???
白い世界だった。
意識が記号のように生まれ―――〝言葉〟にはならず、その白い世界の混濁に飲み込まれるように消えてゆく。
似ている『場所』は浮かばず、近しい『言葉』もない。
この世界は、完全に隔絶されていた。
―――〝言葉〟もない。
―――〝意識〟もない。
…………なにも、何も。 ない。
そのたゆたう世界を『僕』は漂っていた。
渦巻く白い『意識』はどこか夢にも似ていた。普通の夢じゃない。ずっと、ずっと遠くで―――『何か』が呼んでいるように思える夢だ。
不思議と懐かしく、見慣れない世界は温かく感じた。それは『女王蜘蛛の記憶の中』と似ていた。何度も経験したことがあるようで、どこか、記号のようにさまよい、意識や、答えの見えない世界。
そこを彷徨っていると―――ふと、僕の前に、景色が開けた。
無限の白が裂け、〝色彩豊か〟な場面が登場する。だが、そこにいたのは、見慣れない世界と屋敷だった。
「―――うふ、いい気味ねメメア」
「……っ、お。お姉様……っ!」
どこか裕福な『王国の上流階級の家』と思われる場所。赤い絨毯に、騎士の剣と武具が飾られる廊下があった。
そこに、ボロボロの服を着た、見覚えのある幼い少女だった。
金色の髪、明らかに、《血の繋がりが濃くない》と思われる少女を前にした桃色の髪の少女が、〝姉〟と呼んでいた。
狐目の女は、そんな少女を見下ろして笑う。
「……騎士の習い事? お勉強? はっ、お父様が聞いたらなんていうかしら。卑しい血の混じった子が、騎士の家だからって自分もなれると思うなんて甘えすぎじゃない?」
「……っ、」
いかにも意地悪そうな目つきで、女は口に手の甲を押し当てる。『だから、妾の家の〝思い上がり〟なんて言われるのよ』と。
散乱するのは『模造品の剣』や、知識を身につけるための『書物』など。……きっと、少女が大事にしていて、稽古しようと持ち歩いていた品だ。
狐目の上流貴族らしい少女は、それを足踏みする。
「貧乏な一生を、貧しく母娘とともに送りなさい。――なんで、そんな単純なことも分からないのかしらね。だから、お父様に叱られるんじゃないかしら。クスクス」
「……う、ぐ」
「可哀想なメメア。せいぜい、そうやって床を這っていなさい」
そして―――〝悪意〟の声は増える。
――それで、一生を終えるのだと。
いかにも王国の上流貴族の格好をしたドレスの女たちが、笑うのである。廊下の向こうから現われていた。……そのやり取りを『痛快な劇』のようにして見るのだった。
……誰も。
誰も、助けようとなんてしない。
女たちは言う。『他の誰もあなたを助けたりなんてしない』と。誰も幸せになんかしない。だから――〝味方〟なんていない。のだと。世界のどこにも。
―――教育。
―――しつけ。
女たちは言う。…………だが、本当にそうだろうか。
彼女は床に散乱する『勉強の本』を拾い、這うようにして集めた。…………誰も手伝わない。それでも、少女は拾い終わって、『無人になった赤い絨毯の廊下』を眺めながら。肩を震わせて、言うのである。
『……いつか、強くなる』。と。
幼いメメアは――大きな瞳に涙をため。肩をすぼめ、赤いカーペットを踏みしめ。泣いていた。一生懸命悔しがっている。
純粋で。純粋で。純粋で。
めいっぱい悔しくて、悔しくて――。
だからこそ、それが彼女の《出発点》となった。心象風景だった。
僕は歩き去っていく『幼いメメア』の後ろ姿を見ていた。……その顔はまだ未成熟で。でも、だからこそ。本を握りしめる、爪が食い込むほど握りしめる――その悔しさ。覚悟が。よく分かる。
…………きっと、誰よりも。
その肩が、微かに震え、微かに俯き、本を握りしめているのを見ていた。
なぜなら――僕は。彼女の『仲間』なのだから。
サルヴァスで《冒険者》をやってから。ずっと。ずっと。




