第70話 伊勢――則常世之浪重浪歸國
「そうですか。西日本は今そうなっているのでございますね……」
伊勢神宮内宮。五十鈴川を超えた先にある神宮司庁。
その一室に天照大神、そしてその連れを案内した老神主は、日本政府から派遣された(と称する)吉田と李から今の日本の様子を聞いていた。
この伊勢神宮を中心とした土地に暮らす人々も、多くの者たちが西で生活していることは知っていても具体的にどうなっているかまでは知らない。
それでも、ここで暮らすよりはずっと良い暮らしだろうとは予測していたが、
「まさしくその通りですか」
そうポツリと呟いた。
町で出会った住人の反応から、嫌味か恨み言の1つでも言われるかと覚悟していた吉田たちであったが、意外にもこの神主にそういった気配はなかった。
「先ほどは失礼いたしました。町の者たちのことは聞きました。皆、西へ行った者たちに複雑な想いを抱えております。いきなり現れたあなた方に、心の整理が追い付かず思わずあんな態度を取ってしまったのでしょう」
そう言いながら、頭を下げる。
「どういうことですか?」
「ここの居る者たちの中で、本当に逃げ遅れた者は数えるほどしかおりません。大半が自らの意志でここに残ったか、或いは逃げる機会はあったのに機を逸したのか。どちらにせよ、自分の選択の結果でここにおります。しかし厳しい生活が続く中で、どこか心が荒んできております。元はと言えば自分たちで選んだ道とはいえ、何かに不満でもぶつけなければやっていけぬ――」
「それが、西でのうのうと暮らしているであろう人々、というわけですか」
「そうなりますな……」
何かに恨み・不満をぶつけさせることでガス抜きをするという手法は、李にとっては非常に馴染のある方法である。
(なるほど。そんなところに来てしまえば、ああなるのは当然ですねぇ)
どうしたものかと考える。
ここにこうして李や吉田が居ることは、当然ながら日本政府は直接は何も指示していない。
彼らの目的はあくまでマイラであり、天照にしろ東日本残留者にしろそれらは副次的な物である。
が、ここでいらぬ怨みだけを買えば、後々責任を追及される可能性は十分あった。
だが逆に――
「吉田さん……」
「何だ?」
李が隣の吉田にそっと耳打ちする。
彼の言葉に「ふむ」と少しだけ思案した吉田であったが、直ぐに賛同の意を示した。
「では私が。申し訳ありません、実は住民の方々に是非お渡ししたい物を持ってきておりまして」
「ほう?」
「ここには吉田が残ります。私はこれからさっそくそれを渡してこようと思います」
「なるほど。分かりました。皆、ここでの話が気になっているのか自治会長を中心に何人かが別室におります。彼らに話を通してください」
「ありがとうございます」
物分かりの良い神主に、李はにっこり笑みを浮かべ頭を下げた。
「では……レオ君」
「え? あ、はい」
「君の手を借りたいのですが……構いませんか、マイラさん」
と、本人ではなくマイラへと尋ねる。
「構いませんわ。どうせここに居てもレオには関係はないでしょうし。ご自由に使ってくださいな」
「勝手に……」
「おーっほっほっほっほ! 私は主、あなたは従者。当然ではありませんこと?」
「そうですねー」
不満そうな顔を浮かべるレオ。
「まあまあ。ちょっとしたお礼くらいはしますからお願いしますよ」
「分かりました。それじゃあ行ってきます」
お礼につられたわけではないが、そう言って李について席を立つレオであった。
「すみませんな、マイラさん」
「お気になさらず。あの子も、内心では暇だったのでしょうから」
「――さて。では今度はわたくしから尋ねたい」
それまで黙って、出されたお神酒を飲んでいた天照がようやく口を開いた。
「はっ。何なりと」
「良い返事じゃ」
自分に対して絶対恭順の姿勢を見せるこの神官の様が天照はことのほか気に入ったらしい。
上機嫌に微笑みを浮かべるが――すぐに表情を引き締める。
「お主はわたくしを待っていたと申したおったな」
「はい。確かにそう申しました」
「どういうことじゃ?」
西日本とは一切の交流が無かったこの地域。
当然であるが天照がここに向かうなど彼が知る筈もない。
もしも、彼がこの世界的な意味で天照に仕える神官であれば話は違うが、未だ彼はそういった意味では神官ではなかった。
となると、どうやって知ったのか。
「霊夢を見た故にございます」
「レイム?」
「しばらく前のことにございます。私の夢枕に1匹の狐が立ちまして――」
「キツネじゃと!?」
思わず天照は険の籠った声を上げてしまう。
「い、いかがなさいましたか?」
「……いや、気にするでない。続けよ」
マイラと吉田には、何故天照が反応したかが分かるがこの神主にそれが分かる筈もない。
戸惑う男に、天照はそう言って先を促す。
「は、はぁ。その狐は自らを稲荷大明神の遣いと名乗り、今九州より天照大神様が伊勢へ向かっていると告げたのです」
「お主は……それを信じたのか?」
思わずそう尋ねた天照に対し。神主は苦い顔をして顔をわずかに下に向ける。
「申し訳ありませぬ。まことに情けない話ですが、初めは信じておりませなんだ」
(それは当然じゃろう)
むしろそこで素直に信じる様な者は馬鹿正直というやつだ。
自分の神官がそのような者でないと分かり、天照は内心安堵する。
「ですが、その後も毎夜毎に狐は夢に現れ、『今は広島に着いた』『岡山を発った』『明石を通過した』『京に至った』など具体的に告げてきたのです」
「あら、つまり私たち監視されていたのですわね」
「そうなるのう……」
おそらくは眷属のキツネを使って一行の動きを見張っていたのだ。
(そして、1つ分かったことがある。稲荷は既に九州にまで勢力を拡大している)
神主の話しから、吉田はそのことに気づいた。
でなければ、天照が「九州を」出発したことは分かる筈がない。
(もしかすると、ずっと監視していたのか?)
(あやつめ……一体何を考えておる)
意図が見えず、天照は自分がよく識る未だ逢ったことのない宇迦之御魂神――稲荷大明神のことを考える。
京での一件から刃向うのかと思えば、こうして手を回している。
何が目的なのかさっぱり見えてこない。
「ああ、なるほど。もしかして、貴方がこのアマテラスさんを神様だと認めたのは、そのキツネから聞いていたからでして?」
「ええ。天照様のお姿を事細かに聞いておりました。しかも、あの不思議な神通力。こうれはもう間違いないと確信したのです。町の者も、私が夢の話をしたときは信じておりませんでしたが、実際にこうしてお出ましになり皆信じてくれたようです」
(溺れる者は藁をもつかむ、というヤツじゃないかな)
厳しい生活での不満を西への向けることで耐えたように、天照という存在に希望を見出したのだ。
それが本物かどうかなど関係ない。希望と想えるものがそこに現れたことが重要なのである。
(これは……東では思いのほか早く受け入れられそうだな)
西の日本人――そして政府はなかなか受け入れられないかもしれない。
この2つは合わせ鏡のような心理の裏表だ。
西の人間が拒まれるほど、逆に神は受け入れられるだろう。
(この辺り上手くやっていかないと大やけどを負うことになる)
それを考えるのは政治家の仕事だが、この情報は上へと上げなければいけない。
そして出来る限り、東の残留者が西の者たちを受け入れる下地を作らなければならないと吉田は考えた。
「なるほど……聞いた話では、日本、ああ西の方ではなかなか皆さん信じなかったということでしたのに」
「何と!? 本当ですかそれは!」
(こういう要らん情報は絶対に流さない様にしないとな!)
余計なことを口走るマイラに内心イライラしながら吉田はそう思った。
「その話はよい!」
マイラの口を止めたのは天照である。
西でのその一件は彼女にとっても不快な出来事だ。
ここで思い出したくはないのだろう。
「そ、そうですか。ところで、他に尋ねたいこととは何でございましょうか?」
話題が悪いことを察した神主はそう言って話を逸らした。
「そうじゃな。聞きたかったことがもう1つあったのじゃが、それは今マイラが聞いてしまったからのう――おおそうじゃ! お主は、なぜここに残っておる。他の神官どもは西へ逃げたのじゃろう?」
「……逃げた、のではなく『鏡』を安全な場所へ御移しするために西へと移動されただけです」
「言葉を選ばずとも良い」
「そういうわけでは……」
天照に指摘され否定する神主であったが、その表情からそれが本心ではないことは明らかであった。
切り離されなお、切ることが出来ないのが人のしがらみなのであろうか。
「ともあれ。さすがに、この神宮を見捨てるわけにはいきませなんだ。大宮司様を始め多く神職は西へと参りましたが、私の他何人かの神職がここに残ると決めたのです。正直に言えば、ここがモンスターに襲われれば共に滅ぶ覚悟でございました」
「そうであったか」
「天照様のご加護により、幸いにも、こうして神宮も無事で今日まで過ごすことができました。残った神職の中では私の身分が一番高かったため、宮司として管理させていただいておった次第です」
「まこと……」
老宮司の言葉に、しばし目を瞑り何か考えていた天照。
やがて、口を開くと、
「真に大儀であった。お主の信仰心、しかと認めたぞ」
「おお……過分なお言葉でございます。私は、ただただこの地にしがみ付いていただけの愚――」
「卑下するでない。わたくしが認めたのじゃ。それ以上の言葉はわたくしへの侮辱となるぞ」
「ははぁっ! 失礼いたしました」
椅子から立ち上がって天照は、そっと老宮司のそばに歩み寄る。
「お主こそ、わたくしの最初の神官に相応しい。受け取るがよい」
「え?」
何を、と困惑するその顔にそっと手をかざした天照は、己の神霊力で目の前の老人をそれで包み込んだ。
「何をしているんだ?」
「あの神官の中にある神霊力の通り道を開けているのですわ」
事もなげに言ったマイラの言葉に、吉田は思わず目をむく。
それはつまり――
「神霊術を使える様にしているのか!?」
「そうですわね。普通の者が神霊力を扱えるようにしていただく場合は、道を開けておしまいですけども、更にこの方の場合神官ですから、アマテラスさんとの間に特殊な力の回廊を設けているのでしょう」
重大な出来事であった。
(やはり、日本人でも神霊術は、神霊力は扱えるのか!)
今まで神霊術を使える日本人はいない。
九州・四国に本拠地を持つ神々に仕える神官もそうだ。
これについては、まだどの神も試みていなかったからである。
なぜなら、もし可能となった場合の混乱を危惧した日本政府が、菅原道真を通じて神霊術を与えない様に依頼しているためだ。
神々の側も、いまだ現出して力の遣い方を把握しきれていない事情もありその要請にしたがっていたのだが、天照はそれをあっさり無視してみせたのだ。
(報告すべきことが次々と増えていく……せめて立ち会えただけマシと思わなければやってられんぞ)
九州に戻った後のことを想像し、思わず頭を抱えてしまう。
「あら? 頭痛かしら?」
「……いや気にしないでくれ」
その上このマイラの件もある。
(佐保君ほどではないが、日本人が冒険者に深く関わると大変な目に遭うな)
「こ、これは……神通力!?」
己に宿った、或いは目覚めた力が分かるのか、老宮司が驚きの声を上げる。
「神霊力――大陸では、その力をそう呼ぶそうじゃ」
「神霊力……」
「その力を使えば、わたくしの行う業をお主も使える様になろう。詳しくはおいおい説明してやろう。――励むのじゃぞ。お主の信仰心こそがその源じゃ」
「……ははっ!」
未だその力について理解が及ばないながらも、自分が天照に特別に選ばれたことは分かったらしい。
土下座といわんばかりに、その場に平伏する。
これが、正規の記録上神により神霊力を扱えるようにされた最初の日本人の事例である。
「はい、押さないでください!」
「ちょっと、砂糖はこれだけなの!?」
「これってビタミン剤?」
「ああ抗生剤ですか。良かった……これで」
「あ、カレー粉!」
「この茶色の板ってなあに?」
「何をなさっているのかしら?」
神宮司庁を後に町に戻ろうとしたマイラは、神宮入り口前の広場――駐車場――でそれを目にした。
九州から吉田と李が、鏡と共に運んできたもう1つ荷物を地面に広げそれに住民が群がっているのである。
「こら! 勝手に持っていくな!」
「何があるか確認してちゃんと分けるから落ち着いて!」
まとめ役と思われる者がそう大声をあげて周囲を宥めているが、興奮した人々は止まりそうにない。
「確か、あなた方の依頼では『東日本残留者の調査』でしたわね」
「そうだ」
彦島で、吉田と李がマイラに接触するために持ちかけた偽の依頼。
それが『東日本残留者の調査』であった。
2人が持っていた荷物は、そのために必要な物だとマイラたちには説明したいたのだが、
「まさか中身があれでしたの?」
「薬や医薬品。調味料に香辛料や食材など。こっちでは手に入らないだろうと推測される物を持ってきた。大した量じゃないがな」
「手土産というわけですわね」
「相手に取り入る基本だろう?」
それはマイラにも十分理解できた。
「冒険者が外との交流が少ない村などに行くときも同じようなことをしますわ」
「なに大都会でも同じさ。取り入りたい相手に、色々と贈り物をすることは珍しくないだろう。――君は覚えがないかね?」
吉田の問いかけに、一瞬間を開けマイラは、
「――おーっほっほっほ! 我がイカライネン家は由緒ある大商会。そういった有象無象は歯牙にもかけませんわ!」
「……なるほどね」
(上手くはぐらかしたか)
なかなかボロを出さないなと思いつつ、まだ先はあると思い直す吉田であった。
「あ、お嬢様」
主の高笑いに気付いたレオが駆け寄ってくる。
「今から李さんたちが持ってきたカレーで夕飯を作るそうですよ」
「まあ、カレーですか!」
その言葉にマイラは表情を輝かせる。
カレーに似た香辛料を使った料理は、香辛料の産地であるラグーザ大陸東部にも存在する。
しかしそれは地球でいうインド風カレーと同じ物であり、いわゆる日本風のカレーはこの世界には存在しない。
日本に来て初めてカレーを食べて以来、カレーライスはマイラの好きな日本食の1つとなっていた。
「それで、作るのに人手がいるそうでして――」
「皆まで言わずとも結構ですわ。レオ! しっかり手伝ってきなさい!」
「ですよね~……」
分かっているのか分かっていないのか。
いつもの調子の主に、レオは力なくそう呟くのであった。
「な、なにこれ!」
「おいしーい!」
神社近くの食堂。
その客席から、小さな子どもたちの感嘆の声が上がる。
皆中学生以下の子どもたちばかりだ。
転移から12年。近畿撤退から10年だ。
しばらくは残されたルーなどもあったであろうが、当然それらは既に食べ尽くされている。
その為小さない子はカレーの味を知らず、幼い頃食べていても覚えていない者ばかりなのだ。
もっともはしゃいでいるのは子どもだけではない。
大人も実に数年振りのカレーなのだ。
子どもほどあからさまではないにしろ、皆浮かれていた。
そのために貴重な鶏を絞めて肉を提供したほどだ。
「さあ、しっかり食え」
一心不乱にカレーライスを食べる伊勢の住人たち。
滅多に笑顔など見せない吉田であるが、消して情が薄いわけではない。
この光景には彼なりに心打たれる物がある。
「おかわりもいいですよ!」
隣で李も大きな声で呼びかける。
吉田と違い常に笑顔を張り付けているこの元中国スパイだけに、内心どう感じているか見た目では判断がつかない。
だがそれなりに付き合いの長い吉田には、その声色から彼の内心がなんなく見えていた。
「あの……じゃあ少しだけおかわりを」
そう言って、おずおずとお皿を差し出して来た少女に、李は笑顔のままドンとご飯を盛りルーをたっぷりとかける。
「遠慮しないで。今までの分まで食べてくださ~い」
「あ……どうもありがとうございます」
「どういたしまして」
恥ずかしそうに頭を下げ友達のところへかけて行く少女。
「おーほっほっほっほ!! では、大盛りでお願いいたしますわ!」
「……」
「……」
高笑いと共に空いた皿を突き出すマイラに、吉田と李の冷たい視線が突き刺さる。
後ろの方ではレオが知らない振りをしながらカレーを食べていた。
「さて、この後はどうするかねぇ」
食事もひと段落つき、住民も三々五々帰っていく中、マイラとレオを前に吉田はそう切り出した。
「そうですわね。アマテラスさんをここまで連れてくるという依頼は達成いたしましたし、あなた方の依頼も――」
「ま、一応これで達成と言えますねぇ」
「とは言え、中国地方まで一緒にいってもらわなくては困る。俺たちだけでは帰れないからな」
「当然ですわね。しかし情けないですこと」
「何とでも言ってください。モンスターの相手なんかやってられません。で、どうされるつもりですか?」
公安の2人にとっては、マイラの正体を暴くか友好関係を結ぶのが真の目的だ。
まだそれは達成されているとは言えない。
もう少し時間をかけたいところだ。
しかし、この旅で得た数々の情報も出来れば早く報告したいという気持ちがある。
(痛し痒しだな)
「わたくしはもう1つクエストが残っておりますわ」
「ほう?」
「ええっと――ナゴヤという都市の港にある、石油とかいう燃料の調査ですわね」
「なるほど。撤退時に持ち出せなかった備蓄石油の確認か」
「名古屋ですとここから北東です」
「そのようですわね。ここで準備を整えて、そちらで調査をすませた後、彦島に戻るつもりですわ」
その言葉に、吉田は「フム」と考え込む――振りをした。
「……どうかな。我々としてはここで待つ方が安全だが、名古屋へ行ってまたここに戻るのは時間の無駄になる。君が良ければ同行しても構わないが?」
「道案内なども出来ると思いますよ」
「ん~……けれど、今度はモンスターに遭遇する可能性は高いですわよ。正直に申し上げて足手ま――」
「おや?」
「足手まとい」と言いかけたマイラに、李がその笑みを皮肉そうなものに変える。
「まさか、マイラさん。貴方の実力では私たちを連れてのクエストは無理だと、降参されるのですか?」
「――――」
その言葉に口を閉じピクリと眉を動かしたマイラは、
「おーっほっほっほっほ!! 何をおっしゃいますやら。結構ですわ。その安い挑発、乗ってさしあげてよ!」
事の成り行きを見ていたレオが、隣で「知~らない」と言いたげな顔をしているがマイラは気にも留めることなく、胸をそり高らかに笑う。
「では、よろしく頼む」
こうして、マイラたちの次クエストが始まった。
次回から名古屋行クエスト。
ただし次回もう少しだけ伊勢で情勢説明入ります。




