16 闇を裂いて
月が空に浮かぶ。
山の草原に、暗い風が吹き抜ける。
……遠くで人家が燃え上げる音が聞こえてきた。パチパチと、小さくか細く爆ぜる火の音が聞こえてくる。遠くから風に乗って、里の麓の喧噪、そして悲鳴が――聞こえてきていた。
それは、『里』が、魔物に襲われる音であった。
気味が悪いほどに蒼く。そして、澄み渡った――〝美しい月夜〟の下であった。その〝|淡く幻想的(非・リアル)〟を縁取る風景の中には、ふわりと包む現実感のなさに、ひときわ死臭を放つ〝異物感〟が混じっていた。
何もかも、蒼に彩られた月夜の中。
冒険者の、『主従』の目の前に、それはあった。
「―――くっ」
『な、……なんて〝ヤツ〟だ』
小さくか細く爆ぜる火の音がしている。
少女と『本』の中にいる精霊の前には――それがあった。
草地の中で――ときどき鱗がめくれたように、〝炎〟の残留物が燃えている。燃えさかっている。少女が放った《雷炎の閃光》の呪文の残留物だ。暗闇の中で輝きをまとう『聖剣図書』の前で――
燃え落ちる焙烙の中で――
月の昇る山肌で―――
女――は、立っていた。
「………フーーーン。思ったより、しぶといのですわね?」
女は、暗く笑う。
剣士の風貌をしている。
無駄のない筋肉、引き締まった五体に身につけるは軽妙な装甲――冒険者の〝対・魔物〟の鎧とは違い、王国で剣士や騎士として斬り結ぶためには、薄手で動きやすい〝並の、人の力で振るわれる剣〟を想定した鎧が使われていた。
薄いプレートで合わされた腕と籠手。
そして、動きやすさ、全身を包むレザー生地の《剣士の服装》がその女の動きに合わせ、揺れ動く。
女は傷一つ受けていない。周囲には少女が『魔力』を発生させ渦巻く地帯があり―――そこから生み出される無数の《雷炎の閃光》の熱源がある。だが、そんなもの通じていなかった。
こんなの、おかしい。と精霊は『本』から叫ぶ。
「うふふ、恐怖。感じていますわね」
「……っ」
「無理もないですわ。――『死』は、誰だって、怖いものですから。
でも、不思議ですわねぇ。なぜ、あなたがそうまでして《冒険者》の盾になるのか。彼は、何者なんでしょうねぇ……。無残にここで死んでしまうなんて、なんだか悲しいですわ」
『ぐ』と。
少女は後ずさった。―――マズい、マズいマズい、マズい――。冷や汗を流す聖剣の主従の前には、ゆったりと追いかけるように、雑草を踏みしめ。ただただ距離を縮めてくる女がいた。
――まるで、場の緊張感を楽しむように。
歩んでくる『女』は――この淡い幻想的な月夜の下を楽しんでいた。見えてきた女の相貌が、月夜の下で、『少女』の喉を引きつらせる。
『…………マスター』
「ええっ。アイビー。《雷炎の閃光》!!」
少女の手から熱源が発生し、それが渦巻きながら闇を紅に染める。
《熾火の生命樹》から発生した熱である。聖なる剣と契約した冒険者は、わずか一部ではあるが、神樹の恩恵である〝魔力〟を授けられ、操ることができるようになる。―――その形が、多くは〝剣〟であるのに対し、彼女は〝呪文〟であった。
その空想を具現化するように、彼女の差し出した手のひらから魔力が生まれ、それが渦巻いて〝炎〟という形をとって女に襲いかかる。正真正銘、本物の炎の弾として森の木々をなぎ払う。
メメアの冒険者の〝衣装〟は、前回の百討伐とは違っていた。
あの頃の初期装備とは違って、今回は稼ぎもある。防御と疲労回復を合わせた〝皮装甲のドレス〟を身につけている。メメアらしく準備に念を入れ、小さな冒険用の短剣、《燭台灯》を腰につけた姿は――〝密林の冒険〟すらも想定し、ブーツの足元に縁取られている。
だが。
「――、うふ」
――女は、体をくねりと捻っただけで、紙一重ですれ違う。
回避した。凄まじい『暴風』をかいくぐり、さらに身を捻りながら〝剣〟を前に進めた。炎の海を正面からはじき返し、空を黒く染める。熱風は少女の元へと押し寄せてきた。
『―――ぐあ、ぁぁああああぁ!』
「アイビー!?」
耐え凌ぐはずだった《防御》から、従者の悲鳴が上がった。
…………〝魔力〟が、炎という形でぶつかり、食い潰すように『彼女』を包囲していた。黒い無数の蛇のように、次々と〝どす黒い刃〟が魔の炎を食いつぶし、間接的に魔力を食らって術者を蝕んでゆく。
黒い『毒』のように染みこんでくる、感覚。汚染。
少女は、目を見開く。
肌がザワリと粟立った。冷たい予感を覚えた。…………聖剣の魔力が、『何か』の影響を受けようとしていた。この力が尋常ではないことに気づいた。
「…………無駄ですわ。《冒険者》。剣士を名乗る人間が、何人、この手にかかって死亡したか。騎士でも、戦士でも、みな同じ」
「…………っ、だと」
……だったと、しても!
少女は睨みつけた。――『諦めない』、と。
月明かりから暗い影が広がり、草原を暗く震えさせた。かすかに少女の口が震え、奥歯が鳴っていた。
――『眠り』の原因。
心の奥の底の、奥の、さらに――奥の、こびりついた恐怖。
「――我が名は、〝騎士狩り〟アズライト。
お見知りおきを、ですわぁ。……かつて、誰よりも王国の騎士たちを屠り、数え切れない強者を殺戮し屠ってきた、〝元・殺人〟を生業とするしがない剣士ですの」
それは、僕が『知らない』――恐怖の〝一夜〟の続きだった。




