12 菜園の記憶扉1
薄暗い部屋だった。
必要以上に静謐に思えたのは、そこに居並ぶ人たちの息づかいがひっそりとしているせいだろう。僕らの目の前にはベッドがある。暗い部屋の中央で、『魔女の寝所』に寝かせられている小さな少女がいる。
僕らは、身動きを押さえながら、呟いた。
「……何か、分かりますか?」
「……そうね」
答えたのは魔女だった。僕の質問に合わせてローレンさんは、『こくり』と静かに頷くのだった。
「とても強い毒。……魔物の、毒を塗っているのね。西方の毒だと分かる。……でも、それだけ。それ以上の情報がない」
「強力な、毒。ですか?」
「ええ」
それ以上に言葉がないように、魔女は頷いた。
魔女――ローレンさんは一目で判断した。その『毒』が、尋常ならざる手段でつけられたものだと。
《冒険者》を冒す毒はそう多くはない。
なぜなら、魔物の毒に対して〝剣士〟や〝聖剣使い〟のような冒険者はある程度の耐性を持っているからだ。……《剣島都市》の授業でも習うが、〝聖剣〟との結合というのは『あらゆる害意を防ぎ、強靱な鎧のごとく魔物の力に対抗する』という目的のもとで行われる。
――さながら、名匠が武器防具を〝鑑定〟したように、強力な防御力を誇る〝聖剣のステータス〟というのは、身体能力を向上させるものなのだ。……そして、それは魔物の〝毒〟であっても適用される。
通常の旅の人間や、商人などがかかるような〝毒〟であっても、冒険者の『結合』状態であればある程度の抵抗はできる。――毒にかからない。麻痺などにも対抗できる。……だが、それ以上のモノが現われたのだ。
高熱にうかされて喘ぐ少女を見ながら、魔女は観察を続ける。
「冒険者の。その生命力をも汚染して、黒く染め上げていく毒……これは、王国でも名を馳せた騎士さんたちにも効果がある」
「…………? どういう、ことですか?」
「優れた騎士たちの体内には、活発な魔力が潜んでいるものなの」
魔女は、それを言った。
――強い人間の体内には、〝マナ〟が渦巻いている。
……僕にとって、思わず目を瞠らせる言葉だった。
「どういうことです」
「昔から、優れた騎士たちは『人並み以上の力を出す』ものとされていたの。
―――伝承にある、大岩を一人で持ち上げた〝勇者〟や、魔物の何十体もを一人で斬り伏せて〝王国の危機を救った騎士〟―――。
…………彼らは、限定的な状況、条件があったにせよ、後に語られる『冒険者』と同じ立ち位置で語られれているわ。そして、その中でただ一つだけ分かることがあったの。それが―――彼らの中を渦巻く、人並み外れた〝魔力〟の存在」
「普通の人間にも、〝マナ〟が宿っていると?」
「ええ。その通り。というよりも、この世界の生きとし生けるものすべては――〝マナ〟が宿っているものなの。そのあたりの木々も、水のせせらぎなんかも――微かになら宿っている。〝生命〟なのよ。
――それが、生命を突き動かしている。循環法則。マナを持っているからといって、〝それは魔物と同じなんじゃないか〟とは思わないでしょう? 生きた木と魔物を同一視はしないから」
「…………」
―――確かに。
『それが魔物と一緒なんじゃないか』という思いはあった。だが、自然に生息する草木と、魔物が同じモノだとはとても思えない。生態系のそもそもの違い。そして、もっと根本的な――〝生命軸〟の話をしているのだ。
「優れた騎士には、〝マナ〟の力が多く宿っている、と?」
「ええ。それが身体鍛錬の結果、培われたものだったとしても――大きな〝マナ〟を持っていることには変わりない。それは力の強さ、大きさよ。王国の平民や普通の人々が等しくもっているのが〝レベル1〟の力だったとしたら、彼らは〝レベル10〟も〝レベル20〟もある。…………限定的だけどね」
「……いや、ちょっとまて」
僕は。少し気になる言葉に引っかかった。
――『人間にも、強さの階級がある』―――?
それは王国の騎士たちを表現するには、ひどく『冷徹な観測眼』に思えた。人間の苦労と努力と汗と熱意の―――その〝賜物〟だと思っていた、実力というものを、《ステータス》に置き換えて値踏みしているのである。
すると、『気づいたのね』という顔で、銀髪を揺らす〝魔女〟は僕の顔をのぞき込んでいた。
「――そう、彼らが持つ力というのは、〝擬似的な英雄〟の力。
…………そして、正真正銘、本物の《数値化》にされた神の恩恵を受けた力というのが、〝上位互換〟――――『魔物討伐』の島にあって、魔物を殺すためだけに授けられた〝聖剣使い〟の力なのよ。
あなたたちはその力を使って、《冒険者》として各地の魔物を倒す。討伐する。〝マナ〟をさらに取り込み、強くなっていく。〝レベルアップ〟し、ステータスを強化していく―――」
「ま、待て。だからって、なんでここで」
…………だとしても、今の状況と繋がらない。
鉄の国・《クルハ・ブル》が襲われていて、そこで対立する盗賊の《首領級》の女に黒い剣を放たれた。メメアが負傷し、そして僕は辺境の『隠棲した魔女』の力を頼って、すがってこの場面にいる。
この『場面』で、そんな話……。
こんな、場面で……
……。
「…………まさか」
「ええ。そう」
僕の驚きに弾けた、見上げた顔を、魔女は正面から受け止めた。
「この女の子を蝕む毒―――。
それは、かつて『騎士狩り』と恐れられた、王国の殺人鬼の毒と酷似している。相手の毒は―――〝生命〟をいたぶる毒。直接介入する、蝕む、そして――――死に至らしめる」
「ちょっと待て」
驚く僕に、魔女は言った。
―――〝魔力〟の強さが引き起こしている毒、だと。
それは、熱で暴走するように、体の中に広がる『魔力食い』であると。
「冒険者なんて呼ばれる〝精霊契約〟をした人たちは膨大な〝マナ〟を蓄えている。―――そして、その『騎士狩り』の毒は、そんな冒険者なんかととても相性がいい。この子の冒険者としての〝質〟は高い。…………おそらく、〝レベル〟は低い今であっても、他の冒険者と違って『並外れた魔力』を有している。――そして、それは彼女が持つべき星の強さ。意志の強さ」
…………実は、前々から疑問だった。
なぜ、《剣島都市》の―――《ステータス》を持つはずのメメアが、〝毒〟などに浸蝕されているのか。
それは、《熾火の生命樹》が与える身体強化が関係していた。冒険者の体内を回る―――構造を作り替えている『結合』とマナの強さにより、それに干渉する〝毒〟が大きなダメージを与えているのだ。
「メメアにも、マナが?」
「彼女だけじゃないわ。あなたも。――《熾火の生命樹》と契約して、少なくとも身体強化や、強靱な体、そして〝レベルアップ〟の恩恵に与った冒険者たちなら、皆同じ」
僕は思わず、ミスズと目を合わせた。
神樹の島の《冒険者》たちも、みな同じ。
大地を包む理の光――〝魔力〟というものに包まれている。本来は微弱な〝か弱い光〟だったはずが、聖剣を操るために――膨大に渦巻いているの。《熾火の生命樹》がそう作り替えた。
(……ひょっとして、僕ら。《熾火の生命樹》と契約した時点で。ええと、つまり、《聖剣》を授かったあの段階で、この体ごと聖剣を受け入れる〝魔力〟に作り替えられたのか……?)
驚きの真実である。
島で《依頼状》を受けて、各地の強い魔物(ランクC~D)を討伐するなんて冒険しているが―――実は僕らは、僕ら自身の体の仕組みをまったく理解していなかったのだ。
『元・鍛冶職人の息子の獣人』だったり、『王国の城下町で、仕立物屋をしていた場所の娘だったり』。――または、『どこか遠く。辺境に暮らす貴族の、息子、娘』だったり。そんな多くが、〝上級冒険者〟にたどり着くまでの『カラクリ』があった。
僕はしばらく放心した。放心して、目の前の魔女を見た。闇夜にカーテンのそよぐ私室の内で、魔女は、ずっと会話が落ち着くまで僕を見ていた。
「……じゃあ、メメアの〝毒〟は……生命に干渉するものなのか? 薬で治せないのか?」
「…………」
「……じゃあ、僕らは……なんのために」
―――《クルハ・ブル》の、辺境まできた。
メメアを治せると思ったから。彼女の苦しむ姿があって、少しでも紛れたらいい、そう思って森を抜けたのに。
「治す手段は、恐らく、二つ」
「…………」
魔女は指を二つ見せる。
―――〝毒の術者〟を発見し、撃破して吐かせる。
――また、この地に眠る、〝万能の薬〟――〝英雄の花〟とやらを見つけること。
魔女は言う。言わなくても分かる。そのために僕らは進んでいるのだし、里でエレノアが僕にそういったのだから。彼女の医術の見解と、そして魔女の〝賢者の知識〟をもってしても―――なお、結果は同じものにたどり着いた。
――それも、これも。
条件は、もともと持っていた〝魔力〟だったのだ。
「……メメアの状態は、悪いですか」
「ええ。難しい。まずは熱を押さえないと」
魔女は首を振る。
念のため、僕らの持っている『冒険具』を確認したい――、と魔女は言った。高熱にうかされるメメアを癒やす〝何か〟がそこにないか、〝賢者の知識〟をもって見定めたい。ということだった。
周知の事実であるが《剣島都市》の薬草・回復薬というのは世界随一の優秀さである。竜の角や、ワイバーンの尾骨など、他国では絶対に手に入らないような超一級の素材が集まり、そこからふんだんに使って〝薬の粉〟などを生成したりする。当然ながら、効果は他国と比肩もできない。
だが。僕らは、〝元・最底辺冒険者〟から抜け出したばっかりの貧乏冒険者だった。
そこまでのアイテムもなければ、素材も所持していない。――〝ランシャイ商会〟も、出発前にあるだけの物資を提供してくれたが……。
「……姉上でも、治すのは至難の業か」
「ええ。エレノア。……見たこともない〝毒性〟だから。通常の毒ではない、生命に干渉するものなの。間に合わせの薬で多少はできるかもしれない。……けれど、たぶん。『特効薬』は作れない」
重々しく、だが責任を持ち、断言をする。『判断』を下す。
―――曖昧なことはいわない。
楽観的なことも。むろん、こちらも望んじゃいない。魔女は『賢者の知識』にかけて責任を持って判断を下している。だから、僕らも、それにかけて少しも疑いを持つことはしない。
……ローレンさんを見る。
その表情は、自分の知識に対する誇りと信頼をもっているものだった。『この子のすべてを、説明したい』と顔が語る。少しも負けない、後ろにも下がらない、真剣な表情だった。




