【番外編6】嫌いだ。だから、後悔はない 前編(わんこ庶務)
わんこの旅立ち編。情報屋も出ます。
当人が反省なく、わりとイライラ展開です。後半に続きます。
冬の初めのある日、国際線ターミナルで、おれは途方に暮れていた。
……どうしよう、早く来すぎた。
体に染み着いた”教育”のせいで、どうもおれは、旅行の集合だの、集会だのの時に、早くに行動しすぎる癖があった。
それは、多くは役に立つが、痛みと蔑みの視線とで仕込まれたものだから、役に立った時こそ……ひどくいやな気分に陥る。
おれは、犬飼猛。学園では生徒会の庶務をやってた。
……そう、それは最早過去形。
そして今、国際線ターミナルにいる理由は……。
自分がやった冤罪の、その罰を受ける為に、陸の孤島へ向かう旅路の途中、とでも言えばいいのか。
遠い異国の寄宿舎で、僕ら……元会長の磐梯弘樹、元奨学生の棚橋星愛、そして元庶務の犬飼猛は、大学院ぐらいの歳まで、預かられる事になる、そうだ。
――その時のおれは、相変わらず、自分のやった事が悪い事だと分かっていても、何故、どうしてと、思ってた。
そんな遠くに、押し込められて見張られる程に悪い事なんてしたかな、って、どうしても、実感が沸かなくて。
星愛の言う事はすごく、おれにとって信憑性があった。
あの女が、おれの大嫌いな、意地悪女の冷清院桜姫が……奨学生をいじめるなんて、すごく、ありそうな事だと思ったし、やったって、そう思ったから。
『あたしの事、また冷清院さんが睨んだ。あの人ってこわいよね』
『あたしがね、磐梯君の側に寄るとすっごい怖い声で注意してくるの! あの人、なんだろう……お金持ちを鼻に掛けて、奨学生の事見下してるのかしら』
『また、睨まれた! 怖いよ~。ねえ、犬飼君もそう思わない?』
おれも、睨まれた事あるし、冷たい声で注意された事もあるし。だから凄く同感出来た。星愛とは、最初から凄く気が合って。注意のときの声だって、きついし。
『別に、わたくしが貴方様に注意する事などありませんので、わたくしのような部外者を気になさらないでお仕事に励まれて下さいませ』
嫌味にしか聞こえない、そんな事ばかり言うから、心の底からあの女が大嫌い、だったんだ。
あのいつも目が笑ってない、作り物のきれいな笑顔が怖くて。
いつか、あの冷たい瞳で蔑まれ、叩かれたり叱られたりするんじゃないか。
被害妄想。
分かってるけど……子どもの頃からたたき込まれた、しつけと称する祖母のいじめと、彼女のあの冷たい声、冷たい顔が重なってしまって、仕方ない。世界で二番目に、嫌いな女。
ため息を一つ。
今日は、大事な場所だった学園から離れ、日本を出て行く事になるからか、いやな事ばかり思い出す。
『あれは、小型犬が大きな犬に対して威嚇するようなもんで、別に本当に噛んだりしないのにな。無理してんの丸見えで可愛いだけだろうに、何が怖いんだかわかんねーや』
……そう、あの怖い女を、評価した男が居た。
いまだその心境は分からない。
……いや、ここまで来ても反省したくもないし、冷清院が、本当はか弱い女だと、どうしても信じたくないんだから……分かりたくない、が正しいのだろう。
そうだ、わざとだ。
おれは、長年のつきあいの中で、わざと遠ざけて無理解を決め込んでいた相手を……ただ苦手、というだけの理由で……。
完全なる悪意でもって、冷清院桜姫を、陥れたんだ。
きっとそれは偶然、だった。だとしたら、運命の神を呪いたい、程のいやな偶然だ。
じっと、気乗りのしない旅立ちに、出発口を見ていたら、そこに……ここ最近に知り合った人間が、出発口へ向かい大きく手を振っている姿が見えた。
――やばい。あれは、冷清院の彼氏の。
今、最も会いたくない相手の身内とあって、おれはくるりと背を向け、そこから逃げだそうとした。
だが、おれの背に声が掛かる。
「あれ、その背中は見覚えがあるな。犬飼君か?」
……残念ながら、おれは逃げ遅れたようだ。
「鎌ヶ谷君、どうして……ここに?」
まさか、おれのフライト時刻を調べて、文句をつけにきた、のだろうか。
心にやましい所のある俺は、そう身構える。
「や、偶然だな。俺は取引先の社長を今見送ってきたところでさ」
明るい笑顔で話す彼には、そんな暗さはなく……あれ。
おれは、その表情に拍子抜けする。
そういえば、鎌ヶ谷は、国際的にも有名なプログラマー、なんだったか。何か、会長なんかと比べると威厳がない、というか……。周囲に埋没する感じで、どうも大物に見えないが。
「お仕事、だったの……鎌ヶ谷は、すごい、ね」
よくも悪くも普通の、高校生にしか見えない彼だけど。
ダッフルコートにジーンズに黒い丸襟シャツの、その格好もあって、よけいに、そうは見えないけど、それでもおれよりよほど、立派な人物と言えるのだろう。
「ところで君は? ……ああ、そっか。今日が……」
鎌ヶ谷は何かに思い当たった、という顔をして、次いで気まずそうに顔を逸らした。
それは、意外過ぎる反応で。
てっきり、おれの姿を見つけたからには、敵を見つけたとばかりに叱られるものだと思っていた。
……ビクビクして、損した。
おれは、反省なんてしてないけど。怖いおんなをやっつけただけだし。
それでもおれは、悪意で、鎌ヶ谷の身内に悪い風評を広げて迷惑を掛けたわけで。
怒ってない、のだろうか?
気の抜けたおれは、肩の力を抜きほっと息を吐いた。
「じゃあ、おれは行くから……鎌ヶ谷も、元気で、ね」
まあ、それでも気まずいことは気まずいから、おれはそそくさと彼から逃げようとする。
「いや、君には一つだけ聞きたい事があるんだ」
「……え」
おれは思わず振り返る。
「……聞きたい、こと」
「そう。といっても、一つだけ。この場ですぐ答えられる簡単な問いさ。YesかNoで答えられる」
なんだ、良かった。
長話で引き留められたらどうしようかと思った。
ただですら、気まずいのだし。
ここから解放されるのなら、と思って。
おれは、軽い気持ちで「うん」 とうなずいてしまった。
……それが、間違いだった。
――二時間後。
おれは国際線の飛行機の座席で、呆然としていた。
彼が聞いたのは確かにひとつだけ。
でもそれが、おれにとっては最悪の問いだったのだ。
『――君は、自らが滅ぶ覚悟をもって、そこまで思い詰める程に彼女に怯え、彼女の人生を、終わらせようと画策したのか? YesかNoで答えて欲しい』
そう、言われたら。
おれはこう、答えるしかなかった。
『……No、だ』
だって、おれは、彼女に……冷清院に、別の人の事を重ねていたから。
いつだってあの冷たい笑顔を見ると、おれの感情は過去に戻る。
祖母の恐ろしい鬼の顔を、あの冷たい笑顔に重ねて……。
冷清院という個人など、興味ない。
この五年間の間、一度たりとも真面目に向き合おうとしたことなんて、ないんだから。
彼女は代用品だ。
おれが、そこにいない祖母に八つ当たりするための、身代わりだ。
……一年もすれば、彼女がおれに敵意を向けてくるような性格じゃないと、分かるんだから。
彼女、なんて。正直どうでもいい……。
生きてても死んでても。ただ、目の前に現れないで欲しい。
理由なんて、そんなものだ。
おれは、あの冷たい顔が見たくないから、排除しようとした。
学園から消し去ろうと。
……まさか、傍目には社会的に抹殺しようとしたとまで思われてたなんて、大げさすぎると驚いたけれど。
そんなおれの卑しい性根を、まっすぐ突き刺すように彼は聞いた。
そして、納得したように、うなずいた。
『そう。やっぱりね』
笑顔を作るのに失敗したような、複雑な顔で彼は言った。
何処にでもいそうで、何処にもいない。
鎌ヶ谷の個性をこそに見た気がした。
『少しね、犬飼の事を調べさせて貰ったんだ。……ああ、断じて、非合法な手は使っていないと先に言っておく。合法の範囲でも、たとえば君の通ってた幼稚園、小学校、友人。そんな人から聞ける、推測出来る事がある』
まるで興信所か何かのように、彼は調査の範囲をおれに告げ。
『興味があったんだ、君に。他の者は、あの女の上っ面に恋して浮かれたあげくの失敗か、自分の悪趣味の為に恋してるように振る舞ったか、そんな奴らと比べて……君だけだったろう?』
『――棚橋星愛が自らの為に行った、ライバルを貶める印象操作。最初は誰もが笑ったのに、アイドルの一人が積極的に肯定した事で、姫君のいじめの証明が取れたとされ、学内の感情悪化が加速し、姫君は孤立した……その裏にいた悪意の協力者は、君だ』
動揺するおれの目をじっと見て、彼はそう断じた。
機内サービスのために、綺麗な声で美人アテンダントが話しかけてくる。
俺は一杯のコーヒーを頼む。
熱いコーヒーを啜りながら、俺はまた、物思いに耽る。
ワゴンを押すアテンダントの顔に浮かぶのは、作られた笑顔……ビジネススマイル。それには悪感情なんて抱かないけど、冷清院のそれはダメだった。
凍り付いたような瞳に睨まれると……どうしても、あの祖母の、顔を思い出さずにいられなくて。
おれは小学校の頃、一時何も食べられない程に精神をやられた時期があった。
実家は、いわゆる老舗の料亭ってやつで。
おれは、一人息子として、小学生に入ったばかりの頃から厳しい修行を課された。箸の上げ下ろしから挨拶の角度まで指導され、出来なければ即座に腕や足をつねられる。
あの頃おれはいつも、あざだらけだった。
今まで、おれは何で祖母に嫌い抜かれていたか、知らなかったんだけど。
鎌ヶ谷によると、一人息子が、気に入らない女に取られた。だから、その子も気に入らない。
……そんな、くだらない祖母の恨みが理由だったらしい。
母の代から始まった嫁いびりが、そのままスライドしておれにまで及んだんだそうだ。それを聞いて、余計に嫌いになった。
仕事に忙しい板前の父、祖母のいびりと仕事で手の空かない若女将の母は、拒食症となり病院にかつぎ込まれるまで、おれが祖母にいじめ抜かれていた事を、知らなかった。
慌てて祖母から引き離し、しばらくはアパートを借りてそこでおれを隠したけど、やっぱり見つかって。
最後の手段として入れたのが……この学園。
ようやくあの恐ろしい祖母から解放された、だというのにここにも怖い女がいた。
凍った目の偽りの笑みの女。……敵だと、おれは思った。
だから悪くない。おれはそう思おうとする……だめだ。
……おれの中のなけなしの良心が疼く。自分を、偽れない。
ああ、おれは。
勝手に敵に仕立て上げ、勝手に傷ついて、それで。
……おれこそが弱いものいじめをした犯人だ! おれこそが、わるものだ!!




