28 燃える書庫
燃え上がる炎が、書庫を紅に染め上げる。
転倒し、吹き飛ばされた書架で、『僕』はその重みを調節できずに―――〝ドウッ〟と書棚ごと倒れ込む。
肺を圧迫する重圧がすぐに押し寄せ、何度も噎せ返る。…………単なる〝痛み〟だけじゃない。チリと、髪をひりつかせるような『魔力』を感じる。
…………いいや、ただのマナじゃない。
〝僕〟は睨みつけた。ひどく汚染された、それでいていやに自己主張の強い……《爪痕》、あの魔物の傷から僕が感じとっていた、力のそのものだ。
――まるで、追い出されそうになった《爪痕》が。
最後の抵抗を見せるように。
「――ごほっ、くっそ、遠慮なしにぶち込みやがって」
「……クレイトさん、無事ですか?」
体勢を整え、乱雑に本棚が崩れた《大書庫》で隠れるように背中をつけた僕に、そっと忍び寄ってきた《精霊》が合流する。
……が、残念ながら、ミスズじゃない。
《契約精霊》なら―――と、思わないでもなかった。このピンチ。何が起こっているのか僕自身にも分からなかったが、まずは身体の強さをあげれば何とかなると思った。
が、
「――否。恐らく、ちがう」
「? なんでだ。アイビー」
僕が視線をめぐらす先にいた《精霊》は、首を左右に振った。
「ミスズだったら精霊の『結合』とかあるだろう。聖剣の恩恵……僕らを〝敏捷〟〝体力〟……あらゆる《生命力》があがるんだから」
「…………」
僕は思った。
……書庫の中の景色。もう、かなりの状態だった。頭上に今まで僕らがいた二階のテラスからこぼれる光があり、僕は、あの場所から《雷炎の閃光》によって吹き飛ばされた。
破壊の跡が、僕の軌道を辿るように、ここまで続いている。
……その中で、〝隠れる〟。
僕らは――向き合った。
手には《剣島都市》製、ボロボロに砕け散った《魔皮の手甲》があった。底辺冒険者装備では想定外の〝炎〟を浴びて、……脆くも、こぼれ落ちた。
(――次は、〝無い〟な)
僕は覚悟した。あれだけの〝炎〟を真正面から受けて、受け流しながら書庫に突っ込めたのは『寮母さんの鬼のような攻撃』を普段から浴びていたからかもしれない。――ただの素人が、アレを食らったらひとたまりも無かった。だが、〝防備〟があったからだ。《剣島都市》の冒険具は、もう、二度とは助けてくれない。
「問題は…………今、《契約主》の体を蝕んでいる魔力の正体です」
「? アレは、なんなんだ?」
「………分かりません。おそらく、何らかの《魔物》の能力。それを引継いだもの……。〝感染病〟のように……《冒険者》の生命を喰おうとしている」
僕が驚きで目を見開くと、精霊が、肩に飛び乗ってきた。
「アレは恐らく……何か、古い《魔物》。
能力の詳細は分からない……だが、〝効果〟だけは何となく分かる。アレは、《触れたステータス》とか、その個人の能力を吸収し、感染させ、〝暴走させる〟のです」
「…………んな」
「今の《契約主》も同じ。
《冒険者》としての能力を、使われてしまっている。―――逆にいうと、今のあの黒く染まった〝生命〟に触れてしまうと、他の冒険者の《ステータス》がどうなるかが分かりません。《感染》されるかも」
――恐らく。
用心したほうが良いだろう。とクマの精霊は言う。今、あの《爪痕》は《冒険者の力》に興味を示している。
意志があるようだった。精霊は、メメアを助けようと『結合』を試みた。…………だが、逆にその『力』は精霊のアイビーの生命に反応し、〝攻撃〟を加えることでその存在を飲み込み、捕食しようとした。
精霊は、一度は離脱して、切り離すしかなかった。
今の『主人』は、魔力によって動いている……と精霊は言う。……つまりは、単独で《聖剣》が行使されている。黒の魔力によって。
……そんなもの。前代未聞である。
「……で、それでお前、この書庫まで僕を誘導したのか」
「……仕方なかったんですよ。クレイトさんだったら、『どうにかなる』と思ったんです。《契約主》の意志が消えかけて、クレイトさんだったら、もしかしたら反応してくれるかもしれませんでしたし。
《契約主》がいなくなって、一番に異変に気づいて追いかけてくれるのが〝クレイト〟さんだと思ってました」
「む。それは分かるが……でも、なんで〝僕〟だったんだ。契約精霊のアイビーが無反応なら、僕が呼びかけても同じだろ」
「……いえ。同じ、ではないと思いますよ。少なくとも、《契約主》にとっては」
『……?』と、僕が影でコッソリ隠れながら首を傾げると、精霊は『とにかく』と咳払い。話を戻した。
「……ともかく。《契約主》の異変に気づいて、なんとかしようと追いかけてきたのがクレイトさんだったんです。でも、そこまでは良かったんですが、真正面にぼうっと立っていて警戒もないもんだから、思いっきり炎を食らってましたが」
「……………わ、悪かったな!」
ちょっと恥ずかしくなって、僕は言い返す。
英雄が参上した、といったカッコつけで入ったわりに、最初の一撃が身も蓋もないドジを踏んで期待外れのガッカリを感じる。
「ていうか、お前もお前だぞ! それならそうと、そう察するよう分かりやすい合図だとか、配置だとかをだな。部屋の外にいて、教えてくれたっていいだろう」
「《契約主》を、見失わないようにするのが最優先だったんですよ。それ以外の冒険者の準備とか、正直二の次です。《冒険》は、いつもいきなりなんです」
「ああ、そうかよそうかよ! お前が、薄情な精霊で、他の《契約主》の動向なんてどうでもいい――って思ってることはよく伝わったよ。でも、言っとくけど、この状況で動ける《契約主》って〝最底辺(レベル1)〟の僕だけってことを肝に銘じてだな―――って、どわっ!?」
僕らが口喧嘩していると、『炎呪』が殴りつけてきた。
凄まじい一撃である。
それは巨大なハンマーのように書庫の棚を上から殴りつけると、転倒させ、僕らが隠れる《安全地帯》をあぶり出すように倒壊させてくる。中身は《雷炎の閃光》なのだが、その密度の濃い炎を見ると、もはや〝物理〟のように見える。
僕らは辛うじて脱出できたが、その横目に見た《呪文》は、間違いなく過去最大のものだった。
「………………『メメア』――って、あーんな凶暴な生物だっけ?」
「怒られますよ」
『すーっ』と遮蔽物に隠れて顔を出す僕に、精霊は横でジトッとした目で見てきた。
「《契約主》は……そんなんじゃありません。
…………まあ、ときには怒ってしまうし、なんだか理不尽なことをいわないでもないですが。特にクレイトさん関係だと、変なこというと怒られますし」
「……そうなのか?」
「ええ。最初っから、他の冒険者よりも弱かったし。
初期の冒険の頃なんて、森の木の根っこと間違えて、緑竜のシッポなんかを踏んづけていたんです。本人が一番怖がったみたいで、身も蓋もない、それこそロクな冒険にもならずに叫んで逃げてましたけど」
「すっっげえ、悪口いうな」
「でも。でもですよ。そんな冒険者が。《契約主》が。人を殴ったりするなんて。……《攻撃》するようなことなんて。絶対に考えられません。ましてや、《聖剣図書》を使ってだなんて。絶対に」
……。
……。
……ああ。
それだけは。
そう。それだけは。そこだけは、僕も強く思う。
メメアは。そんなんじゃない。
絶対に。
気分で人を傷つけるとか、誰かに向けてその力を使うとか。そんなこと絶対にしない。それがメメア・カドラベールという冒険者。誰かが傷つけるのが一番嫌いで、人一倍涙もろくて。その見た目通り、幼くも純粋な気持ちが溢れていて。
……他の《冒険者》とは違う。だけど、そんなことを、《剣島都市》の街中で隠そうと必死になって、誰よりも深く傷つく。…………そんな冒険者。僕が見ていて分かる。なんなら微笑んでしまう。
その子供っぽい、でも、ひどく純粋な見栄で、誰かを助けてあげたいって思う気持ち。お礼なんか言われると照れる。口元の緩んだ顔を、赤くなった頬を見られまいと、照れ隠しに強がって顔をそっぽむける。……でも、その横顔が、口元が、ひどくにやけている。
……そんな。
そんな。《冒険者》。
聖剣の《契約主》。
僕がなんで聖剣の《契約主》になんか選ばれたかは分からない。神聖なる意志に認められたのかも。でも、〝メメア〟は分かる。メメア・カドラベールという冒険者は選ばれるべきだった。
人が助けられたら。と願って最後まで行動する。
誰よりも知っている。僕が一番身に染みて分かっている。……《クルハ・ブル》で、守ってくれたんだから。他の人を、見ず知らずの他の遠い国の里人も、助けたい、と願って最後まで行動したんだから。
人が傷つく。
もしそんなことがあれば、ポロポロ涙を流して悲しむような冒険者だ。誰よりも、その苦しみを、幼い頃から経験してから歩んできているのだから。
僕は分かっている。
全部。分かっているはずじゃないか。
僕はギュッと拳を握りしめ、その痛みを噛みしめる。……甘い。まだ足りない。彼女を助けたいって。心の底から信じた子を助けたいって、そう思う気持ちが溢れてくるのだから。
僕は、少女を見ながら、思う。
――〝必ず、助けてやる〟って。
今度は、僕の番だ。
「…………クレイトさん、『逃げない』のですか?」
「アん?」
僕が、膝をついて剣を握りしめ。
……ただし、その《聖剣》と呼べるべくもない、鉛色の切れ味の悪い、長年雨にさらされて劣化したような王国剣のような……(まぁ、ただの〝棒〟)を握って、それでも不敵に上を向いて、踏み出そうとしていると。
その姿を見た〝精霊〟が、疑問を投げかけてきた。
「『逃げる』――《冒険者》の、行動原理の一つでしょう。
進む、という戦術があるのなら、退く、という戦術だってあっていい。攻撃一辺倒、《魔物の巣》になど突っ込むのが暴挙であって、勇躍とは人が呼ばないように。勇気も、その使いどころによって、人を傷つけてしまう正義の拳になるように」
「……」
「その冒険に《進む》があるとしたら、反対に《逃げる》ということがあってもいいと……僕は思うんです。だって、今のクレイトさんは戦力があまりよろしくない。張り合ったって、……きっと勝てやしません。そのことは、お分かりでしょう」
……。
……ああ。
まあ、そのことだけは、『僕』には分かっているつもりだった。さっきの《契約主》のステータス情報を見てしまったばっかりだ。あの『正体不明』で隠されていた中身の数字は、きっと、僕が比べられるようなものではないのだろう。
……反対に。
僕が知ってる、〝メメア〟のステータス情報の上の可能性がある。……ほぼ、間違いないと確信していた。
「であれば、火の玉に突っ込む。――それが、正義と言えるのでしょうか。
今のクレイトさんは、攻撃一辺倒、《魔物の巣》になど突っ込む暴挙をやってしまっているような状態ですよ。『勝てる見込み』―――それを無視して、前に進んだり、強大すぎる《深緑竜》などが森などの領域で活動しているのを見て、迂回して進んだりせずに、正面から突っ込む――。
ハタから見たら、『なんで』、ってなるはずです。なんでって。戦いをそこで経験しなくとも、もっと回り道をする最適解があるはずなんですから」
「………………一気にここで戦わず、〝メメア〟を攻略するため、仲間を集めろ―――って言っているのか」
僕は察した。
精霊がいいたいこと。それは、『作戦』なんてものじゃない、もっと基礎的なものだった。
精霊は言う。人数の違い。そして、戦力の差。――精霊は実は、僕の戦力としての値に期待なんかしちゃいない。……いや、〝している〟、ではあるだろう。ただ、それは、彼が他の冒険者に求めるような『聖剣一本、確実に、全く傷を負うこともなく――圧倒する』という戦力差ではないはずだ。
だから、冷静に見ている。
僕自身に期待しつつも、その戦力に、これでもかというくらい冷静に判断している。――その上で、僕という《冒険者》に、そう提案してくる。
――他の《冒険者》は 見逃すように。と。
精霊は。暗に、そういうことを示しているのだ。
――『逃げろ』と。
逃げるべきだと。それも作戦だと。
だが。
「―――、却下だ」
「は?」
「却下だ。……そんなことしたんじゃ。メメアを見失うかもしれないだろ」
「し……しかし。仕方がないじゃありませんか。今の《契約主》は……、強い」
……ああ。
ああ、そうだよな。
僕は腕を巻き。
さっきの負傷。炎はヤケドのひりつき。骨まで浸透するダメージが残っていることを感じる。冒険ポーチから出して巻き、さらに簡易手当。《治癒薬》類の瓶は残りわずか、僕はからになった瓶を投げ捨てる。
冒険準備。覚悟。……そうだ。僕は無力だ。正直、傷だってかなり痛い。痛みを発し。僕を襲ってくる。分かっている。
精霊は言った。
――逃げるべきだと。
一度、仲間を整えてくるべきだ。と。
分かる。
ああ、分かっているさ。
そこら辺の魔物よりも、強い少女――。
そうだ。《冒険者》が蝕まれるなんて、尋常な相手ではない。それを身を挺して、死ぬほどの危機を伴って助ける必要なんてない。《レベル1》――そこら辺の魔物でも、手に余る《ステータス》を保有する弱小冒険者に、誰が期待するだろう。
必要なのは、ボス級だけ、ひねり潰す奇跡。聖剣になんの力もない〝僕〟なんて、ただの僕。分かっている。あの少女を見る。火の玉を思い出す。粉々になった、書庫と書棚の光景を見渡す。……人の身で食らうと、どうなるかだって想像がつく。
僕がいる。なんなら戦力にならない。ひよっこなゴブリンにも、負けて、追い回される絵面だけが浮かぶ。僕自身が弱い。そんなこと、誰よりも僕が知っている。
だが。
……だけど。
だけどな。
僕は思う。
「……なあ、アイビー?」
僕は、そこでふと肩の力を抜き。
温かい風が吹き抜けるように、ふと。微笑んでみせる。
「…………僕は。今。戦えるのが、嬉しい」
「……!」
「僕は。この冒険が、できることを。メメアを前にできることが、なぜか、すっごく嬉しい。ワクワクする」
笑った。巻きながら。その気持ちを、風に口ずさむように言った。ふわりと、言葉が出たような気がする。
――そうだ。
そうなんだ。僕は言った。なにも大きな成果なんか得ようと冒険していない。《クルハ・ブル》の辺境でなにも助けられないくせに、それなのに大見得切ったりしない。傷がズキリと響く。それも、なぜか心地よかった。
書庫の向こう。そこにいる少女を、遠望するように見る。
「――英雄じゃない。
――虚像だ。
理解していなかった。いいや、僕が一番分かっていなかったかもしれない。救えるっていう〝ふり〟をしていた。何かが変わるような〝ふり〟をしていた。目的があるような顔をして、この《クルハ・ブル》の――辺境をさまよっていた。
でもな、違ったんだ。ぜんぶ。ぜんぶ……違っていた。昔からの底辺生活から、一歩も進歩しちゃいなかった」
僕は思う。
僕は――英雄なんかじゃない。
そう、絶対に。
目的なんて最初から無かった。
今なら、そう思う。僕は《クルハ・ブル》にきた。戦いの中で、僕は『何かができる冒険者』という役割を求められていることに気づいた。さも、目的があるように。さも、現状を打開ができるように。どんなに厳しく難しい状況でも、きっと、なんとかできるはずだ。と、やけに明るく、バカバカしいほど自信満々に進んできた。
……でも、違った。
ミスズには迷惑かけた。不安そうな顔で、僕の隠している――必死に隠そうとする、その弱い〝内面〟を見てくれていた。僕が向き合おうとしなかった。
メメアもそうだ。助けられる? 助ける?? …………何をバカなことを。旧世界の英雄でもないし、そんな世界を救おうなんて。世界のために巣穴を潰す立ち向かった英雄のように、僕がなれるわけないじゃないか。崇高な目的があるわけじゃない。ただ、あるのは友を失ったことと、自分に対するエゴばかり。
そんなの、伝説のために立ち向かった英雄の彼らに向けても、失礼じゃないか。
なのに、その小さな望みすら。これっぽちの望みすら、叶えられない。
……弱い。
ああ、弱い《冒険者(レベル1)》なんだ。僕は。
……魔物の、液状魔と同じくらい。
「…………クレイトさん」
「アイビー。正直に白状する。僕は自分が本当に情けなくて、こんな弱い自分が嫌いだった。昔からそうだ。他の冒険者から、辺境で聞かれた言葉があるんだ。―――『何がしたい?』って。言われたとき。わけが分からなかった。でも、とっさに、答えられなかった」
当然だ。
《目的》なんて、無かったんだから。
無力な僕に、何をしたって、できるわけがなかったんだから。《手段》なんて、最初から浮かんでなかった。
でも。
僕は、すうっと息を吸う。認めた。いや、実は腹の底ではずっと分かっていたのかもしれない。ずっと分かりきっていたことを、今さら再確認してスッキリするなんて、僕はどんだけ鈍くさくて、どうしようもない冒険者なんだろうと思った。
――生命の熱さを、感じる。
それを再確認したとき、腹の底からこみ上げてくる熱い力が湧いてくるように感じた。肺に満たした空気から、この《辺境》に向けて広がる。澄み切った静寂の広がる書庫を、僕の熱い息吹が吹き返す。
――そこに、生命の熱さを残すように。
「――〝僕〟は。〝僕〟だ。
《行動目的》が、やっと見えた。ギラギラとぎらつき燃えさかる戦いたい、という、一心の輝きが生まれた。胸に起こるは、戦いの鼓動だ。負けられない。負けたら、僕があの子を救えなくなる。……もとより、決して諦めるなんて思ってすらいない」
拳を。熱く握りしめた。
鉛色のナマクラ聖剣に、力が宿っていくような気がした。
ゴチャゴチャとした理由は関係ない。
その一点を強く思う。僕はなんだ。僕は何なんだ。何をしたいんだ。リスドレアの質問に答えられなかった。リスドレアは、僕に『旧世界の英雄・アジルド』の話をしてくれた。古い世界の英雄、彼らに目的があって、僕よりも強い信念があった。負けた気がした。
でも、違った。
僕にも、もっと強い信念もあった。だから突き進んだんだ。
誇ればいい。笑いたいなら、笑えばいい。
そこに消えかかっている明日が、僕にはどうしても許せなかった。――《辺境》の闇は必ず吹き飛ばさなければならなかった。
弱いから。『詰む』んじゃない。
弱いから―――『進む』んだ!! 前に!
前進しろ。本当はそんなゴチャゴチャとした背景を考えてしまわなくてもよかったんだ。僕は。僕だ。メメアを助けたい。だったら、それで充分だ。
〝僕〟は、何のために立っている?
――〝僕〟は。
――〝僕〟は。
ああ、今度こそ、熱い力を込めて大声で言ってやるよ。
『――何でもほしい、欲張りの冒険者』だから、諦めきれないんだ。
欲張りだから、立っているんだ。
――《仲間》を、返してほしくて!!
ここに、戦いたいから、立っているんだ。
誰も助けられない。諦める冒険ならばここでやめてしまえ。けど。ここにいるじゃないか。たった一人だけ。どうしても、彼女のことを諦めきれない大馬鹿野郎の《冒険者》が―――いるじゃないか!!
今さら弱気はない。言い訳とか、戦えない理由なんかもいらない。このギラギラとぎらつき燃えさかる戦いたい、という、ただ、戦いたいという一心が噴き上げてくる。どうしようもなくジッとしていられなくて、火山の噴火口のように、どうしようもなく飛び出したくなる。
胸に起こるは。負けない意志。期待にワクワクする感じ。
そして、僕は。
「協力しろ――アイビー。正直。僕一人では、力不足だ。だが、もし。僕がこのまま諦めて、追わなくなったらどうする? 屋敷に一度諦めて戻ったら。それでも、お前は、やっぱり一緒に戻ってしまうのか」
《精霊》は――。
精霊は。違うはずだった。口を閉じ。そのうつむき、拳を握る表情がすでにそう言っている。つぶらな瞳が床を見つめていた。
――もし、〝諦めた〟ら。
それでも、一緒に諦めてしまうのか。
違うだろう。
そう。きっと、違うはずだ。
この精霊は、違ったはずだ。最初から《覚悟》していた。他の《契約主》には、そういうだろう。逃げてもいいと。誰だって、敵わないなら。〝手を差し伸べ〟なくとも仕方がないと。当然だろうと。この精霊は。《契約精霊》はきっと、割り切っていた。…………自分では、そんなことできないくせに。
追いかけるだろう。
他の冒険者たちがスキルを身につけ、《ステータス》を高め……次の楽しい大地へと魔物討伐しにいっているときも、街で留守番のように、ただひっそりとそこにいたときも。その《冒険生活》に、ずっと一緒だった《契約主》なのだから。
人は歩みを止めない。周りの――可哀想な、事情のある底辺冒険者なんか見むきもしない。だから期待もしない。諦めも慣れている。……ただ、それだけの行動原理。だから、僕らは、きっと似ている。
「協力しろ。アイビー。
僕らは相棒でもない。にわかな編成だ。息が合うとか、契約精霊並の力を出せとか―――そんなことは求めない。でも、助けたい気持ちは」
笑いかけた。
……一緒だから。
間違いなく初級の、《最弱》だから。
魔物の森ですら、僕は魔物に負けてしまうだろう。《ベアー》《ウルフ》。ああ、弱いさ。だからどうした。こちとら、一般人と変わらないステータスに落ちている。
太刀打ちできる魔物のほうが少ないんだ。王国剣士じゃない。才能もない――。《聖剣》がなけりゃ、ロクな冒険もできない。
だけど、
……。僕らは、一人じゃない。
「…………今まで、やってくれたな。おい、《クルハ・ブル》」
僕は言った。見上げる。
―――この、《クルハ・ブル》に一言いいたい。
今だから言う。
僕は、実は、けっこうヘコんでいた。
どうしようもない道で。うたれ、雨に打たれるようになり。前も見えなくなった。そんな苦しみを味わった。
だから、もう一言だけ言う。
――僕は、実は、ワクワクしている。
なんでだろうな。この展開に。道がひらけた。何をしていいか分からなくなったわけではなく。ある。その少女が、そこに、立っている。
それは、魔物の意志だとか。《熾火の生命樹が示してくれた炎の道だとか。そんなもの関係ない。僕は戦えたら。たとえ、それが、いかに悪辣な魔物の示した意志でも。僕は、感謝したい。
――今、ここで。
戦える、この幸運を!
僕は渾身の笑みを浮かべ、そして、冒険具の全てを放出して戦う意志を固める。不敵で、その太陽のごとき、全てを吹き飛ばす最強の笑みで声を上げた。
―――《やる》なら。
そう。『徹底的に』――である!!
精霊が、息を呑んだ。肩に乗っかっている『精霊』が、そんな僕の顔に驚いたように目を丸くし、それから言葉を失っている。
そして。
「………………。クレイトさん」
「ん? なんだ」
「『アンタ』は――っ、大馬鹿ヤロウだ」
精霊は。
泣きそうな。そして、その揺るぎもしない、信念に苦笑するような顔で笑った。
静かに。僕のその揺るぎもしない、地面に何百年も根っこを生やした巨大樹のような〝意志〟を前に、半ば、呆れたように言った。だが、クマは笑う。
「大馬鹿やろうで。世界一の―――《大冒険者》だ」
「……む」
「やるっきゃない。――ああ、やってやるさ。やってやりますよ! 僕はそもそも、ハナっからやるつもりでしたよ!! 当然じゃないですか、誰が《契約主》をやられて、おめおめと逃げ帰れますか! 精霊の名が泣く。母なる、《熾火の生命樹》にだって顔向けできませんよ!」
腕まくりする。
……腕なんか、短いくせに、服の袖を思いっきりめくるような動作で《冒険者》としての自分の覚醒を示している。一人じゃない。そう、ここにいる冒険者は一人だけじゃない。――精霊だって、冒険者なのだ。
「―――さあ、さあ、目ある者は聞き。耳ある者は聞け。我が姿をしかとご覧じろ。我こそは天下最強の大商人になる精霊アイビーである!! そして、ここにおられるのは、世界一の《冒険者》だ!」
―――空中に、《瓶》を投げる。
魔物の素材、貴重は花蜜。――〝回復薬〟類。全てを大放出して、書庫の風景が〝強化の色〟を咲かせる。《剣島都市》限定、赤色の強化薬、青色の防護薬――
〝炎耐性向上〟
〝継続回復薬〟
〝行動速度微上昇〟
――戦う。
僕の、その戦慄にあわせて、勇敢な音を奏でるように〝補助薬〟が炸裂する。――僕の体をポウッと自然の力強い生命が包む。彩る。
〝商人の精霊〟が――味方につく。
「どんな魔物でも、魔物の意志が宿った害悪でも。《僕ら》の前に出た日を――後悔するがいい。ああ、後悔させてやるとも! 誰に向かって手を出したと思っている! そんな呪いなんぞ、粉微塵に吹き飛ばしてやる。―――ここにおられる人が!」
「――いや、僕かよ!!?」
「侮るなかれ。秘蔵の秘薬霊薬、冒険者の強化ポーションはなんでもござれ。今日は、決死の、赤字覚悟の秘蔵の貯蓄を大放出だ!」
精霊が叫ぶ。僕も、叫びながら躍り出る。
瓶が炸裂する。
その中を。進む。進んでいく。加速する。
もっと。もっとだ、もっと、もっと早く。もっと、前に。速く。進め――!!
ここで決着をつける。―――0.0001、千分の一。いや、万分の一の確率だろうが関係ない。だからどうした。
頼もしい仲間がいる。
こんなにも、熱い仲間がいる。
――そして、目の前にいるのも――そんな《仲間》だ。
負けるもんか。負けなど考えられない。ドクンと血潮に流れる思いは、何にも邪魔させられない。『少女』に届け。今度こそ、取り戻させてもらう。
――〝できない〟というのなら。
僕は、その限界を。まずは軽く突破してやる!!
叫んだ。全身全霊、書庫の棚をビリビリさせる咆吼を、剣を手にあげて進む。
…………本当に、這いずり回った。
何度も何度も、絶望しかけた。
泣いた。苦しかった。打ちひしがれた。……でも、光が見える。希望が溢れている。この網膜を焼き焦す意志の光は、仲間という存在から来ている。
僕は鉛色の聖剣をもって、書棚を飛び越えて戦場へと戻った。
もっと、近く。
もっと、先へ。
その〝少女〟の顔が、見えるように。
「―――反撃、開始だ。鉄の国」




