12 再出発(リスタート)の草原
それからというものの、〝僕〟の冒険は順調だった。
僕―――絶賛《剣島都市》で生活を送るクレイト・シュタイナーは、危なげない冒険を続けていた。前よりも無茶をすることなく旅をして、『始まりの平原』で探索を続けていた。
僕は、思う。
今まで曖昧だった、活動限界というものの意味を。
それは『これくらいまでだったら、無茶をしても平気かなぁ』だったり、『これくらいまでなら、遠出をしていいはずだ』と大雑把に考えていた範囲だった。僕の中でそれが明確に見えてきた。
冒険者には〝レベル帯〟というものがある。
当然だ。〝レベル1〟の生徒だったら、レベル1の冒険だけしかできないし、魔物を倒せるのもレベル1相当の魔物だけだ。〝レベル10〟の生徒だったら、それだけの境界線があるわけだし、それが明確なラインとして見つかった。
これが本当の、《剣島都市》の学園生活である。その冒険にあって、『ここまでの周辺冒険なら、自分の腕でも大丈夫!』という見えない範囲を探るのが冒険者の腕だった。
もちろん、以前の僕だって分かっていたし。
《剣島都市》の運営側も、生徒に無闇やたらに危険な目に遭わせたくないので、『推奨レベル帯』という指定をしている。だが、僕はそれをより重く受け止めていた。
僕は、前よりも無理をしなくなったのかもしれない。
〝ここは危ない〟〝ここは避けた方が良い〟―――そんな活動範囲が、見えるようになってきた。自分の実力を知って、過大評価をしない。危機察知能力が磨かれていて、自分がいかに弱くて、どれだけ脆いのか。
それを理解するようになった。
「マスター。ここで休憩して、お昼にしましょう。ミスズ、お腹ぺこぺこです」
「そうだね。……いや」
僕はミスズが選んだ木陰―――《地竜の季節》で草も黄色になった平原を見回しながら、いったんは頷きかけて、それから観察した。
「…………もう少し、歩いて視界を確保しよう。地形が悪すぎる」
「ち、ちけい……? ですか?」
僕が今まで口にしなかったであろう言葉に、きょとんとしている。
地形というのは、呼んでそのまま『土地の形』のことである。この大陸という〝決して平坦ばかりではない〟場所だからこそ、そこには山があり、谷がある。谷底だってあるはずだし、草木だって生えている。それは時として『防御』に利用できるが、物陰から『不意打ち』という牙を向けてくる。
僕は観察しながら、
「…………あの岩場の影が気になる。ここから200メルト。歩数にして100歩分くらいの距離かな? もしあそこに《ワイルド・ウルフ》が隠れていたら、昼食中に準備もできないまま襲われる『かも』しれない」
「か、かも………? で、でも。ここ木陰になって気持ちよさそうですよ? 休憩するのにピッタリです。それに、《ワイルド・ウルフ》さんが襲いかかってきても、きっと間に合うと思います」
「思う、じゃないんだ。間に合わない可能性があるなら、素直に止めたほうが良い。僕らは今まで相手してきた『魔物』程度の速さだったら大丈夫だったんだ。僕らが幸運だったのかもしれない。だけど、それ以上が出たらどうする?
もし《ウルフ》を超える速さの《魔物》が出てきたら対処できない。襲われてから後悔しても、遅いんだ」
「は、はうう」
ぐきゅるるるるる――――。と、しょぼくれたミスズのお腹から、気の抜ける空腹音が聞こえてくる。可哀想だったが、ここで少しでも妥協してしまうと今までの冒険が水の泡だ。前までの僕だったら、折れていたかもしれない。
不思議だ。頭から雑念が消えている。
合理的―――とは違う。冒険者としての心得。それはたぶん、僕が連日、ギリギリまで寮母さんに絞られてから考え始めたことだった。一種の《危機感》から、何か別の発想が生まれているのかもしれない。
「わ、分かりましたぁ」
「うん。後でゆっくりお昼を食べよう」
寮母さんとの『修行』は、相変わらずだったが。僕にも変化が出てきた。
『状況』を考えるようになったのも、その一つだ。その日の天候。太陽の向き。どう動いたら魔物から見たら眩しくて、どう動いたら木陰に逃げ込めるか。地形も重要だった。もし戦闘が不利になっても、逃げ込める場所がある。
寮の裏庭のときの話だ。圧倒的に優位に見えた寮母さんは、僕が草の茂った『足の絡みそうな場所』に逃げると、ピタッと足を止めるのだ。
…………おそらく、気づいている。
誘って、僕が優位な状況に持ち込もうとしているのを。
初日の寮母さんの『爆発的な動き』は、固い地面を選んで蹴って可能にしていた。超人的な動きにも、必ず原因がある。僕と寮母さんとの叩きは、その見極めだった。戦闘とは、つまり『要素』の組み合わせかもしれなかった。
あの狭い『寮の裏庭』ですら、そうなのだ。この大自然の地形にあふれた冒険ともなると、もっと『フィールド』は広い。
…………あれから、二ヶ月が経過していた。
いつもの底辺生活。下積みの修行生活が板につき。なれ始めた頃のことだった。そんな僕たちの『日常』に、変化の兆しは訪れていた。
と。
「………あっ。ウルフです!」
僕らが歩いていた前方から、がさごそ。背の高い草をかき分けて、その灰色の魔物が飛び出してきた。どうやら、例の『岩陰』の向こうに草があったらしい。奥には『魔物の森』があるようだ。
そこから、魔物が出てくるようだ。僕は『やっぱり』や、『言わんことじゃない』とは思わなかった。
その《ワイルド・ウルフ》の個体は小さく、ミスズの意見通り『見つけてからでも、十分間に合いますよ』という魔物であった。つまり、意見としてはミスズが正しい。しかし、そのウルフは、いつもと様相が違っていた。
「…………? なんだ? 逃げてるのか」
僕は驚いた。
人を襲わない。そんな魔物は初めてだった。どころか、僕やミスズなどに目もくれず、必死の足の運びで逃げ出している。まるで、沈む船からネズミが逃げてくるようだった。僕とミスズの足下を通過し、そのまま枯れ草の高くなっている平原へと逃げ込む。
………何かから、逃げている…………?
いや、何かに、怯えている……?
やや呆然としながら、僕たちは顔を見合わせる。逃げてきたのは『魔物の森』―――つまり、岩場の向こうだ。そこは《レベルⅡ》と呼ばれる冒険エリアで、平原よりも強い魔物や、鬱蒼とした木々の生息エリアである。
深くさえ潜らなければ、僕らのような初級の冒険者にも対処できるような場所だった。だが、今日の森は荒れていた。
数秒後。さらに、森から何かが逃げてきた。
黒い影。しかし、それは『魔物』ではなかった。
「…………あがっ、ぐ…………ぜえ、ぜえ……」
それは。
それは――――《上級生》だった。
僕は驚く。見覚えのある金髪。やたらと冒険者の割りに華美な『装飾具』や刺繍の入った王族のような服装を身に纏って、そのくせ目元だけは貧相につり上がっている。狐目であった。
忘れようとしても、忘れられない。
僕らを先日馬鹿にした―――あの、〝上級生・カァディル〟であった。
「……な」
「ぜえ、ぜえ…………クソッ! クソッ!! クソッ!!! あいつめ!!!」
膝を突き。青ざめた顔で、両手を地面に置いている。片手を木の幹へ。少しでも遠くに逃げようとしている姿だった。その上級生は、森を振り返る。
《魔物の森》は―――騒がしかった。内側から木々が揺れ、鳥の鳴き声すらも聞こえず、不気味な沈黙が支配していた。
直後に、また違った影が『魔物の森』から飛び出してくる。今度も人型だが、やはり人間とは違う。それは精霊の《御子》であった。彼女がこの男、カァディルの契約する御子なのであろう。金髪の御子は、その顔に青がかった『恐怖』の色をはりつけて―――逃げてくる。
直後。彼女を追いかけて、『それ』が真っ黒い体を現わした。
―――森の肉食王。《グリム・ベアー》。
「…………な、」
僕もミスズも、思わず呼吸を凍りつかせてしまった。
尋常ではない〝大物〟。
そいつは、普通の見た目とは大きくかけ離れた、人間の六倍近くの大きさのある〝巨体種〟だったからだ。 魔物は完全に狂暴状態に入っている。全身の漆黒の剛毛が全て逆立ち、『グルルルルル』と牙を剥く口元は、赤黒い歯茎までめくれている。
何か。
何か違う、この魔物は。
僕は思わず冷たい汗を流すのだった。本能的な部分が警鐘を鳴らす。
先日は、この上級生によって討ち取られた魔物と同じ系列だった。しかし、前回までの魔物とは明らかに様相が違っている。
僕は唖然とした。……いや、青ざめた。
(…………でかい。なんだこれ……!?)
その肉食王は、規格外の『巨体』を誇っていた。
その『魔物』―――僕らが前にする《グリム・ベアー》は、明らかに格が違っていた。本来なら、この魔物は四つ足で歩行するから時に小さく見え、『稀に二足歩行で立ち上がってみたら、驚くほど大きかった』という報告が何度もあった。それも《グリム・ベアー》の特徴だった。
だが。
僕の目の前の魔物は違う。5メルト―――いや、下手したら6メルトはある。超大型の魔獣である。普通の6倍の体格に、狂暴化して充血した眼は、赤く周囲を戦慄させていた。
―――巨大な、魔物。
僕は《剣島都市》での授業、『冒険者講義Ⅰ』の内容を思い出していた。『規格が大きい魔物は、わりとよくいる』という。そう慌てず、騒がず、通常よりも『推奨レベル帯』が二つ上昇する程度に考えればいい、と。
しかし、稀に『ヌシ』のような魔物が出たとき、それに関しては《剣島都市》はもはや『逃げる』ことを推奨している。勝てない。戦っても、勝ち目などないからだ。奴らは百戦錬磨の怪物であり、森に一匹、崖に一匹など―――〝その冒険エリアの覇者に君臨する〟という魔物だった。
多くの冒険者を葬ってきただけに『傷』も多いことが特徴だった。現に、僕らが今目の前にしている《グリム・ベアー》は片目に刀傷を受けて、隻眼となっている。
だが。
それだけに、その森全体を震えさせるような『咆吼』が、僕たちを一層怯んだ精神状態に陥れた。状況が分からないうち、『森側』にいた《上級生》と《剣の御子》が会話劇を繰り広げる。
「―――チクショウ!! 何だってんだよ! 何だってんだよォ! ふざけんな! オイ御子、庇えよ! 出てきて俺様を庇えよ! そのための御子だろうがよ!!」
「……………」
金髪の剣の御子が、震えながら腰を抜かし。その懐の剣―――《短剣》を構えてがくがくと震えていた。恐怖で瞳孔が開ききっている。
………なんで。
僕は呆然としながら思った。状況が分からない。
おそらく、あの御子の握っている剣は《聖剣》ではない。聖剣ならば、特別なオーラがあるため《冒険者》ならば一目で分かる。それに、御子が持っていることもない。おそらく、あの短剣は街で買い与えられたものだろう。
―――だが、おかしくないか?
護身用の剣なんて、剣の御子に与えるものだろうか? だって、彼女たちの本分は『戦うこと』ではなく、『聖剣を強化する』ことなのである。島の神樹・《熾火の生命樹》に与えられた精霊の御子たちは、僕らが《聖剣》で戦うときに強化をしてくれる役割がある。
だから、聖剣使いが《剣の御子》に戦わせることはなかった。
(…………だけど)
僕は、その光景に思った。
それなのに、あの腰が抜けた『マスター』は、自分の危機を御子に全てなすりつけているのである。―――『戦え!』と、まだ叫んでいた。無茶苦茶な話である。なぜなら、彼女たちは非力な精霊なのである。人間と違って、力がない。同じようには戦えないのである。
「……う、うぐ」
恐怖を顔に張り付かせて、カタカタと歯を鳴らしている。
その精霊が握りしめるのは美しい短剣―――あんな骨董品で、凶暴な魔物が倒せるなんて思えない。
なのに、
「―――戦えよ! 戦え! 戦えってンだよ!! 何やってる! 俺が喰われるだろ!? せめて一刻、一小刻でも俺様が逃げ出す『空白』を作れ! お前が不甲斐ないから俺が追い詰められてるんだろうが!!」
(…………なんて、ヤツだ……)
僕は唖然とする。
あの男、自分のパートナーである御子に『喰われろ』と言っているのか!? それで良いのか!?
確かに《剣島都市》では、精霊よりも人間のほうが『偉い』とされる風潮がある。それは、聖剣を使う『主人』がいないと精霊が活躍できないことになっているためで、今では当たり前となっている。
形式上は、『神の木が遣わした力』であるはずの精霊に対して、敬うことになっていたし。本来ならば傲慢に振る舞う『主人』なんて追放されるべきだ。だが、この《剣島都市》という都市が200年近くもかけて営んできた、その腐敗の波は〝常識〟になりつつあった。
だが。
それでも、剣の御子に罪はないのだ。
今の《グリム・ベアー》は、男ともども精霊を飲み込むつもりのようだ。だが、その隻眼の目は『人間』に向いている。――――つまり、この肉食獣は、今は精霊よりも『その主人のカァディル』のほうに、恨みを向けているのだ。
一体、何をしたのか。狂暴に喉を鳴らす獣が、聖剣使いに躙り寄っている。
「……ど、どうしたんだ……?」
「と、突然出てきたのです……」
と。
その空白の一瞬に、御子だけでも助けられないか近づいた僕らは。その震えて、短剣を握りしめたまま表情を動かせない少女に、問いかける。
「出てきたんです……。急に…………。《グリム・ベアー》…………その〝母親〟が……。あまりにも、突然……」
「〝母親〟……?」
意味が分からなかった。
そんな僕の疑問に、御子はにじり寄る怪物を見つめたまま頷いて、
「あの魔物は、子供を殺された《グリム・ベアー》……。私たちが罠にかけて殺した、その子供の親みたいなのです……」
「……な、に?」
僕は言葉を失った。
………今、何て言った……?
剣の御子はいう。
どうやら、彼らは〝まともな戦い〟というものをしていないようだった。
あの《上級生》たちは、《グリム・ベアー》を殺すという手柄を立てることを狙っていた。魔物を倒して、楽をして『報奨金』を得ようと―――まだ自分たちでも手の届く『子供』の魔物を付け狙って、最後に仕留めたらしい。
しかし、その方法は残忍なものだった。引っかかったら動けなくなる『罠』―――(おおよそ、聖剣を所有する剣士が使わない姑息な罠を)―――使って、一対一で勝負をするわけでもなく。剣士としての誇りを示すわけでもなく。
まずは相手に至近距離で弓矢を浴びせかけ、そしてのたうち回る魔物を、正面から囃し立てて。『一刀両断』に斬ったらしい。
「……………だから。怒り狂ったんです。あの魔物は………。私たちがやったのは、名誉ある《聖剣使い》の戦いなんかじゃありません……。罠を仕掛けて、それにかかった手負いの魔物を、追い回すだけ……」
だから。
あの魔物の怨念は、冒険者にのみ向けられているという。そういえば、最近《剣島都市》で冒険者を襲っているグリムベアーの話を耳にした。その魔物は、執拗に冒険者たちを襲って、手傷を負わせていたらしい。
そして、とうとう《魔物》は、彼ら『二人組』で動く冒険者たちを発見した。彼らは、また自分たちが格上の魔物を狩ろうと、『罠』を仕掛けているところだった。その背後に―――《グリム・ベアー》が不意打ちを仕掛けて、この惨状を呈したという。
「…………も、もう一人の上級生は? あの、青髪の……」
「……途中で、襲われて」
追いつかれたらしい。剣の御子の話では、腕を喰い千切られていた。
やはり目の前の金髪の上級生、カァディルと同じように『御子』を使い捨ての捨て駒に使ったらしい。自分だけは別方面に逃げ散っていった。
残された《御子》は、その狂暴化した《グリム・ベアー》に襲われ。それから……。
「……いや、待て。あと一人の〝精霊〟は…………?」
「…………あの子は…………ひぐっ、えぐっ。………………死にました」
「な」
それこそ。
その瞬間こそ。この世界が全て凍結して、闇にたたき落とされたような『ぐらつき』が僕の体の芯を打ち抜いた。
―――御子が、死ぬ………………?
信じられない。いや、あり得ない。信じたくない。
御子は精霊だ。
神の木――――《熾火の生命樹》―――学園島を彩る、その巨大な生命樹からの恵み。そのはずだ。霊体でもある。
なのに、死ぬ?
彼女は言った。もう、感情が決壊したみたいだった。がくがくと全身を震えさせ、短剣も落して濁流のように『その状況』を語った。御子は血を流さないらしい。だが、本当に脆く。空気が〝ぱちん〟と弾けるように。
集積していた―――その身体を構築する〝要素〟――。生暖かい『霊魂しぶき』が、散って。残酷なまでに、一瞬で命を散らせるらしい。
『そんな……』とミスズが震えていた。彼女にも驚愕だったようだ。今まで、《剣島都市》で―――そんな話を聞いたことがなかった。
だが。
―――そんな、仲間を失って。尊い絆と、大事に大事にしていた〝全て〟を失って―――震える金髪の御子を。上級生の残酷な言葉が襲った。
「…………ふざけるな!! 俺らが悪いのか!? 違うだろ、お前らが俺たちに普段世話になっているくせに、『忠誠心』が足りなかったからこんな事態になったんだよ!! そしてお前まで絶対に〝消える〟んじゃない!!」
金髪のカアディルはあがいた。
貴族風の豪華な服を、泥に汚して。使えもしない聖剣を握りしめていた。
「全部お前たちのせいだ。お前たち、《精霊》が弱すぎるから俺たちが魔物に勝てないんだよ! いいか、逃げるんじゃねえ。お前が消えたら――――最後の『道具』がなくなる!!」
プチン、と。
その瞬間、僕の頭で何かが切れた。
分かっていない、とか。冷血とか。温室育ちのクソ御曹司が、とか。そんな、普段からの理屈とか、あらゆる言葉が全部一瞬で吹っ飛んだ。
「―――この、クソ野郎が……!」
僕は。
気がつくと『上級生』を殴り倒していた。
「………………があっ…………!?」
「……ふざ、けるなよ。御子が弱い? 御子が道具だと…………!?」
拳を撃たれ、頬を押さえて呻く男に言う。
違う。コイツは、決定的に何かが違う。
僕は拳を握っていた。奥歯を噛み、嫌悪感から腹の底が震える何かを強引に飲み下す。それはドロリとしていた。冷たく燃える怒りだった。
《グリム・ベアー》―――。
その正面に相対しながら、僕言った。もう、距離が近づきすぎている。正面の魔物も、僕という《剣島都市》の生徒を見逃すことはしないだろう。戦うしかない。同じ制服の上から鎧を着ている。
だが。
それでも、言わなければならないことがあった。
御子とは。なんだ。
僕は思う。冒険するときの『仲間』であり。僕らがずっと孤独に竜や魔物に立ち向かうときに、一緒にいてくれる心強い味方だった。信頼して、背中を預けるべき大切な存在だ。
僕は、思う。
ミスズは確かに『弱い御子』だった。他の精霊にも、同じような御子がいるかもしれない。だから僕はそんな冒険者のうちの一人だった。僕は以前に『どうして』『もっと強い御子がよかった』なんて勝手で幼稚な被害者意識を抱えていた。
…………今思うと、バカだった。
今だからこそ分かる。その重大な間違いに。
彼女たちは、何も無条件で《冒険者を成功させてくれる》存在などではないのである。虫が良すぎる考えだった。なにも彼女たちが冒険者を強くするわけではないのだ。一緒に悩み、一緒に考え、明日進むべき冒険の地図を一緒にのぞきこむこともするし、今日戦う魔物との戦術も、一緒に悩んだりする。
……そんな、御子を。
…………道具だと……?
仲間を、まるでステータスの増幅器とでも思っているのか。そんなのは許されない。許されるはずがない。本当に大事なのは彼女たちのようなパートナーだ。一緒に冒険すれば苦戦するし、苦しいときはとことん協力するし、〝レベルアップ〟したら一緒に笑顔の花を咲かせてくれる。
―――いくら《剣島都市》で強くなっても。そこに、隣にいるべき御子がいないと、誰が喜んでくれるのだ。
なのに。こいつらは。
僕は思う。奥歯を噛みしめ、睨みつける。
それは、一昔前の僕の姿だった。上手くいかない、失敗したら、すべて『御子が悪い』『道具が悪い』『聖剣が悪い』となる。あの時の僕だ。何らかの理由をつけて言い訳をしてしまう。そのくせ、もし順調だったら〝自分の腕が確かだから〟と鼻を擦るのである。
何かの運命が、かけちがって。僕がもし、〝目の前の男〟みたいになったら―――?
それは恐ろしいことだった。全て御子のせい。弱いのは自分が悪いんじゃなく、御子が悪い。彼らの姿に、僕は《剣島都市》の生徒として勘違いしていた自分の姿を重ねる。
だが。
違う。今の僕は。今の僕は、違うんだ。
御子を信じている。彼女たちの可能性を信じている。僕の聖剣の御子。ミスズを信じている! だから強い剣士になりたいんだ。だから、毎日血反吐を出すほどの厳しい修行でも、耐えてきたんだ!
「―――お前には、それがない……! カァディル! お前はすべて求めていたばっかりだ。冒険の戦闘でも、楽な方にばかり転んだ。《グリム・ベアー》の討伐すら、卑怯な罠を使って……! 僕はミスズを信じる。ミスズと一緒に戦う、この聖剣を信じる」
「ま、ますたー……」
その僕の口を突いて出てくる言葉を、ミスズが手を握りしめて見ていた。そう。僕らは、冒険者なのだ。
今では一緒の冒険者。どちらが〝主役〟などではない。二人で、同じものを背負っている。
「―――なら、お前が何とかしろッッ!!!」
と。男は。
もう泣き叫んで、半ば錯乱状態にあった。〝カァディル〟は、陰鬱で甲高い声を上げていた。もう、この冒険者に『戦う』という選択肢はない。
長時間に渡って〝逃げる〟といった行動と、命乞いに費やしてきた男だ。もう戦うべき腰も砕けていた。僕に殴りつけられ、赤く腫れ上がった頬を押さえて、僕も魔物のように後ずさりながら、
「―――グリッグスは腕を食い千切られた!! もう、魔物の森で血の臭いを滴らせる『冒険者』が助かる方法なんかない! それもこれも、御子の力が弱かったからだ! 強かったらこんな事になっていない!!」
「………」
「―――なにが信頼だ。なにが、自分の力だ!!! そんなに信頼の絆で解決するなら、見せてみろよ劣等生! 見せてみろって! たかが、〝レベル1〟が。どう戦うかを!! 綺麗事を並べたって《グリム・ベアー》に勝てやしない!」
それは、最後の挑発だった。
レベル帯からして絶対に太刀打ちできない強大な壁。肉食王の《グリム・ベアー》。それも超大型個体―――推奨レベルは、おそらく〝レベル10〟を超えるだろう。冒険者のランクで〝D〟以上を推奨されるに違いない。
その余りにも強大すぎる相手を、先日まで『劣等生』と痛烈に罵倒してきた男がなすりつけ、押しつけてきた。
僕は。
手を握りしめる。普通だったら絶対に勝つことが出来ない勝負。危険さは肌をひりつかせ、獣の唸り声は、僕が今まで戦ってきたあらゆる恐怖を超越した。
―――寮母・クロイチェフとの修行のように、〝手加減〟など存在しないのだ。一つでもミスをすると、〝死〟が待っている。実戦なのだ。
でも。
それでも僕は。傍らで顔を青くし、ガチガチと合わない歯の根を鳴らす―――ミスズと歳の変わらない、その少女の〝御子〟―――を見ていた。
彼女を見て。そして、その横にいて、僕と同じように〝魔物〟に立ちふさがる剣の御子を見た。
〝彼女〟は、僕の目を見て、力強く頷いていた。
「―――ミスズ。『結合』だ」
「はいっ」
この時も、御子は従ってくれる。あふれ出す、闘気。
勇気が湧いてくる。
どちらにしても、この《グリム・ベアー》を放置したまま逃げ出すなんてことは叶わないだろう。
この危険すぎる魔物を、初心者の溢れる平原に放置することもできなかった。僕たちと同じように、何も知らない生徒が遭遇したら悲劇が起こる。
僕はその魔物との対峙を決意し、その剣を引き抜く。同時に、鉛色がかっていた剣に、黄金色の光がまとってくる。
―――これが、本来の剣の御子が発揮する力。『御子』であるミスズが、黄金色の粒子へと姿を変えて、その剣を包むように一体化するのだ。
(…………僕は、証明してみせる……!)
そして始まった。
僕と、魔物との決戦が。




