25 バッド・ステータス
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……どう、声をかけたらいいか分からなかった。
僕は、身動きができず、立ちつくす。
バクン、と心臓が一つ跳ねる。……確かに、確かに―――彼女はそういったのだ。この森の辺境で。屋敷から見える森は、どれも発光した月明かりと雨粒の輝きに満ちていた。その前に立つ〝メメア・カドラベール〟―――その少女の、顔が近かった。
――『あなた。だあれ』と。
思いつく限り、その言葉の理由が分からなかった。
「お……い、嘘だろ」
僕は、身動きができない。
「な、……に。いってるんだ。メメア、おい。冗談をいっている場合じゃない。僕ら、辺境にいるんだ。ほら、君が、意識をなくしただろ。だから、今から迷宮に挑んで……」
「……『だあれ』?」
「……っ」
その、あまりにも。
あまりにも透きとおった瞳が、こちらを見ていた。
……違う、そんなはずない。胸に鼓動が押し寄せる。今、目の前にいるのは間違いなく僕の知る少女だった。その幼い顔立ちに見間違えるはずもない。……だが、その大きな瞳は澄み切ったガラスのように僕を見ていた。
うそ、偽りのような曇りっぽさがない。その瞳が、真っ直ぐに僕を見ていた。首を傾げる。まるで、 『僕』がなにかを見定めるように。
……それが、余計に僕を焦燥でかき立てた。
「な、にいってんだ」
「だあれ」
「っ」
「…………『わたし』は。だあれ」
「え」
僕の呼吸が、再びここで止まった。凍りついた。
「……『わたし』は、ひつよう?」
「な」
僕が――この夜の中で、最大限に凍りついた。
……なにが? いや、違う。もはやそういう問題じゃない気がした。夜の虫が鳴いていた森の夜景は静かに鳴りをひそめ、ただ静寂な風が吹き抜けていく。……暑くもないのに。そう、暑くはないはずなのに、額には、じっとりとした汗粒が浮かび風の吹き抜ける風が生ぬるく当たる。
『……なにが』。と。
何が、と。そう思う。必要なのか、必要じゃないのか。必要に決っているではないか。なのに、なぜそれを聞く? ……いや、そうじゃない。そもそも、それを聞いてきたことそのものが異変なのだ。本来の彼女はそんなこと聞かない。
いや。
……彼女は、本当に。本来の、『彼女』なのか……?
何か、僕の根幹が揺らいだ気がした。当然と思っていたものが、当然じゃなくなる感じがする。違う、違う――そうじゃない。僕の足が揺れる。何かが違う。しかし……何が違う?
僕は答えを出せないでいた。時間だけが流れる。あまりにも長かった。だが、もしかしたら、それも一瞬だけのことだったかもしれない。
何もかもできず、まるで、僕が冒険の凶悪な毒花―――魔物や人間を問わず、強烈な麻痺の花粉を振りまいてくる植物につかまったように―――その場で身動きも、何もかも、呼吸すらできないでいると。
――『変化』は、その外側から起きた。
「……へ?」
――《数値変更》
思わず後ずさりかけた僕の懐で、その輝きが包む。
それは冒険者が握る〝プレート〟が反応したもので、そのアイテムは等しく冒険者の〝力量〟を表わす。努力とか、熱意とか、そういうものじゃない……もっと純粋な力。その冒険者が本来持っている、僕だったら、『これだけちっぽけだ』と教えてくれる装置。
それが、数値を示す。
それは僕に向けられたものではない。そもそも、僕は万年変わらない《数値》、変わりようがなかった。だから今さらプレートが反応することもない。……じゃあ、一体誰だ。
……誰が、僕の知っているステータスから、違っているのか。
――――――――――――――――――――――――――――――
《聖剣ステータス》
冒険者:メメア・カドラベール
―――契約の御子・(#%$#)
分類:????/予備効果##
ステータス《契約属性:なし》
レベル:25 → ??
生命力:38 → ??
持久力:42 → ??
敏捷:66 → ??
技量:71 → ??
耐久力:22 → ??
運:89 → ??
《呪文一覧》
Lv.1 《――*+EEW#$―――》
Lv.2 《――*##$%#―》
Lv.2 《+%#%#》
Lv.3 《**%#%#》
特殊状態
→暗黒樹の爪痕《AAA+》
――――――――――――――――――――――――――――――――
……。
………………、
「………………………………………………………は?」
……僕の息が、凍りついたときだった。
その変化は、目の前で起こる。
「―――れ、イトさん……!」
「な」
振り返った。
そこにいたのは……『精霊』だった。僕のよく知る、見慣れた顔の精霊。
その精霊は、回復薬類など抱え……広く、雨の上がった辺境のテラスに転がっていた。倒れて、『何か』に傷つき、道具類のあらゆるものを駆使して耐え凌いでいた。何がって、攻撃からだ。その場には空になった瓶が多く転がり、――《道具》が、全て投入されていた。
……だが、僕には意味が分からない。
なんで、《魔物》もいないこの辺境の屋敷で、それをする必要があるのか。
「……な、に。やってるんだ。アイビー……?」
「……っ、もう。遅い……」
「な、んだと?」
「『正面』に、立たれては」
その瞬間だった。ヒヤッと、何か冷たい感覚が僕の髪をなでた。
それは予感という名の手だったのかもしれない。冷たい、あまりにも嫌な感覚が僕を頭からつま先まで包み、その一瞬の後に、僕は振り返ろうとした。
だが、遅い。
致命的に遅い、ことがその予感で分かってしまった。なぜなのか、その冒険でボロボロに傷つき今まで地面を這った経験が、今になってこのぬくぬくと辺境の安寧にいて、のんびりとした僕の脳裏に蘇った。
……考えれば、不審な点はあった。
《精霊》の存在。彼女が部屋から『消えた』のなら、まず、この精霊が追わなければならない。……なんで、気づかなかったのか。考えたら分かるだろう、この精霊が後を追いかけたとき、必ず〝合図〟を残す。
…………書庫の海への誘導、開きかけたドア。
そして窓のカーテン。まるで、『ここにいる』と言わんばかりに、跡を残して何者かにメッセージを送った。……他ならぬ、僕へと。その異変に気づいて、確実に後を追いかけてくるであろう、後続の《冒険者》へと。
その〝合図〟を送った。……じゃあ、それなのに、なんで合図を出した本人はいないのか。いなかったのか。…………僕がこの夜にテラスに出て、真っ先に探すべきは精霊だったのだ。…………その、『合図』を書いた人間が、全てを知っているのだから。
…………じゃあ。
〝取り返しのつかない失敗〟をした〝僕〟は―――どうなるのだろう?
「――《+EEW#$》――」
「……な!」
言語にならない、その透明な声で炎が押し寄せてくる。
僕の口がぱくぱくと動き、その後ろから暴風に殴りつけられる。人間が起こす炎。僕の背中が強打を受けたように虚空を舞い、テラスの石畳に叩きつけられる。
―――『がぁっ』。と。
完全に油断して、人と戦ったことのない、《魔物》としか――戦えない、と言えてしまう〝僕〟のステータスへと、容赦なくその炎の一撃が炸裂した。
目がかすみ、焦点を失い。一撃で意識を全て持っていかれそうになる。全身を駆け抜けていく激痛を感じながら、僕のかすんだ目が、透明な月明かりの下で佇む少女を捉えた。
…………な、にが。
それを見る。
――月明かりの下。手にした『聖剣図書』からは黒い靄が動き、まるで――そう、まるで、魔物が近くに立って、その少女を操っているような――そんな、薄ら寒い冷たさが僕を襲う。
――少女が立っていた。
その『本』を――暗い靄が発する、異質な聖剣を抱えて。
「メ、メア――!!」
「――《*EEW#$》――」
今度こそ、炎が吹き上げる。
床をヒビわり雷光をほとばしらせ、熱炎の《呪文》が空間を染め上げてくる。
「…………う、ぐあああああああああっっ」
床への熱量の分散―――熱量がほんのわずか、爪の先ほど弱まっただけだ。手を交差させて、手甲を前面に押し出す。熱を逃がす。――弾かれた。ほんの少し、一瞬の悪あがき、抵抗――冒険者の特殊な魔物素材など貫通してきた。当然だ、魔物の装甲やウロコすら貫く、引き裂く――〝聖剣〟なのだから。
――防御姿勢、手甲を左右に動かしながらさばいた。……ダメだった。ロクに軽減もしない。《聖剣》もない。その《冒険者》の炎は。僕の胸に――がら空きになった、その身体を捉えた。
(―――し、)
僕の目が見開かれる。
後頭部を、背筋を、冷たい手が触れるような『死』の予感が押し寄せる。背筋を痺れるような冷たさが襲った。
「…………う、ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――っっ」
真っ黒な爆炎が―――《書庫》に、吹き荒れた。




