02 七人
***
柵の影から、七名が顔をのぞかせていた。
その里長の屋敷には、前の長老が愛した庭木が植えられており、その色鮮やかな植物の影から『にゅっ』と顔を出していた。…………『里長の家』は、現在『ダンジョン迷宮の調査のために、必要だ』とする物資が、次々と荷馬車から運ばれていた。
そして、のぞき込むのも――また。
そんな、〝ダンジョン迷宮〟に用事があるはずの、少年少女、冒険者たちだった。
「…………運び込まれているね」
「困ったのじゃ」
先頭の冒険者―――まあ、つまるところ〝僕〟ということになるのだが。『クレイト』や『マスター』と後ろから呼ばれる僕が語りかけると、その横で銀色の髪を揺らす『里長』のエレノアが答えていた。
彼女の目は、じっと家のほうを見ている。動向をうかがっている。
「あのままわらわの家を占拠されていては、『病人』の治療も満足にはできぬ」
「……そうだね。動く気配が、今のところない」
エレノアが、僕の隣で言った。
実のところ、困ったどころではない。大きな障壁だった。
里の家を占拠し、彼らは荷夫を指揮して荷物を運び込んでいる。冒険の秘訣は、その準備にある―――とは〝授業〟でも習っていたが。それを彼らは大規模にやっているのであった。指揮するのは、《青の冒険者》である。
里の家を占拠し、病人たちを追い出していた。
治療を必要とする人間もいる。…………まだ、魔物・《砂鯨》を討伐し終えたばかりなのだ。その後の出来事だった。――メメアも、あの中にいた。
《冒険者》だけでなく、魔物と戦ったダメージで高熱を発する病人たちは、すぐさま別の民家に分けて寝かせてもらっていた。……戦いの焦げ跡の匂う里の中であったが、まだ、無事な民家も残っていた。
(…………メメアも、親切そうなお婆さんの家で寝せてもらっているとして)
僕は、考える。
――とりあえず、里人が協力してくれていた。
エレノアが頼み込んだ。『里長のためならば』『村を救ってくれた、《冒険者》様たちならば』と里人たちは進んで協力してくれていた。…………だが、
「薬は家からなるだけ運び出したのじゃ。……じゃが、ヤツらに長くあそこを陣取られておるのはよくない。不本意な状況が起こっておる。…………まだ、〝盗賊〟の残党は《迷宮》の近くにおるというに」
エレノアと、僕らは会議をする。
僕らはすでに里を『追われ』ている。
彼ら―――〝青色の冒険者〟たちは、《剣島都市》からこの地方の攻略を任されたという。つまり、僕らは不必要ということだ。もっと強い冒険者が里を救い、彼らはこの里を『作戦の前線基地』と呼んでいた。
だから、ここから何かをするにしても、あまり大げさに動くことができない。――《剣島都市》からきた彼らの素性や、信憑性はともかくとして。島の〝命令〟と〝旗〟を掲げられた以上は、『なんだと、コノヤロウ』と食ってかかるわけにはいかないのだ。
…………僕らは、立場上は、まだ『弱小冒険者』なのである。
そして、僕は《鉄の里》から離れるわけにもいかなかった。里長エレノアとの〝依頼契約〟の件もあったし、それ以上に、高熱を発して苦しんでいるメメアを放ってはおけなかった。
「……どうにかしないとね」
「……どうにかしなくてはいけないのじゃ」
そして、僕らは植え込みの影から様子をうかがう。
意外なのは――。
僕は後ろを振り返った。そこには、獣耳を揺らし、じっと猛獣のように里の様子をうかがう金髪の少女がいた。
「…………あのー。なんで、君までいるのさ?」
「……単純に、くやしーからだよ。クソ」
…………息がかかるほど近くで吐き捨てるのは、冒険者のリスドレアだった。険しい顔をつくっている。
「悔しいからだよ。あのヤロウ、己たちがつかみ取った戦果をみんな奪っていきやがって。誰が盗賊と魔物の軍勢と、身を削って戦ったと思ってやがるんだ」
「…………まぁ、状況から言って、上から乗っかってきた形になるけど」
「里の外で、待っていたに違いねえ」
そう、牙のような歯を『ギリッ』と噛みながら冒険者はいう。
…………どうだろう?
僕は考える。
…………確かにタイミングが良すぎる。話の内容も。
だが、だからといって、里に乗りこんできたあの『《剣島都市》の旗が》が青空になびく光景』が、仕組まれたものだと断定もできない。偶然かもしれない。僕には判断がつかなかった。
情報を集めて『考察』に向かっていく僕の態度と、ただ、鋭いまでの『直感』に頼って物事を判断する冒険者リスドレアとの《冒険者》としての中身が、ここで大きく異なる気がした。
――だが、それは現時点で、大きな問題ではない。
もともと、彼女たちは協力してくれた《第三勢力》、僕らみたいな《里の側》とは違うのである。(…………そもそも、なぜ彼女たちが、この《里》に固執するのか。それは分からなかったが)
そんな僕に、横で獣人の少女は茂みに隠れながら、
「――あのヤロウ。牢まで押さえやがって。
これじゃあ、なんのために戦ったか。まんまと《戦果》を奪われたじゃねえか。《魔物》どもに紛れて襲ってきた盗賊の首領・オークの男とかに、話しを聞けたはずなのに」
「……確かに」
僕は考える。
…………深い問題は、その辺りだった。
僕たちは、この里に二つの目的がある。
―――一つは、『メメア救出』と。
――もう一つは、『ダンジョンと盗賊の掃討戦』である。
メメア救出は、言うまでもない。
彼女が僕を逃がすために《森の戦い》を演じ、そのために盗賊の首領の一人である〝黒髪の女〟に深手を受けてしまっていた。結果的にはそのおかげで里が救われたわけであるが、彼女の傷は、特殊なものらしく、〝毒〟によって動けなくなった彼女を守るためには条件が必要だった。
薬師として経験のあるエレノアが語るには、一つ、『ダンジョン迷宮を含む、この《クルハ・ブル》全ての地域で、万能の薬・〝英雄の花〟を見つける』か。二つ、『そもそも、その毒を与えてきた〝女〟をつかまえ、毒について吐かせる』か、この二択である。
…………僕は、それを絶対にやらねばならない。
僕は、拳を握りしめる。
「…………ますたー」
「……。ああ」
精霊と。その『冒険者』について、瞳を合わせ、うなずき合う。
そして、もう一つの問題。
―――それは、『ダンジョンと盗賊の掃討戦』だった。
実は、この《クルハ・ブル》の里の問題は、根本的には解決していない。
ひと晩考えて、分かったことだ。
盗賊軍団が押し寄せてきたのは、〝第一波〟だった。
なんとか侵略をしのぎ、押し返すことに成功したが。まだまだ、盗賊たちには残党勢力があった。…………彼らは、まだ《ダンジョン迷宮遺跡》の近くに陣取っている。………たぶん、黒髪の女が指揮をとっているのだ。
つまり、まだ〝山〟にいる。
その集団が近くにいる限り、この問題が解決したとはいえない。
つまり、今の僕らの目的は、
「――《魔物の討伐》そして」
「――《盗賊の討伐》、じゃ」
僕がいい、エレノアが銀の長いまつげの下で瞳を向けてきて、頷いた。
この二つである。
エレノアの背後には隊長オランさんがいる。彼もまた、腕を組んで頷いていた。
エレノアと話した結果、どうやら魔物たちを押さえ込むには〝迷宮の扉〟を起動させるしかないらしい。それさえ動けば、迷宮遺跡の奥底に、扉を使って魔物たちを封じ込められる。…………そうすると、どれだけ盗賊たちが『魔物を仲間』にしようとも、どれだけ強力な魔物を新たに呼び寄せようとも、《封殺》することができる。
………そのためには、前面の《盗賊残党》たちを、蹴散らさなければならないのだが。
ここで、必要な情報は、『彼らが、どうやって魔物を仲間にしているのか?』である。その方法さえ分かれば、手探りじゃなくもっと戦える。先刻の里での戦いを見る限り、細かく戦う方法などを指示している感じではなかった。
……そこまで細かく指示できないのかもしれない。
……だったら、『里を攻撃しろ』『ダンジョン迷宮に引き上げろ』など、〝進め〟〝退け〟などの命令しかできない…………のかもしれない。
なんにせよ、不確定要素だった。
自信を持って、僕らはあの迷宮――《ダンジョン迷宮》の第二階層から、下に挑みたい。
「――クソ。あのヨードフとか言う『首領』から話しを聞けば、何か分かるかもしれねえのに」
「…………下手したら、あの青い冒険者が情報を掴む。ね」
「それが一番癪なんだよ。クソッ。あのヤロウ、《英雄の旗》だとか《竜の旗》だとか知らねえが、澄ました顔をしやがって」
それが腹立たしそうに、『ゴスッ』とリスドレアが庭木の幹を蹴った。凄まじい力で、その晴れの日の木陰を作る気がゆさゆさと揺れる。『……?』と遠くで屋敷に物資を運び入れようとしていた男の一人が振り向くが、全員が頭を隠して『やべっ』と隠れた。僕ら全員がリスドレアを押さえる。
「…………ぐ。わ、分かった。もう暴れねえ」
「…………あ、あのー。……その《首領》さんとの交渉を、あの冒険者様に願い出てはいかがでしょう?」
至極もっともな疑問を口にし、幼子のような瞳で首を傾げるのは精霊ミスズであったが、誰もが同意せず重苦しい息を吐いた上に、エレノアは『難しいな』と腕を組んだ。
背中の雑草を払っていた冒険者リスドレアが、かわりに言う。
「ダメだな、どうにかできるような相手じゃねえ。―――《冒険者》だぞ?」
「ふえ?」
それが、全ての理由のように。
吐き捨てる冒険者リスドレアの言葉が、なんだか、僕にも分かる気がした。
…………《剣島都市》の冒険者なのである。
ある種、普通の街の自警団とか、悪者よりタチが悪い気がした。
彼らは独自の基準で動く。たとえば街の悪者、ゴロツキだったら、《金》さえ与えればどうにでも動くだろう。最悪、大金さえ支払ってしまえば、手を引いてもらえるかもしれない。
だが、冒険者は違う。
それぞれの主義、主張、正義――または、《名誉》《名声》のためなら、何でもする。〝A~F階級塔〟に作られた島なのである。〝上位ランカー〟に向かうためなら何でもする人間ばかりだろうし、実際に僕も同じように思っていた時期がある。……だから分かるが、本当に人間が追い詰められると、悪事にも手を染める。
彼らが〝里長の家〟を、〝《クルハ・ブル》の騒乱へと向けた前線基地〟だとして占拠しているのが、何よりの証拠だった。…………彼らにとって、病人だとか、重傷者とか、そんなものは見えていない。どうでもいい存在なのである。
かつて、《剣島都市》の上級冒険者たちが、〝精霊〟を使い捨てにしていたのと理屈では同じである。
上級冒険者になるため。上位に向かうため、必要とあらば平気で『見殺し』にすることも厭わない。
また、酷使して、生涯のパートナーを使い潰そうが知ったことではないのである。あくまで、周囲の傷ついた人間や、立場の弱い人間なんて見ていない。『自分も、ああなるのはゴメンだ』という名の下に、同情は真っ先に切り捨てている。
………………《冒険者》なら。
…………いや、《冒険者》だからこそ。
その辺りの理屈は百も承知してるし、僕だって、分かっている。だからこそ同意できない。『同情を誘う』なんて、いわば、そんな冒険者競争の中で、争ったことのない者の口にする理屈だ。幻想だ。――――隙を見せたら、その瞬間に食われてしまうのである。
「だいたい、ヤツは『聖剣を持たない者』に躊躇なく剣を抜いた。…………お前も見ただろ、三流精霊。里の《隊長殿》が、アッサリとやられる姿を」
「……は、はい」
『三流』と呼ばれても特に言い返せず、ミスズは弱々しく頷いただけだった。その後ろでは、隊長が『………そのことは、言わないでくれるとオッサン的にはありがたいんだが』と情けなそうに肩を落としている。エレノアが横で励ましていた。
…………ともかく。
一般人をそんな扱いした〝冒険者〟が、そんな話を聞いても理解を示すとは思えなかった。考えるなら、別の手段だ。
そして、考えあぐねながら僕は腕を組み、全員を見回していた。―――この場には、全員がいる。冒険者もいるし、精霊もいるし、商人もいる。不気味に黙った商人は何か考え事をしているし、そして、もう一人の冒険者である『ロドカル』という幼さが残る獣人は、まだ姉の威圧が怖いのか、『ぶるぶる』と頭を抱えて庭先でうずくまっている。
僕の隣から順に、視線をめぐらせていって―――。
そして最後に、ふと、冒険者リスドレアの横の《生物》と目があった。
…………そいつは、『ふよふよ』と庭を浮遊し、この昼の庭先会議を楽しげに見つめているのだった。動物的な瞳は、興味深そうにしている。
「…………そして、お前は何をしている」
「いやぁ、ただの。見物さ」
――リスドレアの契約精霊、〝ポコ〟。
《剣島都市》の上位精霊は、主人との契約なんかお構いなしに、この場に佇んで浮遊していた。…………その表情は、爛々としており、雲行きの怪しさに目を輝かせている。
見ているのは、屋敷や―――青の冒険者たちではない。
……『僕ら』だ。
「ただねえ、珍しいと思ってさあ。
リスドレアのご主人様はともかく、そこな計算高い商人のお嬢ちゃん、《商天秤評議会》の代表の一人である娘っこが裏をかかれるなんて、珍しいこともあるじゃないか。
…………たーんと堪能して、どうなるか見定めないとねぇ」
「なんて趣味の悪さだ」
つまり、野次馬だ。
僕が嫌な顔をすると、それがまた快感を誘ったのか『クスクス』と笑いながら猫の口を押さえる。精霊はミスズの肩に乗った。
「すまないねえ。これが、わたし様の性分だからねえ。《剣島都市》の冒険者だったら、この騒ぎをなんとかして解決してご覧よ。…………危機の中で、腕を見せるのが冒険者というものだろう」
精霊は、同じ精霊の肩の上で言う。
『あわわわわ……』と格上の精霊に乗っかられて、ミスズはある意味魔物に遭遇したようにブルブルと震えていた。ポコはその反応を楽しんでいる。その後ろでは、楽しそうに三毛猫のロドカルの精霊・ペケが『みゃー』とちょっかいをかけており、どうやらこちらは精霊としての歳月が浅いため、しゃべれないらしい。
…………総合的に見て、この一行は『なんだこりゃ?』と思わなくもない顔ぶれが揃っていたが、場面場面では働き、この里のピンチを一度は救ったことがあるのも事実だ。
そして、僕はいよいよ《本命》を見た。
「…………で、どう思う。ランシャイ」
「ん。初めて『盟友』に意見を求めてくれたな。冒険者。わたしは嬉しいアル」
そう言って、にぱっと顔をほころばせる商人。
…………外見は可憐で、とてもお人好しそうな町娘のように見える。だが、彼女は王国と冒険者たちの間での〝化かし合い〟に特化した商人のギルド、《商天秤評議会》の出身の商人で、獣人傭兵団まで抱えているのである。
僕は、彼女に意見を求めた。
「絡まった、無数の糸のようでアルな。この《里》の状況は」
「…………と、いうと?」
「一つずつ、の物事ばかり進めていては解決しない、ということアル。物事には必ず『二面性』があって、目の前に見えていることばかりじゃない、『何か』というものが必ずあるアル。そして、それを動かすためには、〝一つの手〟だけではいけない」
商人の娘・ランシャイは指を立て、それから庭先で棒切れを拾い上げた。
照らす太陽が木陰を作る中で、地面に線を引いて、
「―――ひとつ、《扉の封鎖》。
―――ひとつ、《情報》の確保。
事情は聞いているね。冒険者。仲間を助けるため、動かなければならないと。わたしたちは、わたしたちの都合と事情で、あの首領のオークにどうしても問いたいことがあるアル。だから、目標は、三つに絞るべきアル」
そうして、可憐な少女は言うのだった。
―――《扉の封鎖》。
―――《メメアの救出》。
―――《魔物の操作を止める》。
この三つ。
僕は、驚いてしまった。
その理屈をすべて満たそうとすると、『全て』ということになるではないか。
…………すなわち。
――扉の封鎖とは、《ダンジョン迷宮の攻略》を意味し。
――メメアの救出は、《黒髪の女の撃破》を意味する。
――魔物の操作を止める、は、《首領オークから、情報を奪う》ことにも等しい。
全てを満たすにはとんでもなく時間がかかる上に『全ての行動』をすることになる。この《クルハ・ブル》で、僕らが動けることなんて限りがあるんじゃないのか。
「お前は、どう動くつもりだ。ランシャイ」
「《獣人傭兵団》を使って、あの『牢』を狙うアル。…………冒険者リスドレアも一緒に来てもらうアル。わたしたちには、わたしたちの目的があって、それは冒険者たちとは少し違うところにある」
「……?」
「でも、安心するアル。協力はするね。
…………もう、我々はこの里では目的を同じくする『盟友』アル。……さっきも言ったとおり、たった一人では解決できない。だったら、お互いが、お互いの事情を助け合うべきね。
―――今度こそ《扉の迷宮》を、封じる戦いをする」
「じゃあ、僕たちは。どう動けばいい。一つ目の、《迷宮の扉》を封じるべきなのか?」
思った。
この里では問題がいくつもある。
それは、確かに商人・ランシャイの言うとおり『絡まった糸』のようなものだろう。単独で動くのではなく、また、全員がぞろぞろと同じ方向で『集団』で動くのではなく―――それぞれの〝役割〟、そして〝目的〟を見つけて動くしかない。そういう話になってくる。
あの乗りこんできた青の冒険者が『――ダンジョン遺跡や、盗賊には勝手に手を出すな』と宣言している。…………だったら、僕らは、その裏をかいてコッソリと行動するしかないだろう。
…………そうでないと、この《鉄の里》。
…………そして、メメアも救えない。
すると、
「クレイトは、あの連れの女の子を助けてほしいアル。
―――《ダンジョン迷宮》の攻略は、戦力が整っておくに越したことはない。全てが準備できた最後に、全員の力をふりしぼって突破するべきものだと思うアル。まずは、『情報』を集めて、それから『戦力』を整える。この二つが揃ってこそ、攻略できると思うアル」
「じゃあ、僕らは里の周囲で『遺跡攻略』に向けて動くのか」
僕は、ランシャイが地面に『ジャリジャリ』と線を引いて描き上げていく『里の周辺地図』を見ていた。
…………この商人、さすがというか、地形把握をしっかりしている。
たぶん、僕らが最初の《遺跡攻略》をして、里に残っていたときに《獣人傭兵団》あたりを使って調査したのだろう。里の周辺の遺跡や丘から、『牢の位置』も書かれていた。……そちらは、商人一行が向かうらしい。
「――あの連れの女の子の、体調が気がかりアル。クレっち」
「……?」
「あれは高熱。たぶん、辺境の魔獣から作られた……《劇毒》の類いアル。
―――その効果は、強烈。毒が回る前に、一刻も早く症状を和らげる〝何か〟を探さないと詰んでしまうかもしれないアル。《ダンジョン迷宮》を攻略する前に、少しでも、症状を和らげておけたら」
…………しかし。
僕は考える。その手段が、ないのである。
確かに商人の娘・ランシャイの言うことは分かる。
《扉の迷宮》への攻略戦で、長い時間をかけてしまったらそれだけメメアが〝命の危機〟に瀕することになる。……だから、なるだけ手を打っておきたい、という理屈も百も承知だ。
――だが、僕には医術的な知識が皆無だったし、精霊のミスズも同じだ。
この里で治療に特化した人物は、里長のエレノアだけが白衣を着てそこにいたが、そんな彼女でも『これ以上は、毒の成分が分からないと打つ手がない』と治癒ができないでいた。
…………隊長オランさんも、治療ができない。
…………冒険者ロドカルも、同じく姉のリスドレアも、《冒険者としての止血》以上のことができない。
肝心の、ランシャイも『売り物での、高価な薬は専門外』と先ほど訊ねたとき首を横に振っていた。
それだけは、どうにも動かない事実なのだ。
だが、
「――もう一つ。この後に言う『必要なこと』にも、それは関係しているアル」
「…………まだ、何かあるのか」
「扉の迷宮についての、肝心の知識。経験が、足りていないアル。
それは、鉄の国の先祖―――《クルハ・ブル》の人たちが、この王国世界の戦乱時代に作り上げた場所…………鉄壁の扉の向こうに、魔物を封じ込める場所、ということだけは分かった。先ほど少しだけ里長さんと話していたアルが。その中身は?」
商人・ランシャイは、いやに澄みきった紫瞳で、全員をまじまじと見回している。
―――〝誰〟が、〝何を目的〟で築き上げた?
―――〝最奥部は、何層ある〟?
―――〝生息する魔物は〟?
―――〝抜け道の有無は〟?
―――〝迷宮遺跡の構造は。地図はないのか〟?
―――〝あったとして、誰かが所持しているものなのか? 心当たりはないのか〟?
「…………それは」
僕も、一行も思わず口を噤んだ。
怒濤の質問はすべて合理的で、なおかつ、誰にも答えられないものだった。僕らがなんとなく、大雑把にしか把握していなかったことを言葉にして、明確にしている。
……知識は、里長のエレノアが蓄えていた。
だが、逆にいうと、幼くして里の総帥となった彼女の他には、誰も知らないということになる。里人も。隊長も。僕らも。
彼女の語る〝口〟でしか《ダンジョン迷宮遺跡》を知らず、彼女の見る〝目〟でしか僕らは《ダンジョン迷宮遺跡》を見ていなかった。それって、『任せる』とは言葉の響きがいいが、要するに幼い彼女に『丸投げ』していることになるんじゃないのか。と商人はいっているのである。
…………僕も、それは思わないでもなかった。
というか、うかつだった。
彼女に『遺跡の道案内を任せる』なんて思っていて、深くは突っ込んでこなかった。彼女が一人、消えたり、欠けたら、〝全滅〟じゃないのか。じゃあ、逆にいうと、彼女の他に詳しく知っている者はいないのか? 疑問は、当然そこに帰結する。
里の長老でもいい。
生きて、時代を見届けてきた人間でもいい。その手の知識に長じた人はいないのか。『書の類い』でもいい、と商人・ランシャイは指を立てる。
『たいてい、こういう場合には――』と。紅の口を動かす。〝紛失〟〝伝承の逸失〟を恐れて、村や里のどこかに『秘蔵の書院』『地下の書庫』などを隠しているものだという。…………どの王国の街や、村でも、それがあるらしかった。
「―――たとえば、里の外。少し離れた《森の秘境》なんかに、その隠された『書の蔵』があったりするアル。村を包み込むような火災、紛失、そんなものから守るためアルね。
もし村が無事なら、長老が知っていればいい。もし村が危なくなっても、『外』に知識を蓄えておけばいい。…………二つの分けた場所に置いて、逸失を避ける考え方アルね。
《魔物》も、さすがに食べられない《書物》なんて狙わないアルからな」
商人・ランシャイはそう言う。
一斉に視線が集まった。今度は、里長のエレノアだ。
彼女に《迷宮攻略》を導いてもらわなくては、魔物たちを封印できないが、それにしてもそんな都合良く《知識》なんて眠っているのだろうか。……そりゃ、確かに存在するのならありがたかったが、『彼女以上』の長老がいるのか。
里の外に、そんな都合良く『困ったとき、助けてくれそうな書庫』が転がっているものだろうか。
僕ら全員が視線を向けると、銀髪の少女は、瞳を落としていた。
「…………はあ、だよなあ。そんなもん、あるわけ」
「――――ある。には、あるのじゃ」
「そうそう。あるわけ」
……………………、はい?
僕は腕を組み、『そうそう、あり得ないって。なんでも不可能を可能にした英雄のご都合主義な物語じゃないんだからさ』と言葉を続けようとして、息を止める。目を丸くした。
「え? あるのか?」
「…………ある。ただ。なんと言ってよいのか」
「なんだよ」
「『ある』、ようでいて、『ない』。それを追い求めるのは時間の無駄かもしれぬし、前里長の祖父が生きておっても、決して勧めはしなかったであろう。…………じゃから、提案をしなかった。遠回りの、骨折り損になるかもしれぬからじゃ」
……なんだよ、いやに曖昧だな?
僕は表情を曇らせ、そんな少女を見つめる。
――少なくとも、最初の迷宮攻略(つまり、第一次ダンジョン攻略)では、考えもしなかった話しらしい。ここにきて話すということは、それだけの理由が背景にあるのか。
顔を曇らせる里長エレノアを、後ろから隊長オランさんが『……しかし、お嬢。いいのか?』と聞いていた。
「…………わらわも、実は、考えぬでもなかった。
じゃが、実際に冒険者の娘御が深手を負い、数日後はどうなるか――という重篤じゃ。さすがに、《冒険者》であろうと。大地のあらゆる魔力……《熾火の生命樹》の加護を受けておる身でも、それでは危うい。
死に瀕したものを…………『あやつ』は見捨てはしないじゃろう。…………そう、わらわは思う」
「な、なんだよ。なんか意味深な言い回しだな。書物を調べるだけだろ。『地図』とか出てきたら、儲けものだろうが」
「それは、書物ではない」
…………はい? と。
また、再び僕は目を丸くするしかなかった。
『それは、物語が書かれた伝承でも、知識が詰まった記録書でも、ない――』と。エレノアは困惑した顔で口を動かす。この里に、そもそも書庫など存在しないという。里長エレノアは、言うのだった。それは、この里の森の遠く。――追放された《人物》がいるという。それが、鍵だという。
僕は驚いた。
その話には、続きがあった。
…………その人物は、ある日、里で普通に暮らしていたのに〝変化〟した。何か…………謎の〝知見〟を得て、人が変わり、森の奥に《隠棲》したという。
―――里の者はいった。《魔性の類い》だと。
通常ではなしえない知識を宿し、星々を観測するように、地上のあらゆる出来事を観測してきた。里の誰もが分からない『叡智』を示し。里の者たちには聞こえない『古言語』を聞き、人との交流を断って、森の奥深くへと〝隠棲〟したという。
膨大な知識。それを宿しながら、…………何世代も、何世代も隠棲したという。別の顔、血統で、彼らは語り継いでいた。大陸には、〝彼ら〟という存在が―――必ずいた。ある日、突然選ばれるそうである。
「…………まさか、『賢者』がいるアルか? この地に」
「え? なんだよ。それ?」
いやに、唐突な響きである。
僕が呆然として疑問を重ねると、同じような表情をした商人・ランシャイは認識を示した。それは、各地の奥深くに住まう、『世界の知識』を蓄え続ける存在だという。
「遙か昔から、この大陸にはそういう存在がいるアルよ。クレっち。
―――どこの《王国》、どの領土内に現われるか分からない。
―――《それ》が、当代に、何名いるかも分からない。
ともかく、分かっているのは、膨大な知識を宿しているということ。
各国の森の奥部などにその《叡智を授かりし者》がいて、英雄がいた昔より知識だけを語り継ぐ―――『生きた大書庫』アル。…………一説に、神樹の島から分けられた《外の書庫》という」
「…………な、なんだよそりゃあ? 知らないぞ。僕は」
「《冒険者》のように剣をとって戦うわけでも、防具屋のように頑丈な鎧で魔物を防ぐわけでも、なんでもないアル。だから、つい、各国の王や、《冒険者たち》からも優先度が低くなってしまうアル」
――一説には、〝精霊王〟という伝説の精霊が作った〝仕組み〟らしい、と商人は言う。
少なくとも、説明を聞いただけでは、僕にはよく分からなかった。
…………そもそも、探したって、そう簡単に見つからない。
…………短い代を生き、隠れて、気づけばいなくなっている。
ただ一つだけ分かることは、それが《膨大な知識を持つ、隠者》ということ。
―――その協力を得られれば、この地の出来事や、《ダンジョン迷宮遺跡》についても、もっと細かな知識が得られるかもしれないという。メメアを、助けられる〝毒の解きかた〟も教えてもらえる可能性も。
僕は、思わず、隣のミスズと目を合わせた。
エレノアが口を動かす。
「里の者はいったのじゃ。―――それは、《魔女》じゃと」
(…………魔女……?)
…………《クルハ・ブル》の魔女。
彼女、彼らは、〝その地に起こった出来事を、星のように観測してきた存在〟だという。
――またの名を、
「………………《ローレン》。わらわの、姉上じゃ」




