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19 彗星の輝き






 ……。


 …………。



 …………なにが。




 何が起こったのか、女には分からなかった。



 里に向かったのは『魔物の軍勢』のはずだった。……オークのヨードフに預けた《骸骨剣士スケルトン》の一団、それはダンジョン迷宮の眠りにのみ存在しており、〝低級冒険者(E~Fランク)〟だったしたら、永久に、絶対に勝てない魔物のはずだ。


 ――女は、思う。確信がある。



 オークのヨードフが『ぶひゃひゃ、魔物を操る能力なんか、最高じゃねえか』と出発前に言った、あの顔が思い浮かぶ。彼は魔物が動く仕組みなど知らない。そもそも、旧世界にいた〝始祖級魔物(AAAランク)〟の断片を―――使って、その能力を利用しているなんて知りようもないはずだった。


 ただ、便利な〝魔物の集団移動〟ばかりに目をつけ、それをアズライトに依頼しただけだった。


 オークのヨードフはそれを使い、里を襲い、鉄の国・《クルハ・ブル》は未曾有の足音に震えることになる。…………〝アズライト〟にとっては、それだけでよく、その破壊で満たされればそれでよかった。

 

 女の口が動いた。



『……なのに、なんで』




 見る。



 一撃ごとに盗賊の包囲を突き破る《冒険者それ》がいた。


 黒い点にしか見えない《冒険者それ》が動くことで、包囲し取り囲む軍勢だったはずの『もの』が、金色の風にさらわれて吹き飛ぶ。里の土にぶち当たっていく。



 たった一人、立った一振りの剣しか持っていない影が突き進むたびに、囲む軍勢が押しのけられていく。細かい盗賊の粒が回転しているように見えるのは、一撃一撃が、『繊細な動き』を行っているからだ。



 ……アレで、冒険者はただ『剣を振っている』だけではない。――各種、さまざまな動きに対応し、『構え』を瞬時に複数回切り替えながら、剣を受け流し、相手の斧を根元から切断し―――軍勢を一瞬で、数十人吹き飛ばしている。




 ……、そんな、動きが可能なのか。


 そんな、動きができる《秒速移動ステータス》が、存在するのか。



「………………なん、ですか。〝怪物アレ〟は」



 女の目が、ただ呆然と見開かれる。



 金色に誘われるように。《魔物》が襲来した。


 夜の切り札である―――《砂鯨ドーザー・クル》である。

 南の果て、その砂の国では冒険者どころか商人の貿易隊列キャラバン・サライすらも飲み込む巨大な怪物がいた。その正体が《砂鯨ドーザー・クル》で、群れを作りながら砂漠の地中深くに生息する。



 …………今回、〝蜂起〟するにあたって。



 もともと盗賊の頭としていた『オークのヨードフ』が、たっての所望をした魔物がその《砂鯨ドーザー・クル》であった。


 砂鯨ドーザー・クルの特性を知っている。長く大陸で盗賊をして過ごしてきた豚顔の男は、その魔物がより生命マナの強い存在に引かれ、大食らいの魔物はそれを食らいつくし、貪ろうとする特性があることを知っていた。だから里を攻め落とす際も、あの男は《砂鯨ドーザー・クル》を選んで、連れていったくらいだったのだ。


 だから、『里の内側』に集まる〝数百〟もの人間の生命マナは格好の餌であり、標的だったのだ。



 だが――その魔物が、里の〝内部〟ではなく、〝たった一人〟の剣士に方向をぐりんと転換させてしまった。



 ……つまり、野生の本能が、里の中に集まる――〝何百〟という里人、守り人たちを無視して、里の外に現われた『正体不明それ』のほうに〝生命マナの誘惑〟を感じとったのだ。


 ――そこまで、『単独』で圧倒的な生命マナを所有する者は―――何者なのか。



 ピシリと頬に。空気の塵が当たった。


 女―――アズライトは、それが『風に運ばれてくる、塵』だということに気づくのが遅れた。『常識的に、ありえない』と。あの麓の里から、この山中まで、一体どれだけ距離が離れていると思っているのだ。


 ――王都の〝常識〟からかけ離れた騎士狩りの殺人鬼ですら、思ってしまったのだ。



 …………『ありえない』。と。



 気づけば、自分の手が震えていることに気がついた。


 常識外のことに、震えていた。


 《砂鯨ドーザー・クル》は――光に誘われるように、集団で冒険者に襲いかかっていた。通常であれば、《Dランク冒険者》でも苦戦必至、喰われてしまう魔物である。たゆたう、空を泳ぐ―――砂鯨ドーザー・クルは凄まじい力で砂粒ごと《冒険者》を粉砕しようとした。


 大地が震え、飲み込もうとした。――だが、直前、黄金とともに宙を舞う冒険者が、砂鯨ドーザー・クルの角を叩きおった。


 絶叫が―――大地に響き渡る。


 麓の光景には赤く染め上げる『燃える里』があり、そこに向けて冒険者が突撃をしていた。盗賊の集団が巻き込まれ、《魔物》すらも錐もみ状に回転する。



「………なん、ですの……? 『あれ』は」



 気づけば、女の口が乾燥していた。つばを飲み込む。一匹の鯨が殺される瞬間に、汗が噴き出る。


 それを見ていると、



「……あれ、が。……《冒険者》……」


「……な、んですって」



「あれが。《冒険者》なの……」



 メメアが、起き上がろうとした。


 ボロボロの体だった。力は入らないはずだった。


 ……なのに、なぜ立ちあがろうとするのか、『女』には理解できなかった。左手からはどす黒い血が流れ、その顔は今にも潰れそうなほど苦痛に歪んでいる。……正常じゃなかったはずだ。無事ではない。その痛みは、尋常のものじゃなかったはずだ。


 なのに、少女は起き上がろうとする。草地を這いずり、血の跡をつけ。―――『なぜ』か、女には分からない。そうまでする理由が。そうまでして、なぜ『諦め』ようとしないのか。


 王国の騎士ですら、路地で諦めようとする。その光景を女は何度も見てきた。だから、こういった瞬間、状況では、人が絶望し諦めるものだと―――『脳』に。戦場の経験に、擦り込まれている。


 …………なのに、なんで。


 その少女も、麓の冒険者も、騎士狩りの慮外をいっていた。



 少女は、立ちあがっている。



「あれが……《最弱冒険者クレイト・シュタイナー》……。

 あなたは……あなたには、分からないでしょうね。どうして、私たちが、こんなにも戦うか。理解が、できないでしょうね」


「……なんですって……?」


「どうして、人のためにここまで――やるのか。

 そうよ。簡単に人を見捨てて、冒険して。そっちのほうが断然楽よ。楽に、決まっているじゃない。


 人に手なんか差し伸べずに、自分の考えのいいほうに、都合の良いほうに考えるのが。楽に決まってる。なんで他人を救わなくちゃいけない。――そんな義理もない、そんな報酬も受取っていない、冒険なんて冒険者が生存してもともと、他人を蹴落としてもともと。冒険の糧になれば〝正義それでいい〟――


 ――そうよ。逃げる理由なんて最初っからいくらでもあった。……この、鉄の国・《クルハ・ブル》に入った時点で」



 ……なのに、なんでだろう。


 この少女が言うことに、ここまでゾクリと背筋が震えるのは。


 少女メメアは、言う。


 ――そんな理由、いくらでもあった。と。


 そんな絶望ことを実践する、冒険者たちばかりだった。


 さかのぼる記憶は昇格試験。生きるためなら。栄達したくて、良い冒険生活をするためなら、人を平気で《底》だろうが《魔物の巣穴》だろうが突き落として―――水底にたたき落とす、そんな絶望の〝光景ビジョン〟があった。


 他人を蹴落とそうなら、なんでもする。

 

 《最弱聖剣(レベル1)》なんか、レベルが上らない。《滑稽な冒険の本せいけんとしょ》なんか―――格好の餌だった。死ねばいい。なんの役にも立たない、この世界の《島》というシステムに生かされている〝寄生虫〟なんか、大量の雑魚とともに死ねばいい。少しでも死んで、魔物の養分になればいい―――。


 そんな、世界だった。


 冒険なんて我が身の無事だけを庇えばよくって、他人を突き落とすことが『自己防衛』として成立する。してしまう、島で語っても許されてしまう。……世界は、そんな残酷リアルすら産み落としてきた。



 メメアも、それに傾きかけた時期があった。


 …………だけど。



「常に、『できない』ってことを―――『彼』が。打ち破ってきたのよ。限界を、超えて。

 強いか弱いかなんて関係ない。雑魚だとか、役に立たないとか……そんな理由なんて、ぜんぶ後回し。彼の《冒険》には関係ない! そこで魔物がいて、怯えている人がいて、困っているって叫んだら―――関係のない、手を差し伸べてしまう。それが彼の冒険なの!!!」



 その少女は、言う。


 ――〝弱い〟なんて、《最弱聖剣(レベル1)》はこれっぽっちも思っていない。そんな概念システム、島が押しつけてきただけだった。島が押しつけ、冒険者たちが常識とし、あらゆる自由からそれを縛った。


 けれど――関係ない。

 少女は、彼が『逃げる』だなんて最初から思っていなかった。むろん、自分も。



「〝始祖級魔物(AAAランク)〟なんて―――知ったことじゃない。関係ない!

 そんなのあなたの自己満足。古い価値観。〝四大国会議〟や、〝七老国議会〟――それがどうしたの。それを研究して魔剣を作った人がいるとか、そんな歴史も関係ない。


 ――《最弱冒険者(レベル1)》を、甘く見ないで。あなたが思うほど《冒険者》って脆くないの。そこにどれだけ大きな絶望があるか。その絶望が、どれだけ大きいかによって、《冒険者》は力を発揮していくの」



 少女はもう一度いう。


 ――《最弱冒険者(レベル1)》を、甘く見るな。と。


 それはかつて、ある《剣島都市サルヴァス》の冒険者が、雨に打たれて何もかもすべての暗い世界を絶望したとき。一人の女性から与えられた言葉だった。メメアは知らない。知るよしもない。なのに、そこで戦う『彼の姿』を見て、同じ言葉が口から生まれたのであった。


 それほど、彼の状況が、冒険が。


 この夜に動く人々に影響を与えることになった。



 ―――〝絶望〟の塊が、大きければ、大きいほど。


 少女はいう。その冒険は輝くという。それこそ、夜空を覆い、巨大な翼を広げる魔物をも。蹴散らして。討伐してしまうほどに。




 少女メメアは、そう信じる。


「――あなたの求める〝理想ぼうけん〟が、百年前の古くさい骨董のような《混沌カオス》だったとしたら。冒険者たちが許さない。――私も、《最弱冒険者(レベル1)》だって、それを許したりはしない。

 百年前に、《獣人アジルド》がいて止めたのなら。現代には、《彼》がいて止める」



「……っ!」



 笑う、ところだろう。


 通常なら、笑い飛ばすだろう。

 何を大きなことを。と。笑止であると。笑えばいいだけの話だった。


 だが。笑えない。口が引きつったようにうまく動かず、麓の光景を見るとその顔に余裕が少しずつ失われていく。たわけた言葉だった。誇大な妄想だった。相手は最弱の『Eランク』であり、ここに立っているのは騎士狩りなのだ。


 ――なのに、なんで。


 ……口が、まったく動かなかった。乾いて張りついてしまったように言葉を探し、しかし出てこなかった。騎士狩り・アズライトは思った。それは、彼らがさせていることだと。相手を否定する『材料ことば』など山ほどある。だが、今は、そのどれをとっても、否定にならない。


 

 ……なぜ。なぜだ。


 ……なぜ、こうも重圧感を感じている。圧倒される。たった、『Eランク』の冒険者ごときに。


 女は眉に深いしわを刻み、戸惑いを深刻なものとした。―――負ける『光景ビジョン』はいまだに浮かばない。この魔物の黒い剣を差し出せば、目の前の少女はすぐに血を流し、生命を失う。


 ――麓の――《最弱冒険者(レベル1)》についても、同じだった。負ける絵が浮かばない。これほどの光景を前にしても、女には、まだ自信があった。




「だとして、も。……あなたは、『ここで終わり』ですわよ?」


 そして、息を吐く。


 少女のいうとおり、あの《最弱冒険者(レベル1)》の実力は認めよう。別格だ。それ自体を認めるのは我慢ができないほど癪だし、『敵性認定』をすることが敗北を意味するが…………認める。


 しかし、それよりも、何よりも厄介なのは《冒険者連合》ともいうべき、数名の協力している冒険者だった。


 女は思う。アズライトは薄々感づいていた。


 その冒険は彼一人ではできない。気がついたのは、《最弱冒険者(レベル1)》以外にも、協力し合っている冒険者がいることだった。


 暗殺の経験はそう語る。王国の騎士狩りを路地で行っていたアズライトは、最も厄介な敵として『単純に蛮勇に優れた騎士』や『名を名乗り、やあやあ――と吠える、腕自慢の猛者』など見ていない。眼中になかった。


 むしろ。

 変に出世欲があったり、命を惜しんだりする『自分だけは特別タイプ』は戦っていて殺しやすかった。


 じゃあ、何が。どんなタイプが倒しにくかったかというと、しぶとく、決して屈せず、『仲間を信じて、助けを呼ぶまでに時間稼ぎをする人物』であった。その信頼が、怖い。自分を捨てて、壮絶な斬り合いで敵に向かって笑う人物が、怖い。


 武器の巧者や自信家たちとは違い、自ら退路を断って、ギリギリまで敵を巻き込んで壮絶な戦いを繰り返す――そんなタイプの敵のほうが、被害を出すのだ。


 ――女は。アズライトは、目の前を見る。


 『彼女』は、その法則に当てはまるのだ。


 『騎士の落ちこぼれ』、そう考えていた理解は撤回しよう。この《Eランク》は強い。


 真に強い冒険者は《最弱冒険者(レベル1)》かもしれない。分かっている。だが、この『本の冒険者』も――十分厄介になり、ある意味、女の道をふさぎ禍根を残す、敵だと思った。


 残しておけば、将来に向け禍いが残る。


 ――女は、そこまで計算した。



(……潰しておかないと、厄介なことになりそうですわね)




 ……刈り取る準備をした。

 女は身構える。草でも刈り取る容易さで、しかし、最大限に警戒して攻撃を外さないように。一撃で決する。殺すつもりだった。すべての殺意を剣に込める。


 容赦する気がないのは『構え』からも分かった。万全で、健康体の王国の騎士ですら反撃を許さない。来たるべき将来の『決戦』のために、草地に足を進めた。


 その時だった。


 吹き抜ける風の中で、むくりと『それ』は体を起こした。





「ふ、ふふ……な~~イス、です。クレイトさん」


「!?」



 見る。


 ――それは、


(……な、なんです……?? 『これ』?)



 ……〝クマ〟だった。

 


 あまりに小さすぎる、『契約精霊くまのぬいぐるみ』。


 通常、精霊というものはその姿が〝こういうもの〟であると決まっていた。


 非常識きしがりといっても、アズライトでさえ、王国で統一されたその普遍的な価値観を抱いている。だから、意外だった。その間の抜けた光景が、理解不能いみふめいでならなかった。


 …………不覚にも、騎士狩りが動きを止めてしまった。


 アズライトの普遍的な価値観は生きている。


 例えるなら、そう、王国での『酒』は『アルコール』であり、『必ず酔っ払うもの』とされている。暗殺者でも、庶民でも、それは同じだ。


 『果物オレオの実は甘く、同時に収穫期前は酸っぱい』などの常識。これも世界共通。たとえば、王国の人間が記憶喪失になったとしても、ペンの持ち方を忘れたりはしないだろう。


 アズライトもそれは同じ。〝騎士狩り〟であり王国で殺人鬼をやってきた異端の非常識でも、『常識レベル』というものは一定数値なのだ。


 ――それが、その中で不覚にも『常識』だと思い込んでいたものが、小さいながらも壊れた。《魔物か――?》と精霊に対して身構えてしまったのだ。


 アズライトは。いや、王国のすべては、精霊の姿が『常女の子のものである』と伝え聞いている。王国に住まう人間なら、島からの依頼で外に出てきた冒険者を見たとき、王国の城下町などで〝女の子〟を連れている剣士を目撃したはずだ。


 ……それが、常識ルール


 だが、その精霊は『強烈な違和感』を漂わせて、急に現われた。急に現われたのは、なんのことない、山の遺跡から里まで〝急行〟しようとしていた冒険者たちが、常に『結合シンクロ』状態にあったために〝姿〟を見ていなかったのだ。


 ……精霊には、例外もある。


 たとえば動物などの姿を模した『精霊』なのだが、そういったものは〝存在マナ〟が未発達。しゃべれずに『みゃぁ』と鳴くものが多い。


 その中で、『はっきりした言語』を喋り、しかも姿は《魔物》でも《動物》でもない。〝ぬいぐるみ〟――こんな強烈な出会いはない。


 ――そして、身構えてしまった。その一瞬が。




 剣士の世界では、『なんとよばれるか』―――。



(……しまっ)



『―――『結合シンクロ』』


 瞬間。月がかげるほどの『息吹』が草地をなぎ倒しながら広がっていった。


 黄金色の風。それは『結合シンクロ』の光。

 少女の『本』に―――その黄金色の、いや、少し赤みがかった『彼女色』の聖剣図書の光が吸い込まれていく。精霊が草地から僅か、ほんの僅かずつ母なる生命マナを吸収し、その残りをありったけ使って《聖剣図書》に吸い込まれていったのだ。


 それだけで『少女』の姿に、力が戻る。《ステータス》の恵みが、彼女の体を支える、ほんのわずかな息吹を与える。



『大陸には、魔力マナが満ちて、自然がそれを支える――。

 僕らも。そして、僕らを支える――かの世界樹、《熾火の生命樹フレア・ユグドラシル》も、その一部。精霊は魔力マナによって出来ており、自然界で最もその〝影響〟を受けやすい体質を持つ――』


「……っ、」


『《精霊ぼく》は、途中で『聖剣図書』を離れました。命が惜しかったわけじゃぁない。常に消耗ブースト状態だった本から、なんの魔力マナも消えてしまった時点で、――それを利用し、《姿》を隠した。なんのためか――』


 女は思う。


 不覚マズいと。この精霊が言っていることは分からない。理屈も、そもそも《島》の専門用語が多すぎて、戦いに脳の処理を傾けている女には、『全理解すべて』が理解できるほど追いついていない。


 ――なのに、これだけが、分かる。


 マズい、と。


 あの精霊が語っている言葉は、確実に自分にとって不利で取り返しのつかなくなったことだ、と。



「――『コタエ』は、僅かでも自然から魔力マナをかき集めるため。

 ほんの、わずかでいい。本来の1パーセントでも。些細な、ごくわずか、小指程度のものでも。

 ――その一回があれば、僕らになら《限定行使チャンス》が与えられる。…………あなた、《最弱冒険者(レベル1)》に時間を使いすぎましたね?」



―――行うべきは、《雷炎の閃光ファイア・ボルト》攻撃ではない。


 そんなもの意味がない。女に『防御の炎ガード』ごと打ち破られる。


 そうじゃなく、少女は自分の立場を理解していた。彼女がどうして〝戦闘行動〟を無理や続けていたか? それは、里で盗賊と交戦する手はずの《冒険者》が、背後をやられて挟撃されないためだ。


 ――じゃあ、どうする? 『足止め』の役割はとうに過ぎている。



 選択肢は、《主従》の脳内で〝一つ〟しかない。




「―――精霊アイビー。《神樹図書館の王壁ウォール・アマランサス》!!!」


『―――了解。契約主マスター、《神樹図書館の王壁ウォール・アマランサス》!!』



 少女が力を得て、黄金色の手を掲げる。


 『精霊』が復唱し、その〝想像イメージ〟が形となる。


 まるで神樹の根っこが絡みつくように――透明なマナの姿が夜空へ向かって渦巻き、円形ドーム状に広がる。それは、『島の図書館』のような堅牢で静寂な『特別な空間』を守るための少女の形。


 静寂な空間に包まれ、メメアの中に眠りし〝拒絶〟の意志。少女が過ごした過去が与えた〝想像イメージ〟であり、神樹が力を与えることにより『壁』が生まれた。『壁』は、女ごと外に押し戻す。


 渦巻きながら、その『壁』が丘に広がっていった。



「――これは」



 ……女は、見る。


 驚きが顔に広がる。『騎士狩り』には分かった。――〝アレ〟は冒険者の重装備の重盾タワーシールドの、何十倍もの強度を誇る。純粋な『契約の属性』のみで作られた空間である。



 ……だから、思う。



 ―――アレは、『硬い』。


 そう、単純に、硬い。

 それがどれほど驚異的であるか。


 硬質な盾は魔物のブレスすら弾き、屈強な鎧は魔物の鋭利な爪に引き裂かれたとしても生存を約束する。《冒険者》にとっての武器はその強度であり、魔物にとっての脅威はその『鉄の何倍もの硬さ』である。


 これが、この大陸でどれほど魔物を倒してきたのか。


 女は見て、静かに息をついた。



 ……。


 …………。



(――『潮時』。ね)



 そして、騎士狩りは剣を虚空で振る。




「……どうし、たの?」


「ふ、無理をしてもしょうがないですわ。『あなた』、限界でしょう」



 騎士狩りは、夜風に顔を向けながら言った。


 ――限界。


 そう、女の目には見えている。経験も物語っている。目の前の少女は、傷口を押さえ、少しでも出血と魔剣による魔力マナの流出に耐えているが……もう終わりだ。潰えるのが見えていた。


 それこそ、少し踏めば、割れる卵のように。


 ……粘れないわけではなかった。


 女は思う。騎士狩りの脳裏には、まだ『少女』を排除する可能性が残っていた。踏みにじることで、簡単に、虫のように潰すこともできる。残せば、後の戦いの枷になるかもしれない。


 ――でも、それがどうした?


 だが、それがなんだ?



 それでいい。


 女は思った。そもそも、退屈すぎたのだ。


 王都を出て、盗賊を雇い、ここまでくるのに順調すぎた。オークのヨードフなどはもう用済みであった。《魔物の軍勢》と、砂鯨ドーザー・クル――この両者が失われた今、あの豚面の醜い男に用はない。


 ただ、恵まれた条件下で、里を蹂躙する。――だが、それが彼女の望んだ『混沌カオス』か?


 それは―――『つまらない』。


 ただ一方的に蹂躙して、楽な条件で競り勝って、泥仕合のような血みどろの戦いもない、盗賊たちの血も流れない。それは、楽勝だった盗賊が喜ぶだけではないのか。




 かつて、騎士狩りアズライトは思っていた。



 『混沌カオス』が見たくて、王都で人を血に沈めた。

 人が最後に見せる瞬間が隙だった。人が血の海に沈み、口から泡を吐き、そして絶望に切り取られた――その最後の一瞬に見せる、見開かれた目から光が消える、その瞬間が隙だった。


 何を思うかは人それぞれ。叫ぶ言葉も違えば、絶望の顔も違う。……それが、一種の美しい個性に思えた。


 人の生き様は、その最後の切り取られた一瞬にのみ輝く。



 ――殺したい。


 ――もっと、見て見たい。


 騎士狩りの、妙な衝動が押し寄せてくる。


 渇いた喉が水を欲するように、渇望にも似た『その衝動』が押し寄せる。嘔吐くほどの、体の奥底からの要求。欲しい、欲しい、もがき苦しみ、胸をかきむしるほどに欲しい――。と。


 その欲求を、英雄なら満たしてくれそうな気がした。戦場で究極的に追い詰められ、絶望し、友や味方を守るべく戦う――身創痍の彼らになら『混沌カオス』がある。哲学がある人間が好きだ。彼らのもとになら数百年前にカオスがあった。


 ……それが、ここにはある。


 少女が守り、里の少年が《覚醒》した。

 ―――通常の、冒険者(Eランク)には無理だっただろう。潰れるはずの《襲撃》を一つ乗り越え、アズライトに、想像以上の光景を見せた。



 ……これを、潰すなんて。


 こんな豪華な皿メインディッシュを、豚の餌にするなんて。



 ――とんでもない。


 とんでもない。とんでもない、とんでもない。とんでもない。とんでもない、とんでもない。とんでもない。とんでもない、とんでもない。とんでもない。とんでもない、とんでもない。とんでもない。とんでもない。




 ――そう、それは。とんでもない。


 とんでもない話だった。


 壮絶に輝いて、『英雄』というものが覚醒するなら。かつて、古い英雄や、《獣人アジルド》たちが苦難に遭って初めて覚醒したのだとしたら。女はその可能性を試せるかも知れないと思った。ぶるっと身震いした。


 ……もっと、想像以上の〝光景〟を。


 女はそう思うと、笑いがこみ上げてきた。我慢できずに、夜空に笑った。何度も、何度も。


「…………な、に、が可笑しいの……?」


「……いいえ。ただ、《目標》が見つかっただけですわ。それが、どんなにも貴重なことか」



 ――王国の騎士狩りでは、味わえない。


 魔物の群れを交えた、次なる戦闘の構想が頭に満ちていた。……どう戦おうか、どう試練を与えようか? 次は殺しになるだろう。一人一人、奪っていくのだ。一人の手足を切り刻み、一人を痛めつけ。


 ……首を切るのがいいか?


 ……痛めつけ。ボロボロになったその顔を他に見せて、その心に『混沌カオス』を呼ぶか。



 楽しみだしたら、キリがない。

 心に潤いが出た。凄惨な笑みを、浮かべていた。



「〝あなた〟は、――そうですね、人質にしましょう。


 爪痕はつけました。その〝始祖級魔物(AAAランク)〟の残骸がふれた傷痕は―――そうそう簡単に癒えることはないでしょう。あなたの体内にいつまでも残り、いつまでも体内の生命マナを浸蝕し、高熱を発する。憧れる冒険もできない、その身体を蝕みを続けますわ」



「……っ」


「方法は、一つ。わたくしのところまでたどり着くこと」



 女は、手を開いて見せた。


 ――その《目標》を、まるで、彼らに与えて遊ぶように。




「だから、《冒険者》に伝えて下さいな。魔剣を砕いてください。と。もし気分がよければ、治療法を教えて差し上げますわ。……ふふ。なんだか、親しき友人に会った気分ですの。騎士狩りの時は、いつもこうでした」



 女はただ残酷に告げる。


『『魔剣』のところまで、たどりついてくださいませ』――と。

 それは、かつて上級冒険者たちだったものが手を焼いた《魔物の能力チカラ》。彼の手に余るかもしれないアイテム。だが、存在が想定外イレギュラーだったとしたら、これくらい突破できるだろう。


 ―――〝限界〟の、その先を超えて。



「……〝爪痕これ〟は、私からの愛の合図メッセージですわ。うふ、楽しみにしています」




 女は、夜風に紛れて、剣をおさめた。


 『つまらない』を、もう感じなくなった女はすぐに風に紛れて消えた。卓越した剣士の動きは、冒険者にも追えなかった。気がつけば少女メメアは草地の満ちたこの月の丘に取り残されており、周囲には静寂と、まるで戦場跡地のように破壊された光景が広がるだけだった。



 ……強者だ。夜風に目を向ける。



 そのてきは、どうしようもなく強い。これから、《最弱冒険者(レベル1)》と、あの人間が手合わせをする予感が、ぞわりと五体を満たしていく。





「……アイビー」


『しっ。マスター。今は、動かずに』



 精霊は、深刻だった。


 それほど、彼女と、彼女自身につけられた〝爪痕〟のことを感じとっていた。単なる攻撃ではない。体から徐々に魔力マナが失われていき、出血とともにおびただしい魔力マナが流出している。


 残存する力が、妙な熱暴走を始める。


 精霊は焦り、『結合シンクロ』の乱れを隠せない。ステータス強化が消えた瞬間少女は死ぬ。……だが、彼らの『知識』にはその打開策がない。


 その身体からも力が失われていく中で、少女は、やけに落ち着いて別のことを考えていた。


「……ねぇ。クレイトは、里を守ったかしら」


『……しゃべっては、いけません』


「……ふふ、心配性な、精霊。

 アイビー。覚えてる? 私たち、出会ったときこんなんじゃ……なかったの。神樹の根元で、ケンカした……っけ。数千の生徒のうち、私たちだけ。こんなのが『契約主マスター』だなんて、認めるかー、って」



『……』


「それが、今じゃ、こんな冒険……なんだか不思議。

 ……ねぇアイビー? わたしたち、こんなに強くなって。盗賊を追い返したなんて……信じられる?」



『……』


「ふ、ふ。――故郷で、諦めたはずの、強くなるための道……」



 思い出す。


 少し前の話。だけど……とっても、とっても、遠い日のような、懐かしくも寂しい道。


「う、ん。強くなった。強くなったものね……。クレイトを守れるくらい。ずっと誰かを守りたかったから。〝落ちこぼれ〟だったときから」


『……』


「休、息……しようかな。ちょっとだけ、ね。クレイト。いま、どのあたりかな」




 ――むかえに。



 きてくれるかな。




 ふと、少女は不安に思った。ぽつりと口からこぼれた。それが本心かもしれない。


 だが、疑ったりはしなかった。あの人なら来てくれる。確信があったから。木にもたれる。強がりを言っていても、もう体の消耗は隠せない。実は、指の先の感覚まで動かなかった。


 ……ただ、口だけが動いた。


 遠い遠い、里の麓から震動が聞こえてくる。――〝聖剣〟の音は、心地よい子守歌のようであった。


 ……少女には、『誰』がこれをやっているか目を瞑っていても分かったから。




(……少しだけ、待っておきましょう)


 里では決着がつく。でも信じていた。必ず勝つだろうし。約束した以上は、絶対に死なないし、またボロボロの冴えない《冒険者》の顔が、メメアのところに現われる。駆けつけて、慌てて、また不安げに鈍くさい顔でのぞき込むのだ。



 ……それこそ、Fランクの時の昇格試験のように。


 『彼女』は、その顔が、好きだったから。




「楽しみね、アイビー」



 メメアの顔が緩む。微笑む。その月を見上げる。




 ……ずっと、ずっと。信じて。





 そのために、戦ったのだから。




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