芸術の本質って、何やねん?
久々にエッセイを覗いてみたら、興味深い作品があった。
芸術作品の量が増加し、質が低下する現代について 作者:ヤマダヒフミ
URL:http://ncode.syosetu.com/n5057dp/
上記のエッセイ中には、現代の文学や芸術作品がいかに大衆に消費されるように考えられて作られているか。もっと噛み砕いていえば『どうすれば売れるかだけ』を考えて作られているという主旨の文章が記載されている。
これの問題点として、芸術作品がその大衆の欲求の枠を超えるものにならない、とも。
『現代では大衆欲求の枠組みに収まるよう大量の芸術が作成されるが、その枠組みを超えるような作品が少ない。そのため芸術の質が低下している。なぜなら芸術の本質とはその枠組みを超えたところにあるから』。
自分なりにエッセイの内容を読み取ったものが上の文章である。
以降この考えを前提に話す。
なお、ここでは芸術の本質が何かについて議論しない。何故なら自分は芸術に理解が及ぶような、『趣味のいい消費者』ではないからだ。子供の落書きとピカソのゲルニカの明確な違いを見いだせない自分には、この本質を説明することは出来ないと思う。
さて、有名どころではゴッホなどが上げられるだろうが、芸術作品がその時代においては評価されないことはザラにある。
今となっては彼の絵には何億という額が付いたりもするが、生きているうちに売れた絵は数枚程度だという。勿論何億などという額が付いたりはしてない。
これは一体どういうことなのだろうか?
過去売れなかったゴッホの絵と今売れているゴッホの絵、これは一体何が違うのだろうか?
当然、絵そのものは何も変わりはしない。経年劣化などの変化はあるかもしれないが、彼の絵であることに何ら変わりはしない。
それでも彼が死んでから百数十年の間に、まったく評価が変化したのだ。
これから何が導かれるのだろうか?
引用元のエッセイの独自解釈を引用するなら、時代がゴッホの絵の本質を理解することが出来る様になり、それで改めて評価されることとなった、ということではないだろうか?
ゴッホの絵の、本質的に優れている部分を読み取れる人物が多く現れ、評価と高値を付けたということだ。
この場合変化したのは、芸術の本質を読み取れる人物、すなわち『趣味のいい消費者』ということになる。
つまり、消費者の変化が、ゴッホの絵の価値を変えたわけだ。
さて、ここで一つ疑問が生まれる。
ゴッホの絵の価値に『気付いた』のか? それとも価値を『変えた』のか? という疑問だ。
前者の場合、ゴッホの絵が持つ潜在的な価値は不変であり、例え現代のような価値が与えられていなくとも、未来ではまた別の『趣味のいい消費者』がその価値を見出している可能性がある。
一方、後者ではたまたま『趣味のいい消費者』のニーズに合致したおかげで、現在の価値に変わったということである。この場合、ゴッホの絵が価値を得たのは偶然であり、その偶然のおかげで価値が捻じ曲げられた可能性がある。
つまり何が言いたいのかというと、ゴッホの絵が売れたのは絵の本質が優れているからではなく、その時代の『趣味のいい消費者』の欲求の枠組みに偶然収まっただけなのではないのか? ということである。先の疑問の答えがどちらであっても、質の高い芸術というものは『趣味のいい消費者』次第で、評価が変動することがあるということだ。
だが問題なのはその『趣味のいい消費者』が決めたことが、世界全体の事実のようになっていることだ。
今となっては、ゴッホの絵というだけで、それが極めて価値のあるものだと大衆は理解している。そしてその評価が覆ることは、もうないだろう。
自分含め、ゴッホの絵の何が優れているのかまで理解できているものは少ないと思う。
ただこの瞬間、ゴッホの絵もまた意図せずとも『大衆欲求に収まる芸術』となった。
無論、本物はその値段から大衆欲求に収まるとは言い難い。だが、その複製品などは十分その範疇に入るだろう。
大衆欲求の収まる様に作られた芸術、意図せず大衆欲求に収まった芸術。
前者を本質的なレベルの低い作品、後者をレベルの高い作品ということなのだろうか? 自分には分からない。
ただ両者とも、この現代において大衆に求められているという事実に変わりはない。
両者とも、人々の心を感動、愉悦、悲哀などであれ揺れ動かしている以上、そこに何かの差を見出すことは、少なくとも自分にはできない。
そもそも、真に芸術の本質を高める目的として、絵や小説が書いている人物が居たとしても、それを我々が認識することは出来ないのではないだろうか?
何故なら、芸術の本質を高めるためには、現代の価値観から外れる必要があるということだから。
現代で評価されるのは、現代の価値観に会った作品のみで、それから外れる作品が評価されることはない。ゴッホのように。そして評価されない作品が、我々の目に映ることはないのではなかろうか?
そして現代の価値観を持つ我々が、その作品の本質を見抜き、価値をゆがめることなく評価することは出来るのであろうか?
最後に、このエッセイを通じて思った二つの聞きたいことを聞いて終わります。
芸術の本質ってのは、なんですか?
『趣味のいい消費者』って、なんですか?
拝読ありがとうございました。