06 秘境の地
見えてきたのは、小川のほとりにある、小さな庭園だった。
小さな川のせせらぎの向こう側に、その『庭園』が見えてくる。なぜ庭園なのかというと、野菜だけでなく《香薬草》もうえられていたからだ。四竜の季節折々の花が風にそよいでいて、そこを管理する〝小さな何か〟も見えていた。
その奥には、不思議な《秘境の地》が広がっていた。
『……どうして、こんな場所に?』と僕が思ってしまうような、果実も豊かな緑の場所であり、奇妙なのは、こんな森の中なのに《生活感》がありすぎることだ。栽培もしている。
その庭先を見回して、僕らは呆然としていた。冒険者ロドカルは『……な、なんでありますか?』と動けなくなり、ミスズは『わあぁ』と子供みたいに隣に立って、手でひさしを作りながら遠望する。
「広いお庭です、マスター。お花が綺麗です」
「…………あ、ああ。《香薬草》だな、ありゃ」
…………しっかし、森の中にこんなのがあるとは。
僕は思った。隠れ家ではないのか? もっと、コソコソと潜んでいる印象があったのだが。これじゃあ、まるで快適な暮らしを作っているようでもある。見たところ、どの侯爵家の邸宅よりご立派でもある。
隣のミスズは、金色の髪を庭先の髪に揺らし、ふと僕の言葉を気にした。
「……《香薬草》、とは。なんでしょう。マスター、ご存じですか?」
「ん? ああ、ミスズも料理で使うことがあるだろ。《香辛料》と似たような働きがある、香り付けの薬草さ。僕の故郷、セルアニアではそれが薬でもあったんだ」
僕は語る。
そもそも、《冒険エリアの奥地》や《ダンジョン迷宮の奥部》でしか入手できないような効果の強い、高級品の薬草などは僕の暮らしていたような『田舎国』の村では入手できなかった。
薬草だって、効き目が強いものはそう簡単には手に入らなかったのだ。………じゃあ、冒険者でもない《庶民》はどうするのかというと、お手軽で栽培可能な《香薬草》を使ったり、料理に入れたりする。薬草の代用品としてかなり重宝するのだ。
「僕の隣の家では、村で《香薬草・菜園》なんてやってたんだ。懐かしい」
「……へえぇ」
いつか、僕の故郷にも行ってみたい、と語っている精霊のミスズである。その話を聞いて瞳を輝かせていた。…………すると、隣では『それにしても』とロドカルが見回しており、肩では『ニャー』と楽しそうに仔猫の精霊が菜園の風にヒゲを揺らしている。
「…………これほど広大な敷地・菜園を、どうやって維持してきたのでありましょうか?? だって、魔女は一人で住んでいるのでありましょう?」
「それも、そうだな」
と。疑問を浮かべる僕らの前に、『藁でできた人形細工』が現われた。
麦わら帽子をかぶり、野山の風に揺れている。スカーフのようなタオルも巻いており、無機物は、さながら洒落た農夫のようであった。
…………あれ、こんなところに《カカシ》ってあったっけ?
僕が目を丸くすると、前を進んでいた銀髪のエレノアが、
「カカシが、やけに多い気がするのう」
「そうだな、お嬢。うちの里の畑でも、これほど並べていないが」
揃って、主従が首を傾げていた。
背の高い菜園の畑を歩いていたときだ。地面にはふかふかに耕された土壌があり、僕らが土を窪ませてあるいていくと、周囲を『円』のようにぐるりと《カカシ》が囲んでいた。
……に、したって。
…………なんだか妙に数が多い気がしないか??
「ミスズ、違和感ないか?」
「は、はい。さきほどミスズが見たときには、もう少し少なかったような……?」
そして、作物の実る庭先で、ミスズは佇む藁細工を手で摘まもうとして―――『ゆさゆさ』とソイツが目の前で動き出す。左右に揺れた。『――わひゃう!?』とミスズが叫び声を上げ、僕に慌てて走り寄って、後ろに隠れる。
「お、おい。まさか」
「ああ、冒険者クレイト、用心しろ。若いヤツらは、オッサンの後ろに隠れるんだ」
…………畑を守る、動く生き物。
隊長オランさんが『ハンマー』を背中から引き抜き、そして僕らも聖剣を構えるのだった。案内役だった『赤い魔鳥』は特に動じていないが、僕らにとっては野生の魔物が出現した脅威だ。
魔物・スライムのように、藁人形が左右に動いて脅してくる。『わ、わわわわわ、人形さんが動いてます!!』とミスズが震えており、その奇妙な――自然界では考えられない、謎の人造生命物と僕らは向き合っていた。だが、
(…………ん? あれ?)
なかなか戦いを仕掛けてこない《藁人形》を見て、僕はふと気づくことがあった。
ゆさ、ゆさ。左右に揺れている。
『……あ、あわわわ』『ぬわああ、不気味であります!!』と精霊、ロドカルがそのたび悲鳴を上げていたが、その動きに何か『軸』があるような気がしたのである。…………っていうか、なんで左右なんだ? どうして、そんな振り子を逆さまにしたような揺れをしているんだ?
―――僕は、ふと。視線を下に向けた。
…………よくよく見ると、そこにはつぶらな瞳をした、『あら、かわいい』と思ってしまうような小さな動物・『アライイタチ』がいた。自然界の、手先の器用な動物である。カカシの棒を下で握りしめていた。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あのー」
『ビクッ!』と。
そんな僕が、申し訳なさそうに語りかけると。つぶらな黒い瞳でこちらを見上げていた黒幕が、驚きで肩を揺らし、それから逃げていく。…………憐れ、さんざん『こけおどし』に使っていたカカシを捨てて。
「……ま、ますたー? さきほどのって」
「ど、動物が操っていたので……ありますか??」
正体が判明し、それからミスズもロドカルも拍子抜けして、見回す。
畑を守っていた『戦士』…………というのか。その正体は、下でハタのように『ゆさゆさ』と左右にカカシを振っていた『イタチ』であり、彼らはどうやら群れで動いているようだった。
畑の中を動き、だけど、単体では戦闘力がないため、すぐに看破されると逃げ出してしまっていた。…………背の高い野菜などの作物が、彼らの姿を隠していただけだ。しかし、僕はそれ以上に、引っかかるものがある。
(なんで、『動物』が菜園を守っていたんだ……?)
思う。
だって、ここの《香薬草・菜園》、野菜の畑などは、動物たちにとって守るものではないはずだ。『動物』といったら、農作物を荒らすものだと相場は決まっている。だから、カカシなど、そういったものは外へと向けられる。逆なのだ。
しかし、
「クレイトさん、この菜園……『動物』が多いであります」
僕の隣で、ロドカルが驚いた声を上げる。
……この庭には、逆なのである。
そこには『動物』―――土をいじっている小器用な『イタチ』の姿もあれば、桶を運ぶヤギなど、さまざまな動物の姿があった。…………ふつうは、動物が侵入すると畑や果樹園は荒らされるものだが。
…………どういうことなんだ……?
僕が呆然としていると、そんな動物たちに『飼葉』を与えるために運んでいたらしい、その女性が振り返る。
…………いや、『尖った耳』をもつ、半透明の――。
『……おや? お客様ですか?』
農作業着の、女性だった。
…………いや、半透明の、金髪の〝精霊〟が―――そこにいたのだ。




