剣士だった。
彼もまた、その忙しい立ち働きの渦中に飲まれ、準備に追われている。
「―――緊急指令が下りました。〝剣島都市に滞在する剣士〟のうち、動ける人間は残らず現場へと向かってください。――― 一つ、『《剣島都市》に残っている〝Cランク〟以上の剣士は、残らず現場へと向かうこと』。―― 一つ、『その緊急指令においては、迅速に冒険の準備を終えること』です」
街の中で、赤い服の教師が呼びかけていた。
そう。久々となる、《剣島都市》の運営側。統括理事会からの声かけである。
この指令は、『緊急事態宣言』とも呼ばれる。
通常。手に負えないほどの規模の〝魔物の災害〟が発生したり、上級生にしか討伐できない〝ブラック・ドラゴン〟のような魔物が発生した場合は、生徒たちの中から〝Cランク以上〟の剣士を集め、討伐に向かわせる。それと同時に、低ランクの冒険者たちの《剣島都市》からの出入りを禁止するのである。
それは、生徒たちの命を守るためと、『緊急討伐』を行うため。
いつもより厄介な相手が発生してしまった場合、〝上位の魔物〟を倒すために特別な編成が組まれる。いわば、『軍』をつくるのだ。
どうやら、話によると『始まりの平原』という冒険エリアに魔物が出没したらしく。その相手は、Cランク冒険者じゃないと手に負えない相手らしい。
噂では。
その魔物は――――あの、〝最も多くの冒険者を食い殺した〟と言われる、《グリム・ベアー》かもしれないというのである。
―――もし本当だったとすると、〝Cランク〟以上の冒険者しか太刀打ちできない。喰われるだけだ。その魔物を目撃した冒険者も、腰を抜かし、それから遠くで見ただけで帰ってきてサルヴァスの《運営局》に伝えた。
始まりの平原で、初級冒険者たちが喰い荒らされるかもしれない―――。
ハッキリ言って、異常事態だった。
「―――《剣島都市》の運営側は、この事態を重く受け止め、『Cランク』以上の冒険者を集めている」
冒険者ガフは、そのモノクルの奥の瞳を曇らせた。
「つまり、その魔物が『Cランク以上の冒険者』じゃないと倒せない―――。そう考えた。ということですね? 寮母。マザー・クロイチェフ?」
「んー。そうなんじゃない? 私だって、色々慌ただしくなってきた街中にお酒を買いに出てきたら、この有様でびっくりしたんだから」
ボリボリと。尻をかく修道服。
またぞろ、懲りもせず街中に『樽酒』と『つまみ』を買いに繰り出した不良寮母と、冒険の準備に追われていた冒険者のガフが、酒場の古めかしい看板プレートが見える軒下で会話をしていた。
「上級生たち。……あの『最上位三名』と謳われる、《サルヴァス》のトップの剣士たちと、第四位から、第六位までの『A級』の冒険者たちは、どこに?」
「さあ? またぞろ、集団でどこか遠くの《幻の竜》でも討伐しに行ったり、どこかの超大国からの特別依頼を受けて、国賓として招待されて討伐に行っている―――そんなところなんじゃないの? …………っていうか、なんで私に聞くのー? ガフ」
と。
珍しく冒険者装備に身を固めたガフに、寮母が疑わしそうに見つめるのであった。
「………とぼけないでください。あなたなら、何か知っているでしょう」
「知らない。知らなーい。寮母さんは少なくともこの件に関しては完全に初耳、ノータッチでーす」
「…………。《剣島都市》は剣術の都。それだけに、『シビア』な規定、規則が設けられています。………その都市の中で、『ただ酒を飲んで、過ごしている』だけの人間が、存在するとでも?」
「…………、何が言いたいのよー?。ガフ」
「《剣島都市》の初代冒険者たちの中に、あなたと容姿が酷似している冒険者の話を昔聞いたことがあります。……いわく、その人はヘンクツで、気むずかしく、剣と発明の才には溢れていた。そして何よりも酒を愛した。―――と。
その冒険者は、今では《伝説》とされ、サルヴァスの創成に関わった剣士七名の『七賢者』のうちの一人。―――その名も、〝酒飲みのエリス〟。紛れもなく〝Sランク〟に相当する冒険者だ。違いますか?」
「知らない。知らなーい。アンタ、他人とこの世の中を疑いすぎなところが悪い癖だって、いつも言っているでしょー? 可愛くないよ、そーいうの。―――剣の優等生…………いいや、あの英雄〝ドラベル家〟の『世継ぎ』になりそうだったところを、辞退して、単独で《剣島都市》にまで逃げてきた男。そうよね、『神童』ガフ・ドラベル君?」
「…………」
ガフの空気が、一瞬だけ冷たく変貌する。
その顔は鉄の仮面のようであり、いつもは纏っている柔和な雰囲気が消えた。そのかわり、薄く研いだ刃物のような、ゾッと寒気を感じさせる切れ長の瞳がのぞく。
その〝空気〟を味わっても、寮母は驚かない。ニマニマとむしろ笑みを浮かべ、騒然とした街並みの中で、ひとり楽しげにしている。
「…………分かりました。もう、何も聞きません。親友のクレイトに関することが、何か聞けるかと思っていたのに……」
これ以上の会話は、無駄かもしれない。
ガフはそう思いつつ踵を返していたとき、通行人たちの噂で。『―――見つかった魔物は、超大型の《グリム・ベアー》らしいぜ。間違いない』とか。『襲われた上級生がいるらしい。一人、剣の御子が死んだってよ』など聞こえてくる。
『もう一人の上級生は、片腕を失って《剣島都市》に逃げ込んできた』とか。『まだ、《始まりの平原》に取り残されて、襲われている生徒がいるらしい』…………と。
(……! まさか!)
ガフは、ハッとした。
この日、クレイトは平原へと冒険をしていたはずだ。騒ぎの中、まだ彼と精霊は《剣島都市》に帰還していない。
噂のピースを集めていくと、一つの恐ろしい図式が浮かび上がってきた。もし彼が、他の生徒が遠くから目撃した『戦っている初級冒険者』だったとしたら―――。
上位の危険な魔物を相手に、『彼』が勝てるはずがない。
「寮母、マザー・クロイチェフ!」
「……まっ、討伐隊も組まれているし。大丈夫でしょ」
「お、おいっ!」
冗談ではない。
振り返ったガフに、その寮母はひらひらと手を振りながら立ち去っていた。
情報が欲しいのに。少しでも手がかりが欲しいのに――! 猛烈に嫌な予感がしていた。悪いことが起きている。…………実際に、人が重傷を負い。精霊が散っているのだ。
…………自分だったら、何とかできるか。
ガフは考えた。『討伐隊』が組まれているということは、『Cランク相当』の冒険者たちにしか相手にできないということ。クレイトのランクは―――『F』。最底辺。Cランクから数えて、三段階も落ちる。
(…………もしものときは)
パチパチ――と雷の紫電が。その表通りの、彼の影から発現していた。
彼の固有の『剣の御子』――――〝影に潜む何か〟が、普段の沈黙を破って、彼の影から語りかけてきたのである。影の口だけ動いていた。
「出番が、来るかもしれない。頼めるかな」
『仕方ありませんわね』
曖昧な影の中から、静かな女性の声が響いた。
その女性は先ほどの寮母のぞんざいさと比べると、どこまでも保護者としての優しさがあり、声は女神のように寛大だった。
『わたくしの契約者様に、問いかけます。そのお方は、本当にお救いするほど大切なお方なのでしょうか?』
「………ああ。僕にとって。何よりも。かけがいのない友人だ」
頷く。躊躇すらしない。
自分の人生において、その少年が〝何なのか〟ということについて、ガフは一秒の迷いもなく即答した。
彼は決して『恵まれた』人生ではなかった。だが、貧乏でもなかった。貧しいことと幸か不幸なこととは繋がっていない。王国世界の貴族に生まれて、人並みの生活を送ってはこられた。だが、その中に―――〝優しい家族〟も〝信じられる友人〟も、一つもなかった。
あるのは、泥沼の権力闘争だけ。
純粋で、清潔な、彼が望んだものは一つもなかった。
だから、彼はこの世界に失望した。
才能があるからこそ、自分を『不幸』に感じるようになったのだ。
実家である『ドラベル家』の醜き権力闘争に疲れて、逃げるように《剣島都市》に流れ着いた。べつに、彼がクレイトに語ったような『優雅な留学』などでは少しもなかった。〝冒険者〟の立場なら、少しは違った世界が見えるかもしれない。そう考えた。
だが、浅はかだった。
ここで会う他の生徒たちは、王国世界の『金持ち』『御曹司』―――。みな栄華に浸りきった、実家の縁を頼って〝成り上がろう〟とする下らない連中ばかりだった。他の貴族の生徒たちを見て、ガフは人生で二度目の失望を覚えた。
他者に担がれるばかりの人生に鼻白み、会話を会わせるのも億劫になった。
人生に悲観して《剣島都市》で冒険者になったはずなのに、ここでも変わらぬ王国世界の空気があった。その中で。
…………〝彼〟は。違った。
「…………助けたい。協力してくれるかな? なにせ、偏屈な哲学者として人生を終えようと思っていた僕が、人生で始めて〝友〟と呼べる人間に会ったのだから。彼という冒険者を、失いたくはない」
『………だとしたら、お急ぎせねばなりませんわね』
ふわりと、風が。包む。
『精霊結合』―――それからの、上位の冒険者が使う〝風〟の契約を執行した。
―――しかも、彼は一風変わった、〝雷〟という派生の契約を結んでいる。それが足の裏に雷を縫い付け、爆発的な力を発生、疾風となって体を進ませる。都市の屋根から、屋根へ―――、飛び越え、駆け抜けた。
雷は、一種の〝稀少技能〟に近しいかもしれない。ただ、それが〝風の契約〟の延長というだけだ。この世を構成するのは〝五元素〟からなる力で、他のスキルは〝空〟の派生である。
力は、時に状況を変え、現場へと一瞬で飛翔する『翼』となり得る。その剣士は、《剣島都市》の屋根の上を走りながら、
(…………死ぬなよ、クレイト……!)
青い空に。祈るのであった。




