14 神樹の力
―――《冒険者》への介入を始めるという。
屋敷に入る際に、《魔女》はそう言った。
それは簡単にはできないはずだった。彼女の《冒険者》として体内にあるマナが熱を帯びて暴れているのである。魔女自身が断言したばかりだ。〝通常の方法〟では治せない。
治すためにはマナへと直接介入しなければいけない。――だが、それは《熾火の生命樹》から与える〝恩恵〟という特別製なのである。
――通常では、〝無理〟が道理だ。
「だけど、そこで《精霊王》シリーズが生きる」
「……この、壺ですか」
――ええ、と私室で魔女は頷く。
僕は自分の手に握る壺を見ていた。……確かに『珍しい』。形といい、模様といい。だがそれだけだった。長い睫毛で見つめる魔女は、ベッドで眠る彼女に〝使うべき〟と言う。
「……といっても、使い方が分からない」
当然僕もバカじゃない。道中、『壺』の中身の確認くらいはしている。試しているのである。
……だが、〝何もない〟のである。
《クルハ・ブル》の草原を抜けてくる中で、魔物と戦闘の後に剣を横たえて休憩するとき――木陰の中で壺を開き『何かないか』だけは確認していた。蓋を開いてみた。
その中身に広がるのは空洞。
どこにでもある、平凡な冒険者の街中で売られている〝水筒〟のような壺瓶と何ら変わりのないように見えた。
だが――〝囁き〟の助言を得られる《魔女》は、それを『否定』するのである。
「違うのか」
「―――ええ。考えてもみて、《熾火の生命樹》の道具でもあるのよ。通常の扱い方でもない。また、《冒険者》にしか扱えない。条件がある」
「……?」
―――特殊な条件?
僕には分からない。だが、引っかかったのは《熾火の生命樹》の品物という言葉だった。
これが精霊王とやらが関わっているのだとしたら、彼女が扱えた膨大な量の『マナ』が関わっているはずである。
すなわち、彼女と、《熾火の生命樹》の関係は『=(イコール)』である。
……神樹。
いや、神樹か。なにか引っかかるな。
その響きに、僕はもう一度首を傾げるのである。壺をさわる隣では、ミスズが不思議そうにのぞき込んでくる。
……何か、見落としているような気がする。
僕は思い出す。神樹が、僕らに与えていた力を使うとき、何をしていたのか。
《熾火の生命樹》はクセのある神様とも言われている。その神樹の力は〝万能〟であるのに、めったに人に力を与えない。……人類の歴史が始まってから、討伐に力を貸したのは〝精霊王〟の出現以来だ。
――直接的な力は与えない。
――いや、与えられない?
僕は思い出す。〝レベルアップ〟という人の枠を超えた力。
――〝聖剣〟という武装。
――そして、〝精霊〟という存在がいて、初めて可能になる力。
……。
…………、まさか。
「―――ローレンさん、ひょっとして」
「ふふ。気がついた?」
僕が驚愕の顔を上げ、魔女はその『結論』に辿り着いた顔を見て嬉しそうに頷いていた。
「――ひょっとして、『結合』できるのか? この〝壺〟」
「えっ?」
僕の横にいたミスズが、驚いた顔を上げた。
―――奇想天外な発想だ。
だが、考えられるのは。それしかなかった。
《剣島都市》の中で神樹が〝道具〟を与えてくるのは珍しくはない。実は、『聖剣』などについてもそうだった。神樹が人間に力を与えるとき、必ず何かしらの〝道具〟を媒体に介する。
…………裏を返せば、これもその『道具』なのである。
《剣島都市》でこの手の道具を使うとき、何が『鍵』になるのか。それは人の手に入る道具、すなわち『聖剣』や『壺』である。だったら、最後の鍵は『精霊』であるはずだった。
「ミスズ。準備してくれ」
「ええと、ええっと……と、と言っても、何をしたらいいんでしょう……!? ミスズ、ろくに《熾火の生命樹》の母なる大樹のことを知りません……!
ちょっと泣きそうにミスズは言った。『島の落ちこぼれの精霊』が、そんな大層な儀式を知るわけがないと。だが、僕は『それでいい』と思っていた。むしろ、余計なことは挟まないほうがいい。
「いつも通り、『結合』してくればいい」
―――たぶん、それでいいはず。
普段通りに。『結合』をする。僕の推測が正しければ、この『道具』になにか変かが起こるはずだ。―――魔女の予測が正しければ、それは『膨大なマナ貯蔵庫』としての役割があるという。
…………だったら、『聖剣』同じように、《熾火の生命樹》の〝契約〟の力を使えば、その〝体を蝕む悪意〟すら消し飛ばすほどの『変化』が訪れるはずだった。
――祈る。
――それは、燃えるような聖なる炎の絆。
この大陸で最大の大樹である、《熾火の生命樹》と交わした〝誓約〟。――《母なる神樹》の炎に触れたときから、僕とミスズは一緒だった。その契約は今や、あいだを介する神樹との絆にほかならない。
僕は『壺』に軽く振れ。そっと祈っていた。
――まるで、最初に『神樹の根元』で《|契約(会ったとき)》のように。
――望む《精霊》。
――望む《剣の形》。
そして、望む《冒険の理想像》。
それを問われた時を思い出すかのようだった。そういえば、最初の僕はずいぶん高望みをしていた気がする。冒険は〝その時〟に始り、最高で順風満帆に進むはずが、挫折で転げて何度も地面を這った。
……僕が『聖剣』に望む形を選んだとき、逆に『聖剣』も僕を選んでいたのである。
今思えば。
――それも、少しも後悔なんてしていない。僕の相棒は〝ミスズ〟で良かった。むしろ、彼女がいたから〝今〟がある。
僕は祈った。思い出しながら、そっと瞳を閉じる。
――その〝想い〟に答えるように。
横で、ミスズが〝祈る仕草〟をして、その姿にも応えるように。
やがて、莫大な〝変化〟が訪れることになる。
(―――、正解だ)
私室に、見慣れないほど神聖な《マナの風》の息吹が溢れてきた。
僕もミスズも目を見開く。ミスズは、『わあぁぁ』と幼子のように瞳を見開いている。それは『壺』の中から溢れ出してきた。
〝精霊王シリーズ〟
それは、『マナの貯蔵庫』でもあったのだ。冒険で度々目にする〝温泉〟や、その他のマナの回復手段とは比べものにならない規模の、圧倒的で純度の高い『マナ』の白が溢れてくる。
―――それは、〝原初の木の炎〟の熱源だった。
熱源が渦巻き、私室を『巨大な魔物』のように飲み込んでしまった。
「…………す、ごいわ……これが、〝囁き〟の語る神樹の力……!?」
「……どわっ、圧倒される……」
「ま、ままままま、ますたー!!!」
《魔女》が驚き、僕が壺からの風圧に手をかざし、そしてミスズが吹き飛ばされまいと僕の背中にしがみつく。
―――変わる。
―――変わる。
―――〝変わる〟、何かが、私室のベッドの少女を飲み込む。
世界が、すべて『白』に染まって飲み込まれた。




