兄貴
酒呑童子の屋敷で遊んだ日を境に、千璃はよほど楽しいのか知らないが鬼界に頻繁に来るようになり、来ては俺と交友関係のある貴族のと鬼達と仲良くなり、今や鬼界では有名になっていて、俺はなんだか少し複雑な気分だった。
千璃は、来るたびに俺に傷を増やすし、金を使っていくけど、それでもせっかく俺が見つけた奴なのに。久しぶりに、鬼ではなく人間だが、普通な奴の友達が出来たっていうのに、と。
が、楽しそうにしているのを見ればすぐにそんな考えは吹っ飛んで俺もどんちゃん騒ぎに加わった。
いつしか、千璃は鬼界にとって結構大きな存在になってしまっていた。
どれくらいかと言えば、千璃に何かがあれば皆協力を惜しまないくらいに。
俺はこの後、そのことを踏まえ、考えて行動していれば、と後悔することになる。
「今日は誰のところに遊びに行きますかねー」
「あ、今日はすごく嫌だしむしろ死んだほうがましなレベルで嫌だけど紫月の屋敷に行くぞいやだいやだいやだいやだ俺は目覚めたりしたくない」
「蒼変な汗大量にかいてますよ」
「だっていやなんだもんんんん」
「もんとか使っても可愛くありませんから」
「千璃が冷たいいいいいいい」
そんな風にいつも通りの会話・・・多分傍から見たらすごく馬鹿に見えているのだろうが・・・をしながら紫月の屋敷に向かっている時だった。
商店街を抜け、人が少なくなってきた。だが、それはいつもの事なので特には気にしなかったのだが、それがいけなかった。
「ぐっ・・・!?」
頭に衝撃が走り、その感触から何か鉄のパイプのような鈍器で殴られたのだろうとわかった。
地面に倒れ、後頭部を押さえると僅かに血がにじんでいたが、すぐに止まるだろう量だった。
「なんだ一体・・・」
顔を上げて起き上がろうとして眼前にしたのは、顔を黒子のようなもので隠している男にもがく千璃が口に布を押さえつけられたと思うとぐったりして動かなくなる、という光景だった。頭にカッと血が上り
「なにしてんだてめえっ」
その男に飛びかかろうとするが、突然後ろから羽交い絞めにされて動けなくなり、その間にいつの間に来ていたのか、牛車がいて、千璃はあっという間に乗せられたかと思うと去って行ってしまう。
「離れろっ」
頭を後ろに勢いをつけて降ると、俺を押さえつけていた男の鼻に衝突し、体が自由になる。これで追いかけられる、そう思って走り出すが、
「なっ、なんだよお前ら、退け、道開けろ、邪魔すんなよ!」
いきなり数人の厳つい男たちが邪魔をして行く先をふさぎ、追いかけることができない。
なんでだ、なんでこいつらは邪魔をしてくる。ただの通り魔じゃないのか。いや、そもそも警察組織を恐れて通り魔なんてやろうと思う奴なんてそうそういない。
それに、いくらここが商店街から少し離れたところと言ってもここまで人がいないのはおかし過ぎる。まさか、計画的犯行なのか?
「くそっ、どけ!」
腹の底から沸々と怒りが湧き、しつこく邪魔をする男鬼達を押しのけようと体当たりし、体制が崩れた正面の男鬼の片手をつかみ、鳩尾を膝で蹴り上げ、隙間を抜けようとするが、先回りしていた他の男鬼達が刀を抜いて待ち構えていた。
「刀使ってまで、行かせないつもりかよ!」
刀は使いたくない、が、刀を構えた男たち相手に素手でかかっていくのはさすがに無謀だ。舌打ちをしながら鯉口を切り、刀を構えた。
相手を斬らないように。あくまで受け流すだけでこいつらを倒す。そのためには、
「おい、なんのつもりだ」
ずっと無口だった相手が反応した。
俺が刃を上向きにし、峰を下に向ける。これで相手を斬って殺してしまうこともない。が、相手はなめられていると取ったのか、雄叫びをあげて一斉に斬りかかってくる。
「俺は今非常にムカついている。さっさとそこを、退け!」
姿勢を低くして頭上から降ってくる刃を受け止め、横に一閃し、男達を薙ぎ払い、起き上がって後を追いかけてくる前に全速力でその場を離れる。
後ろから逃がすかだの待てだの聞こえてくるが、待てと言われて待つ馬鹿はいない。
走りまくって、後ろから聞こえてくる男達の足音が聞こえなくなると、スピードを緩めて後ろを確認し、もう既に姿が視認できないほどに離れたことを確認すると、その場で停止した。
あの男達にかまっている間に完全に逃げられてしまった。
「チッ、あのブサイククソボケ野郎、次にもし会うことがあったらぶちのめす」
何が目的で、誰が千璃を攫ったのだろうか。千璃は俺といることで様々な貴族の鬼とも関わりを持っている。その千璃が攫われれば皆が動いてくれるだろう。犯人はそれに乗じて何かを仕掛けたりするつもりなのか。それか・・・俺に対しての報復か何かか。
「クソっ」
思わず顔をゆがめて横にあった木の幹を拳で殴る。
もし俺への報復だったとしたら俺へ直接手を出せばいいではないか。なぜ千璃を巻き込む。なんで。
うつむいて拳を握りこむと、俺の携帯端末から非通知着信の音が鳴り始める。
うるさい・・・。
しばらく待っていればじき相手も諦めるだろうと放っておくが、一向に鳴りやむ気配がない。
「ーっ、はい、誰でしょうか」
「やあ、久しぶ」
声が聞こえた瞬間に端末を耳から話して通話終了ボタンを押す。
なんで今頃になってあいつから。そもそもなんで俺の端末の番号を知っているんだ。
切った端末から再び着信音が鳴り響く。この様子だと何回切っても再びかけてくるだっろうし、着信拒否にしたら俺の周りに迷惑がかかるかもしれないから、出るしかないだろう。
「もしもし」
「急に切るなんてひどいじゃないか、蒼」
「俺はお前の声が聞きたくなかっただけだよ・・・兄貴」
電話の相手は、兄貴だった。俺が家を抜け出して、ほぼ絶縁状態になっていたのに、一体何のつもりなのだろうか。今更俺に何を求めるつもりなのだろう。
「聞きたくないなんて言わないでよ、俺はお前と話したかったよ?」
「気色悪い吐き気がする喋るな」
「まあ、それはそうとして」
「おい」
「君の大切な千璃ちゃん・・・今どこにいると思う?」
「っ」
なぜ兄貴の口から千璃という言葉が出る。数十年以上会わなかったのに、最近の俺の周りの関係なんてわかるはずもない。わざわざ調べたのか。まさか、
「お前か、千璃を攫ったのは」
「あは、ご名答。頭の悪い蒼がよく考え付いたね」
「ふざけんな!千璃をどうした!」
「まあまあ、そんなに怒鳴らないでよ。鼓膜が破れちゃうじゃないか」
「そんなの俺に関係ないね、むしろ破れてしまえばいい」
嫌いだった。兄貴が、どうしようもなく嫌いだった。いくら俺が本気で怒っても、飄々とした態度で流し、薄っぺらい、いつ見ても変わらない不気味な笑顔で笑う。
あの事件が起こった時だって、母さんと父さんが死んでしまったというのに一人笑っていた。
何を考えているのか全く分からなくて。小さい頃はコロコロと表情が変わって、言いたい事を躊躇わずに言って、周りをよく笑わせる、素直なやつだったのに。
一緒に遊ぶのがひどく楽しかった。昔は兄貴が好きでブラコンと散々言われる嫌いだったっていうのに。
いつからあんな風になった。なんであんな風になった。
端末を持っていないほうの拳が自然と強く握りこまれる。
「蒼」
兄貴の声でハッと我に返る。
「もし千璃ちゃんを助けたいんなら、伊峯の外れの木の下に来なよ。わかるだろう?よく一緒に遊んだもんなあ・・・待ってるよ」
兄貴はそう告げると通話を切った。
わかる、なんてものじゃない。脳裏に焼き付いて、忘れたくても忘れられない場所だ。伊峯は昔蒼の一族住んでいた場所だ。都心から外れた、鬼界でも端も端に位置する村だった。それは強すぎた故に周りから忌み嫌われたせい。どれだけ周りと仲良くしたくとも、話しかけても逃げて行ってしまって、幾度も寂しさと口惜しさ、なぜこんな種族に生まれてしまったのか。こんなに寂しい思いをするくらいなら、強くなんて生まれなくてもよかったのに・・・!
何度も絶望させられた。だが、同時に、楽しくもあった。
友人ができなかった分、家族と愛情を育んだ場所だった。
あの事件さえなければ――今もまだあそこで暮らしていたのだろうか。あんな事件がなければ――。
「クソっ・・・」
空を仰いで、歯を食いしばり、拳を握りしめる。
「・・・?」
何かが手のひらを濡らしている感覚がして、手のひらを広げると、爪が食い込んで皮を破り、血が出ていた。全然気づかなかった。
「本当、嫌になる」
行かなければならない。兄貴は賢いから、千璃を傷つけるなんてことはしないだろう。そんなことをしたらまず俺が黙っていないし、俺が助けに行かないはずがないとわかっているはずだから。
「会いたくねえんだがな・・・」
再び空を仰ぐと、ポツリと冷たいものが顔に当たった。
雨だ。
嫌なことを思い出す。思い出したくないのに、忘れたいのに、どうしても脳裏にチラつく。
・・・駄目だ。今はこんなことを思い出してる場合じゃない。
頭に浮かんだことを振り払うように頭を左右に振る。
「行こう」