【番外編3】氷の姫の護衛は、姫の笑顔を望む(砺波紅水)
会長視点から続く、桜姫の護衛役視点の話です。
姫様愛に溢れていますが……恋愛ではないです。
後半、空気だった副会長も出てきます。
生徒会室の扉を閉めるサクラ様の唇から、重い溜息が零れるのを、私はただ見ていた。
私は、砺波紅水。冷清院桜姫様の警護をしています。
学生身分でガードマンだなんて酷い、と、偶に言われますが、サクラ様……桜姫様の側近と決められてからはずっと、本家に出資して頂いて、学費は高いけれど施設も教師の質も素晴らしいこの学園に通えているのですから、むしろラッキーというものです。
名門校であるこの学園に、悪質な者はそうは出てきませんので、護衛役の仕事などほんの偶にあるだけですしね。
二年前のあの春の日。
その日私達は、扉の前で警備をしていました。
洋館のような趣のあるこの別館は、英国の貴族の館を移築したものと聞きます。とても綺麗なのですが、その古さゆえにいろいろ不備もありまして。
……中の会話は、聞こえておりました。
当然扉に遮られており、全てではありませんが、磐梯様があんな大きな怒声を発されたのです。その声は扉の外にも響きます。
ご婚約者である磐梯様とのご面会を終えて、扉より出てきたサクラ様の、お疲れのご様子に、私と橙色はさもありなんと、失礼ながら同情の眼差しを向けてしまいました。
昔から、そうです。
少々気位が高く気取っているものの、名家の令息らしく堂々とした振る舞いの方ですが……。
あの方は本当に突然に、何かの拍子にとしか言えない何かにサクラ様に怒っては、幼稚な行いをしていました。まあ、かの方の気持ちはそれによって周囲には丸見えでもありましたが。
好きな子に意識してもらいたくて、必要以上に構う。そういう、幼年時の間違ったアピールの仕方、そのものでしたから。
けれどええ、それも過去形です。流石に中学生になってからは落ち着いて、目に見えた暴力暴言などは無くなりました。そして、外から見るには完璧な貴公子がそこにありました。
元々資質は高い方です。その横暴さもまた気心の知れた身内だけに降りかかるのですから、外向きには美貌、家格、資質と三拍子揃った、素晴らしい男子に見えるのですね。
……ああ、皮肉が過ぎました。今でも身内には、ただの俺様なのに、褒め過ぎというものです。
そんな優れた殿方との婚約。本来は側近として喜ぶべきですが……。
幼少期に刻まれた傷は深いもの。サクラ様はあの方が、昔から苦手で。
私個人としても、あの方は嫌いです。
ニコニコと笑顔を浮かべていた私の親友……可愛いさくらちゃんを、私達から取り上げ、氷の令嬢桜姫様を作ったのは、あの人だから。
「サクラ様、お顔が青ざめていらっしゃいますわ。紅水は心配です。早く寮に帰りましょう」
青ざめた顔にふらつく体。無理もない。苦手な人に、凄い勢いで怒鳴られたのだ。今も震えが止まらない様子。それを、あの方の前では堪えていたのだと思います。
あの、婚約を正式に告げられた日から。
磐梯様の前では、サクラ様は常に張り詰めている。絶対に、内心の恐怖を悟らせまいと。
「春先とはいえ今日は冷えますね、紅水も早く寮に帰って休みたいです。暖かいお茶でも飲みましょう?」
「でも、先輩達にお会い出来ていないわ。まだ帰ってはならないのではないかしら。近くの空き部屋に控えて……」
「いいえ、私が疲れたんです! ですから、早く帰りましょう?」
サクラ様を支えるついでに、甘えるかのような口調で私は言います。
あの日から。
サクラ様は、甘えを捨てられた。
本来、警護役としては失格の態度ですが、幼なじみとして、放って置けないのです。
サクラ様は学園では、頑張り過ぎるきらいがあるので。こうして甘えた素振りで願うのです……お体を、何よりお心を、休ませて下さいと。
男子を見ると、今でもワンアクション動きが滞るのは、きっと幼少の頃のあの方が刷り込んだ傷でしょう。
サクラ様は男子が……正確には、暴力的振る舞いや攻撃的な物言いの男性が……苦手です。
それでも、冷清院の娘としては対峙せざる得ない。
一人で立とうと頑張って、苦手なものも苦手で無いように振る舞う為に心も殺して。
殊更に気丈に振る舞うから、きつい女だと周りから見られてしまうのです。
氷の女なんて、言われてしまうぐらいに。
だから、私は、磐梯様が嫌い。大嫌い。
「もう、磐梯様はすぐに怒るから、紅水は怖くて……」
私はまた、護衛にそぐわない態度を取ります。サクラ様は決して言えないことを、毒を、口に出してしまうのです。
「そう、悪く思うものではないわ。わたくしもきっと、あの方への怖れが、表に出ているのね。そんな婚約者を見たら誰だって怒るでしょう。近い将来添い遂げる相手に、恐怖を抱くなど……本当に……弱い、女だこと」
そう、苦笑して。
「全てはわたくしの、態度が悪いの」
そう言ってまた自分の弱さを笑うサクラ様。
……その苦手を作ったのは、あの人なのに!
かの方への怒りが、顔に出ていたのでしょうか。
「わたくしの可愛い紅水。そんな顔をしないで。そんなに、誰かを憎む顔などしないで。わたくしまで泣けてくるわ。いいのよ、わたくしにはこんなにも優しい子が側にいるのだもの」
そう言って苦笑するサクラ様に、申し訳なく思いながらも、私は頑なに首を振ります。
「姫様、紅水ばかりずるいです。僕だって……」
私達の話に入り込めず、黙って見ていた橙色が珍しく自己主張などしています。
これは本当に珍しいことです。いつもは極端な程に控えて、周囲にアンテナを張り巡らせているのに。でも、サクラ様が嬉しそうだから……それで、いいことにします。
「ふふ、勿論。橙色の事もよ。わたくしって、幸せね」
まだ、青白い顔のままで……けれど綺麗に微笑んで。
サクラ様は私達に優しく、優しく語る。
頑張らないで、なんて言えない。冷清院は大きな家。強くならなければいけないのも確か。でも。
「サクラ様、紅水は、紅水は……優しい、サクラ様が大好きですから」
心を、これ以上凍らせないで下さい。
私は、あの時サクラ様が零した言葉を今でも覚えています。
『そうなの……この人と結婚するの。なら、もう二度と泣いてはいけない。誰よりも強い女にならなければ』
一生、あの方の側にあれば、幾度も辛く当たられるだろう事が分かっていたこそ、あの時貴女は決められた。
決して、外の者には弱みを見せない、強い女になると。
そうして、今は……。
サクラ様の本当の姿を覚えている者は少ない。幼少より仲良くされている、三名のご令嬢と……皮肉にも、あの方の周りにいる少年達ぐらいです。
他の方は、家格や年回りなどの事もあり、きちんとは認識されていないよう。
辛い境遇にあるお姫様は、王子様と出会って、幸せになる。そんなおとぎ話が大好きなロマンチスト。それが、本当のサクラ様。
一人で、磐梯グループ令息という有望株の婚約者として、良家の方々の矢面に立つサクラ様は、一見強く見える。
だから、周りからは、誰よりも強い女だと思われ、怖れられる。
本質とは正反対の役回りです。
磐梯様のご友人の犬飼様など、そのイメージにつられ頑なにサクラ様を嫌う、代表のような方。
怖い女、厳しい女。近寄りたくない人……。そんないやなイメージが、いつしかサクラ様につきまとうようになりました。
なんて、皮肉かしら。
だから。
絶望の未来が容赦なく近づく。その気配を感じる度に、誰かと、誰か私の大事なさくらちゃんを助けて、と。心が叫んでしまう。
大きな家の、契約ごと。それを振り切るような強い殿方がこの方を悪夢から連れ去ってくれる。そんなおとぎ話のような奇跡を、夢見て、しまう。
私は本当にダメな護衛です。主人を見失うかもしれない未来を望むなんて。
でも、あの柔らかな笑顔がまた見たいから……。
私は思ってしまうのです。貴女の、私の親友の本当の安らげる場所を得て欲しい、と。そう思ってしまうのです。
……たとえそれが、それがどんなに遠い場所であっても。
……いけませんね、長々と、そんな事を話していたからでしょうか。
「生徒会室には、人が近づかないからと気を抜き過ぎましたか」
私が気づくのと同時、橙色も気づいたようです。
「悪趣味ですね、人の話をこっそり聞くなど」
私はそう、生徒会室の近くの曲がり角に潜む者へと、話しかけました。
「……いや、盗み聞きするつもりは無かったんだ。その、出て行くタイミングを逃しただけで……」
副会長……いえ、雪車町凍矢様はそう言って、気まずそうに角から出てくる。
「僕は何も聞かなかった。冷清院君、それで、いいね?」
何時もは女性的な美しい顔を歪めている方が、珍しく柔らかい色を眼鏡の奥の瞳に浮かべてそうサクラ様に聞く。
「はい。これはわたくしの問題です。どうか気にしないで下さい」
「……そう、分かった。なら、僕は何も知らないし、何も聞かない。さーて、遅くなってしまたから、会長……っと違った、磐梯に怒られてしまうかな」
まるで何も無かったかのように、私達から視線を離すと、雪車町様はすたすたと私達の前を横切って、生徒会室に向かっていったのです。
この時の事を、雪車町様に二年後に聞いた。
「あれでいろいろ目が冷めてねぇ。ああ、肩肘張って生きるの大変だよねって。反省もあって今がある。僕は、冷清院君に感謝してるよ。だから、『立ち聞き』 の事は、学園長をあの吊るし上げの場に連れてった事で、相殺にしてくれないかな……しかしまあ、相変わらず、彼女は生きにくそうな道を行くね」
そう笑う雪車町様は、あの頃の厳しい顔つきを緩めて、とても自然体で生きていらっしゃる。
あの頃、若さゆえの過ちとご当人は語るけれど、とにかく雪車町様は、正義感に生きていて。当然に皆が怯える程の悪女と噂の、サクラ様の事も敵視していた。
ところが、蓋を開ければそこには、必死に強い女を演じているだけの女の子がいたのだ。
それはびっくりされたのだそう。
そして、そんな孤独なサクラ様と自分を比べて、何と幸運な事かと感じたらしい。
雪車町様は、当校でも指折りの人気者で、ファンクラブ持ちな程ですからね。
同じレッテルを貼られても好かれたり嫌われたりする。じゃあ、出来るだけ公正な目を持とう、まずは話を聞こう、と。
わたしはようやく得心しました。あのハロウィンパーティの時にも、「ヒロイン」 を自称した彼女の言葉を鵜呑みにせず、応援を呼んでくださったのは、こういう裏があったからかと。
……幸運なことに。サクラ様もまた、笑顔が増えました。
「なぁんで、彼女は茨の道を行くのだろうねぇ……今度は、奨学生との愛に生きるとは」
呆れながらも、雪車町様は嬉しそう。
「君にも味方が増えたんだね。もっともっと増やすといい、君は、少し現実と戦いすぎている気がするよ」
もっと、気楽にね。
そう言って去っていった背中は、随分と自由な気風に溢れていました。
そうですね。
私もそう思います。
だから、応援します。茨の道でも、あの、ぼんやりした顔の奨学生と二人で行く道を。
だってそこなら、さくらちゃんが笑うのです。幸せにのびのびと振る舞って見せるのです。それが、私の、砺波紅水という人間の望み、なのですから。
その道が少しでも平らかであるよう、私は精一杯、応援するのです。