第3話 クエスト
ガラス越しに窓の外から太陽の光が部屋に差し込んでくる。
技術流入によりここ数年で生産量が飛躍的に伸びたガラスだが、建物すべての窓をガラス窓にするなど庶民にはいまだ手の出せない領域だ。
王侯貴族の屋敷でも大商会でもないここが、総ガラス窓というのはそれ自体が冒険者ギルドなかんずくタンゲランのこの方面支部の力の大きさの現れといえる。
その支部を取り仕切る女ギルド長と2人、フリオは彼女の仕事部屋で向かい合っていた。
「ふっ……」
ギルド長の問いに思わず失笑してしまう。
「この街で日本の名を知らない奴がいるとすれば、小さなガキか最近来た余所者。あるいはよっぽど――」
「物を知らない馬鹿、くらいね」
そうフリオの言葉を継ぐ。
彼女もフリオがそれを知らないはずがないと分かっていた上で、話のとっかかりとして聞いてみただけにすぎない。
ならばとギルド長は本題に入ることにする。
「日本がこの大陸の北の海に突然現れてもう10年以上。このトラン王国、そしてタンゲランの港は日本にもっとも近いということもあってそれなりに交易が行われている」
長の言葉にフリオは黙ってうなずく。
これもまた今更確認するまでもないことであった。
もともと、ラグーザ大陸の東西を北回りで結ぶ大陸有数の港町であったタンゲランは、日本との交易によりその規模を更に大きくしている。
日本からもたらされた交易品は、この街からさらに他の港や内陸都市へと運ばれ、その街からはよりよい品を手に入れようとさらにこの港へと人が集まってくる。
この街が今やトラン王国王都に次ぐ第二の都市となった要因が日本との交易なのだ。
「日本からは実に多くの物が持ち込まれている。この部屋にある物だってそう。私が仕事で使う万年筆も、愛用のアリタのティーカップも輸入品。部屋の窓はめられたガラスも日本からの新技術で生産された物」
「人もですね。このはす向かいのレストランは、日本から渡ってきた料理人を雇っているし、職人街のセリオ工房にはあの国出身の鍛冶がいる」
「そう。だというのに!」
そこで彼女は、理不尽を訴えるかのごとく言葉に力を籠め言った。
「私たちはあの国についてほとんど何も知らない。私たちが知るのは、この国に渡って来た日本人からわずかに聞ける話と、交易に赴いた者が港で見聞きしたわずななことのみ! あの国へは国の大使を除けば、いまだ外からの者を許していない!」
グッとコブシを握りしめフリオに語りかける長の姿に、大きく目を見開いてフリオは固まってしまう。
(こんな熱い人じゃないと思ったんだけどな)
内心ではそんなことを考えるも、コブシを握りしめ腕を動かす度に、大きく揺れる胸元にどうしても目先が奪われてしまう。
大きく胸元を開いた大胆なドレスとその豊満な胸部のコラボは、10代をようやく卒業したとはいえ未だ若いフリオには抗いがたい引力をもっている。
「我々は、神秘のベールに包まれたかの国を知らねばならない!」
演説が熱くなるほど揺れる胸元。チラチラとみていたフリオも、いつの間にか半ば身を乗り出しガン見している有様だったが、不意に揺れが止まる。
嫌な予感を覚え、そっと視線を上げるとジッとこちらを見つめる長と視線がかち合ってしまった。
「と、いう要望が各所から上がっているわ」
今見せた熱い語りはどこへ行ったのか。
いつものように落ち着いた口調でそういって、にっこり笑顔でそういった。
(からかわれたー!)
恥ずかしさのあまり隠しようもないくらい顔が朱くなる。
もう5年も冒険者をやっているというのに、どこか初心なその態度。童顔な顔立ちと相まって、ある種の嗜好の人間にはたまらないものであろう。
(眼福ごちそうさま)
個人的な嗜好を満たしつつ、会話の主導権を完全に握ったことを確信し長は話の続きを始める。
「それに限らず、交流があればあちらの国に対して色々な用事が出てくるわ。そういった時、頼られるのが冒険者、そして冒険者ギルドなのだけど――あの国には冒険者ギルドの支部がない」
民間人が足を踏み入れていないのだから当然の話である。
冒険者というのは民間人であり、冒険者ギルドもあくまでギルド。公共性はあれど民間組織である。
「ラグーザ大陸の隅々までその支部が存在するギルドも、あの国には未だ手が出せない。でも、ここ最近は日本絡みの依頼も増えてきてね。そろそろ断るのも限界なの」
そう言ってため息をつきながら、長はフリオの反応を見た。
未だ赤い顔のままだが、話はしっかり聞いているようだ。頭の良さは分かっているので、理解も出来ているだろうと余計な説明は省き話を続ける。
「先日、ギルド参事会で決定したわ。日本に冒険者ギルドの支部を作ると」
方面支部には、その地方のギルド支部の取りまとめという役割以外にもいくつか役割がある。その1つが新規ギルド支部設置の決定権だった。
ラグーザ大陸のほぼすべてに冒険者ギルドの影響が広まった現在、新規設立は主に大陸外の別大陸や島などが多い。
日本進出もその一環ともいえる。
「それで、冒険者ギルドの他にギルドの設置を望む者たちの共同依頼という形で、日本へのギルド開設交渉および下準備をクエストとして用意したの」
「それが、俺に依頼したいクエストなんですね?」
「そうよ」
納得すると同時に疑問が浮かぶ。
こういった交渉事もクエストとしては確かに存在する。たいていは国の介入しない、個人や組織間の揉め事の調停などが主だ。
フリオも過去何件か引き受けたことがあるが、気苦労の割に実入りはあまり良いとは言えない仕事だ。だが、成功すれば各所に貸が作れる上に顔も知られるという側面もある。
とはいえ、やはり疑問なのは「なぜ俺なのか」というものだ。
「改めて聞きますが、なんで俺になんですか?」
「いくつか理由はあるけど、最大の理由は条件に合う者が数少ないってことさ」
「条件?」
「そう。私たちがこの港にある日本の窓口に冒険者の入国を頼んだところ、奴らいくつか入国の条件を出してきた。1つは、身元がハッキリし保証できる者がいること」
「……その時点で半分はダメですね」
「冒険者なんて、元はならず者に「冒険者」なんて肩書き貼り付けて無理やり社会の中に組み込んだようなもんだからね。身元の保証はおろか、人には言えない過去を持った奴だっている。困った事に有能な奴ほどそんなのばっかりだし」
「そして、身元が保証できる冒険者の大半は今回のクエストを受けるランクにはないってことですか」
「そ、大半が貴族やら商人のボンボンばっかりだからね。あんたみたいに」
その言葉にフリオは苦い表情になる。
「この街一番の大商会ベルナスの次男坊が冒険者になったと聞いたときは、また馬鹿冒険者が増えたかと、正直思ったもんだがねぇ」
遠い眼をして5年前のことを思いだす。
フリオにとって、5年前の記憶は楽しいものではない。
冒険者に憧れその道を志す貴族や商人の次男坊三男坊は多い。そのままでは家は継げないのだから自分の道を探すのは当然であるが、大半がミーハー根性で選ぶため、そうでない冒険者からは一種白眼視される存在なのだ。その上大半が最初のクエスト制限解除すらできないまま辞めてしまう。
同じようにミーハー根性で冒険者となったフリオではあったが、この5年間の努力もあって今や他の冒険者からも認められるいっぱしの冒険者である。
「ベルナス商会が保証人なら先方さんも文句はないだろうさ」
「しかし、やっぱり他にも条件の合う人はいるでしょう。例えば、キリルさんだとかデルフィナ姐さんとかヘラルドさんでも」
フリオが名を上げた人物は、どれもこの支部を本拠地とする冒険者の中でも1流で且つ素性の明らかな者たちだ。特にキリルなど、大陸南にあるエルフの国の貴族の出である。身元の確かさでいえばフリオなどよりよほど確かで家柄では比較にもならない。
「日本が出した条件その2。日本が設けた検疫基準をクリアできる者に限る。これについては、あんたも引き受けてくれるなら後日検査を受けてもらうことになるが、デルフィナとヘラルドはこれに引っかかった。そして日本の出した最後の条件が」
と、そこで言葉を切り長は、自分の仕事机の前に座るフリオの頭の天辺からつま先まで視線を往復させる。
「人間種に限るとのことさ」
ま、あんたは大丈夫だねと長は呟いて、改めてクエストを受ける意思があるかを尋ねた。
入管のあるターミナルの入り口には4人の男がフリオたち一行を待っていた。
いずれもスーツ姿だが、その内2人は柔らかな物腰であるのに対して、もう2人は隙のない姿勢でフリオたちを見ていた。
「長旅お疲れ様です。私は、外務省東ラグーザ局トラン課の田染健一と申します」
「同じく、外務省東ラグーザ局トラン課のマイク・コナリーです」
4人の内、物腰の柔らかな2人はそう名乗りながら手を差し出す。
田染と名乗った男は30代の日本人男性。一方、マイクはどうみても欧米系の白人男性である。
思わず不審な顔をする黒須だったが、フリオたちは気にも留めず握手を交わしていた。
『黒須阿藍さんですね。付き添いお疲れ様です。お話は通っていると思いますが、この後も通訳という形でご一緒していただくことになります。せっかくの帰国ですので、ご実家に帰られたいでしょうが日程が終了するまでおまちください』
『あ、どーも。それは良いんですけど……』
流暢な日本語で話しかけられ、何か言いたそうな黒須に、マイクは笑って知りたがっているであろうことを話し出した。
『転移の巻き添え組ですよ。転移前は英国大使館に勤務していまして、今は帰化して外務省に勤めています』
日本がこの世界に転移して来た際、当然ではあるが多くの外国人もそれに巻き込まれている。このマイクの様に仕事で日本に来ていた者もいれば、観光で来ていた者、留学の為に来ていたものなど。
転移後、彼らがたどった道は様々であるが、日本人として生きる道を選んだ者は少なくない。転移後に、帰化の要件が大幅に緩和されたことが一因であるし、元の世界に帰れる目途が立たないせいでもあった。
『実は、お名前からアランさんもそうだと勘違いしていたのですが』
『ははは……昔からよく勘違いされます』
有名な外国俳優の名を付けられ、その上元々姓が外国人っぽかったことで、色々とからかわれた苦い記憶が黒須に蘇る。
『私が皆さんの案内役に選ばれたのは、見た目が近い方がリラックスできるのではという配慮だったのですが……あまり意味はなかったようですね』
そう言って、田染から残る2人を紹介されるフリオたちに目を向ける。
確かにフリオたちは、地球でいうところの欧米系の人種である。ラトゥのみは東南アジア系の容姿だが。
『まあ、エルフや獣人が当たり前にいる世界ですからね。僕らのいう人種の差なんて誤差程度なんでしょう』
先ほどのマイクと変わらない態度で残る2人と握手を交わすフリオを見て、黒須はそう答えた。
「警察庁の吉田智照と申します」
「警察庁の李震成です」
それぞれ短くそう名乗ると、それで黙ってしまった。
「こちらの2人は、皆さんの警護役です。ただ、2人とも皆さんのロデ語が喋れません」
ロデ語は、ラグーザ大陸で広く使われている共通語である。
「ですので何か御用の際には、私かマイク。それと黒須さんに――」
「私も多少ですが、日本語は使えますわ」
「では、ラトゥさんを通してお願いします」
言葉の分からない警護役。その存在に、フリオとリタは覚えた不快感をそのまま正直に口にした。
「警護役は必要ありません」
「あの2人がそれなりに戦えることは見て分かりますが、私たちより強いとも思えません!」
「いや、これは……まあその」
2人にどう説明したものかと田染は言葉に窮してしまう。
本当のところ、この2人の警護役は公安の監視役なのだ。
冒険者の上陸を認めるにあたって、各省庁から様々な問題点が指摘されたのだが、その1つが冒険者の携帯しているであろう武器だった。
日本では、「銃砲刀剣類所持等取締法」いわゆる銃刀法により武器の携帯は禁じられている。持ち込みその物は許可を出せば済むのだが、果たして冒険者たちは日本滞在の間自分たちの武器を手放してくれるのか。
その辺りも含め彼らの行動についてあれこれと議論が行われた末に武器の携帯の許可、そして公安による監視であった。実をいうと、この2人以外にも各所で公安の人間がフリオたちを監視することになっている。
ともあれ、そういった事情をそのまま明かせる訳もない。どう説得したものかと悩む田染を救ったのはラトゥであった。
「フリオ様、リタ様。この国にはこの国の事情があるのでしょう。今後のこともあります、ここは素直に好意を受け取られるべきではないでしょうか?」
ここで日本との関係をこじらせては、この後の交渉に悪影響が出る。ラトゥはそういっているのだ。
フリオやリタにしてみれば、警護されるなど一種の侮辱に感じることである。自分の実力で生き抜いてきた冒険者としては当然の矜持ともいえる。
もっとも、ヴォルフのように気にしてないという人物もいるが。
「……しょうがないわねフリオ」
「そうだな……」
しぶしぶであるが2人が納得したのを見て田染はほっと胸をなでおろす。
「では、外に車を用意しています。ホテルまでそれでお連れします」
しばらくは、現在の日本とフリオの回想が同じ回の中で交互に出てきます。
場面転換では改行を多めに取ってますので、そこで判断してください。
話分けるほどでもありませんしね、文量的に。