11 予兆
「マスターが、死んでしまいます!!」
と。一ヶ月後の、教室で。
いつもの日課として、《熾火の生命樹》の世界樹の木の下にある学園で教室の席に座っていると、隣のミスズが叫んでいた。うるうる、その目には大粒の涙があふれている。
……そりゃ。
まあ、そうなるよな。
誰しもが予想のついていたことだが。僕はあの『修行』以来。寝る間を惜しんで朝は《寮の掃除》、そして短い時間を使って《剣島都市》の街中をバイトして周り、時間さえ空けば《修行》と剣を素振りして打ち込んでいった。それから、寮の訓練の時間になったら、寮母さんにボコボコにされている。
…………なんというか。
もう、滅茶苦茶な生活である。
当然、僕はボコボコにされた状態で『学園の授業』に顔を出すわけだし、その幽霊みたいな姿を見て、他の生徒たちはヒソヒソと不気味そうに噂話をしている。………これでも、最初よりも受ける傷が減ってきてはいるのだが。
これで冒険者だから、『午後の冒険』には出かけていた。体力が尽きないことがおかしかった。目が腫れて青あざをつくり、腕は何度も打たれて化膿し。それでも、毎日歩き続けた。
もう、どこからどう見ても、どっちが『魔物』なのか分からない。そんなアンデッド系の半死半生の姿。
ぐるぐる包帯を巻く僕に、ミスズは涙ぐんで『ひどいです! オニです。マスターが、こんなに頑張っているのに』と抗議するのだった。主張はエスカレートしていき、最後には『ミスズがマスターのために、あの邪悪な寮母さまを討伐してやります!』と危険な宣言をしていた。
…………いや、マジで止めろ。止めてくれ。
まず、非力な精霊でしかない『ミスズ』が向かったって勝てない。それに、そうじゃなくても僕は諦める気はない。
(…………あと、寝かせて……くれ……)
と。
この、たった数分ほどの授業前の貴重な時間。僕が気が抜けたように机に突っ伏していいると、ミスズが『マスターが死んじゃいましたああ!!』と腕にすがりついていた。いや、頼むから静かにしてくれ。
僕が稀少な時間を使って貪り眠っていると、
「…………なんというか。すごいねぇ」
優等生のガフが横で呟いていた。
久々に見た気がしないでもない。ドラベル家の次男坊である。いつもはクールな仮面の下で他人を観察している彼も、今日ばかりは唖然とした顔で僕たちの騒動を眺めていた。
この日の授業科目は、『王国経済学Ⅰ』。つまり、冒険者の程度(〝ランク〟)に関わらず、同じ時期に入ってきた人間ならば全員が受けなければいけない授業である。そんな必須科目には、いつもの閑散とした教室の雰囲気とは違い、多くの生徒たちが詰めかけ、熱気を帯びていた。
自分の『御子』をあまり公開していない上級冒険者のガフは、ミスズに事情を聞いていた。一応は心配をしてくれているらしい。
それから、
(……ミスズちゃん。寝かせてあげてもいいんじゃないかな)
(ふえっ?)
しっ。と。端正な顔によく似合う、キザな動きで人差し指を立てながら。僕が『死んだ』と思って(いや、そんなわけないが)揺り起こそうとするミスズに、そっと注意した。
「クレイトは、寝ているだけだから」
「……はう。で、でも……」
怒られたと思ったらしい。
一応は僕の友人でもあり、身分の違う《冒険者》からの注意に、ミスズはシュンと体をうなだれる。
「寝かせてあげてよ。バイトも掛け持ちしているみたいじゃないか。街中の飲食店の裏だったかな。荷物運びをしているクレイトを見かけたことがある。たまたまだったけどね。………確かに、そこで酒代を稼いで、貢いだものを教育者でもある寮母に送っているのには僕も疑問を呈したい」
「で、です。………なんといいますか、あれから寮母様は『受講料は値上がりしました』とか言って、お酒代をつり上げたり。その日のお酒の気分で好き勝手をやっているみたいです」
「まぁ、そうだね。良くないよ。……でも」
「……? でも?」
キョトンと、ミスズは首をかしげる。
それまで同意していたガフが、言葉を止めたからである。
「《剣島都市》の街中で働いているクレイト。なんというか、すごくいい目をしていたよ。キラキラしていて、強い光があった。………僕も思わず買い物の手を止めてしまったくらいに。本気で、燃え上がって。ギラついていた。生きている。いや、立ち向かっている―――そんな瞳かな? きっと寮母さんも、クレイトの変化を感じ取っているんじゃないかな? それで、何か考えがあって、料金をつり上げているようにも思える。彼をもっと動かすために」
「で、でも。どうして?」
それは、ガフにも分からないようだった。
この《剣島都市》で学徒になって、その知性でみるみる頭角を現わしていった才能の人間だ。そんなガフにも、寮母の考えが全く分からなかった。読めない。……もし、読めたとしたら、最初に〝友人〟であるガフがアドバイスをするはずだった。冒険の知恵を授ける。
また、裏返すと。
それほど、この都市の冒険者―――。《剣島都市》で魔物を倒そうという冒険者たちのうち、〝最底辺〟から這い上がるのが、それほど困難だということでもあった。知恵を持つガフですらも、この〝詰み〟から這い出す知恵が浮かばないほどに。
だから、彼は寮母の裏が読めない。
彼女が、何をしようとしているのか。
ミスズは、そんな紳士的な男に真っ向からは逆らわなかった。逆らわないが、やはり不満そうに口を噤み。子供のように、納得がいかない顔をしていた。「でも……」と口から出てくるのは、自分の《契約者》に関する心配事ばかりである。
「でもっ! マスターが確実に疲れていってます。ミスズは……心配です……。前はもっと口数も多くて、明るかったです。でも、最近は帰ってきたら寝るだけの生活になっていて……。過酷な生活なんです。体を崩していないか心配です。ミスズができることは、多くないのに……」
「そういえば、寮生活での料理ってミスズちゃんが作っているんだっけ?」
「は、はい。ミスズにできることは、そんなに多くないのです……」
しゅんと、顔を落す。
それも立派な『応援』にガフは思えたのだが、彼女はそんなこと思っていないらしい。『マスターの役に立ちたい』と本人は思っているのに、何も出来ない。彼女が守るべき主人は、ボロボロに傷ついていっているのに、彼女だけは何も出来ない。
「…………マスターの足を引っぱっているのは、ミスズです……。ミスズが悪いんです。こんな『使えない御子』と契約させてしまったから、マスターが傷ついて、苦しんで。過酷な修行をすることだって、本来はミスズがするべきなんです……。冒険者が強くならないと意味がない、って寮母様には追い返されましたが……。
ミスズは、ただ、マスターには明るくいてほしい……。それだけなんです。ミスズは、それくらいマスターが好きなんです」
「そうか」
ボンヤリと呟いたガフだったが。その眼差しは、微笑ましくも、少し眩しくて羨ましいものになっていた。
モノクル眼鏡の向こうで、思う。
―――それは、きっと理想の《信頼の形》なのだから。
冒険者は、そうである。
どんなに辛い冒険でも、お腹を空かせて密林を迷子になっていても、強くて手に負えない凶暴な《魔物》に襲われても。最後に信じ、背中を託せるのは、その信頼関係にある《御子》そのものなのだ。
聖剣の道具だと、人は言う。
だが、上級生たちに見えないものも、ガフは少しずつ《剣島都市》で見えるようになってきた。
この冒険者と剣の御子は、その最高の極致に達していた。人から見たら、最弱かもしれない。まだレベル1だし、《ステータス》も伸びない。最低水準の数字が並んでいる。オマケに学校でのランク付けは、最底辺の〝F〟ランク。魔物の一匹すら倒せやしない。
でも。
しかし、それ以上のものを彼らは持っている。そんな気がした。ガフ自身も、友人としてクレイトが心配だった。止めるべきかもしれない。授業でわざわざ、彼の近くに席を取ったのも、事情によっては止めようと思ったからだ。
だが、彼の近くには〝精霊〟がいる。
どんなに挫けても、立ち向かっていく背中についてくる剣の御子がいる。クレイトの体調を気にかけて、『ご自愛を』なんて言うのは簡単だ。だが、本気で友人のためを思うのなら、ここはどう動くべきか。
だからこそ、彼は言う。
「僕はね。ミスズちゃん。クレイトの友人として。この修行を邪魔してはいけない、って感じているんだよ。彼のために、僕は今彼を止めるべきではないと思う。―――今、彼は本気で何かを変えようとしているんだ」
「………か、変える……ですか?」
「そう。たぶん、変わろうとしている」
と。
これだけは正面から。ハッキリとこの俊才は言うことが出来た。サルヴァスの《上級生》の剣士として、誓えた。
………『あの寮母は、何かを企んでいる』。
「彼の腕を見てご覧。服の上からでも分かるくらい、盛り上がりができている。以前はそんなじゃなかったのにね。冒険者に必要な、剣を振るための上部の腕の筋肉だ。それに足。今までとそう変わらないように見えて、良質な筋肉に構造を変えている。……つまり、全体の量ではなく、『質』……敏捷を上げようとしているのか」
「………?」
つまり。何かが、起きている。
それは、一日や二日では見えづらいかもしれない。実際に近くいる『ミスズ』は、その変化に気づかなかった。毎日痛めつけられては、戻ってくる主人の顔ばかりを見ていた。その『表面』的なことにばかり、意識が奪われてしまっていた。
だが、違った。久々に彼に会った『友人』のガフには、戦慄するほど………その水面下で起きている違いが分かった。少し不気味なくらいの成長速度で、彼は変化をしている。
(あの寮母は………正直、僕もあまり信用していない。クレイトの修行法だって、型破りすぎる。本来はもっと楽な方法があるはず。僕だってそれを考案して用意できる。……それは、彼女も分かっているはず。……だが、それだけに不気味でもあり、何かを狙っているのか分からない。まるで、天変地異が起こるように……。ある日突然、『始まる』気がする……)
友人のガフは、沈む意識の中で考える。
だが、冒険と違って《剣島都市》の街中で魔物が出てくるわけでもない。故に、死亡率だけに限って言えば、限りなく―――0%―――。心配はするが、致命傷になるほどの出来事は起きないはずだ。
もう少し見守ることは可能だと、彼は結論づけるのである。
「…………だから。見守ってあげると良いんじゃないかな?」
「……はう。マスターのご友人様が、そこまで言われるのでしたら……。ミスズも、我慢して見守ります。……けど」
「? けど?」
「ミスズは、それでもやっぱり『マスター』が心配です」
と。ハッキリと。
透明なガラスのような澄んだ瞳で、彼女はガフに言うのであった。この御子は、普段は気弱な気質で、相手の目を見て話すことも出来ないくせに。こんな時だけ、確固たる意志を持って、正面から見つめてくるのである。
「―――《契約主》は、ミスズにとって恩人なのです。ミスズが《剣島都市》に迷い子としていた時に、たった一人だけ味方になってくれた人なんです。だから、マスターに何か起きたら……ミスズが、承知しません」
それだけは。
この弱気な精霊が、言い切ってしまうのである。
ガフは、つかの間口を開き。呆気にとられた。
「…………。そうか。ふふ。似たもの同士の《主従》だね。頑固だ」
「ふえっ? ど、どうしてですか?」
「いいや。こっちの話」
ガフは首を振った。
そういう主従だからこそ、自分は今まで付き合っていられたのかもしれない。そう思って。
ミスズは、言う。
「ミスズが昔――。毎日不安な生活を送って、照明も生活水もなかった…………あの頃に。『勝手に入り込んだ部屋』で、始めて入って良かったな、って。そう思わせてくれた人なんです。だから、マスターを支えたいのです」
「………そっか。うん。聞いてるよ。《剣島都市》での幽霊時代だったときのこと」
ガフは頷いていた。彼も話は聞いている。《剣島都市》で最初にミスズは、幽霊のような状態でクレイトに会った。
そして、同時に思う。
(…………それにしても。僕に言わせると、『君』もかなりの奇妙不可思議な存在なんだけどね)
ふと、ガフは別人のように思案する顔になっていた。
『……ふえ?』と。
そのガフの小声が聞こえたのか、御子は首をかしげている。
(…………普通、ここまでステータスが低い御子が、いるだろうか?)
思うのである。
神様が意地悪をしているわけじゃないのだ。全ての『天から与えられる』恵みは、雨のように均一であり、局地的に『雨量』という誤差があるにしても、雨が降るという事実は変わらないはずなのだ。
〝才能〟――引いては、〝ステータス〟についても、同じ。
現役の王国剣士などの人物が、聖剣を手にしたら『初期パラメーター』が高い、つまりレベルが高かった、という事例の報告は受けているモノの。
…………だからといって、他の剣士志願者が『聖剣』を持ったからといって、レベル1の時点であそこまでステータスが『低い』という話も聞いたことがない。
つまり、初期で振り分けられるべき『数値100』があるとすると、圧倒的に少ない数なのである。
すべての恵みは、等しく《熾火の生命樹》から得られているはずなのに。ここまでステータスの偏りがあると不審でならない。クレイトは剣術に関しては『イマイチ』の農民出身者であるが、こと敏捷性に関しては『もっと高くてもいいのではないか?』と思うのである。
しかし。
一方で、別の事例も報告されている。
初期値―――つまり〝レベル1〟のパラメーターが極端に低く。それでも、違和感なく『数値』が振り分けられている状態。それは、すなわち――。
(………何かの〝隠し要素〟を宿している『御子』だ)
ガフは、講義室で腕を組む。
これは、ひどく珍しい。希少種とも呼ばれている。
サルヴァスの生徒たちの中でも少数――〝5%未満〟―――しか発現せず、しかも発現すれば、戦闘を有利に運べる強力な《ステータス》になるのである。
一度発現してしまえば、サルヴァスでの戦闘概念がひっくり返り、バランスすらも壊れる性能。その一個一個が独自の戦術を身につけられており、王国騎士団をも戦闘力で上回る―――。
まさに、人間要塞になれる〝隠し才能〟である。
ただし、一個一個の条件は困難で、すぐに現われる場合は少ないらしい。
それこそ、サルヴァスの聖剣使いになって、ずっと誰にも気づかれずに燻っていた能力―――そんなのも多いらしい。
何らかの戦闘中であったり、また、特定の〝レベル〟まで到達したとき、たまたま顕現することがあるという。すべて、この世界を動かしている巨大樹、〝世界のへそ〟にある《熾火の生命樹》の意志が決めるのだ。
正直、ガフも『欲しくない』と言えば嘘になる。だが、初期値である自分の〝ステータス〟の数値が良かった以上は、可能性は低いと思っている。
なにせ、その〝戦闘技能〟は、割り振られるべき《初期のステータス『数値100』》だとすると、40も、50も食い潰す燃費の悪いシロモノなのだから。
決して、あったとして戦闘を優位に運ぶ物でもない。
だけど、同時に思う。
(…………それにしたって、クレイトの『初期値』は貧相すぎる……)
そう。
例え40も50も『初期数値』を食い潰していたとしても、余りにもその数値は低すぎるのである。もしかして、本当に『運がない』『実力がない』という可哀想な剣士かもしれなかった。そうなれば同情を禁じ得ない。彼には、一生頑張っても芽すら出せないのか。
友人のために同情しつつ。
しかしガフは、『ある唯一無二の可能性』にも賭けていた。
それは。絶対的な王者の力であった。
〝―――稀少性能―――〟
その名前は。誰がそう呼んだのか、都市伝説としてそう伝わっている。正直、《剣島都市》では眉唾ものの話でしかない。決して《ステータス》欄に表示されず、隠された技能が存在するというのである。
誰に、どう現われるか、分からない。見た人もいない。そういう話。
もしそれが本当だったなら、〝100〟あるポイントの振り分けで、そのスキルは〝70〟も〝80〟も食い潰してもおかしくない。過去最悪の燃費っぷり。しかし恩恵はでかいのだ。
それこそ、伝説の英雄すら誕生させるほどに。
この都市の創設に関わった〝メンバー4名〟のうち、一人が固有性能を持っていたそうなのである。
それが何か、分からない。
もし存在するのなら。それは。20.000の生徒たちのうち、頂点に君臨できる――『S』ランクを超える何か。
もし、そんなモノが実在するのなら―――。
それは、途方もなく…………面白い。
と感じるのである。血が沸騰し、煮えたぎるくらい。
だが。
(…………まあ、考えすぎか)
空想は、しょせん空想。
今の彼の隣には、ボロボロの雑巾のようになって転がる冒険者がいるくらいだった。介抱する御子も、これが伝説の相棒か、と思えるほど頼りない精霊。半年前からこの姿を見ていたガフにとっては、いつまでも変わらない。二人の姿なのである。
そして、教師が黒板にチョークで文字を書き終えたところで、停滞していた授業の空間が動いていく。また眠っていたクレイトが注意され、周囲の学生からどっと笑われる。いつもと何も変らない―――そんな教室の風景だった。
教室の黒板を見ながら、ガフは。息をつくのである。




