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27 潜る魔女と、溶ける紅茶の香りと




 ――っ。



 ピクッとした神経の痛みと寒さが襲ってきたため、明暗から《少女》は戻ってきた。


 意識を取り戻したときには、その部屋を感じとる。


 同じ意識の通い。雪の日の寒さをつい先刻のように思い出して、同じ『口』から呼吸を吐いた。……温かい。先ほどと違う安心感。その衣服もそうだし、手を広げて眺めるそのカオも――先ほどまでの〝少女〟のものとはまったく違っていた。


 〝彼女〟に戻った。――いや、先ほどから変わらなかったはずである。その『自分』を自覚し、魔女…………〝ローレン〟は、落ち着くようにテーブルで息を吐いた。



 その前に差し出された紅茶は、すぐ先刻と同じく白い湯気を立てている。



(……そうだった)



 〝先ほど〟、魔女に精霊のマドレアが差し出したものだ。


 それに口をつけると、ずいぶんと長らく時間が経ったはずなのに、やけに温かく感じた。



「…………賢者ローレン様。囁きは、見えましたか?」


「……ああ」


 そうだったわね、と《魔女ローレン》は顎を引いて答える。


 後ろに気配を感じる。話しかけてきたのは―――居住まいを正した〝精霊マドレア〟だ。見なくとも分かった。


 この辺境に送られた《熾火の生命樹フレア・ユグドラシル》の精霊――。今は屋敷の庭師として生活しているが、本来の姿は、。賢者を導く〝杖〟なのだそうだ。《魔女ローレン》を支えるため、今はこの辺境にいる。――〝聖剣〟のようなものか。


 夢から覚めた魔女は、カップを抱え、ほうっと息をつく。



「ローレン様、囁きの内容は?」



「…………そうね。旧世界を、旅してきたわ」


「それは、」



 まさか。と精霊マドレアは目を見開く。


 伝わったのだ。その、並々ならぬ出来事の起こった時代が。




「そう。…………おそらくは、《旧世界》。獣人アジルドが生き、あらゆる英雄たちが剣を振るい、そして倒れ――あらゆるダンジョン迷宮の《巣穴》を潰し回った時代。…………《空腹の大樹》、生き延びた、いえ、部分的に後の時代に残ってしまった……その、最初の時代」


「その中で、何を見ました?」



「魔物の大群。それと――〝魔力マナ喰らい〟」




 ―――そうとしか、表現できないだろう。



 〝アレ〟を。思い出すたび魔女の肌がゾッと粟立ち、その寒い雪の日に起こった現象を、今も肌で感じるほどに覚えている。……そう、アレは『夢』なんてものじゃなかった。賢者の囁きは、〝当人〟になっての追体験である。



 ……その中で、起きた出来事。


  あの大きな転換期の時代に、見た光景がある。


 ――それは、人間をも操る。……いや、生命マナを喰い、搾取し、その後別の生物のように動かしてしまう恐るべき『爪痕』の能力。――かつて、旧世界の冒険者や討伐隊もあの能力に苦しみ、何名もの命が迷宮遺跡の中で散ったはずだろう。


 ……その結果に、〝討伐〟があるが。


 その犠牲は、その能力によるものが大きいはずだ。――当然だ、〝始祖級〟である。魔物のボス級の中で、特別危険視され、『その本体、原因となる大元を叩いたものが、英雄となる』といわれた魔物の、その一部ですら残ったら災厄なのである。


「……それが、『ある』ということですか? 今も、この世界に?」


「ええ。〝囁き〟はそういっている。そして、そんな『夢』を囁きが見せてきたということは、つまり


「…………近づいてきている、警告、ですかね」



 魔女と精霊は、暗い地下室で《クルハ・ブル》をを見上げるように――そう呟いた。



 ――『警告』。


 当然ながら、魔女たちは〝囁き〟が見せる全ての世界、時代を知っているわけではない。その中でもまだ見てきていない《魔物》だっているだろうし、今回に限っては、『空腹の大樹』――今まで名前も知ることができなかった、その暗黒樹のことについてのみしか知らない。


 ……ただ。



 ただ、その脅威は分かっている。


 。まるで突然の森に降る雨のように気まぐれで、雲が晴れ渡るように流動的で、そして人を飲み込む―――始祖級の魔物の出現なんて予想できない。また、いつ、その脅威が襲ってくるか、この世界に一体何匹生存し、残っているかも分からない。


 ……ただ。


 《魔女ローレン》は思う。今も。もし、かりに、それが《クルハ・ブル》の国の中に入ってきて、〝囁き〟の通り能力を秘めていたのなら。『爪痕』と、いつか、向き合わなければならない。



 ――〝賢者じぶん〟と。



 ―――〝冒険者〟も。




「…………難儀なものね」


「また。そう言っていられるほど、生やさしいことではないでしょうに」



 久々に意見した。いや、会話したような気がする。


 その紅茶の入ったカップを両手で包みながら、魔女は『ふふ』と瞳を落とし弄ぶように揺らす。精霊も頷きながらも、ちょっと恨めしいように瞳を向けている。紅茶を弄ぶ姿は童女の遊びのようであるが、その腹に抱えた思いは深刻なものがある。



 ―――《クルハ・ブル》に。



 思う。生まれ育った故郷。正直、好きじゃないところも多いし、自分が『囁き』――〝警告〟を与えられるようになってから、里人たちに気味悪がられ、白い目を向けられて悲しい気持ちになった思い出があるが、それでも故郷なのだ。


 ……それでも、自分の、故郷なのだ。



 ……自分と、




「―――《妹》様の、ためですか」


「…………」



「最初に――〝妹様〟を襲う悲劇を知って。何度も、死の淵にある、その旧世界の脅威を生身で『経験』してきたローレン様は…………きっと、怖かったはずです。死を経験したような、追体験もあったはずです。


 でも、やめなかったのは……ひとえに、妹様のためでしょう。たった一人の、妹を守るために」



 《双子の妹(エレノア)》だけは、守る。


 それが、魔女が誓ったこと。


 もちろん、囁きを聞き続けるのは他の意味もある。『里人』だって助けたかったし、故郷が破壊されてほしくない。『賢者』の囁きの能力は、もっと広いものだ。広く、この世界のために、使うべきシロモノであった。


 それは承知している。


 ……しているが、本当のところは。




  《双子の妹(エレノア)》がいた。たった一人の妹。昔はよく遊んだし、《魔女ローレン》が〝囁き〟に目覚めた後も、変わらず、『すごい』といって、笑顔で遊んでくれた。

 

 …………魔鳥ボーボを拾ったときも、そうだ。


 偏見などないのだ、あの子には。それが魔鳥か、それとも無害な鳥なのか、などという区別もない。血筋も、血統も、『その血が原因で、ある日突然凶暴になる』や、『親鳥が魔物だったから、きっとこいつも人を襲うのだろう』といった、固定観念がない。


 ……ただ、あっけないほど純粋で。


 よく、その瞳は『その人』を見た。過去とか血筋とか家柄とか、そんなんじゃない。〝今〟、どうなのか。多くの囁きを見て、少し汚れてしまった『自分ローレン』の心を見て、あの子がどういう反応を示すのか、実は内心で怖かったのかもしれない。……辺境で、それだけ、恐れて引きこもっていたのかもしれない。



 ……ただ。


 久々にあった『あの子』は、昔と変わらず、相変わらず自分とソックリな容姿で。今の自分を見ても、変わらず、心を開いて接してくれていた。


 口調が昔の純粋な心を持った祖父――里長のものと変わらないのは、いまだに、その心と祖父を忘れていないからだろう。


 ――そんな彼女が、〝信じる〟。



 その《冒険者》がいた。見た。―――なるほど、さすが『エレノア』だとも思う。〝レベル1〟……ハタから見ると、そうかも知れない。《剣島都市サルヴァス》最弱最底辺、その島の、この世界のモノサシから見ると……そうかも、しれない。


 だが。


 まず、衝撃を受けた。『囁き』が伝えてきていた少年だった。―――かつて、《女王蜘蛛》を討伐して、弱冠・Eランクながら、かの旧王家の恩人であり友人の『魔物』を眠りに導いた――その、《現代のロイス》であった。



 囁きが、ずっと求め続けた理由だった。


 ……どうして。



 《クルハ・ブル》で、自分が―――《魔女》になったか、分かった気がした。



「…………『彼』は、今は?」


「ずっと、眠っていますよ。精霊の《壺》のアイテムを使って、その膨大な魔力マナを使って『爪痕』の魔力を吹き飛ばした後です。あの仲間の子と同じく、眠りに入ってます」


「そう」




 …………いよいよ。



 いよいよ、である。



 彼が眠りから覚めて、また『試練』があるだろう。それは通常の聖剣を使って解決できる《魔物討伐》ではなく、また、《熾火の生命樹フレア・ユグドラシル》の熾火から与えられる〝生命マナ〟を使っても解決できることではない。


 ……生命マナなど、とっくに喰われてしまう、『爪痕』へと挑むのである。



 ―――それは、旧世界で討伐されし、《空腹の大樹》の能力。貪欲に魔力マナを喰らい尽くすその役割を帯びた〝魔力マナ〟に、どう挑むのか。どう挑戦するのか。…………魔女は、あらゆる夢を見てきた。あらゆる、〝世界〟を見てきた。



 精神が混ざり、意識が混乱し、その中で《魔女》はあらゆる『戦い』を見てきた。…………どれも、王国の騎士が、名うての冒険者などが、その『脅威』にいきなり遭遇し、『爪痕』に傷つけられ、仲間をも『爪痕』で失い…………そんな、悲しい世界を見てきた。



 ………ジメつく世界の『暗さ』がある。



 …………多く魔物に囲まれた、その、絶望の光景がある。



 見たこともない王国、夢の中で、姿形を変えていく街並みや、魔物の茨や触手、飲み込まれていく冒険者や仲間たち。背筋の凍る生身の恐怖――そんなものが、冒険だというのなら。『英雄のみに許された、神聖なる討伐』というのなら。……そんなもの、なくていい。




 ………闇の中で晴れない、世界の『暗さ』があるのなら。



 また、それを晴らす、温かくも優しい《黄金の剣の光》があるのだから。



「――頼むわ。当代の――〝英雄冒険者ロイス〟。どんなにくらい闇でも、あなたなら、晴らす力があるのだから」



 紅茶に瞳を落とし、そして、両手に抱えて力を込める。



 …………ここから。この全てを、変えられるのだから。


 全てが始まる。




「―――ここから、《スタート》。私たちを、《クルハ・ブル》を――お願いします」




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