08 屋敷
その屋敷は、広い邸宅のようだった。
『ははぁ』と感心しながら、僕らは歩き進める。…………いったい、この辺境でどれだけのことをしたら『書庫』も『庭園』も『来客を出迎える大広間』もある、こんな邸宅を築くことができるのだろう。
僕は目の前を歩くそばかすの少女・精霊に目をやると、その〝マドレア〟という精霊世話人はすぐに僕に気がつき、意図も察した。
「ぜんぶ、オラのご主人様が構築したわけじゃないですよ」
「……あれ、そうなの?」
「ええ。さすがに、里の外に追放されたご主人様が、自らの手でここまでの邸宅を構築するのは――物理的に不可能です。あんたの思うとおり。たとえ、《動物》や精霊でもあるこのオラの手を借りても、ね」
まぁ、そうだよな。
僕が納得しつつ足を進めるが、まだ分からない。じゃあ、現実問題として、どうしてこんな『屋敷』がこの辺境に建っているのだ? だって、僕らが歩いているこの赤い絨毯も窓も幻想じゃない。実際に、ここにあって、森の一角に『実物』として存在している。
それを、どう説明するのだ。
「疑り深い人間ですね。
さっきも言ったように、『イチから構築』したわけじゃありません。もともと、この地方に古くから捨てられたボロ屋敷を、改築して住んでいるだけです。荒れ放題だったんで、どっかの領主の別荘でもあったんじゃないですかね? 知ったこっちゃないですけど」
そんな適当な口調で、精霊の少女は言った。
……つまり、もともと『森にあったボロ屋敷』らしい。
もともと、誰の持ち物だったかは特に気にならないようだ。重要なのは、それが森の奥地にあって、『どうやら、住めるらしい』と判断できたこと。それから集まってきた《動物》たちとともに、魔女は、朽ちた屋敷を修復したらしい。
「ははあ、大変だったんだな」
「大変だったんですよ。じっさい。
菜園が茂るのに二年、果実が実るのに四年、野良仕事は苦労ばっかりです。オラがもってきた外来の種も実るのに時間がかかりましたし、我慢できない動物の子が食っちまいますし」
「…………《動物》、ねえ。
まあ、動物のことはいいとして、途中、《魔物》とか襲ってこなかったのか? この大陸で、人の住む場所に魔物が来なかったことなんてないと思うんだが」
「そりゃ、きましたよ。わんさか」
手をうわっと広げ、何を当然、という顔で返事する。
――そりゃ、魔物だって襲来したらしい。
この大陸に暮らすということはそういうことだった。人間が暮らすところには―――必ず《魔物》は現われる。
精霊・マドレアの言うには、『屋敷』を復活させて間もなく、包囲するように魔物が襲ってきたという。
屋敷の戦力は動物たちや、赤い混血鳥のボーボくん。その勢力で一生懸命防ぎ、そんな災いを『嵐みたいなもんですよ』と言い切った精霊・マドレアの言を借りると『屋敷に籠城して、《動物》たちと一緒に魔物を撃退した』とのことだ。
「――まぁ。結果、なんとかなって、《魔物》を近寄らせないようにしているんですよ。今の屋敷は。〝赤い鳥〟も、屋敷の警備隊長として森から近づく外敵を追い払っていますし」
「…………なるほど、それで」
近づこうとした僕らに、あそこまで臨戦態勢だったのか。
それよりも、気になるのはこの精霊少女のことだ。
「オラですか? オラは、森でご主人様に助けられたんですよ」
「……? 森で、会ったのか?」
てっきり、最初からついていたと思ったのだが。
そんな僕の視線に、精霊は首を振って、
「オラは、賢者探しをするために《熾火の生命樹》から旅をしている――まぁ、詳細は省きますが、そんな精霊でした。オラが森をさまよい、空腹に耐えかねていると……あら、そこには美味しそうな野生のキノコがあるではありませんか。すかさず、目ざといオラが採ろうとすると、横から恐ろしい声が」
「魔物に襲われたのか」
「いいえ、そこにいるクソ鳥に襲われたんですよ」
「……へ?」
と。僕にとって耳を疑うことを言う。
半透明の精霊が言うには、飢えて路頭に迷っていた精霊・マドレアが―――森で食糧を確保するために探していると、赤い魔鳥の『ボーボくん』という鳥が現われて奪おうとしてきたのだという。―――泥沼の争いを繰り広げたらしい。
「意地汚い鳥です。躾がなってない。―――ローレン様と会う前に、オラの見つけた森の食料を、奪おうとしてやがったんです」
『聞くも涙、語るも涙、の争い』だと、本人は拳を握りしめているが。
僕ら『魔女捜索組』は、そんな精霊の顔をやや呆れ気味に見つめているのだった。
「精霊であろうと全力で顔を攻撃してくるこの鳥は鳥類のクズです。永久に丸焼きの業火に呑まれればいいんですよ。美味しくディナーの席に並べられるべきです」
『―――クエエ!!』
ばさばさっ、と僕らと一緒に屋敷についてきた赤い魔鳥・『ボーボくん』とやらが、その精霊をつついて威嚇行動をする。激しいもみ合いが発生し、廊下で『どう、どう』と僕らが引き離すことになった。
…………なんだろう、この人外二名は。
精霊と魔鳥がケンカするなんて、今まで聞いたことがない。
とにかく、『森で全力で争う彼女ら』の前に、《魔女》という少女が現われ、のんびり、ほがらかな口調で仲裁され、毒を抜かれ、それから『なんとなく』一緒に屋敷に来たのだという。《魔女効果》と精霊少女は呼んでいる。
そして。あとから、彼女が『賢者』の資格がある、と知ったのだという。
それが、彼女らにとっての貴重な『出会い』、だったらしいが。
……そこまで聞いた僕は全身の肩から力が抜けるのを感じた。
「……なんだか、聞いて損した。って顔をしてますね」
「そんなことないけどさ、はぁ」
…………なんだろう、この拍子抜けさは。
思う。魔女だというから、かなり警戒して、辺境まで来たのにな。
魔女に迷宮の構造を聞き、秘伝の薬の調合レシピを頂き、道中では赤い魔鳥がお出迎え―――これだけ文字にすると劇的な冒険に思えるけど、実際は屋敷の廊下で『コノヤロウ!』とケンカする人外二名を見ているだけだ。
…………赤い魔鳥と精霊は今でも仲が悪いらしく。僕らについてきた鳥は『ケッ』という顔で精霊を睨んでいたし、精霊も『アンタの役目は終わり。さっさと屋敷から出て行けって話しですよ』と、しっしっと手を動かしている。
まあ、それはともかく。
「姉上は……お元気なのじゃろうか。一つだけ、それが聞きたいのじゃが」
「…………。さあ」
遠慮気味に、今まで黙っていたエレノアが手を上げていた。
珍しく大人しいエレノアだ。この鉄の里・《クルハ・ブル》にきてから、こんなに口数が少なく、控えめに列の後ろに回ったエレノアを見たのは初めてだった。……その顔は、どこかしょんぼりとしており、『魔女の、長い月々の話し』が彼女にそう罪悪感を覚えさせているのかもしれない。
そばかすの精霊マドレアは、そんな心の動きを知ってか、チラと列の最後尾を見ていた。
「……そういうのは、姉妹なんですし。直接、本人に聞いたほうがいいんじゃないですかね。オラは庭師だし。詳しいことは分からない。もう間もなく、部屋に案内します」
「…………う。む、そ、そうじゃな」
沈み込みそうな心細い面持ちで、エレノアは頷いた。
…………珍しいな。
僕は心の中でその小さな驚きを広げるのと同時に、『無理もないか』とも思った。ずっと会っていなかった姉妹なのである。
僕は故郷の田舎王国・セルアニアに両親以外の家族はいないが、きっと兄弟がいたらこんな感じで複雑な間柄だったのかもしれない。――もちろん、仲のいい素晴らしい兄弟もいるだろうが。
僕は思い出す。
《剣島都市》の友人たちも――。
寮の隣室、ガフ・ドラベルのように、貴族であっても実家に対して『兄は……』と沈黙してしまったり、複雑な顔をする人間がほとんどだった。…………みんな、何かを過去に置いてきて、事情があって旅に出ているのかもしれない。
と、
「――さ。こちらへ」
廊下の突き当たりにあった『大扉』に、庭師精霊は案内した。




