45 ありふれた冒険者
焼けた里の一角で、精霊は面白い。と言った。
それは何もかも奇妙なこの夜の最後を彩る中で、最も不可思議な光景だったかもしれない。僕らは盗賊を破り、そして首領級の一人を捕まえて里に入った。そして、《冒険者》と《冒険者》との争いの中で、《上位精霊》が君臨したのだ。
いや。
……その精霊は、真意を問い質してきていた。
「面白いねえ。実に面白い。おなじ―――《熾火の生命樹》の分身体とは思えないよ。これだから、思想を探るのはやめられない」
「……」
精霊は、もう一人の精霊を見つめていた。
銀色の猫に名前を問われて、彼女は『ミスズ』と名乗りを上げた。……僕の契約する、《剣島都市》で出会ったときから、ずっと一緒だった最初からいた仲間だった。
本当の、仲間だった。
彼女は金色の髪を、夜の風に揺らしている。
普段は優しく、少しだけオドオドとした瞳を『上位』の精霊に向けている。
……僕が『精霊を巻き込んでもいい野望があるのか』と問われたとき、彼女は『結合』を解除して現われて、こう言ったのだ。
「…………ただの、ありふれた冒険を目指したい。それでは、いけませんか?」
「中身を聞こうか」
「私たちは、ただの『ありふれた冒険』を目指すのです。
……それは、きっと人から見るとちっぽけな冒険かもしれません。
……もしかすると、取るに足りない、小さなことなのかも。しれません。
……でも。私たちはそれを、本気で目指しているんです。本気の本気で、目指しているんです。ミスズたちは、ただの普通な冒険に憧れているだけなのですから」
―――それは。
――《剣島都市》の中、うだつの上がらない冒険者の『冒険譚』だった。
いつまでも、下積みで。
剣を振っても上手くいかない、精霊との相性も分からず、冒険に出てもいつまでたっても〝失敗〟ばかりを繰り返して帰ってくる冒険者たちがいた。逃げ帰ってきていていた。
ある日は〝新緑の竜〟に追いかけられたと言い、魔物の糞溜まりに落ちて悪臭を放ちながら帰ってきて。
また、ある日は魔物の〝スライム〟すら倒せずに、何の成果も出せずに逃げ帰ってきていた。
《剣島都市》でそのような生活が通用するはずもない。いつしか魔物も倒せない冒険者は《最底辺》《落ちこぼれのFランク》とあだ名をつけられるようになり、授業では笑われもの、同じクラスメイトからは明らかな〝差〟を見せられ、冒険の途中で上級冒険者に会ったら、馬鹿にされ、道を譲らされていた。
生活費の問題もあった。いくら冒険者に憧れて、《剣島都市》にきたとはいえ街でそんな生活が長く通用するはずもなかった。学生寮の部屋の使用料、魔物を討伐できず、報酬も受け取れない冒険者は《生活費》に困窮して、毎日が不安との戦いだった。生活費が底を突くのも、時間の問題だった。
……〝元手〟が、ないのだ。
……希望もない。
冒険者がその冒険の元手とするとき、必要なのが〝剣の腕〟や〝レベル〟といった実力だった。そこから魔物を倒しての『成果』が生まれ、報酬の王国硬貨も、『魔物交換所』を通じて生まれる。…………しかし、それすらもない冒険者には??
―――才能がない。
それが最大の恐怖で、戦いでもあった。
毎日が怖かった。精霊も一緒だ。
いつ、この《剣島都市》での『ありふれた穏やかな暮らし』が壊れるのか。冒険者に憧れ、南の遠い田舎王国から出てきた少年は《夢》と《聖剣》を失い、そして精霊も、手に入れた小さな、穏やかな生活を後にする。
才能がないことは、《剣島都市》では罪だった。
〝レベルアップ〟できない冒険者なんて、出来損ないの、欠陥品でしかなかった。冒険を〝レベル1〟で過ごせるわけなんかない。同じクラスメイトたちや、上級冒険者たちが笑うのも、その内容だった。
――《剣島都市》で、才能がないのは〝終わり〟を意味する。
――〝七層構造の中にある塔〟〝剣士たちの塔〟――その、最底辺から始まった冒険譚があった。
「…………だから。わたしは、普通の冒険を目指すのです。
できなかった。やろうとしても、ミスズではマスターの冒険を支えられなかった……。そんな冒険があるから、『今』があるんです。いきなり理想の冒険ができるなんて思っていません。……だから、普通の人が最初からやれたような『冒険』を、今から目指しているんです」
「――面白い。愚直で正直だ。だが、満足はできないねえ」
猫は、夜風にヒゲを揺らして、上機嫌に歌うように告げる。
まるで、聞きかけだった『英雄歌』の、続きを屋敷の使用人でも求めるように、
「それを『理想』とするなら、《剣島都市》の多くの冒険者、駆け出し冒険者たちにも当てはまっちまう。
……お前さんたちは、確かに『腕』がある。
腕前と言っちまうと、ちょっとばかし奇妙な、ねえ。……それはこの夜で、魔物を倒すことで証明されちまった。他の冒険者たちと、一緒でいいのか。……精霊のお前さんは『普通』の主人がよかったんじゃないのかい? 気に入らなかったなら、離れるのも精霊の仕事のうちだ。
……今のお前さんは、本当にそのマスターがいいのかえ? 理由が見えてこない。ちっとばかり矛盾して見えるんだけどねえ」
「わたしは。……『日常』を求めるんです。このマスターと一緒に」
そして。
金色の髪の精霊は、胸に手を当てて言った。
一歩も引かない、ミスズがときどき見せる頑固さだった。
「…………弱いところもあります。
その、マスターだって完璧じゃありません。……あの、言ってしまったら言葉は悪いですが。ダメなご主人様もいっぱいいます。
弱音を隠してしまうし。
……すっかり、ミスズに構ってくれませんし。修行修行、ばかりだし。
ご飯を食べたら満足そうに横になってしまうし。自宅での勉強もあまりしないですし、授業で当てられても答えられないですし」
「――お。おい!? ミスズ、今はそれどころじゃないだろ!」
「はい。それどころじゃありません……。でも、ミスズにとっては、それを含めてぜんぶ〝マスター〟なんです」
僕がいうと、その大きな、純粋な瞳を向けてくる。
囲んでいた、冒険者や精霊にとって、驚きの言葉を。
「――そんな『ますたー』と。『ありふれた冒険』をしたいんです。
それが欲望であり。とっても大きな野望なんです。どれだけ大きくても。舞台がでっかくても、それはいつものミスズたちの冒険なんです。……一緒に、夢を追いかけようと。『野望』を叶えようと求めるんです」
「…………フム」
「――たった『普通』の。『それだけしか』と思うような冒険が、ミスズがとてもやりたいことなんです。
―――大きな魔物。
―――倒せないかもしれない、上位の魔物。
冒険の荷物に黄金財宝のドロップに、洞窟の奥の誰も知らないような場所……どこも、知りたい、進んでみたい、普通の冒険者だったら行けてしまうような地図の世界のすべてが、ミスズたちにとっての冒険なんです。
やがて大きく。人々を守りたい。そんな気持ちすらも、ミスズにとっては、普通の冒険なんです。世界は広い。野望は、『小さく』はないんです!」
―――夢は。
『でっかいです!』と。
精霊は小さな手を広げ、この空の全てにそれが見えるように言うのだった。あまりにも純粋な、嘘のない響きに、問い詰めていた精霊や冒険者たちも全てが息を呑んでしまう。
純粋だからこそ、言い返せない完璧な理屈だった。
全員が言葉を失う。それぞれの反応を見せる。視線を交わし、そして深く頷く商人もいた。『……そうか』と小さな呟きで、精霊を見つめていた。
「……なぜ。どうして、『強い』のか。ちょっぴり分かった気がするアルね。……ね、リスドレア?」
「…………ふん」
見つめる商人に、獣人の冒険者はそっぽを向く。
やはり、その顔はどこまでも下らなそうで、退屈そうだった。
そして、それがこの夜に訪れた初めての、本当の静寂かもしれなかった。
里にはまだ黒い煙が残り、闘争の気配もまだ熱を帯びて残っていた。……わずか、一瞬の時間ではあったが、それがこの夜の雰囲気を変えていた。
残った燃える煙の匂いの中で、
「フム。…………。合格さね」
「…………え」
ふよふよ。浮いていた精霊は、盛大に両手を広げるのであった。
僕らを。――主に、精霊のミスズを見て、
「合格だえ。わが主と性格が違い。どんな若造が入り込んできたかと思えば……なかなかどうして、面白い心を持った冒険をしているじゃあないか。眠気を押して、出てきた甲斐があったというものだよ。ふああああ」
「…………マジで、何しにでてきたんだよ。ポコ」
言いかけて、盛大にあくびをついて周りを驚かせた上位精霊に、Cランク冒険者が呆れて睨みつける。
「……ご老体のくせに。一度眠ったら、ずっと起きねえ精霊じゃねえか。眠りながらでも『結合』が使えるお前が、どういった風の吹き回しだ」
「いや。ね。不思議な巡り会いもある、と思ったのさ。
―――《剣島都市》の老舗の酒場で入り浸っていたときにねぇ。ふと、噂話を耳にしたんだよ。《最底辺》から、上級の冒険者に勝ち上がっている主従がいるってねえ。
この島の〝ランクシステム〟を誰もが気に入っているわけじゃあない。……精霊なんかは特にね。《熾火の生命樹》の聖なる恩みを《道具》だなんて思っちまっている人間もいる。――そんな気に入らないランクシステムに、〝逆らっている〟冒険者がいるとね」
そして、精霊は僕らをチラリと見る。
先ほどまでの邪悪さとは違い、本当の人間の老婆のような、落ち着いた穏やかな目だった。
僕もミスズも、どうしていいか分からず、目を合わせる。
冒険者のリスドレアだけは、『はぁ』と苛立たしげにため息をついて、金色の髪をボリボリとかいた。
「……まだ酒、飲んだのか。クソ年寄り精霊」
「かっかっか。酒は人生の娯楽。愉悦さね。楽しみがないと長い間精霊なんてやってられない。『人間』がこの大陸でやったことで唯一、あたし様が気に入っているのは、《酒》を作ったことさ。不思議な液体だよ。気に入っている」
獣耳を動かす冒険者に睨まれ、白くふよふよ浮遊する『上位精霊』は、クスクスと楽しそうな動きをする。…………なんだか、このやり取りをどこかで見たような気がするが、考えるまでもなく、どっかの島にいるダメ寮母さんと僕であった。
「―――じゃあ、あたし様は眠るよ。
少しばかり無駄口を叩いて疲れちまった。
最近、面白い冒険者がいる。〝レベル1〟の噂は、古い精霊たちの中であったが。そんな噂と旅の中で魔物討伐を一緒に出来るなんて、愉快じゃないか。…………なあ、冒険者リスドレア」
「…………ふん。言ってろ」
そして、帰っていく。
眠る、という表現が正しいのだろうが、その光景は僕からすると『帰っていく』という感じだった。長くしゃべった精霊は盛大にあくびをして、『ダメだね、長く外にいると眠くなる』と口にして光に包まれる。
上位精霊が見せる黄金色の風―――『結合』の光を見せると、里の中で『魔力』の操作を行って聖剣の中に消えていく。その姿が大きな《三日月大斧》の中に消えた頃には、里にも静寂がようやく戻ってきていた。
「さて、己はもう広場の奥に消えるか」
「待つアル。リスドレア。……その前に、冒険者たちと仲直りするアル。まだリスドレアの自己紹介もしていないアル!」
「……うるせえ! だから己はいいって言ってんだろ! 俺はそういう絡みとか、『冒険者だから』ってやり取りがウゼエし、大嫌いなんだよ。知ったことか! お前は《雇い主》だ。言うことは聞く。だがそれは戦いだけだ。個人的にはお前を気にっているが。それは賢いからだ。―――他はダメだ」
「リスドレア!」
「けっ。あばよ」
夜の騒ぎだ。前線を解放したと言っても、まだ熱が残っている。呆然とする冒険者や、獣人傭兵団を残して、その視線から逃げるように金髪の冒険者は広場に消えていった。
そして、入れ替わるように。夜の騒ぎの最後を示す、その一団が戻ってきたのである。
僕らが待っていた、馴染みの顔も戻ってくる。




