第27話 仕事がない!
九州福岡は福岡市中央区にある大濠公園は転移後も変わらず市民憩いの場として親しまれている。
中央に大きな池がある。この池はかつての福岡城の外堀であり、それがその名の由来にもなっており、その周囲はジョギングや散歩、サイクリングをする市民の姿が絶えない。
桜の名所としても知られ、転移により気候の変動があったにも関わらず、この10年毎年見事な花を咲かせ人々を楽しませていた。
しかし今の季節は秋。桜の季節は半年以上先のことである。
その時期を想像しながら、佐保登紀子は昼食を終え公園の中を散歩がてら、事務所へと歩いていた。
この場所が大きく変わった点があるとすれば、その周辺であろうか。
転移前はマンションや戸建ての家が比較的多く高級住宅地の1つとされていたのだが、現在この周辺には政府のいくつかの省庁が集中していた。
モンスター侵攻を受け、政府がその機能を九州へと移した際のことである。
首都をどこに置くかとなった時、政府・各省庁・議員・地元自治体・民間企業・有識者らによる大論争が起こった。
すったもんだの挙句、国会を熊本に置き各省庁は福岡を中心としつつも九州各県の関係が深い場所に設置するという形で落ち着くこととなる。
以前より提唱されていた首都機能移転が計らずも行われた形だった。
ここ大濠公園の周辺には、そうやって福岡へと移転した省庁のいくつかが入る建物が点在し、今では官庁街の趣を見せていた。
公園を抜けた佐保は、公園横の北にある通りを渡り向かいのビルへと向かう。
冒険者ギルド設置準備室は、大濠公園すぐ横のこの場所に存在した。
停まったままのエレベーターを避け、階段を4階まで駆け上がる。
エレベーターは生きているのだが、節電意識の浸透により荷物の運搬や階段を使えない者を除けば、この程度は階段を使うことが今や常識になっている。ましてや現役自衛隊員である佐保にとってこの程度の階段など苦ですらない。
「お昼戻りました」
「おかえりなさい」
佐保が事務所の扉を開けると、殺風景な部屋の中でエドの声が彼女を出迎えた。
普段は一緒に食事を取ることも多い2人だが、今日は佐保1人でエドは事務所で留守番である。
どうやら昼休みの間何かずっと書き物をしていたようだ。返事こそするが、ずっと事務机に向かったままペンの音を立てている。
「手紙でも書いているの?」
不審そうに尋ねる佐保に、顔を上げたエドは今自分が書いているそれを手に取り見せた。
「漢字……ドリル?」
「はい。こういうものは積み重ねですから」
笑ってそう答えると、再びエドはドリルに取りかかった。
その姿を見ながら、佐保はたった今浮かんだ疑問を率直にぶつける。
「エドって日本語上手よね? 急にどうしたのよ一体」
「急というわけじゃありません。家でもこうして漢字の練習はしていましたよ。どうにもこの漢字という者は複雑でしかたない。そもそも、文字が3種類もあるのが曲者です」
ドリルを解きながら答えるエドを見て、ふと転移前のことを思い出す。
「その辺りは、転移前も外国からよく言われていたわね」
「やはりそうでしょう?」
「でも、もし漢字なしだと文章が読みにくくて仕方ないわよ。無駄に長くなるし。それよりもエド」
「なんでしょう?」
「いちおうもう仕事時間なんだけど」
その言葉に、エドは手を止めると佐保へと向き直る。
「お役所じゃないので細かく言う気はないけど、そういう私用はそろそろ中断してね」
「そう言われましてもね……」
佐保の言葉に、エドは頬を掻きながら室内を見渡した。
事務所には、エドと佐保の事務机が2つ向かい合わせに置かれている。佐保の机には古いノート型パソコンが置いてあり、2人の間に電話が1台。周囲の壁の一画にはキャビネット数台と本棚。そして部屋の隅にロッカーが無造作に置いてあった。
それ以外は来客用のソファーと机、そして観葉植物が申し訳程度においてあるくらいだ。後はテレビが置いてあるくらいで、プリンター・コピー機すらない。
日本人から見れば事務室としては最低レベルといったところだ。
日本に来て間もないエドとはいえ、役所などに何度か赴き、そちらの事務室を見ているおかげで、今のこの現状がどういうものであるか十分に理解していた。
「なにせ、することがないものですから」
「まあ……そうなんだけどね……」
エドの言葉に佐保は口を濁す。
日本側から急ぎということで、タンゲラン支部長フリダが慌てて送り出したエドであるが、実際来てみるとこうして暇を持て余していた。
来日して初めの数日こそ、関係する省庁や政府関係者への挨拶回りや、事務所を借りるための手続きでバタバタ駆け回ることとなったが、それらがひと段落すると途端にすることがなくなっていた。
「まさかこんなに早く来るとは思っていなかったから……こちらも受け入れ準備が出来てなかったのよ」
実を言えば、日本側としてはそこまで急いでほしかったわけではない。
連絡1つでも日本とは速度で比べ物にならない前近代世界の組織だ。人員派遣の決定にも人員の選定や派遣に関する話し合いなどで何かと時間がかかるだろうと踏んだ上で、早めに人を送ってほしいと連絡したのだが、それが裏目に出ていた。
実際はトップダウンが許される組織の方が決めたら行動が速いのは当然である。
それでも参事会の承認を待っていればもう少し時間がかかったはずであった。それを無視してヒルダがエドの派遣を独断で行った理由には、日本と冒険者ギルド側の認識のズレがあった。
日本側は国内の現状や貿易を拡大したいという想いから、この世界における日本の立ち位置は大変弱いものだと認識している。
冒険者ギルドの設置も、それまでの経緯はともかく現状では設置してもらわねばならない状況になっていた。
故に冒険者ギルドに気を遣っているつもりなのだ。
対して冒険者ギルド側――更に言えば大陸諸国側も含めて――から見ると、現在の日本は十分に強国である。
冒険者ギルドは、いかに大陸全土に広がる大組織とはいえ、真の実態は冒険者を束ねるだけの互助会的な組織だ。大国を相手に好き勝手出来るような力はない。
ましてや日本は元々冒険者ギルドの設置に反対だった国である。ここで機嫌を損ね再び冒険者ギルド設置に反対されては堪らないという考えがフリダ及び冒険者ギルド側にはあった。
こういった認識のズレが生み出したものが、今のエドの現状であった。
「日本というのは何かにつけ手続きが必要で大変だと聞いていたので、覚悟してきたのですが――」
「今やってる臨時国会で、冒険者ギルドやそれに関連する法案が通るはずだから、そうなれば忙しくなるわよ」
「法案ですか……こんなことまで事細かに決めなければいけないとは」
エドが嘆息気味に言った。
彼も日本に来て知ったのだが、日本ではあらゆることに法的な裏付けが必要となり、それがない行動が迂闊に取れないということであった。
無論大陸諸国でも法という物は色々あるが、ここまで何から何までガチガチに法律で固めて動く国家などはない。
来日当初この国の法を知っておかねばと法律を調べ始めたエドだったが、その多様さに投げ出した苦い記憶があった。
「法治国家ってのはそういうものよ」
近代以前の国家と近代以降の国家の差とも言える。
「面倒だと思うのですがね……」
「法の裏付けがあるというのはそれはそれで正当性が担保されるから便利なんだけどね。まあ、面倒というと今は別のことで面倒な事態になっているわね……それより問題だったのが、冒険者とギルドの位置づけよ」
「と言いますと?」
「元々日本になかった上に、前の世界でも存在しなかった職だから。それをどう取り扱うかってのが議論になったわ」
もう半年以上前になる下関事件の後、冒険者ギルドの設置で動き出した政府だったがその取扱いについてはもめにもめた。
例えば、前の世界である地球では民間軍事会社というものがあった。直接戦闘から後方支援、人材育成まで行う一種の傭兵組織である。
日本にこの会社はないとされるが、直接戦闘を行わないだけでその要件に当てはまる後方支援を請け負う業者は存在する。
この辺りの法を整備し直し、冒険者ギルドをそこに当てはめてはどうかという案が出た。
しかし、憲法解釈の問題やこれが認められると日本国内の民間企業も武器を持てるようになることへの懸念が出たため却下される。
ならば警備会社という扱いではどうか。NGOではどうか。いっそ、自衛隊か警察に組み込んでしまえばどうかなどという無茶な案も出たがどれも広い支持は得られなかった。
「結局どういう扱いになるのですか?」
「冒険者、及び冒険者ギルドという新たな分類を作ることになったわ」
「は?」
佐保の答えにエドはポカンと口を開け思わず間抜けた声を出してしまう。
「元々無い物を今あるカテゴリーに当てはめようとするから上手くいかない。なら、いっそ新しいカテゴリーを作れば良いってことよ」
「そ、そんなものでいいのですか……?」
「さあ? 私が考えたわけじゃないし。取りあえず形さえ作っちゃえばなんとかなるって判断したんじゃないかしら。或いはもう議論するのが面倒になったとか」
佐保の予想は大きく外れているわけではない。
少なくとも急いで形を作る必要があったのは事実であった。
現在日本政府内において、冒険者ギルドの設置は対外的にも対内的にも日本が国を開くということの象徴の1つとして位置づけている。
勿論これが遅れたからと言って開国の流れが止まるわけではないが、大陸側へも伝えており何に影響するか分からない。また面子の問題もあった。
結局先の見えなかった議論は政府の指示で打ち切られ、政府はこの秋の臨時会で法案が成立できるよう急いで形を作ったという経緯があったのだ。
「なんだかな……」
「ともかく。来週には法案が成立し、その後すぐに公布・施行されるから。すぐに忙しくなるわ」
いまいち釈然としないエドに佐保はそう言い切った。
そう言われると、エドとしてもこれ以上どうこう言うつもりはない。そもそもこの話は日本内の手続きの話なのだから、仕事さえ始まるならエドとしてはどうでもいい話ともいえる。
興味を持ったのはあくまでエド個人としてであった。
「結局それまで暇なことには変わりないのですねぇ。時間がもったいない」
「うーん……」
その言葉に佐保は考え込む。
佐保自身は暇なことはありがたいのだが、もったいないと言われれば確かにもったいない時間である。
冒険者ギルド側の要望は出来る限り応える様に指示されている身としてはやはり何かしなければならないだろう。
「分かったわ。ちょっと上にかけあってみる」
その言葉にエドの目が輝く。
この数週間の付き合いで分かったのだが、エドは基本仕事人間である。手持無沙汰という状態を好まない。
今やっていたドリルも仕事のための勉強だと考えてやっていたのだろう。
(まあ、許可さえあればやることはあるんだけど……しっかし、なんで自衛官の私がこんなことしているんだろ)
電話を手に番号を押しながら心中で嘆く。
どの省庁も厄介ごとになると分かり切っている冒険者ギルドとは関わりたがらず互いに押し付け合った結果、防衛省・外務省・経済産業省にお鉢が回ってきた。
その中でも、冒険者というのが武力を持ち、また主たる活動場所が東日本になるであろうという予想から、防衛省がその中心となっている。その結果、そこから出向した佐保が、予想外に早くやってきた冒険者ギルドの派遣員の世話役を任されているのである。
(これって、下関事件の懲罰の意味合いもあるのよねきっと)
下関の一件は、佐保個人に責任はない。とは言え、事件の中心に居た人物として何事もないはずがなかった。
こちらの出向する直前に1つ階級が上がったが、きっとこのことと差引ということであろう。
出向前に冒険者ととことん関わってやろうと想った佐保であるが、改めて自分がどんどんと泥沼にはまっていることを自覚しわが身を嘆くのであった。
設置に関して事務的な細かいところを書く気はありません。
取り巻く状況を書きつつ、数話であっさり開設させる予定。
――予定なので未定なのですが。




