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26 旧世界の白い雪




 ***



 ……白い世界だった。



 はらはらと、空から白い粉雪が落ちてくる。



『魔物と人が、仲良く暮らせる世界』なんてだれが言い出したのだろう。――おおかた、スライムと仲良くなって〝主従関係〟、こっちは出来のいいペットだと思って、向こうはただ餌を配ってくれるだけの〝養分を生み出す変わった存在〟なんて思っていただけのことかもしれない。



 不可思議な協力関係が、そんな『ありふれた』というわけでもなく、どこどこの領主が魔物を手なずけただとか、そんな噂話を山の向こうから聞いたりする〝旧世界〟。――不可思議なことも、まあ、あったり、なかったりするわけである。



 ――この世には、〝英雄〟がおわすからな。



 それが街の長、または、村の長老たちからの言葉で、よりどころだったかもしれない。確かに、頼もしい存在である。心のよりどころでもある。――この世界のいつか、どこかに、確かにその人物が存在して、〝どこぞの人類が勝てないクラスの強力な魔物を倒してくれている〟――なんて知ったら、そりゃ頼もしくもなるだろう。



 英雄。


 英雄である。


 ……英雄の条件って、なんだろう? とどこの村でも町でも変わらない、この世界に住まう人間なら誰しも考えることである。人生に一度はくる。…………まあ、その定義は人によってはさまざまであるが、だいたい、大雑把おおざっぱにいって、『魔物界最強クラス、人々や都市を災厄で飲み込んで、滅ぼすレベルの魔物――そいつらを、討伐した存在じゃね?』ということで、村の老人などの意見は一致していた。



 だいたい、大雑把すぎるほど雑で。


 それでいて、ある意味、ハッキリと分かってしまう基準なのかもしれない。――〝力〟こそが英雄の証明であるからである。ただ、それを証明するためには、世界規模の災厄にたった一人、あるいは、数人で挑まなければならないわけであり、ある意味で、とてつもなく厄介な〝条件〟なのかもしれない。



 と、そんな〝条件〟であるが。



 この世界。




 この白い世界の〝今年〟にも、それを、成し遂げた若者がいた。















「……はーっ」



さみぃなー。こんな寒いの、何年ぶりだろーなあ?」



 白い世界を追いかける発端ほったんは、そんな、二人の若者たちが手をこすり合わせ、門の横で、手に持った槍を小脇にしごきながら『寒さ』をしのいでいるところから始まった。


 白い息をかけるのは、どうやら兵士たちらしい。




「なーあ、前の一年も、こんなに寒かったかーあ?」


「いやいや。今年だけじゃないか、絶対」


「だーよなあ。寒すぎるもんなあ」



 『時期が早すぎる』、と、若者はつけ加えたかったらしい。


 それもそのはずで、彼らが憂いを抱くように、この世界のこの季節にはもっと緑の草木が茂っているはずだった。ぼちぼち木々が枯れていき、景色は茶色に染まり、それから《魔物》のほとんどが冬眠し、《氷液状魔アイス・スライム》などがピョンピョン活発に跳ねて周り、雪が降ってしまう白い世界は――もっと先のはずだった。


 ……の、予定だったが。



「ある説では、こういうのは〝災厄級〟の魔物を討伐した年に〝起きる〟、ってことだったな」


「へーえっ。魔物が、雪を降らせんのかい?」


「ばっか。そうじゃねえ、だいたい、その理屈だと『すげえ魔物』ってやつは、生きていることになるじゃねえか」



『あー、まあそうか』と納得したように、兵士の若者はボリボリと兜に手をやっている。



「大きな魔物ってのは、『都市を飲み込む』っていうだろ? 災厄級ともなると、そりゃあもう、でっけえ魔力マナを蓄えちまってるんだと。王城のお偉い学者のセンセイのいうには、そういうのを放っておくと、自然の循環を狂わせちまうってこった」


「……ふーーん。で?」


「だから、討伐すると、ため込んでいた魔力マナがパーーーっと。放出されるんだよ。どうだ、雪が降ってもおかしくねえだろ?」


「うーーん。いまいち、想像ができねえ」



 悲しいことに、こちらは庶民だ。そんな大物と戦っているような『想像』すらもできない。


 と、目の前で王国の馬車が通りかかった。



 ガラガラと音を立てて、雪を蹴りたぐって通過していく。跳ねた雪が彼らの兵士服のズボンの裾にかかるが、『……まあ、お偉いさんたちのやることだから』と彼らは慣れきった表情、若干の呆れ顔で、顔を合わせて、肩を竦めあってみせる。


 ……どうも、その旗の紋章から、隣国の大国の使者であることが分かる。


 いや、もしかすると、中に乗ってるのは大臣クラスか。



「――忙しいこって」


「またかよ。ここ連日じゃねえか?」


「それも、全部違う国の旗の色ときた」



 語らい合う。


 〝忙しいらしい〟というのは、城の内政に関わらない、彼らのような外側の下級兵クラスの人間にも見て取れることだった。隠す余裕がない、ということは、どうやらよっぽど焦って、ケツに火がついているらしい。


 ――あくまで、表向きは『社交会』や『舞踏のため』といって呼び寄せているが、違う目的なことは一目瞭然バレバレである。……で、あれば、何を話している? という話になる。これは、下級兵たちの噂の域を出ないが、どうやら国の覇権を巡っての話し合いのようである。



 覇権が何かって、もちろん、《魔物の王が潰された後の、その一角の領土問題》に関することである。どこの国も飢えた狼の魔物のように、その〝始祖級〟の消えた土地と、利権を巡って争おうとしている。競争だ。――〝ドロップ品〟の戦争でもある。


 連日、このような胡散臭い協議やら、きな臭い会合が、国の旗、日夜と問わずに行われている。―――おそらく、ゆくゆくは、『長老会議』や『六カ国会議』などに繋げるつもりだろう。



「まー、まー、きな臭いこって」


「しかも、アレよな。その各国バリエーション豊かな旗の色、どんな国も、どんな王国の重鎮も招待している―――ってーのに、あの旗の色が『ない』。ってこったな」


「ああ。《剣島都市サルヴァス》のだろ?」




 ――〝英雄ロイス〟の旗印。



 この世界の原初。中央に巣くっていた魔物を駆逐し、人間たちの住める領域を拡大した伝説の島がある。冒険者たちの、その少ない人数の後ろに、『英雄の旗印』――通称、青い竜。〝目に光の色が入っている〟ものが、なびいている。


 ……今の時期は、戦勝。


 いわば、分け前の分配、取り分の主張の〝各国の話し合い〟をやっていた。その中で冒険者たちだけが招かれていなかった。完全なるのけ者である。



「……まー。でも、そうなるわな」


「だな。冒険者たちが戦って、レベルを高めて。――でも、そんな戦いに何の能力もない『ふつうの人間』なんだ。少しでも、ご褒美にありつきたいもんだからな」



 目の前に、また馬車が通る。


 豪華絢爛な装飾。『ああ、あの欲張りの大国か』と彼らは口を動かす。便利なものだった。言葉を交さなくとも旗を見ればピンとくる。



「…………おい。貴様ら」


「はえ。なんでしょう?」


「――ここ最近、都市で〝夜盗〟がよく出没するという。警備がたるんでいるのでないか?」



 馬車から太り気味の貴族が顔を出し、脂っ気たっぷりの顔が、そう見下す。



 ……んなこと、言われたってなぁ。



 それが、目を合わせ、雪に膝をつけた彼らの本音である。――内心、これっぽっちも外国の貴族なんか尊敬などしていないが、どうやらそうしなきゃいけないらしい、という最低限のルールにのっとっての社交的な態度を取っている。それを笠に着てモノを言われては困る。――だいたい、馬車から顔を出すなり、『たるんでいる』とはなんとご挨拶だろう。国内の警備隊長ならともかく、外の国の大臣になど怒られるいわれもない。



「…………はあ、ですが、こっちも警備の人不足でして」


「言い訳はいい。貴様らができるのは、ただ国外からの客を、夜を徹して守ることではないか」


「……(む)」


「まったく。こちらは、獣人アジルドと最前線で戦った大国の軍の使者なのだぞ。敬意を持て、敬意を。――それに、盗賊団ならばともかく、たかだか、一人の盗賊ごときになにを手こずる」



 ネチネチとした嫌味。彼らが思わず『ムッ』となったのも無理なからぬことだろう。『――武門の恥め』。とでも言わんばかりの冷たい瞳、眼球だった。

 見下ろしてくる雪よりも冷たい視線に、たぶん、この男は、『騎士』の家の出身なのだと肌で感じる。武門の名を口にする時に、特有のプライドの高さが漂う。



「……まったく。それ以外でも、〝アレ〟の始末を巡る問題が起こっておるのに」


「? はえ? 何かいいました?」


「何でもない」



 『庶民が。』とでも言いたそうな顔で、男は軽蔑を浮かべて首を振る。どうやら、庶民になど察することも出来ない高次元の問題を抱えているようで、兵士たちは『へえ、そうですか』とばかりに肩をすくめる。もとより、彼らがどんな問題に頭を悩ませようが知ったことではない。



「……いい。ともかく、貴様らは任務に励め。他国からの使者に危害があったとあれば、客を招く側の不手際にあたる」


「…………へえ」


 そう一瞥して、脂ぎった男の顔が馬車へと消える。もう、下級兵分限のことなど考慮もしていない顔。忙しそうに雪を蹴ってガラガラと馬車は消えていった。


 ……あまりのことに、呆けた表情で下級兵たちは見送ってしまう。



「んだよ、偉そうに」


「全くだ。テメエだけ偉いと思うなよ」



 腕を組み、吐き捨てるのが下級兵たちの正直な感情だ。討伐に役に立ったのは一国だけではない。あらゆる周辺大国を巻き込んで、その〝討伐劇〟は起こった。


 中核となったのが冒険者たちというだけ。



 命を賭けた者はいた。活躍はしていなかったが、王国兵たちも、命を賭けて戦列に加わった者がいたのだ。



 ……それが、どこどこの王国が偉い。なんてことは、ないはずだ。




「なのに、調子に乗りやがって」


「いや。でも、そんな感じじゃないか。あの大戦があったとはいえ、『大国のほうが偉い』って考えは昔からあったし。それに、その前までは盟友でも何でもなかったわけだし」


「そうだな、争っていたもんな」


 呆れて言うのは、心当たりがあるからだ。


 冒険者が中心となった《討伐劇》とはいえ、それ以前は、各国が好き勝手に主張して縄張り争いして《討伐戦争》なんて呼ばれていた。魔物を狩りに行くついで――難所や、迷宮の帰り道、衝突することもしょっちゅうだ。


 ――《冒険者アジルド》が、まとめたとはいえ。


 ……つくづく、王国軍なんてロクなもんじゃねえ。って思うのは兵士たちが、末端の下級兵だからか。ともかく、その辺の意識は周りと変わらない。




「あの若い冒険者――成し遂げた、アジルドを見習えってんだ」



「…………だが、なんかヘンだったな。緊張してたっつーか。なんか、話してた雰囲気が、ピリッとするっていうか」


「知らねえよ。どうせ、他国の下っ端だと思ってんだろ」



 首を傾げる兵士に、もう一人の若者が急き立てるように手を動かす。『さぁ、任務に戻ろうぜ』という意思表示だろう。確かに、ここであの失礼な他国の肥大漢を思い出してくよくよ落ち込んだり、苛立ったりするより、王国の任務に戻った方がよっぽど健康的だ。


 そう思う彼らの頭に、『まさか』とでも少しあっただろうか。彼らの知らない事情で、他国の同盟者が被害に遭う事態。……すべて、大物を討伐して、平穏無事、『関係ない』と思っていた世界が、もし違っていたとしたら。



 ――冒険者に、〝任せておけ〟。



 この言葉は、こういった頃にできはじめたかもしれない。隣国の王城の城下町で。遠い異郷で使われ始めてきた。


 ……誰しも、〝魔物〟討伐は嫌だ。


 それこそ、出会いたくもない。自分が襲われるのも嫌だったし、森での遭遇もしたくない。できるなら、やりたくない。少しでも、国の平和を乱す存在があるなら、それは遠い世界にしたい。


 だから、〝討伐〟などは、彼らにとって遠い話だった。


 ……だと、思っていた。



「――さて、帰ってから、大好きな酒場のあの子を口説くか」


「またか。……お前ホント好きよなぁ。あの子きっと脈ないぜ? ほら、獣人だろ? 獣人なら獣人世界のイケメンとよろしくやるって」


「バッカ! お前には見る目がねえなあ! ああいう純朴そうで森から出てきたような健気な子が、実は慎ましい暮らしを送る下級兵の俺の気持ちを分かって支えてくれるんだ! ――見ろ、あの子のために持ってきた酒。俺が作ったんだ」


「――うげ、気持ち悪っ」


「き、ききききき、キモくないわっ」



 なんて、話ながらいつもの帰り道。いつもの帰る時間。いつもの帰りの空気。『――あと、数分で任務も終わる』と、そんなときだった。



 王城側。門の内側から、異変があったのは。



 王国から街へと続く、その『最後の森』で、白い吹雪をつんざく悲鳴が上がった。



 野太い声が、『――ぐああああああああああああああ――っっ』とこだます。



「…………!?」


「お、おい」



 さすがに、警備兵の顔に戻った彼らは、足を向ける。



 《異常報告》。――何があったのか見定めるより先に、何かあったことを上に知らせる。《冒険者の薬品》――〝ポーション〟などの材料を利用した、発火起薬を使った〝液化爆弾〟を空中に打ち上げる。


 石弓クロス・ボウにセットした――《ボルト》にぐるぐる薪にされた照明弾。材質は下級兵用のボロくて小さい石弓だったが、〝合図〟としては役に立つ。空中で炎が弧を描いた。そして関所に繋いだ馬にまたがる。――村から買い取った駑馬ドバ。……だが、用をなすには充分。


 それから慌てて関所から出てきた新兵に手短に事情を告げると、『一人、残って伝言を伝えるように』と言い残して兵士は駆ける。




「――おい」


「分かっている」




 ……尋常ではないことだ。


 思う。《冒険の歴史》が終わってから、ある意味での平和な世界が幕を開けようとしていた。各国の王国軍や、迷宮討伐に加わった大国などの軍事力は解体され、各地に平和な歴史が刻まれようとしていた。


 その中でも、尊厳がある。強くなった軍隊がある。―――《あの隣の大国》もそうだ。《騎士》たちグループの力が強化されていて、冒険者の島に引けを取らないよう訓練されている。それが、もともと騎士たちが使うような鉄鋼素材の、何十倍の強度を誇る《冒険者の一品》の素材を得たとなれば、話が別だ。


 ――強化された王国軍がいる。



 それが、この世界の、いわば『常識』であった。


 誰も襲おうとしない。盗賊ならなおさらそのことは分かっている。どんな酔狂なヤツでも王国軍の――それも守られるべき、《使者》になど手を出そうとしない。思う。先ほどの男の馬車をかこっていた革の天蓋、―――《ワイバーンの皮膜》を使っていた。最高級品のレベルである。兵士たちも気づいていた。


 ……が。


 ――いわば、それが、《冒険者の島》と盟約を結ぶ、この世界の常識であったのに。



 なのに、なのに―――、




「…………っ」


「あ、え――?」



 現場に着き、瞠目する。


 馬が先に動揺を発した。噎せ返るような血の臭いに棒立ちになった馬をなだめ、その現状を理解しようとする。猛吹雪の中で馬が息を吐き、そして、目の前にあったのは、



 現場に着き、横転した馬だった。












 ……何があったのか、分からなかった。


 兵士たちは呆然とする。その現場に駆けつけると、何もかもが死骸として吹雪に吹かれる光景だった。横になっている《牽引馬》と、ガラガラと車輪を鳴らす、横転した馬車。


 ……何者がこれをしたのか、分からない。ただ、これをこれだけ短時間にするのは、この辺境の王国では『ありえない』はずだ。盗賊か? ……盗賊とも、思えない。なにせ。どこかの国の大臣や使者クラスとなると、身分の高いものにふさわしい護衛がつくから。




 ――思い出す。国境ですれ違った、あの門を通るときの〝応答〟をするとき、眼光が鋭い兵士が何人もこちらを見つめていた。アレは……《ダンジョン迷宮攻略戦》の経験者の王国軍だ。たぶん、間違いない。



 なのに。



「…………っ、倒されてる」


「お、おい。この傷痕……」



 兵士たちが、それを見た。


 ――普通の《刃物》じゃない、黒く、腐れた果実が崩れるように……ついた『痕跡』が残る。…………いったい、どんな魔物と戦ったらこんなになるのだろう。しかし、兵士たちが見ると、それは『剣士が戦闘』したように、ついているのだ。


 ……それを、こんな一瞬で。


 雪に伏している姿を見ていく。……どれも、なにか。肌が黒く焼け、枯れるように力尽きている。一体、何と戦ったらそうなるんだ。


 そんな中、下級兵たちは、


「……! お、おい!」


『……ぐ、ぁああ』



 見つけた。


 息がある人間が、馬車から出たところで力尽きていた。兵士たちが駆け寄るとそれは使者の男だった。……でっぷりとした肥大漢、しかし、もうその顔に血色は薄い。



「なにが」


「……ぁ、あああ……っ」


「だ、大丈夫ですか」


「…………っ、《爪痕つめあと》…………《獲得部位ドロップ》……」



 普通の傷じゃなかった。


 力尽きる男から感じたのは、まるで魔力マナを吸いきった大樹の根のように、ヒビが入り。枯れてゆく皮膚の動きだった。『ぐ……あぁぁぁ…………!』と。苦悶の表情を浮かべる。


 こんなの、見たことも、聞いたこともない。生命マナを抉られている――直感的に思ったのは、そんなことだ。


 王国の薬師も見たことがない、医者も診たことがない。きっと、王国に住まう者はこのような事態を見たことがないだろう。……使者の息が長かったのは、王国が防御用に作った《馬車》があったからである。上流階級が持つもの。一部魔物の革や部位を使った丈夫な素材を用いたからだろう。だが、雪の中に息絶えた。



 そして、



「……っ、」


「お、おいおい……冗談だろ」



 それを、発見した。


 吹雪が薄らいだ先。……彼らが駆けつける、直前に立ち去っていった《軍勢》を。


 まるで夜の闇が晴れたみたいだった。…………篝火のように、火を噴く魔物や、迷宮から這い出してきた《骸骨剣士スケルトン》が持つ明かりなどがあったためだ。そのため、全容が見えた。―――見えて、しまった。


 見たくは、ない光景なのに。



 迷宮の奥部から抜け出してきた、その軍勢は凄まじい数だった。魔物と、魔物の軍勢――何か大きな意志に動かされるように、別の方角へと突き進んでゆく。《異変》だ。


 絶対に勝てない、〝格上の魔物〟というのを―――王国の領土内部にいた〝彼ら〟は、初めて目にした。格上の魔物は、ずっと一匹だと思っていた。厄介な炎を吐く王国騎士の英雄単に謳われる黒竜や、かの英雄・始祖冒険者が討伐したという、世界の原初の魔物たち。


 それはみな一匹ずつで、どれも強大で、伝説に謳われるにふさわしい力を持っており……それは、どこか遠い辺境や雪山、洞窟、迷宮の奥地で、『倒しに来られる』のをずっと待っている―――そう、思っていた。その認識だった。



 …………なのに。



 〝それら〟は、歩いている。


 あれほど強大でどうしようもない、この、国境の使者団…………《ダンジョン迷宮攻略戦》を経験したはずの、死地をくぐり抜けてこの時代では強いはずの大国の屈強な兵士たちを、倒してしまっていた。悠々と。歩いていた。



 ……それは。



 いちゃいけない、《魔物》なのではないか。



 ……それは。



 いては、勝てない魔物なのではないか。



 この時代。魔物は倒したはずだ。魔物討伐など……《軍勢》の単位で行わなければならない、そんな遠い討伐は《世界の巣穴》で起こっていたのではないのか。強力な魔物ばかりがひしめく巣穴は、いくつも、潰せたのではないか。



 ……いや、そもそも。



 …………〝魔物〟は、一匹で待ち受けるものなのではないか?




「……か、てないだろ、そんなの」



 兵士は、温い息を吐く。


 誰に、何者に向けてなのか分からない。けど、呟く。世界に対する文句なのか、それは迷宮遺跡攻略を、多大な犠牲と王国硬貨を支払いながら、完了していなかった王国諸国に対する恨みかは……分からない。文句かも。


 だが、呟かずにはいられなかった。



 ――無理だろう、と。



 そんなの、無理だ。できるはずもない。


 ただでさえ魔物に人は勝てない。なのに、その魔物は一匹だけじゃなく――多くを動かす《群れ》の始祖級であったのだ。兵士たちには分からない。そんな事情なんて知らない。……だけど、無理だと本能が、生物としてのこみ上げてくる悪寒が、震えが、背筋をなぞる風が……教えてくる。



 ――いてはいけない、《魔物》が。



 迷宮から。……いや、どこかは分からない。出てきてしまったのだ、と。



 下級兵たちは見た。


 その魔物の――後ろを歩く人間を。……おそらく、今回の直接手を下しただろう『兵士たち』の姿を。



 それは王国軍の兵士の姿をしていた。兵士たちも知る、有名な《王国の鷹の紋章》を背になびかせていた。――ある《ダンジョン迷宮攻略戦》で、活躍した王国の兵士である。騎士に昇格した兵士もいる。手練れで、そして同僚を敬い、他の王国軍の危機を何度も救ったと聞いた。崖から落ちる同僚兵士に手を差し伸べるように――助けた、と。



 だが、その王国軍の兵士たちは、ダンジョン攻略戦の最後で〝行方不明〟になった、と聞いた。



 それが。




「……………〝空腹の巨大樹〟。」



「――え?」



 いつの間にか。


 そこに立つ、小さな少女を下級兵たちは見つけた。



 美しい少女だった。


 《幻惑》じゃないかと、思うくらい。



 やけに特徴的に思えるのは、少女が『大荷物の書物』を背負っていることだった。


 王国の書物店の娘にでもいるような姿。真ん中から二つに分けた金色の長い髪。その下の瞳は、魔物たちの後ろの姿をおっている。




「……《爪痕》。そういう能力を持つ、《魔物》なの」


「……あんた……だれ、だ?」



「賢者」


 冷たく冷静な瞳は、まだ魔物の群れを追いながら、呟いた。


 その片手間で、下級兵たちに声を発する。





「賢者とは、《予鈴》鳥――。賢者とは、予感を伝えるもの。賢者とは―――災いに、あう場所を訪れるもの」



「……な、に?」


「あなたたちは、《暗黒樹》を見た。暗き迷宮の奥部に…………〝巣〟を作っていた、地下から地上へと干渉するタイプの始祖族。


 あれは、一体では動けない〝唯一の始祖級〟。――だからこそ、その動きを補えるくらい、別のところが発達をとげた。〝他者〟を動かすことで、守りにし、外への攻撃もする。――厄介、非常に厄介。だからこそ、一気に〝殲滅〟して、跡形も残らず消し飛ばすしかなかったのに」


「……ま、て」


「―――〝触手ねっこ〟が触れただけでも、アウトなの」



 その美しい少女は、人と話している顔ではなく、ブツブツと述べる。


 まるで、周囲が置物や、彫像でも囲まれているような表情だった。半分が独り言。そんな少女は、




「…………魔力マナが操られている。誰かが《ダンジョン》から持ち出したのね。……愚かな人間。それが、いずれ、周辺諸国を脅かし、蚕食していくことにもなるのに。気づかない。一度迷宮から放出された始祖は、人の手では追えなくなる」


「お、い」


「獣人アジルド――〝Sランク〟が動ける? …………いいえ、不可。彼は迷宮で深い傷を負った。恋人もなくした。王国軍に戦わせる? …………いいえ、不可。愚かな人間たちは、私たちの予言すらも耳を貸さない。


 そもそも、彼らが《一部》……部位であろうと、始祖級を殺せるとは思えない。相手は、よりによって〝根〟。植物の始祖。強靱な生命力の植物は、〝たかが根っこ〟からでも再生できる。できてしまう」



「おい」



「始祖の魔物が、いくついたか。【記録】はご存じ?」


「え」



 かすかな――その水面下の、さらに水底からくる、軽微な苛立ちのような感情を下級兵が声に込めていると、意外な質問で少女が大きな瞳を向けてきた。



 ―――〝ボス級〟。


 いわゆる、野生の魔物たちのさらに上として、月日を隔てた各エリアの〝ボス〟たちがいる。さらに、その上に、種族の始祖として〝最も血の濃い、その能力を完全に発揮する〟という恐るべき固有種がいる。それが、始祖級。大陸に確認されている始祖は、それほど多くはない。


 ――ロイスが戦った、魔物がいる。

 始祖ロイスが最初に戦った、【七匹竜】が、その筆頭。――〝《熾火の生命樹フレア・ユグドラシル》〟を簒奪していた。その人類に向けた大罪を、冠する魔物が他にもいる。



 それは、




 ――〝煉獄鳥ホーク・キュウリアース〟、……【忘却】を司る。

 ――〝王の液状魔ベルベア・スライム〟、……【増殖】を司る。

 ――〝飢餓の虫コルク・ビード〟、……【根絶】を司る。


 ――そして、〝暗黒の樹〟、……【貪食】を司る。


 地図より外の大陸に逃れ、また、姿を消した魔物もいる。大食らいの大樹は、人が想像するより遙かに大きな姿で地中深くにいたようだ。鉄よりも固い、鋼鉄の根を下ろすことにより、周囲の魔物たちの『魔力マナ』を養分のように吸い取る。



 ……吸い取った養分は、『魔力マナの暴走』をも引き起こす。



「おい」


「――でもね。その能力が特殊なの、触れた人間が」



「――ち、違う!! 俺たちは、そんなことが言いたいんじゃねえ!」




 下級兵が、叫ぶ。


 吹雪の中。この凍えつきそうな氷の世界で、動く生ぬるい生命は三つだ。その一人、少女の話を遮っていた。悲痛な表情だった。



 ……話は、確かに、一瞬だったかもしれない。


 それが『答え』になっているのなら、そうだろう。でも兵士は『……違うんだ』と首を振った。猛烈に、首を振り、そして渾身の力を腹の底に込めた。声を。絞り出す。



「…………違うんだ。そんな、わけの分からない話とか。どうでもいい。…………能力とか、じゃねえ……んだ」


「?」


 うなだれる。



「なあ、アンタ知ってるんだろ。……賢者だか知らないが。ここまで行きついた、あの王国軍たちがやられたって……知ってるんだろ」


「…………そうね」


「こいつら…………関係なかった。兵士だった。勇敢に、国のために、戦ったんだ」



 思った。


 違うだろう。そうじゃないだろう、と思った。


 彼らは『俺たちのために』。大陸のために。―― 一斉に戦ったんだ。そりゃ、最初は嫌味な感情だってあった。鼻につく嫌悪感というか、正直、ちょっとした辺境の下級兵の『ひがみ』ってやつだったのかもしれない。


 飲み屋の女の子を追ったのだって、ある意味、そうだ。『本気になれない俺』という、ダンジョン迷宮攻略戦に挑み、遠い舞台で、自分たちにも分からない強大な魔物と戦っている王国軍の優秀兵士エリートたちを、心のどこかで、キラキラして羨ましいと思っていたから。


 ……本気になっていない。


 ……俺たちは、アイツらとは人種が違う。


 そんな風に、心のどこかで、思おうとしていた。『魔物討伐』なんてはるか外の出来事、王国の国境の外で、どこかしら人目につかない辺境で、『冒険者』どもや『騎士兵士』たちなど……優秀な身体能力、すなわち、体を動かす原動力になる『魔力マナ』が強大なものが戦えばいい―――そう思っていた。



 身分、相応そうおう


 釣り合いって、何もできない下級兵たちの人生の中では大事な言葉だったし、言い訳って言うか、そういう割り切りが逆に『カッコイイ』なんて思っていた。…………今までは。



 でも!


 でも、見たじゃないか。見たのだ。あの凶悪な魔物の軍勢を。魔物の軍勢が、無力に王国軍の兵士を蹂躙して―――使者団を倒し、【『魔力マナ』を食らっていく】という姿を。


 頑張って、一生懸命戦って、ダンジョン迷宮にも参加した兵士たちが―――やられた。しかも一瞬で。そんな姿を、見たじゃないか。


 頑張って、頑張って、頑張ったヤツらなんだ。自分らとは違う。……それを、下級兵たちは、初めて偉いのだと思った。自分が認めていたことを、知った。


 そして、



「…………アイツら……魔物の一部みたいに扱われるなんて……あんまりじゃねえかよ……。アイツら、俺たちの何十倍も頑張って、何百倍も危険を冒して…………『みんな』のために戦ったのに。あんまり、じゃねえかよ。

 なんで。なんで、ダンジョン迷宮で生き残ったのに、こんなところでやられるんだ。英雄譚は……あの戦いは、終わったはずじゃねえ……のかよ?」


「……」


「こいつらだって。待ってる……家族とか、いるんだよ。きっと」



 首を振った。


 悔しい。涙が溢れ。溢れ。言葉に詰まってくる。喋ってて、何が言いたいのかごちゃごちゃだ。メチャクチャになって、心の中がないまぜになって、ただ、感情だけが口に出て外に出てくる。



 ―――この『少女』が悪いわけじゃないのに。それは、分かっている。百も承知だ。八つ当たりをしている。でも、この白い世界で。…………『ダンジョン攻略の英雄譚』が終わったはずの、この旧世界の白い雪の中で。兵士は、雑魚で、雑魚だからこそ…………強く、無力な拳を握りしめる。



「―――魔物の能力とか。どれだけ、手強い。ってことも、重要なんだろうけど」


「…………」



「……こんなヤツらが、やられてる。その無念だけは。…………何も分からない、魔物ともロクに戦ったことがない、ボロボロの下級兵の俺たちにも、分かるから」



 雪の中、白い息を吐いた。



 『爪痕』―――そういうものを残す、魔物がいるのなら。



 …………この世界の人間は―――。誰であろうと、どんな王国の辺境にいる人間であろうと、その魔物を許しはしない。



 …………絶対に。



「――ひとつ。やくそく」


「え?」



 ドキリとした。


 何もかも全てを吐き出し、さらけ出し、それが人として少し冷静に考えればまずかったりとか。こんな女の子に、怒りをぶつけてしまったこととか。自分たちは、やはり、どこまでいっても無力であったりとか……そんなことが、色々後から脳にふつふつと湧き上がっている中で。


 その少女が、背伸びするように、その背を伸ばして見上げてきた。



「――わたしも。『賢者』も――この〝魔物〟をゆるさない」


「え」


「理由が、ふえたとおもうの。『賢者側』は―――やっぱり、魔物を許しはしない。『あれ』を追う理由がふえた。


 そして、わたしたちは、書いて書いて、書く――。観測して観察して、魔物のありとあらゆる情報を脳に宿し魂に刻み書に残す。………………きっと、その先も、受け継いでくれる賢者と『英雄』がいるとおもうから。

 いつか、先の世代の、〝剣の人〟へと繋ぐ」



 ――そう、それは、ロイスのように。



 人々が巻き込まれると、それをすくうべき、地面を這いずってでも戦う『剣の人』がいる。…………どんなにやられようと、希望を打ち砕かれようと、必ず起き上がり、その周囲の人たちを巻き込んで、最後には大逆転のように、再出発を始める〝剣の人〟がいる。



 ――それは、【ステータス】や。


 能力とも、違う。


 もっと違う。別の部分で、この人たちの痛み、苦しみが分かる人がいると思うから……。だから、か細い声は、物語を紡ぐ。物語は、物語の先に。繋がってゆく。


 賢者の声は、心に、灯火の温かさを宿す。


『…………その《物語》は、まだ続いている』と、思うから。




「―――やくそく。必ず、この魔物は倒してみせる」





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