20 冒険者は微睡みから抜ける
目が覚めると、辺境のベッドに戻っていた。
……ここは?
どれくらい〝眠った〟だろうか。
僕は見回す。暗い部屋には静寂が広がり、ボウッと幻想的な室内用の《燭台灯》だけが、部屋を染める。
……ずいぶん、長いあいだ一室を離れていた気がする。
部屋にはひっそりとした呼吸音がして、その目の前には眠る少女の静かな顔があった。
焦点が合うと、ミスズが見ていた。
「お、お目覚め……ですか? ますたー」
「……ミスズ? ここは?」
おずおずとした声に、訝かしんで尋ねる。
この場所は『辺境の一室』……そうだ、思い出した。
僕はこの場所に魔女・ローレンさんを訪ねてきていて、エレノアの案内でその双子の姉――(現・里長を辞退して、森の奥に引きこもったという人)――を探して森に入り、そしてこの『通称・菜園』という花の咲き乱れる庭先の屋敷に来たのだ。
魔力の《熱暴走》という、真の状態異常を知り、それからメメアを助ける方法を探した。結局、それはマナに〝外側から干渉する〟方法であり、僕は精霊王の壺を使ったのだ。
ミスズの話では、僕は眠ってしまったらしい。静かな一室の『少女の寝台』に寄りかかり、しばらく意識は白の波に呑まれた。
――《精霊王》の壺を使った。効果は絶大だった。
ミスズが、少し不安そうに説明する。
それは神樹の〝マナ〟を閉じ込めた、一時的に浄化する《熾火の生命樹》の炎に触れたような力だった。効果は絶大で、魔物のマナなどは一瞬で消し飛ぶ。《魔女》の計算通りだった。だが、そこまでだった。
気がつくと道具を使ったはずの〝冒険者〟自身が、飲み込まれるように眠り意識を失ったという。
ミスズは不安がった。三日三晩。ローレンさんいわく、『いずれ目覚める』と予測をしてミスズに告げたらしい。それから三日三晩。ミスズはただ付き添っていたらしい。三日間、ただ離れずにいた、というのがミスズらしい。
「……じゃあ、僕は。戻ってきたのか」
「(……戻って?) は、はい。鉄の国です」
酒場のテーブルのように、静まった場で、こくりと頷く。
椅子が多いのは、部屋に奥行きがあるためだろうか。僕はその遠い国に行ったような『夢』を思い出しながら、黙る。
……ずいぶんと長い間。浸っていた気がする。
僕は思い出す。ミスズは、ずっと父親と離れていたみたいに、『ぎゅっ』とその服の袖を握りしめていた。大きな瞳が、何か言いたそうに見つめてくる。
『なんだ?』と僕が尋ねると、少し迷った顔で、『お客様が来てます』とその精霊は意を決したように言った。
視線を後ろに動かすと、意外な登場人物がいた。
「いよう」
「リスドレア……?」
後ろに斧を背負った、山賊よりも山賊した服装。
冒険者らしく腰のベルトに回復や備品を積んで各局面に対応する服装をしているが、肝心の剣の鞘も、冒険の短刀|(魔物の剥ぎ取り用、鉱石採取などに使う)も持ち歩いていない。大斧一本というところに、絶大な自信が窺える。
外見は、切れ長の瞳をした美人獣人。
それが腕を組み、酒場の椅子のように、テーブルに足を上げてくんで待っていた。相変わらず、粗野な印象を受ける。
僕の訝しがる視線に、その答えを求めていることを察して、感情を読んだ冒険者は告げる。獣人らしく、話す前に耳が動いた。
「お前の連れに、あの里長ってヤツがいただろ。こっちの雇用主の商人の小娘――ランシャイと、お前との伝言役を頼まれた」
「……? エレノアに?」
「ああ。もともと、そういう約束だったからな。
『同盟』だ。一時的にだが……まぁ、冒険者としてこんな任務はうってつけ、っつーことでな。お前とも連絡を取り合ってるってわけだ」
「? それで?」
「里での話だ。盗賊どもの回収、牢をぶっ壊しての作戦は順調に動こうとしている。その話と、遺跡攻略の準備について、少しな」
腕を組み、話す。
当然ではあるが、『遺跡攻略』も準備が必要になる。持ち込む武器防具に予備の物資、それに人員。難所を進むためには洞窟の壁を壊すツルハシ、高所を下りて攻略を進めるには〝ロープ〟――。
今回は〝獣人傭兵団〟を含める、大所帯での攻略だ。《冒険者》であれば、ある程度は無視する身体能力を得る。
だが、前とは違い、今度は山賊討伐と魔物討伐、その大人数での探索と、攻略が必要となってくる。僕らとしても頼るしかない。
資金とは豪商ランシャイ、そして、人員は里の長であるエレノアがつける。準備には里の収拾も含まれていた。ここで冒険者たちの役割は、リスドレアが〝商人連合〟として動くことと、僕は〝里〟の冒険者として動くことだ。
そんな段取りを語り合う。
「……分かった。里の件も、手伝えるならそっちに回れると思う」
「フン。まあ、頼むぜ。そういうつもりで言いに来たからな。つーのに、いざ合流してみると、よく分からん状況になってて、お前はマナを空っぽにしてぶっ倒れてるし」
ボリボリ、獣人冒険者は髪を掻いて、『なんじゃこりゃ?』という顔で見まわしている。
……どうも、彼女が尋ねてきたのは、僕が『夢』に入った二日目なようだ。
どういう理屈かは分からないらしい。だが、とりあえず『死んでねえ』ということが分かった以上、『いつか目覚めんだろ』とばかりに居座ったらしい。かなり大雑把な理屈だったが、もともと、単純に割って考える思考が好きなようだ。
それ自体は、あんまり苦痛に思わないらしい。
「つーか、『精神世界』が――どうたらって。ごちゃっと、難しいこと呟いていたがな。あの姉ーちゃん。何か色々あったのか?」
「? 誰だ?」
「ほれ、お前んとこの《依頼人》に鏡写しの、館の主だよ。あの女、薄着で館の中歩き回って絶対エロい自覚ねえな。エロエロだぜ」
…………なんか、言いたい放題言ってるが。
僕がおそらくローレンさんのことだな……と眉を寄せると、『薄着で出歩きやがって、まさか見せつけてるのか? 貧弱な妹にちっとは分け与えろってんだよ』とメチャクチャなことを言っている。聞かなかったことにした。
(……しかし)
僕は考え込む。
『まーた薄着なのか、あの人』という感情はとりあえず置いておいて、リスドレアの言った『精神の世界』という言葉が気になる。あれは、確かにマナの再現――『過去の世界』だった。
…………『夢』、だったのか?
僕は思う。それは、夢なんてものじゃなかった。現実のものとして色づき、『風』も、花も。匂いも――あった。
あの世界は、〝時の再演〟だった。
聖剣の光すら、草地を焦がす焼けた炎の匂いすらも、鼻孔を焼いた。『戦い』が、そこにあった。それは疑似の再演でも、作り物の絵のようなものでもなく、本当に、現実だった。
……僕は、もう一度〝現実〟を経験してきた。
二度目のあの世界を、見てきて、戦いをくぐり抜けてきた。そこには現実に戦った〝戦友〟の姿もあった。
それは、何だ?
僕は思う。記憶の上では初めてのはずなのに、なぜか――『それを知っている』気がした。脳に刻まれた知識ではなく、体が、体験が、その現実を覚えていた。
覚えてはいないが、似たような体験をし、別の『世界』にもぐり込んだ気がする。――それこそ、もっと昔に。古い過去の、全てが始まる前の――なんというか、緑しかなかった、原初の全ての『歴史』が始まる前に。
――それが分かれば。思い出せれば、何か分かりそうだった。
だが、覚えていない。
ものすごく重要なことだった気がする。もっと、冒険の根本に関わるような……。
「……」
「…………んだよ、黙りこくって?」
僕が沈黙していると、目の前の獣人が首を傾げた。
岩を割ったように単純に、『遺跡に向かう前に、何をやってるんだ?』という顔。確かにその通りかもしれない。リスドレアが不審そうにこっちを見ている。
……確か、『夢』で見たのは。
異端に狂った世界の話。魔物の巣穴を潰す物語。――当時の、人々は混迷に飲まれていた。正常じゃなかった人もいた。
……騎士狩りは、『その』力を得た。―――それが、迷宮攻略戦に、役立つ知識かもしれない。
《冒険者》として僕らが気にする箇所。
…………貪り、集い、力を得ようとする。人間の欲の物語と、そして。
……そこに登場する《魔物》の話だ。
「……なぁ、リスドレア」
僕が拳を握りしめる。
仲間の冒険者が、命がけで入手した情報。だから気持ちが違っていた。僕は見る。彼女は酒場のようにくつろぎ……その『契約精霊』と戯れ、弄び、フカフカの毛並みを指の背でなぞっている。声をかけると、『あん?』と視線がかえってくる。
「詳しく聞きたいことがある」
「んだよ? あのエロいオッパイねーちゃんのサイズかー?」
「え」
そんな話と思っていなかったのだろう、冒険者リスドレアは適当に、しかし真剣に『実は、己も気になってるんだ』と、異様な深刻さで言うと、声をひそめる。『巨大よな。…………残念ながら、いかに冒険アイテムに熟達し、その道の玄人、女のはち切れんばかりの武器のサイズも、分かってるはずだったが…………畜生、あの女のサイズだけは分からん!』と武者震いのようにぶるるっと震える。戦慄する。
「男のお前が気になるのも分かる。……ああ、分からんでもないぜ!」
「……ち、違う! そういうことじゃなくって、この国で気になったことがあるんだよっ!」
宝物は宝物でも、情報違いだ。僕が慌てて否定すると、『お前も好きだなあ、ムッツリ』という顔で同族意識を持ったらしい女性冒険者は、『なぁんだ、つまらん』とばかりに顔を背ける。
…………た、確かに、冒険者ならここは軽口には乗っておくべきところなんだろうけど……。
僕は赤くなり咳払いをして、仕切り直した。
「――君と、同じ獣人の話。過去に生きた獣人について聞きたいんだ」
「……?」
「詳しくは……『伝説』の人だな。僕は詳しくは知らない。セルアニアの、片田舎の王国に生まれたから。そういう歴史上の冒険者も、詳しい偉業の中身も知らないんだ。……だけど、獣人なら。君と同じ生まれなら」
……たとえば、僕が同郷、《セルアニアの小さな英雄》のララさんを詳しく知っていたみたいに。
……または、サルヴァスの街中に多くいる庶民的な精霊たちが、『精霊王』の逸話に、詳しいみたいに。
きっと、同じ種族の生まれ。一度は階級を登りつめたことがある――〝第一位〟だった昔の、英雄のことを、獣人だったら知っているはずなんだ。
リスドレアが怪訝そうな顔をした。
だから。僕がいった。
「僕は世間知らずだ……。それは分かってた。《剣島都市》でも底の人間だったんだ。〝Eランク〟の生徒に、そんな世界の詳しいことまでは分からない。でも、そのせいで、守れるはずだった人が守れなくて、守れる知識がなくって、―――『僕の未熟』で、誰かが傷つくのは……もう、嫌なんだ」
「……。なにが、聞きたい」
「――〝獣人アジルド〟」
言うと、リスドレアの顔から遊びの色が消える。
スッと目を細め、驚きも一瞬、すぐに感情を消し去ったような、暗く幽鬼のような《冒険者》の表情そのものになる。
「……僕らの世代より古い。伝説上の、中興の第一位の冒険者」
すかさず、ピリと肌をひりつかせる〝敵意〟が押し寄せる。
『なぜ?』と探る言葉の代わりだ。僕は首を振った。
「すまない。説明は後回しで、早急に聞きたい。……考えを、まとめたいんだ。情報が欲しい。僕は未熟で知識がない」
……なるだけ、《冒険者側》から、聞きたかった。
僕は思う。冒険者の年季は、それに関わってきた世界の雑多の多さだ。僕がまだまだ知らない歴史との関わり、あるいは、討伐の歴史。――リスドレアなら知っているはずだ。
あの剣は、確実に冒険者の血を吸った《魔物》の残骸によって作られているのだ。
異端に狂った『王国の小人たち』が企んだ話と、王国を焼くほどの過去の魔物の脅威脅威。――過去の世界から、その剣は生まれている。
冒険者アジルドが攻略して、そして、生まれた『結果』が、現代に残っている。
「…………どこで、その『名前』を掴んだか。知らねえが」
獣人女の目つきが、少し和らいだ。
目配らせする。浮遊する精霊。――おそらく、リスドレアより古く物を知っているであろう……《契約精霊・ポコ》が、こくりと頷いていたのだ。それが腕を組み、浮遊しながらシッポを揺らす猫は……どこか、新しい娯楽の熱を発見したように、興味が湧いたように口元を笑みで歪めている。
『……構わないさね』と、彼女に教える。
《契約主従》の意見が一致したところで、リスドレア――Cランク冒険者が静かに告げていた。
「――いいか、冒険者。《世界の巣穴潰し》――迷宮討伐戦は、あれは〝失敗〟だと言われている」




