21 旧世界の英雄
「……失敗?」
暗い一室で、告げる。
腕を組む冒険者は耳をピクリと動かす。何から話すか、その前を考えている表情……その顔は柔らかくて、今はゆったり、席に腰掛け、今と遙か遠い昔話をする構えだった。山賊風の冒険者装備、サルヴァスでしか見慣れない純精度の高い《冒険者アイテム》を身につけている。
語りを聞くのは、三名。
ソワソワと落ち着かず、でも、どうすることもできず、緊張感の中で話を聞く《精霊・ミスズ》がいた。子供みたいな顔を上げている。
それに〝僕〟という冒険者がいて、話を聞く構え。リスドレアの対面に座っている。……その上には、空中を海中の藻のように浮遊し〝スイー〟と動く、不可思議な精霊の猫。《ポコ》がいた。こちらも話を傾聴する姿勢。
「……。まず、どこから話すべきかな……。そうだな、まずは生い立ちから。か」
「……? リスドレアの?」
「ああ」
こくりと獣人の少女は頷いた。
獣人世界を語るには、まず、獣人から――。その成り立ちと、獣人たちの集団社会が今、どこにあるのか。その立ち位置を明確にしないといけない。という。
リスドレアは柔らかそうなシッポを動かしながら、『まあ、後々分かる。これも重要なんだ』と前置きした。
「そ、そう、なのか?」
「まずは、どっから話そうかな。己の弟が。ロドカル、って話はもう聞いたよな」
「ああ。リスドレアと、姉弟……なんだろ?」
「その通り」
頷き、静かな瞳で僕らを見る。
そう、姉弟。〝血〟は繋がっていることは事実。そして、子供たちがいるっていうことは、〝親〟もいる。という。
「無頼の、傭兵稼業――。
頬にと目に刀傷がある典型的な無頼漢、おめえも知ってる〝ウチの弟〟の親でもある男が、その父親の獣人だったんだ。メチャクチャな強さの獣だった、王国の騎士とも余裕で渡り合えるくらいに」
「……それほどの」
僕には想像もつかない。
〝娘〟であるリスドレアには血の繋がりを感じられるが、あの弟からは姿すら浮かんでこない。
「村に出た《魔物》だの、《盗賊》だのを殺していた獣人の傭兵生活ってのは、小金しか稼げねえが、粗暴で礼儀もロクに知らねえ親父みたいな獣人には実にあっていた。
……気が向いたら、働く。
……酒場に通えば、博打も打つ。
――そんな獣人が、いわば、巷に溢れちまっているのさ。冒険者のように礼儀や階級制度で押し潰されない。かといって、王国の騎士は窮屈すぎる。……気が向いた、命を張った、日がな一日を過ごす暮らしが、何となくあっていた」
「……。少し分かる気が、するかもしれない」
僕がいう。ミスズが、驚いたみたいに僕を見る。
そうだ。もともと、《熾火の生命樹》の恩恵を受けて、その島に固定されて、生まれ育ったミスズたち精霊とは違い。僕が冒険者に憧れていた《世界》は、それに近かった。
――命を、落としそうになる日もある。
――資金がなければ、薄暗い森の中で野宿する。
雨宿りの場所もない。行く当てもない。頼んだって、誰もお金を貸してくれない。町を歩けばボロ装備を来た厄介者、そして森に入れば盗賊たちの格好の餌食。――《魔物》だって、襲ってくる。
でも、そんな生活が、なんとなしに『恋しい』と思うこともあった。剣なんてかなぐり捨てて、自由な森や街を旅してもいいかもしれない。と。
他者を羨み、贅沢な暮らしや安定だけを求め、《ランク》だけを強さと誤解し、剣に血が通わず、強い者にだけ媚びへつらい、熱気と嫉妬の渦の都市に飲まれる――――そんな、今の僕の見てきた《剣島都市》からすれば、その切ない暮らしのほうが、よほど僕の理想に合う。
…………捨てても、いいかも。
よほど、そう思えたことが何度もあった。
「……あ、もちろん。その時は精霊も一人だけ連れて行くけど」
僕の感情から何かを読み取った精霊が、隣で寂しそうに手を握りしめているのを見ていうと。ちょっと泣きそうだった顔に、ぱあっと嬉しさを浮かべる。
古い猫精霊は『ふふん』と少し好意的に笑みを含み、そしてリスドレアは、話の途中だと言わんばかりに『あー、はいはい』と煙たそうに手を振って、話を続ける。
「……で、だ。
そんな傭兵稼業の男たちは、何でも働くし、《魔物退治》だろうが《盗賊から村を守ってくれ》だろうが、お構いなしに腕っ節を発揮するわけだ。…………で、そんな男たちが、もはや〝神様〟なんて信じているわけねえだろ」
「……。む、そりゃ、そうか?」
「そうなんだよ。
……神様になんて祈ってる暇があったら、少しでも働くさ。生活を楽にする。そのために憧れるのは神様なんかじゃなく、その伝説の獣人たちだ。歴史を読んで、腕っ節を鍛えて、先人に憧れたほうがよほど自分の肥料になる。だから、獣人にとっての口癖は、〝神は金貨を落としてくれるのか?〟だ」
「……すごい合理的だな」
「現実的なんだよ」
リスドレアは訂正する。
つまり、そんな彼らにとって伝説的であり、『俺たちも、いつか、あんな風に』『立身出世』『成り上がり』を求めるには、常に理想の獣人像があった。神様よりも、神様をしている。
獣人たちの、境遇がそうさせるのかもしれない。『人間』とは違う。個が強く、群れをあまり成さない。〝街〟や〝都市〟という巨大なコミュニティーに所属して、その群衆の、巨大な街を動かす歯車の一つとして、一生を閉塞的な塀や家の中で過ごさない。開放的な、緑の土地で狩猟する。
……確かに。
僕は考えた。黙り込む。そうなってくると、伝説の獣人たちが語りぐさになるのは分かってくる。――〝過去に、活躍した獣人がいるってよ〟という酒場の余興話は、そっちに盛り上がっていくのは必然だ。〝神様なんて、いらねえ〟っていうのも、そういった道理か。
だが、
「……獣人・アジルドの話だが」
リスドレアは頷く。
獣人アジルド。
旧世界の英雄。そして、獣人たちの崇拝を集めるべき人物。……今の世代より古い。伝説上の、中興の第一位の冒険者の話。
僕はてっきり、その獣人が尊敬を集めていたと思った。
同じ種族から出世した英傑――その英雄が〝特別視〟されているのだと。たとえば、故郷セルアニアのララさん、あの麗しき剣士を『小さな英雄』『第五位様』なんて僕は尊敬し、憧れるように。
…………だが、
「……『失敗』……って。どういうことだ?」
「その言葉通の意味さ。ヤツはダンジョン迷宮――通称、世界の〝巣穴〟を多く潰しは失敗と言われた。ヤツは確かに凄腕の英傑さ。〝黄金の右腕〟は魔物を蹂躙したと言われた。――だが、同時に多くを失いすぎた」
「……?」
「―――旧世界の『それ』を、獣人たちは酒場の席でも語りたがらねえ。
ただの、力が強いだけの……黄金の右腕を持った〝英雄〟だ。始祖族狩りの、超絶強い剣士―――だが、それだけ。だ」
リスドレアは、単純に、手を広げて答える。
獣人たちの崇拝を集めるべき人物。ソレは、酒場で謳われるような伝説用の英雄でもなく、輝ける獣人たちにとっての理想ではなかった。
「ヤツは旧世界の英雄……ん、ま、そうなんだろう。取る側にとっての〝視点〟によれば、ヤツは紛れもなく英雄だ。世界の〝巣穴〟――を三つも潰し、ダンジョン迷宮の〝不可能〟といわれた、前人未踏の階層を突破している。
……だが、なくなった。
―――迷宮討伐戦は『多くがやられる』きっかけとなった。
ヤツの《冒険者》としての力を支持して、各国よりも先んじて《ダンジョン迷宮》の攻略戦にはせ参じたからだ。……傭兵部隊を送り込んだ。大軍勢だ。そして、それは結果からして世界の『安定』に繋がった」
それが、何を意味するか。
始祖族の、原初級に近い〝血の濃い〟魔物たちと、渡り合うこと。それは人間側も獣人側も、メリットが大きい。
が、リスドレアは言った。
「…………ヤツの討伐で、多くの犠牲が生まれた」
「……!」
リスドレアは手を広げる。『……今でも、ダンジョン迷宮にゴロゴロ残ってるぜ。古い床の血痕、戦場の残骸に、無数の剣―――力尽きた、過去の跡が』と。
壮絶な討伐劇だったらしい。一部、ダンジョン迷宮の形が変わるほど。
「…………『何が』、あったんだ?」
いや。
これは、僕の聞き方が悪かった。
正確には、なにが『いた』のか、だ。
そうまでして、ダンジョン迷宮の形を塗り替え。地形を変更し。(……今でさえ、大国が抱える〝ダンジョン迷宮〟の大きな入口は、上級冒険者しか入ることを許されていない。それほど危険な場所だった)
その先に、―――いったい『何が』いたのか。
「さあ、な。部外者には、一切知られていない。……ただ。それが簡単な魔物じゃなかった……ってことだけは、確かだ。
敵は、古い魔物。始祖ロイスが戦って、それでも残ったヤツらだ。例えると、『始祖ロイスと愉快な仲間たち』――と、テメエらが、直接戦うようなもんだな。素手で」
「……っ、」
「まぁ、そんな機会はないが。だが、言われているのは、〝原初級〟ってカテゴライズされる種族の可能性ってことらしい。――つまり、『未確認』、『どんな力で人類を蹂躙するか、分からない』ってこった」
ダンジョン迷宮攻略戦――〝世界の巣穴〟の最奥部に、いた魔物。
ソレは想像もつかない。想像を絶する討伐劇が繰り返されていた。危険度の高い『上位』の魔物と戦った。地形を塗り替え、ダンジョンの階層すら突き破り、上位の魔物に食らいつきながら――歴戦の猛者たちが血の雨を散らせたのだ。
…………それが、はるか〝過去〟なのである。
「……始祖族……?」
「ああ。あるいは、『原初の魔物』って呼ばれている」
「……? げんしょ?」
「――根っこ、すなわち血だな。〝血の濃さ〟が違う。
オマエも分かっているだろうが、上位の魔物はそれだけ手強い。――幽霊だったら不死の特性、ミノタウロス系の敵だと『不屈の強靱さ』、『能力・特性』ってもんがある。アレが、素直に斬らせてくれるならザコだ。……だが、そうじゃないだろう? その比じゃないらしい」
リスドレアは違いを説明した。
柔らかく犬のように伸びた耳を丸め、揺らし。その『長い物語』を口にする。遙か昔の話。それは常識として『知っておくべき』という上級冒険者の顔ではなく、『そっか、説明してなかったか』とボリボリと耳を掻いて、シッポを揺らす動きだった。
首を傾げた僕に、『リスドレア』は目を向けた。
「詳細は、分からねえよ。だが、一例が《王級》だ」
「べる。べあ……」
「《液状魔》の王にして、災厄を招き寄せる魔物。別名は、『王都喰らい』。ソイツを見かけた王都は、その一夜のうちに街の灯火が消え去るという。……なぜかって? そりゃ、その火を灯すべき、カンテラの下の人が全員いなくなるからだよ」
ゾッとするような話だった。
―――『冒険者』の、噂話で聞いたことがある。
故郷セルアニア出身。当時、サルヴァスに出てきて右も左も分からない僕が、田舎者ながら酒場で聞き耳を立てて拾った冒険者たちの噂話だった。
……『ぜったいに、出会いたくない魔物はいるか?』と。
当時、中級冒険者だったと思う。彼らは言う。
世間一般で知られている〝見聞きした魔物〟。『古竜』だの『鉱石族』だの、『ワイバーン』に『迷宮の悪魔』に。『記憶をなくす雨を降らせる魔物がいるらしいじゃねぇか』『……、ゾッとしねえ話だな』なんて口々だった。
その中でも、最強最悪の魔物。
…………災厄の王。鉛色の雲を呼び寄せ、街から人の気配を失わせる。
――それが、〝王の液状魔〟だった。
それを、僕は、酒場のテラスで雨宿りをしながらじっと聞き耳を立てていた。貧乏な《最底辺時代》、魔物も討伐できず、〝ゼロ〟の時代の頃で、ミスズを家に待たせての生活である。一杯の安いミルクしか注文できなかったのを覚えている。
その肌が雨に濡れてもいないのに、ゾワッと粟立った。
ソレは、通常じゃない。
なんでも〝原初の血〟とやらを引き継ぎ、その身体は黒くて星色。夜空が浮かんでいるような美しいキラキラとした体をしているらしい。…………見かけは、そう。宝珠のような世界の神秘。
だが、ソレが現われた街や王都は、『地図から消える』。
理屈は分からない。どうなっているのかも、冒険者たち――〝中級冒険者〟たちですら知らない。だが。街は消える。
最初はソイツを見て『…………ああ、なんだ。ちっせえ魔物か』と王都で思うらしい。用を足しに来た行商人、酒場で飲んで、でも飲み過ぎて、ふらついて夜の路地で用を足すときに見かける程度。
当然、騒ぎにならない。
多くの人が問題にもしない。護衛の剣士が見ても、警戒しないだろう。だって『液状魔』は魔物のランクでも低いのだから。
それが、瞬間には十匹。だ。
――そして百匹。
どんどん、ボコボコと増えていく。千匹―――それを〝元〟にして、さらに。
騒ぎに気づいたときには星空が王都中の夜の灯火の下に広がっていて、……王族が避難する間もなく次々に、飲み込まれていくのだという。なぜって、その繁殖力と、そこに取り込まれて恐怖の顔のまま『死』をむかえた人間を見て、ようやく、群がり、転倒した商人や傭兵たちは…………気づくのだという。
その魔物が、糧にしているのが…………〝人間〟だということに。
…………次に、姿を現わすのは、〝百年後〟とも言われている。
……。
…………。
「……それが」
「ああ。原初の、ほんの一例。オマエも知っている、恐怖の魔物の一部だ」
――『Sランク』でも、討伐は厳しい。
僕が動けなくなって黙り、そしてミスズが横でぶるぶると青い顔で震えている。その絶望越しに、僕を瞳でうつすのは――『冒険者が。……果たして、剣士が、勝てる相手なのか』ということだ。
――《世界》が、生み出した現象の一つ。災厄、災害といってもいい。
「幸い、そいつらが現われるのは『百年周期』なんて呼ばれている。
……飢饉や、作物の被害と一緒だな。じゃなかったら、とっくに人類なんてのは、獣人もろとも滅んでる」
「…………………………」
「獣人アジルドや、始祖ロイスたちが戦った…………いや、戦うしかなかった魔物だ。それは己も理解しているさ。…………だが、感情はそれほど素直にはできちゃいねえ。
…………それでもやっぱ、《獣人》たちは、獣人英雄に対し、含むところがあるし、酒場で、語られないほどに、素直になれねえ思いがあるのさ」
「…………そう、か」
「――なにか、聞きたそうな顔だな?」
その感情を読み取ったのか、暗い辺境の一室で、リスドレアは獣の尻尾を動かしながら聞いてくる。
僕は、頷いた。
「……二つ。まず、魔物は『一匹』が限界なのか?」
「……どういう意味だ?」
「いや。単純に、その《王級》みたいに、一度キッチリ〝絶滅〟、もしくは〝討伐〟しきったら、もう二度と同じ種族が地上に現われることはないのか……って疑問だ。全冒険者が命がけで戦っても、その後、また何食わぬ顔で同じ種族が現われたら、甲斐はないと思ってさ」
「いいや。それは、まずない」
〝上級冒険者〟は、その可能性を首を振って否定する。
――それは、ない。
同じ魔物が《周期的に》―――つまり、収穫期を迎えるように、同じ《王級》などが地表に顔を出し、群衆となり、襲来して人を襲いくるのは……単純に、今までの世界で『討伐しきっていなかったから』が原因である。
単純に討伐が難しい〝数〟であるとはいえ、それでも『英雄ロイスなら』という言葉があるように、彼らを討伐する望みを託せる人物―――〝Sランクの王〟は生まれてくる。だから、一度でも、討伐ができないわけではない。
記録上、一度討伐しきった『固有個体』は、二度とその世界には姿を現わしていないことになる。…………らしい。
「そっか」
「なんだ、やけにホッとした顔をしやがって?」
「……そりゃあ」
…………そりゃあ。そうだろう。
僕は思う。
倒しても倒してもキリがない。そんなバケモノみたいなヤツが、この世界に何度も現われるなんて、バランス崩壊とかそういうレベルじゃなかった。できれば出会いたくないし、今までの魔物のボス級のように――相手にしたくもない。
そんな未来を考えるだけで、ゾッとする。
「それと、あとは――《死骸》について」
「?? なんだ、しがいって」
「その魔物を討伐する。…………いや、仮に、できたとするよな?
その後はどうなったんだ? たとえば《グリムベアー》だとかだと、爪が残るだろ。あの固くて鋭利な爪が」
僕は思った。
最初の《グリムベアー》討伐。森の王、強さとしてはそこそこの魔物で〝初心者キラー〟なんて呼ばれていたが、あれも、討伐してみるとずいぶん生活費が助かったように思う。少なくとも、僕が今まで滞納気味だった家賃から水代、授業運営費、サルヴァスで暮らして行く中で必要な『ありとあらゆる冒険者としての出費』…………そんなギリギリで赤字寸前だった問題が、一気に解決した。
――討伐恩恵、〝ドロップ品〟のおかげだ。
あれは〝運〟のステータスが大きく絡むとはいえ、僕の場合のカスカスだった〝クズ運〟のわりに、大きく儲かった気がする。(…………大きく、上昇した能力の恩恵かもしれなかったが)
世界にはそういう〝ドロップ品〟があふれ、魔物のドロップする爪や防具の材料などは、ほかの《植物》や《動物》から採取・狩猟して生み出される素材よりも、上部で効果も大きいと〝高値〟で取引きがされる。
僕の場合は、儲かったのは《グリムベアー》という森の中でも特に危険指数の高い魔物を討伐し、その貴重な爪を持ち帰ってきたからだ。
だから、『僕』は聞くのである。
「僕が戦った『そこそこ』の魔物でも…………大きな見返り。
いや、だけじゃない。それを元に、とても効果の大きな冒険道具や、アイテム、ナイフ、そして装備防具を作れたはずなんだ。〝強固な素材〟によって。…………だったら、その伝説上の魔物はどうなる???
なにも、いきなり、討伐直後に『死骸』が消えて、消滅することなんてないだろう」
「…………」
僕の質問に、『ぴくっ』と獣の耳が動いた。
感情を表現する耳の動き。
話の途中、『運』や『運のステータス』と絡むときに耳がザワリと動いていたが、その動きが明確に、目で追って感じ取れるほどに動いたのは、その質問したときが初めてだった。獣人・リスドレアの感情の雲行きが、みるみる怪しく、荒れてくる。
…………不機嫌に、黙った。
「…………おめ、え、何のためにそれを」
「え」
「……いや。……。何でもねえ」
分からない。
分からないが―――今の《冒険者》から感じるのは、明確な〝敵意〟だった。
前半の柔らかさはない。話の分かる、雰囲気もない。
ただ、黙り込み視線を鋭くする。…………『獣人・アジルド』のことを問うときですら。獣人感情が絡むことを質問するときでさえ、そんな表情の変化は見せなかった。感情の波も。
だが、
「…………。分からねえよ、《始祖級》の残骸については。
そのもしどれかが〝ドロップ品〟になるのだとしたら、それ以上はねえ。世界最高級、世界の王にもなれる〝バランス崩し〟の逸品が生まれるに違いねえ。そんなの元から『値段』なんかつけられねえし、中小の国の国家予算なんて何年積んでも贖うことすらできねえ。
……また、国家の経済的に、そんな支出をすることは不可能だ。それが精霊王シリーズとも言われている。《冒険者の島》ならともかく、そんなことすると、国が壊れちまう」
「………………」
「ただ、もし。『それ』があったとして。気が利いた冒険者が討伐したのなら、そのドロップ品を『隠す』のかもな。
迷宮の奥か。海の底か。…………または、竜がゴロゴロ巣くう雪山の奥か。…………どっちにしても、ロクなもんじゃねえ。壊すのが、最良だ」
「…………?」
…………あれ?
―――そこで。
そこで、なんとなく。思った。
ただ、なんとなくだが。『リスドレアらしくない』と思える瞬間だった。唯一だ。思考の下の感情。
その言葉を吐くことが、彼女にとって、リスドレアがらしくなくなる『行動』に思えた。
まず、ここまで感情的になるリスドレアを見たことがない。冒険者は、冒険者らしく、ある意味で『感情が破けている』ものである。〝嫉妬〟にしてもそうだし、〝憧れ〟〝信念〟に対してもそうで、他の世界中では満たせなかったものを、この島で、聖剣によって、激しい〝衝動〟を叶えている。
……いわば、聖剣のエネルギー。
そして、それ以外はわりと冒険者たちにとって、『どうでもいい』なのである。
感情にこだわらない。魔物が倒れようが、冒険エリアで仲間が倒れようが、冒険慣れした〝彼ら〟〝彼女ら〟にとっては、日常茶飯事。王国の庶民なら『魔物の目前で倒れる』なんて大問題だろうが。彼らはわりと平静だ。
…………だが、今のリスドレアは。
なにか、感情的だ。気に障ったのか。
それに道具やアイテムを『独占』、『占有』、『己のもの』なんて――高らかに宣言し、事実、自分も冒険のドロップ品や豪華な報酬のおかげで金貨などには困らないように見える。
…………それが、『ドロップ品なんぞ、壊せ。最良』だという。
他ならない。それが、世界で一匹しかいない―――仮に、〝始祖級〟や〝原初〟なんて呼ばれている、代わりの利かない魔物のドロップ品――『一点物』である、のにも関わらず。だ。
その価値が分からない『彼女』ではないはずなのに。
「………………?」
「何だよ。ともかく、己は、それ以上のことは知らない。オマエは今の冒険のことに集中しろ。
オマエが聞きたいのは獣人アジルドの攻略についてだろ。そして。己は答えた。『事実』をな。ただ、これだけは言う。ヤツは世界の巣穴とは戦った。
数いる原初の魔物のうち――特に危険度の高い『上』の魔物と戦ったんだ。…………必要なことだったかもしれない。だが犠牲も生まれた。――〝世界の巣穴〟の最奥部に、多くの獣人や旧世界の冒険者たちの犠牲をへて、辿り着いた世界がある」
「…………」
「…………そこで、『何』を見たんだろうな」
僕は、答えられない。
リスドレアは、どこか遠くを見るように尻尾を動かし、腕を組んでいた。
――〝中興の祖〟、獣人アジルドが見た世界。
そこは世界の奈落――または、人が立ち入れないような危険な山の奥地だったのかもしれない。〝ダンジョン迷宮〟はあった。ダンジョンは人を飲み込む。という。その先に見えてきた洞窟奥部と、そして、人の立ち入らない暗く、深い、最下層。〝始祖族の魔物〟。
「……噂では、一匹いる」
「…………、え?」
「確認されたヤツが。王国の持ち帰った、学者どもの話。噂話でしかねえ。だが、その魔物は、どうやら。《残留物》を残したらしい。だから、噂として残った」
僕が驚くと。
獣人冒険者は、諦めた顔で、静かに息をついた。
「…………《木》、だったらしい。
その最奥部にいた魔物。外見。黒く黒曜石か結晶みてえに固い、樹皮。……伝わっているのは、それくらいだ。それがどう戦うのかも分からねえ。事実かも。噂話で分からん。だが、一つだけ」
「……? なんだ?」
「魔物を誘う。〝瘴気〟。――魔力に干渉できるヤツだったらしい」
それが。
――それが、どんなに。凶悪な能力か。
僕は思う。地下深くにそびえる、その真っ暗闇に生きる〝木〟を思う。巨大な樹なのか。実際に見たことなんかない、想像すらできない。……でも、それがもし厄介で、過去最悪、冒険者たちが〝迷宮〟を乗り越えてでも、討伐する必要があるものだったとしたら。
…………地下深くから、その影響を、地上に与えるものだったとしたら。
そして。
もしかしたら。
にじりよる。僕は、リスドレアが『なんだよ……?』と引くくらいに、その魔物の話を追い求める。
もしかして。
(…………もしかしたら、ソイツが『メメアの戦った』、剣のもととなった。《暗黒樹の魔物》……?)
あの〝夢〟で見たことを思う。
僕しか知り得ない。この時点で、里の辺境はおろか、《クルハ・ブル》の国でも知る者がいない。魔物の、脅威を。
それを。僕は胸にしまう。
ミスズは視線をオロオロさせている。冒険者との話を、横で《精霊》として見守って心配している。
そして、
「オマエが、どういうきっかけで『獣人アジルド』の名を知ったか。それは分からねえ。正直、己は今すぐにでも問い質してえところだが、雇用主のランシャイには、『オマエに深く探りを入れて邪魔するな』と言われている」
「……え? あの、商人の子が?」
「ああ。まあな。何か計算してんだろ。
ともかく、余計な釘を刺されたから、己はお前には詮索しねえ。アイツの言葉は絶対だ。―――何があっても。他を裏切ってでも。世界を敵に回してでも、己はアイツのところにいる。最後までアイツの盾になる」
「………………、何が、」
何が、そうさせるんだ?
僕の口から、思わずこぼれた。
余計な詮索。分かってる。
リスドレアはランシャイとの固い約束を守って、『その冒険者の違和感』を質問として僕にぶつけないでいた。僕はそれに甘えた。―――〝今〟は、甘えるしかなかった。僕本人にさえ、状況説明ができない。
だが、僕は聞いた。
固い友情。その背景に、何があるのか。気になったから。
僕の疼き。―――胸をギュッと締め上げるのは、『盾』と聞いたからだ。ある少女の姿を思い出す。……こんな、〝僕のために〟。僕なんかのために。絶望の中。月の丘で、あの女と対峙した。
…………チラと、視線をベッドに向ける。
今でも、『彼女』は眠っている。〝魔力〟の瘴気は取り除いた。熱暴走は止めた。眠りは浅く戻っている。
……だが、それだけで体力が『完全回復』するほど、甘くはない。メメアは、魔女に借りた布団の中で、その小さな体を横たえている。
こんな僕をかばったせいで。〝暗黒樹〟、原初の魔物の断片―――剣を受けて、それで眠っている。
「……何が、あったんだ? 君と、ランシャイの間に?」
「ソレを語る義務はねえ。オマエにな。
気になっているところ悪いが、他の冒険者に語る気はねえ。墓場に持っていく。ソレが信条であり、己の約束だ。ただ、これだけは言う。ランシャイに手を出すと、己が〝上級冒険者〟の力を行使する」
「…………」
「まぁ。それだけの話だ。
ガラにもなく熱くなっちまったが、これで―――里の辺境にきた目的は達した。オマエも見つけられたことだしな。『旧世界の英雄』のことも、ちったあ分かっただろ。それでいいんだよ、〝今〟は」
「…………。」
「オマエは、これからどうするんだ?
《クルハ・ブル》のダンジョン攻略戦は、まだ全員が揃ってから。遺跡に合流してもやることねえだろ。己は今から里に戻る。〝オマエ〟は?」
僕は、黙った。
里の屋敷の暗さに残る、空気感。
屋敷の窓に揺れる、赤いカーテン。どうやら外は夜の闇の気配が強くなり、夜半の風も吹きつけてきているらしい。僕はしばらく息をついた。
ここにきた――『理由』。
ベッドの少女は―――まだ、眠りの中に残されていた。
「僕は……」




