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11 覚醒の刻(前編)





 その戦闘が始まって、僕が最初に行ったことは『回避行動』だった。

 どんな剣士でも、最初から打ち掛かっていっては勝てない。僕は、地を蹴って。黒い暴風のように襲いかかってくる獣の塊を回避することに努めた。剣士として逃げることは恥ではない。―――むしろ、戦闘を継続するためには、逃げる必要があった。


 なぜなら。

 その猛獣は―――今まで出会ったどの『魔物』よりも、力強くて〝速い〟のだから。



(…………くっ)


 視界がぶれるくらい猛撃は速かった。

 一撃で肉塊になる〝黒い風〟を回避した後には、森の地面や、草地が抉られた痕だけ残った。同時に、僕は―――ポタポタ、と脇腹から滴っている血のあとを押さえる。

 生暖かくて、赤黒い。そう、僕は精確に避けたつもりでも、完全に見切れていなかった。革の鎧の薄い防具の上から、〝魔物の爪〟によって斬りつけられていた。


『ま、マスター!?』

「大丈夫だ。腕はある。…………挨拶代わりに、やってきたってところだろう」



 僕が強がるが、その顔は強張っている。


 ―――〝レベル1〟―――。


 まずい、マズい、まずい……。

 僕は実力も限られている〝レベル1の冒険者〟。対して、相手の魔物は〝推奨レベル10〟の大物――。


 《ステータス》が足りていない。もし魔物の〝爪〟を避けようとするなら、敏捷力が〝30〟は必要だった。

 たとえるなら〝大人の運動能力〟と〝子供の運動能力〟ほどの違い。低級魔物の〝スライム〟と、上級魔物の〝ドラゴン〟が戦っているようなものだ。どちらが一方的に勝てて、どちらか一方的に争いで命を落すか。誰が考えても明らかだ。


 僕は、弱い。

 この魔物より数段に、弱い。かなりの格下―――。そんなの、分かっている。

 たとえ精霊が『結合シンクロ』している状態でも、彼女の精霊としてのレベル(=『剣の強さ』)では攻撃を防ぎきれない。たとえ《聖剣》といえど、魔物の牙で噛みつかれれば、あっけなく折れて屑々に散るだろう。

 むろん、生身の人間である僕が攻撃を受けると―――は、言わずもがな。


 僕は剣を握りしめた。最初から逃げるという選択肢はない。


「―――こいっ」

「ガアアアアアアアアアアアアアア――――ッッッッ!!!」


 魔物は跳躍する。

 爪を掲げて襲いかかってきた。


 僕はとっさの判断能力で、右に振り下ろされる〝爪〟から左に逃れた。すべて戦闘のカンと言える部分で、右前方には〝避けれる隙〟がないと判断したのだ。現に、魔物の爪に当たった右前方の木は、僕の前でメリメリと音を立てて斃れる。

 背筋がゾワリとして、喉を鳴らした。

 魔獣の衝撃がぶつかったのだ。ぶつかっただけで、ああなった。その振動が鼓膜となって、心臓に早鐘をならした。今まで感じたことのない『死の恐怖』の濃さが襲ってくる。


 ―――これが本物の実戦だ。




 ごくり。と僕は喉を鳴らす。

 無事なんて、あり得ない。魔物と戦っていれば、当然傷つくこともある。だが目の前の黒い筋肉殺意の塊―――《グリム・ベアー》と戦うと、どうなるか。その爪が刺さったら胴体に穴が開き、その牙がくれば頭ごと喰われてしまうだろう。

 爪に背中を引き裂かれ、鮮血が舞う―――。そんな光景が僕の脳裏に浮かび、容赦のない恐怖が襲いかかってくる。


 それは。恐怖の世界だった。


 忘れていたわけじゃない。

 忘れていたわけではないが―――、肌が粟立つ緊張感が突き抜ける。



 僕は、《グリム・ベアー》と睨み合う。

 一瞬だった。一瞬の判断が、勝敗を決める。

 体は思った以上に軽かった。おそらく、《敏捷力》が上がっているのだろう。自分の体が軽く動く。そうじゃないと、最初の《グリム・ベアー》の〝初見殺しの一撃〟を僕は回避できていなかった。

 数ヶ月にも及ぶ『剣士としての基礎修行』によって、力が底上げされているのか。



(動きが、ギリギリまで粘っていれば読みとれる……)


 僕は剣を構えた。

 襲いかかってくる黒い暴風。僕はその俊敏さを生かして、左から右に着地して《グリム・ベアー》の突撃を回避していた。

 ヤツの突撃は速い。だが、直線的な動きでもある。〝魔物の爪〟を使って、周囲ごと巻き込むように引き裂いてくるのだ。


 ―――いわば、〝攻防一体〟ならぬ、〝攻撃移動〟が一体化した動き。

 僕は攻撃のチャンスを見つけられなかった。賭のように〝攻撃〟を狙っていた動きを諦め、次は〝逃げる〟ことに専念した。

 むろん、当たったら一撃で僕の脳天が潰されるだろう。だから剣を下にだらりと下げ、『防御の構え』のまま逃げに専念した。

 避け続けた。

 避けることは可能だった。なぜなら、僕は『地形』を選んで移動していっているからだ。固い地面を狙って動いた。横移動に有利な地面に足を動かし、素早く身を翻すと、《グリム・ベアー》が突貫できない『突き出た平原の岩場』を盾とするように立ち回った。つまり、対角線上に、〝岩場〟を持ってきている。

 魔獣は『グルルルル――』と捕捉できない事に苛立ち喉を鳴らすが、まだその〝原因〟にまでは思い至っていない。



『すごいです……! マスター』


「いや」


 違う。ミスズが感心の声を上げていたが、僕は抑え気味に応じた。

 僕らはまだ魔物に一撃も攻撃できていない。


 ミスズは、『自分たちがこんなに避けられるとは思っていなかった』という気持で声を発したのだろう。感動していた。だが、僕の考えは違う。まだ魔物を攻撃できていない。状況は悪化するばかりだ。

 ミスズは『このまま避けていたら、いつか勝てるかも……?』と考えての発言だろう。だが、逃げに徹している僕らには、勝利のチャンスは永遠に訪れない。


 逃げていれば攻撃は当たらないのだが、反面。攻撃することもできない。いつまで経っても逃げ回っていてはスタミナがなくなるし、体力を使い切ったときに〝魔物の爪〟に絡み取られて殺される。


 まだ喜ぶには早い。『ヤツ』はまだ本気を出していないのだ。

 魔物はまだ、僕らのことを、『格下』だと思っている。


 僕たちに本気で『殺意』を向けて襲いかかっておらず、必死さがない。なるべく戦闘で傷を負わないよう体力を温存して、もう一方―――すでに戦う気を失って腰を抜かす上級生〝カァディル〟を逃がさないため。彼を殺すために、その連戦に備えて力を温存している。

 動きを緩慢にして、わざと休息を入れているようにすら僕には見える。今のが本気だったら、切り傷を負ってでも、僕らを潰しにかかるはずだ。


 だったら、逆にチャンスだ。

 ヤツが油断している隙に、あわよくば一撃を浴びせる。そして動きを鈍らせる部位を狙う―――。『足』または『頭部』。―――できれば、もう一方の『眼』。


 僕は、隙を窺っていた。


「どうした――、まだ僕らみたいな低級冒険者を倒せていないぞ」

「グルルルルルル」


 挑発に、魔物が乗った。

 僕は岩場に隠れようとして、不意に『身を翻し』た。反撃に出たのだ。挑発によって深く身をさらした《魔物》を剣で斬り上げた。

 ―――まさか、ここで唐突に反撃してくるとは思っていなかったのだろう。《グリム・ベアー》が『また逃げる』と思って突撃姿勢のまま、その四つ足の腹の下から斬り上げられていた。

 手応えがあった。

 腕に鈍い衝撃が走る。


『グガアアアアア―――ッ!!!!』


 鮮血が噴き出したのと同時に、《魔物》も僕を潰しにかかってきた。

 僕が捨て身で『一撃』を叩き込んだあと、その硬直を狙った。体ごと押し潰すように巨体を上からかぶせてきて、逃げる僕に〝爪〟の猛撃を叩き込んできた。


 これは、かわせない。

 僕は剣で受け流し、その爪の逸れた先を肘で受け止めた。

 とっさの判断だった。

 肘を守るのは、なけなしの200センズ銅貨で買った『レザー装備』の腕防具。粗末な作りとはいえ、戦闘に向けて、その部分だけ何枚も革を重ねて強化されている。しかし、僕の計算は甘く、《グリム・ベアー》の爪はバターでも切るように強化防具をあっさりと切断した。

 ぽたぽたと数滴落ちる血液。僕の右の腕から、半分の力が抜ける。筋肉を切断されたらしい。

 肘の浅手と引き替えに《グリム・ベアー》の分厚くて黒い毛並みにもダメージを与えた。勝負は痛み分けとなった。


『ま、マスター!?』


「大丈夫だ。攻撃が通ったから、相打ちってところだ」



 ………………そう。通ったのだ。


 僕は、始めて《魔物》に攻撃を与えた。

 それは他人から見るとわずかな一歩かもしれない。また、逆に、その代償として右腕の力を一部失ったのだから、リスクが大きすぎたのかもしれない。

 でも、思う。

 一撃を与えたのだ。

 僕は今まで魔物と戦えないと思っていた。だが、それを乗り越えたのだ。魔物を見る。黒い歯茎を向き、ぐるるる―――と低く呻いている隻眼の獣が見える。今まで絶対の強者として君臨していた魔獣が、圧倒的に『格下』であったはずの僕との立場で、互角の傷を負った。

 初めて『同じ』になる。〝レベル1〟の聖剣使いに斬りつけられたことで、魔物の誇りをわずかに傷つけた。




「…………さっきの、お礼だ。森の王!」



『グルルルルルルルルル――!!!!』




 僕の不敵な笑みに、熾烈な戦闘が。さらに泥沼に突入する。





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