第7話 遊びじゃない
話は数日前にさかのぼる。
日本行の準備や手続きのため、ここ数日フリオとリタは街中をあちらこちらと走り回っていた。
通常大陸から別の大陸へ行こうとするとき、船の手配さえできればそれほど煩雑な手続きは必要ない。船主や船長が、客が海賊の内通者ではないか、指名手配犯ではないか、など調べはするがそれさえ問題なければいいのだ。
もちろん、行く先の情報を集めたり船内での食糧を用意したりなどの手間はあるのだが。
ところが、今回の日本行は大層手間であった。日本側が渡航にあたり、トラン王国側の様々な許可をもらってくるようにと細々とした書類を出してきたのだ。
おかげで、いきたくもない街の役所に何度も顔を出し、こういったことの経験のない役人を説得しつつ、不明な点を日本領事館に確認し、また役所に出向き、それと並行しながら旅の準備を進めるというハードスケジュールとなった。
それらもひと段落つき、後は検疫検査を結果待ちつつ準備を終わらせるだけとなった2人は、裏通りの露店で甘い果汁の水割りなど飲んで休憩を取っていた。
「あとは、必要な物は買ってあるけど、食糧はどのくらい買っておいた方がいいかしら?」
「あー、ギルドの話だと向こうでは、日本が宿や食事の面倒はみてくれるそうだ。食べることと寝る場所の心配はしなくてよさそう」
「じゃあ、特にこれ以上買う物はないわね。……うん、どうにか出費は最低限で収まったわ。これで報酬が満額入ればそうとう儲けになるわね」
「まあ、正直に言うと完全達成は難しいと思うけどな」
「クエストの成功ラインは、最低でも交渉を続ける糸口をつかむことか……」
「それでも半額は受け取れる。十分黒字さ」
クエストは結果に応じて報酬額が変わってくる。
モンスター討伐なら、仕留めた数や仕留めきれず追い払っただけかなど。護衛ならば荷物が総て無事か、日程に遅れが出てないか。ダンジョン探索ならば、どの程度探索出来たかなどだ。
「じゃあ、後は結果が出るまでのんびり過ごすか」
「何言ってるの。これから情報収集でしょ。とにかく日本に関する話は噂話でもいいから集めないと」
「あーい……」
しっかり者の相棒に、やる気のない返事をするフリオ。その姿にリタは呆れ顔になる。
もっとも、ここ数日のフリオの働きを知っているのであまり小言を言う気にはならない。
冒険者という職に誇りを持ち引き受けたクエストはなんとしてもこなそうという生真面目な性格のフリオだが、本質的には面倒くさがりなところがある。
クエストの最中はともかく、こういった事前準備は主にリタ任せなこともおおい。そんな彼がここ数日走り回ったのは、パーティーのメインであるフリオでなければ各種申請が出来なかったという事情があるにせよ、奇跡的なことであった。
(そもそも、交渉クエストとかフリオ向きじゃないのよね。なんで受けちゃったんだろ)
まだこの時は何も知らないリタはそんなこと考えていた。
「あ、見つけましたよフリオさん!」
とそこに、通りの向こうから大きな声で名を呼ばれる。
裏通りとはいうが、大通りに対比してそう言われているだけであり、この街の裏通りは小さな町の大通りほどもある。当然行き交う人も多く、そんな中で大声を出されては人々の耳目を集めてしまう。
「……」
「ごちそうさま」
面倒事は困るよという無言の視線を向ける露店主に、コップを返しながらフリオは声の主の方へと歩き出した。
「どうしたんだテディ」
「こんにちはテディ。久しぶりね」
呼びかけてきたのは、このタンゲランから南西に行ったところにあるバンドンに住む学者のテディであった。
以前に学者の協力が必要だったクエストを受けた際、協力してもらった関係である。
バンドンの街が馬車に乗れば1日で着く隣町といってもいい土地関係で、時々こうしてタンゲランに来ては顔を合わせることがあった。
「お2人とも聞きましたよ!」
話しかける2人に、テディはその碧眼をキラキラと輝かせ興奮気味に言った。
「日本に行かれるんでしょう。私もお供します!」
『いや、おかしいからそれ』
いきなりそんな事を言い出すテディに、2人のツッコミが重なる。
「いきなり「お供します」ってなに? 普通まずはお願いからだよね? 話の切り出し方変でしょう」
「そもそも、どこで知ったんですか。秘密にしている訳じゃないですけど、バンドンまで話が伝わるはずもないでしょうし」
「いやー私も学者の端くれとして、あの国のことは気になっているんですよ。何しろ10年前に表れて以来、殆ど交流がありませんからね。交易は行われていて、色々な品や技術は入ってきていますが。ほら、私がしているこのメガネも日本の物でしてね。素晴らしいですよ、このレンズは単なるガラスじゃないんです! しかし、手に入れた時はよく見えたのですが、最近どうも見にくくなっているみたいで。この機会に是非新しい物を手に入れたいですね。もともとタンゲランに来ていたのも、日本からの出ものはないかと物色にきていたんですが、そしたらフリオさんが日本に行かれるとお聞きしまして。これはぜひともご一緒させてもらおうと――」
一方的なテディの話だったが、知りたいことは幸いに分かった。
フリオとリタは顔を合わせると無言でうなずきあう。
「テディごめんなさい。今忙しいから」
「今回の件はクエストの一環なんで連れていけないんだ。帰ったら土産話はしてやるから。それじゃな!」
三十六計逃げるにしかず――語り始めたテディには、何を言っても無駄だと分かっている2人は逃げを選択した。
裏通りに自分を残し猛スピードで去る2人の背を見つめ、テディはポツリと呟いた。
「なるほど。クエストですか」
「で、この有様か」
冒険者ギルド会館裏の酒場には、フリオ・リタ・ヴォルフと受付のオヤジが連れてきたフェルナンドとテディがそろっていた。
「プレベスの学会からの正式な依頼でな。日本の大学へ学会からの親書を届けてほしいとさ」
「で、その親書をこの学者さんが直接持っていくってのが条件な訳だ」
「テディ……あなた行動が速すぎるわよ」
先日、フリオたちに同行を断られたテディは、なんと自らの所属する学会を巻き込んで自分が日本へと同行するクエストを用意してしまったのだ。
大学のあるブレベスの町はここから南になり、バンドンよりもさらに遠い。この数日の間に、早馬を飛ばせば往復できないことはないが、説得の時間も考えるとあの後すぐに行動を開始したのだろう。
驚くべき行動力だった。
「ははは……すいません。どうしても日本に行きたくって」
「はぁ……ギルドはそれでいいんですか?」
「ギルドとしてもな、この機会に日本に関わるクエストをやってもらいたかった所だ。1つ増えたところで問題はない」
「それで、そちらのコルテスさんというのが……」
「ああ、そうだ。先ほど紹介したとおり、この人はブリタールの町の神官だ。今回は、この人を日本の神殿まで連れていくことが依頼だ」
その説明に、フェルナンドは紹介されたときのように頭を下げる。
「初めての国ということで、何かと大変だとは思うがわしも渡航の機会を逃したくなくてのう。なに、迷惑はかけぬようにするつもりじゃ。よろしく頼む」
還暦を超えてなお謙虚さを忘れぬその態度は初対面にして十分相手に好感を与えるものであった。
「いえ、神官の方が同行してくださるのは俺たちとしても助かります」
「うむ。何かあれば任せてくれ。無論、何もないのが一番ではあるがな」
「じゃあ、話はまとまったな。2人については、既に入国の手続きに入っている。そう何日もかかりゃしないだろう。クエストの同行者なので、向こうでは冒険者と同じ扱いになるだろうから、ま、仲良くやってくれ」
「わしは目的さえ果たせればそれでよいからの。お前さん方の邪魔にならんようにするつもりだ」
「あ、私も大人しくしていますから安心してください」
「ふははははっ! 見たまえルーマン君! 人がゴミのようではないか!」
「ええ、ええ!」
「うーむ、人の手によってこの様な建造物が作り出せるとは。これだけの大きさになれば自重も相当な物のはずだ。街で見たビルとやらは、あの高さであの幅なら頑丈なことは分かる。だがこの高さでこの細さだぞ。それに、ここまで来ると風の力を相当受けようて」
「単に建築技術が優れているだけではなりませんねぇ。この塔に限らずですが、様々な技術の結晶がこれらにいかされています。いや、来て良かったー!」
「そうじゃのう。わはははははは!!!」
「何が邪魔にならないようにしますだ」
福岡タワー展望室。
ハイテンションで騒ぐフェルナンドとテディに、フリオは届かないツッコミを投げかける。
まあ邪魔をしている訳ではないが、こちらの目的など知らんとばかりのはしゃぎように一言言いたくなるのも無理はない。
とはいえだ、
「すごい! 見てフリオ! あんなに向こうまで街が続いてるわよ!」
同行人がこの有様では大きな声では言えないことであるのだが。
しかし、高さ123mから街を俯瞰するなど、ごく少数の手段を除けばまずありえない体験だ。興奮するのも仕方ないといえる。
山に登ればこの程度の高さは珍しくないとはいえ、それではこの街を上から見下ろすという醍醐味は味わえない。
その証拠に、高山登山の経験のあるヴォルフや、普段冷静なラトゥまでも物珍しげに窓からの景色を楽しんでいた。
(そりゃ、できるなら俺も心置きなく楽しみたいよ……)
ホテルを出た一行は、昨日フリオが見た緑の橋――都市高速道路を通り、フリオたちの言うところのクリスタルタワーへと向かった。
転移前は多くの自動車が利用していたこの道路も、転移から10年たった今ではまばらに自動車が通る寂しいものとなっていた。しかも、そのほとんどは輸送用のトラックである。
そんな道路を、2台のバンは通常よりもずっと速度を落とし、高所から見える風景を乗客へと見せつつ、所々車を止め建物の説明をしながら進んでいった。
途中博多湾にかかる荒津大橋では、特別に車を停め下車までさせるという有様だった。
そのせいもあり、クリスタルタワーこと福岡タワーへ到着するまでには1時間近くかかってしまっていた。
フリオの知らぬことではあるが、フリオたちの泊まったホテルからタワーまで、本来なら20分程度でつくところを、3倍も時間をかけているのである。
その後も、タワー展望室に案内するまでにタワーの説明や、途中テディやフェルナンドの疑問にも1つ1つ丁寧に答えながらであった為さらに時間がかかってしまった。
(交渉どころじゃないな……無駄に時間がとられていく)
相手は好意で案内して回っているのだろうからフリオにとって心苦しいことではあるが、フリオの方も切実だ。
午後にでも一言言わなければいけないなと考えながら、ここからの景色を説明する田染の言葉に耳を傾けた。
「東の方にドーム状の屋根の建物があるかと思います。あちらずっと行った先が、皆さんが泊まったホテルの方向です。あの辺りは商業区域というべき場所です。そこから少し右手手前に緑が見えると思いますが、あそこがこの街で最大の公園になりまして現在はあの周辺に国の機関が集中しています」
「へ~規模は大きいけど、区域ごとに特色が分かれているのは私たちの町と同じですね」
「もちろん、綺麗に分かれている訳ではありませんがね。例えば、ここタワーの近くには大型の商業施設がありますし、政府機関の一部はこの近くにもあります」
「ふむ……しかし、街の中心部に比べて、この辺りはいささか建物の密度が低いのう」
「実はこのタワーの左右の川に挟まれた辺りは埋め立て地なのですよ」
「なんと!? ここが埋め立て地ですと」
「埋め立て地というと、もっとジメジメした水はけの悪い印象を持っていましたが」
「その通りですよ。実際20年ほど前に地震があった際に、液状化現象がおきまして……転移後小さな規模ですが何度か地震がありましたから、そのせいかいまいち人気が――」
「ふむ。ラグーザ大陸東岸は西に比べ元々地震の多い地域じゃが、ここもそれに連なっておるのかもそれんの」
田染たちの話を聞きながら自分も外の景色を眺める。
確かに余計なことを考えていなければ心揺さぶられる景色ではあった。
フリオにある街の概念とは違うどこまでも続く街並み。それは遠く山のふもとまで、いや一部では山の中にまで続いている。
そして無数に立つ建物は、どれもが実家や冒険者ギルドなどと比較にならない大きさのものばかり。道も大通りと呼べそうなものがいくつも走っており、そのどれもが綺麗に舗装されている。
いったいどれだけの費用と手間がかかっているのだろうと考え、改めてこの国の強大さに思い至る。
10年前のあの出来事を知る者ならば誰もが抱いているであろうこの国への印象は、先に兄の言葉により多少印象が変わりはしたが、根本的なところではやはり間違っていなかったとフリオは確信した。
そんな国を相手に、これから交渉をしていかなければならない。はたして、無事に事を終えることができるだろうか。そんな想いを胸に抱いたフリオの耳に、田染の言葉が届く。
「それではこれから、階段を使って1階まで下りてみましょうか」
「……はぁ!?」
今回で日本渡航前の話は終了です。
フリオの回想という形式のキャラ紹介と必要な世界観紹介でした。
次回からは日本での話をどんどん進めていきます。
後は、黒須の過去話が増えていくかと。
この日本がどういう状況下というのはそちらで書いていきます。