24 再会
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そこは、本の海だった。
僕は見回す。
初めて入った夜の冷たさにも、ようやく慣れてきた。体を支配する冷たさと打って変わって、僕の目に飛び込んできたのはその『広さ』だ。
……書庫って、こんな広かったっけ……?
さすがに、《賢者》を謳うだけある者の所有物である。僕や、(いや、おそらく精霊ミスズも)、《剣島都市》のあの広大な図書―――《神樹図書館》の、あの広さに慣れていたためいまいち感動が薄かったが、よくよく考えてみれば、こんな広さの書庫なんて周辺の王国でも、類を見ない気がする。
……もちろん、もともとの、昔の領主さんが住んでいたとかいう、この館の広さの問題もあると思うけど……。
しかし、それにしたって、こんな広さなんて《剣島都市》に次ぐような気がする。……セルアニア王国の王立図書館なんて、もっと、悲しくなるくらいにちっぽけだって昔聞いたことがある。王立でさえ、そうなのだ。
……本は、お金がかかる。
……本は、維持するのが難しい。
それをいっていたのは、誰だったか。――僕はしばらく考えて、他ならぬ『メメア・カドラベール』という冒険者だったことを気づく。彼女も本が好きな、暇さえあれば何かの物語を読んでいる部類の人間だが、『故郷、リューゲン王国のカドラベール家領土の図書室は、ぜんぜん狭かったわね』とそこだけが不満であるかのように苦言を呈していた。
本は金食い虫で、そして、本当に虫が食うほど管理と維持が大変なのだ。掃除好きな《精霊》がたくさんいる《剣島都市》と違って―――他の、一般の王国や、個人で屋敷に本を所有する領主には難しいだろう。
経費削減のために、あえて少なくしてるんですよ、王国最高の硬貨潰しですから―――といったのは、守銭奴精霊のアイビーだったか。
ともかく、そんな〝異様〟な光景の中を僕は歩いていた。見上げる棚も、天井に届きそうなくらいにギッシリと詰まっている。ときおり、色が変わっているように見える背表紙は、どうも《王国》ごとの項目に分けているらしい。
…………そうまでして、魔女――〝ローレン〟が何を執念深く追っているのか、僕にはよく分からなかった。
ただ、最初に本人に会ったこの図書の空間について、尋ねたばかりの頃にもう少し深く突っ込んでおくべきだったかもしれない、というのは、今の後悔だ。……それはそれとして、僕は今は違う用件で書庫を進んでいる。二度目の来訪だ。
――鉄枠の木棚。
――何年も、何十年も、動かなかっただろう、と思わせられる静かで埃をかぶった本たち。
歩けば歩くほど、その広さに目を奪われそうになる。
――某国の地図が見える。……『何か』を研究しているのか。今は地形も、国も変わっているだろう、その旧い地図を一生懸命見たようなシルシが残っている。アレは……『雪国』か? そういう地域なのか。魔物を思わせる、マークも存在する。
で、魔女は何か印をつけて研究をしているようだった。……『魔物』なのか? 見たこともない古い文字で、その名が刻まれる。
…………魔女は、一体、なんなんだ。
僕のそうした思考が、部屋の奥から吹き抜ける風にさらわれて、ふと途切れたときだった。
『……?』と顔を上げる。不思議に思ったのは、そこに、外へと続く二階への階段があったことだ。古い屋敷だからこそある……ある種、この巨大な書庫だからこそ生まれたものなのだろう。――どうやら、旧領主の時代には広間だったものを、ブチ抜いて《書庫》にしてしまったらしい。
その奥で、カーテンが揺れていた。
「……?」
風が吹き抜けてくる。
僕は頬に触れる風に誘われるように、外へと出た。そこにはテラスがある。後ろには白いカーテンが幽霊のシーツのようにそよぎ、風を受けて、室内に波打っていた。……僕は不審に思っていたが、どうもその風は外から吹き抜けていたものらしい。
その正体が分かった僕だったが、しかし、それ以上の興味が目の前に広がっていた。
……いや。
絶対に、見逃すことのできないものが、テラスの前に立っていた。
「――……えっ」
僕は、思わず足を止める。
心臓が動いた。それは小さな影だった。
王城のように、そのシルエットは森を見晴らす小さな《石造りの空間》にいた。
森は光を湛えている。折から、雨のあがった森の茂みに雨粒の光がぽつぽつと宿り、雨粒と虫たちが、この辺境という独特な生態系――《冒険エリア》を彩っていた。
月明かりを受けて光る、その森を一望できる光景の中に、そのシルエットがいた。屋敷のバルコニーから眺めると、大都市の灯りを塔のてっぺんから眺めているようだった。
雲の晴れ間が――その一瞬の〝光景〟を作る。
森に顔を向けるシルエットの、その影を、ひたすらに際立たせる。
「…………お、い。嘘だろ」
――〝冒険者〟の、服。
森の風に、桃色の風がなびく。
線の細い、クセのついた冒険者の髪だった。……《剣島都市》の街で、街道で、冒険者の戦闘で。――何度も見た。何度も、何度も。見た髪だった。僕は、息を呑む。昇格試験でも。ずっと、見ていた髪だった。後ろ姿だった。見ただけで心臓が波打つ。
そう、その小さな影は、冒険者だ。冒険者が持つ腰のポーチを持ち、買ったばかりの装備の皮補強。……見た。全て。何度も、僕が見てきたものだった。
体の小ささを考慮した――《ステータス》を持つ者のの服。
「……ま、さか」
――そんなわけない。
分かっている。頭が、そう問いかけている。
(……まさか。)
――分かっている。
確認したほうがいい。妙な胸騒ぎと、心臓の音が高速で走る馬車のように回転していた。思考が回ろうとする。だが、鼓動が波打っていた。
手を伸ばせば届きそうなところに――『いる』。
僕は、呼吸することも忘れて、カラカラに乾燥した口を開いた。
「――――メ、メ、ア? か?」
「…………?」
その影が、振り返った。
髪がゆれて。そして、森を、屋敷から出てきて、呆然と口を開けている僕を見る。幼い顔立ち。見つめるその視線は、確かに僕が知っている者だった。
だが、
「……あなた、『だぁれ』?」




