10 魔女
***
……『賢者』と『魔女』は、呼び方が違うだけ。
前に、僕は童話を見ていたときに、そう聞いたことがある。
いわく。
――『賢者』は、知識を説き。
――『魔女』は、知識を導くという。
両者は似ているようで、少しだけ違うという。
賢者というのはそもそも、『膨大な叡智を、識っている』という存在なのだという。
――つまり、最初から『完成された存在』が賢者である。彼らは『修行中』などはない。全て完璧に、剣士で言えば『英雄』クラスの存在がそう謳われる。だから、印象としては〝お爺ちゃん〟、または王国の引退した大臣のような老人が、そう呼ばれることもあるという。
彼らは知識を〝言葉〟にして説き、教え、諭すという。
――反対に、魔女は?
これは、『叡智を、目指す』という意味でも用いられるそうだ。
人とは違う、偉業。――その異なる探究心を『魔性』などと言われ、周囲とは違う知識欲・ぎらつく好奇心で生きていく。…………人との関わりを断って、たった一人秘境の奥地で。
『膨大な叡智を蓄え、理を覚えていく』という。だから、知識欲のカタマリという意味では、どちらも違わないが、受ける印象が少し違うのだろう。僕は、魔女を〝小さな賢者みたいなものか〟なんて思ってた気がする。
……そう、遠い存在だったはずなのだが。
***
(ぷに、ぷに)
「…………あのー」
(ぷににっ)
森の屋敷で、テーブルにつく魔女が、紅茶の香りを前にしながら僕らを愛おしそうに眺めていた。
ここは、屋敷の一角。
僕らはそれぞれの用意されたテーブルにつく。動物たちもいてミスズが『わぁあ』と目を輝かせながらウサギと戯れている。
目の前には白いテーブルクロスと、昼下がりのよく似合う『紅茶』が置かれており、庭先の《香薬草》を使って淹れられたものらしかった。…………忙しそうに、そしてどこか怠けつつ、世話精霊のマドレアが配って回っていた。
…………で、
「なんなんですか、いったい」
問いかけていた。
まずは、当たり障りのない外堀から。事実、さっきから無遠慮に細い指で僕の頬をつついてくる少女がいる。
「人それぞれ、ほっぺの弾力が違うのねえ」
やっぱり魔女は、しみじみ観察している。
「人とこうして紅茶を囲んでお話をするのは久しぶり。弾力は人それぞれ。人生の苦労を現わしているの。人との接し方がよく分からないし、少しのイタズラは大目に見てね」
「はあ、分かりまし(ぷにっ)」
「…………」
「………(にこにこ)」
と、こんな感じで。
さんざん『ちょっかい』かけられるのは、なぜか僕だけ。あと隣のエレノア。睨んだって効果がない。
……その他の男たちは、なぜか別のテーブルの向こう側にいっていて、『そっちの話しは任せたぜ、冒険者!』とばかりに親指を立てて熱烈な応援を送っている。そうするくらいなら、こっちに来て手伝ってほしい。
「……姉上は、なんというか。昔からこうだったのじゃ」
「え? そうなの?」
横に座っていたエレノアが、小声で嘆息していた。
「研究熱心というか、妙なことに拘りがある。……それは、自然界の物事や、薬がなぜ自生してその〝姿〟をしているのか、効力を発するのか、……薬学師として観察するのはいい。問題は、わらわにも、他の者にもこうした〝ちょっかい〟をかけてきたことじゃ」
言う。
――〝人間は興奮薬を盛られて、どれだけの量は普通なのか〟
――〝平均して、一日どれだけ肉体労働できるのか〟
――〝鳥のボーボくんは、どれだけの長距離飛行して戻ってこられるのか〟
それらの試行を実験することで、いつも里人の食事などに薬を混ぜたりして『《魔女》は不気味だ』と思われていたらしい。ときには、ある意味で実験の被害者をも出していたと。
「つまり、空気・読まない、か」
「つまり、空気・読まない、のじゃ」
僕らがテーブルでそんな会話を交わしていても、魔女は紅茶の香りの向こう側で『にこにこ』とこちらを見ている。悪びれる素振りなど一切ない。
「それにしても、遠方よりお客様なんて。珍しいわ」
「え、ええ。森の奥にたどり着くまで大変でしたけど」
「《剣島都市》の冒険者さんよね? その出で立ち。剣士として腕周りが発達しているし、普通の人とは違うオーラが見える。……精霊ちゃんが、相棒なのね」
観察している。
「一つだけ、実験したいんだけど」
「ダメです」
「ええっ、まだなにも言っていないのにー!」
すかさず嫌な予感に応じて先回りすると、《魔女》は白い部屋着(……これも魔女の服?)を揺らし、不平を感じるように口を尖らせる。
「どうせ、魔力の実験をするとかでしょ、そういうの」
「……ええっ、なんで精霊ちゃんと冒険者に〝興奮薬〟を盛って魔力の暴走を測ろうとしていたのが分かったの!? それが聖剣の力っ!?」
「なんて恐ろしいことを企んでたんだよ、アンタは!?」
――図星かよ!?
僕は叫ぶ。
〝レベル1の聖剣〟だとか〝特殊能力〟だとか関係ない。この際、人として嫌な予感を覚えてしまっていた僕に、魔女はキラキラとした純粋無垢な瞳を向けて聞いてくる。
……なるほど、この『悪意のなさ』が追放された原因か。
ともかく、
「――ローレンさん。聞いてもらいたい話があります」
「? なぁに?」
僕は切り出していた。
――迷宮を攻略し、盗賊を追い払うための〝ダンジョンの構造〟について。
――そして、メメアを癒やし、冒険者として友達を取り戻す〝毒の治癒〟について。
僕が辺境の森を進み、尋ねてきた理由はその二つだ。
実にシンプル、だからこそ切り出しを迷う。
「実は里のことで教えてもらいたいことがあります。……なんというか、それには深い事情があって。説明もしないといけないんですが」
「む。ちょっと待ってください、冒険者さん。それってつまり……ご主人様の魔女としての知識を引き出す、ということで?」
給仕をしていた三つ編み精霊、マドレアが紅茶を注ぐ手を止めた。
「そりゃあ、難しいって話しですよ。魔女の知識を〝しゃべる〟ってーえ、ことは。つまり、〝囁き〟との約束が切れるということですから」
「え? なんだそれ」
「ちぃーとばかし、面倒な事情があるんですよ。こっちにも。ローレン様が、なんで森の奥へと篭もったのか考えてみてください。俗世への関わりを断つ、以外にも、守るべき知識があるんですよ」
ちょっと慌てたように、説明するマドレア。
その顔は、今までの気だるそうな『不真面目な庭師』ではなくなっていた。《剣島都市》の教師のような、今まで、いろいろな人物を観察してきたような冷静さ、思慮深さがのぞく。
だが、
「……大丈夫よ、マドレアちゃん。この人たちなら、一部の『賢者の書庫』を開いても、〝囁き〟の主たちは怒らないと思うから」
「え。大丈夫なんですか、ローレン様」
「うん。どうも、囁きによると……《クルハ・ブル》の国にはよくない災いが起こっているみたいだから。それに、妹を救うため。さらには、―――『彼』がいる」
じいっと、《魔女》は目の前をのぞいてくる。
紅茶の湯気の向こう。
……つまりは、冒険者としてボロボロの格好、戦いをくぐり抜けてきた〝レベル1〟の僕に。
「――彼こそが、〝四人目のSランク〟なのだから」
「え?」
「《クルハ・ブル》を救いに来たのね。
そして、古い呪縛にとらえられ続けていた〝友人〟を助けてくれた。――フレデリカ、いいえ。〝女王蜘蛛〟を倒してくれて、ありがとう。冒険者さん」
***
……な。
僕らは、呆然と口を開けていた。
何を言っているんだ。この《魔女》は。
「僕が……Sランクだと?」
「そう。〝囁き〟の主たちはいっている。可能性上の、未来に位置する話しをね。
それは当然ながら『努力次第』という言葉が当てはまるし、運命だけでいうと《剣島都市》という諸王国に囲まれた剣の島にいる、全ての《冒険者》にその可能性はある」
……当然だ。
僕は思う。そんなことを言ったら、誰だって〝可能性は〟ある
《聖剣》を握る者がいる以上は、島で必ず『上を目指したい』と考える冒険者たちが山のようにいた。あの島は、そういう場所だ。
この、『可能性は』というところがミソだ。
事実、そこにたどり着けた者はおらず、そもそも途中でその道を投げ出してしまう者が大半だった。〝権利〟だけでいえば、『全ての冒険者』が伝説級のSランクに昇格する権利を有している。
だが、実際は〝獣人ベン〟〝エルフ・マリアリース〟〝巨人族ドレモラス〟という三大最強冒険者しかいないのだ。冒険者たちは、どこか一人に割って入るという想像はすら持てていない。
……それほど、彼らの力は強大であり。
逆にいうと、それほど『彼らになれるのか?』という疑問がつきまとうのだ。
片手一つ、腕一つで《最強種竜族》を蹂躙・圧倒できる冒険になるためには、どれほどの努力がいるのか。いいや、努力だけではない。〝レベル〟も足りない。スキルも。努力以上の希有の才能が必要になる。壁――そう、《限界》の向こう側にある《覚醒技能》の壁が。
だが、気になるのは、それを承知で、なぜ《魔女》が、わざわざ|僕にそれを伝えたのかだ。
「それと、僕が、女王蜘蛛を倒したっていうのは……?」
「先日。囁きが教えてくれた。それは森の奥に潜む賢者の友人――《女王蜘蛛・フレデリカ》の解放ということ。賢者たちは、『あなた』という冒険者に感謝をしている」
いいや。
……違う。
そうじゃない。倒したことは真実だ。確かに僕はメメアを伴った百討伐の昇格試験で、魔物のボス級――〝女王蜘蛛〟に出会い。そして。討伐をした。だが、問題にしているのはそこじゃない。
だが、
「……ま、待て。冒険者クレイト。さっき、なんと言った? ……女王蜘蛛って、あの魔物だよな?〝大陸でも有数の上位魔物〟っていう」
「え。知っているんですか。オランさん?」
僕が思い出すように『あの日の地獄』をテーブルで考えていると、会話に入ってきたのは、以外にもテーブルの外の隊長側だった。
里長エレノアを含め、『この国で知り合った雇い主の側』は、その事実に呆然としている。
「知ってるもなにも――。
あの蜘蛛、《女王蜘蛛》は、一度だけ大陸を移動して、この《クルハ・ブル》の隣国の森にまで出没したことがあるんだ。……とんでもない化物だったぜ。その時は、凄まじい被害が出たが」
二つ目のテーブルに腰掛ける隊長は、わたわたと手を動かす。
禁足地に足を踏み入れた夜盗が昔いたらしく、『旧王家の遺品』とやらを持って逃げたらしい。
……王国の国境守備隊、全滅。
もう十年以上も前の話だという。討伐に赴いた王国軍の兵士、そして《剣島都市》の冒険者たちまで負傷し、百名単位で被害が出た。結果、もとの《王家の森庭》――そこに追い込み、封じ込めた。それが精一杯だったという。
「……そうだったんですか。そんな被害を」
「その魔物を、殺したのか……?? クレイト・シュタイナーという冒険者と、さっき寝かせたお嬢ちゃんの『二人』で??」
「え、ええ。まあ」
驚かれるが、これは事実だから仕方がない。
あの時の試験は、『教師・《剣島都市》最強の双剣ゲドウィーズ』と『道具聖・キーズー』という、おおよそ似つかわしくない二人の監視の下で行われていた。だからこそ、外部の者が入り込む余地はない。『知識』を持ち出して、外の王国に運んでいるような〝目撃者〟はいないはずだ。
だが、僕にとってやはり疑問だったのは、なぜ《魔女》がそれを知っているのか? であった。
「なんで、ローレンさんがそれを知っている……? いや、それだけじゃない。昇格試験だって、あれは僕たちが起こしたことだ」
――森の奥地にいる、《魔女》が知り得るはずがない。
いわば、知り得ないはずの『知識』だ。魔女だけじゃない。《剣島都市》の冒険者たちですらも知らない。
実際にロドカルは、冒険者ながらも〝あの昇格試験〟は目にしていない。だから『討伐』の詳細を知らない。
当然ながら、高度な通信技術のようなものもなく、最大で『伝書小竜』と呼ばれる、王国戦争の時に《剣島都市》が開発した通信手段がある――ということしか分からない。それも、サルヴァスの〝上位層〟しか使えない高級品。一般の里人が扱えるような品ではない。
だが――この《魔女》、ローレンは知っていた。
(……まさか、そこにいる『精霊』が、《熾火の生命樹》と通信する異常な力を使えるのか?)
チラッと見るが、田舎娘然とした紅茶を握る精霊は『め、めっそうもないですぜ』という顔で、ぶんぶんっと首を振った。
「……友人の死は、〝囁き〟が伝えてくれたの」
「……囁き? ですか?」
「ええ。この大陸で、〝彼女〟が安らかな眠りを得たと。
王を失い、暴走する前のかつての『友人』に心を痛めていた『賢者』がいたの。賢者はわたしの中身の一部――つまり〝囁き〟。
誰も、彼女を救ってあげられなかった。だれも、人間になりたかった魔物を守ってあげられなかった」
……長年苦しんだ。という。
魔女は遠くを見るように呟いていた。紅茶を抱え、何ごともないようにテーブルで啜った。
「……ちょっと待ってください。囁きの『正体』って一体?」
「わたしの中に眠っている、〝偉人〟の人格――その〝声〟よ。
――《熾火の生命樹》だけが認めた賢者たちがいて、彼らは世界の記憶を『残すべき』方向に留めようとしているの。過去にあった出来事。戦争。王国の興亡記を教えてくれる」
魔女は、静かに語った。
まるで本に綴られた文字を読み起こすような声で。
「王国が乱れたときも、『知識』だけは常にそこにあった。――古くからの知識、そこには王宮に使えた大臣もいたし、将軍と呼ばれる武術の達人もいた。『薬学』を極めようとする賢者もいた。
――《熾火の生命樹》の、神様の力を使った仕組みなの」
「……《熾火の生命樹》の?」
「ええ。わたしの中で〝囁く〟者は――そう推測している。そして《クルハ・ブル》を訪れたあなたを、恩義があると敬っている。〝レベル1〟の冒険者さん」
僕は、水が流れるように発せられる〝お茶のテーブルの言葉〟に、やや呆然とする。魔女はこちらを見つめる。
「《女王蜘蛛》は、最強の魔物。
……強すぎる彼女は、強すぎるがゆえに、主亡き今となっても、誰も《討伐》という救いの手を差し伸べられなかった。それを憂いている『賢者』がいたの。誰もが『強者』として、そして王国硬貨の発生しない彼女を仕留めにはこなかった。……《冒険者》たちは現金主義だから」
……いや、ちょっと待て。
《魔女》は知識を貯蔵すると言った。知り得ないはずの情報も、『昔生きたもの』が運んで伝えてくれる。それって、つまり。
(……まさか、〝囁き〟って)
とんでもない結論が生まれたとき、魔女は『ええ』と僕の瞳を見ながら頷いていた。
「『昔生きていた人物と、会話できる』。――それがわたし、《ローレン》の能力なの」




