かくれんぼ
「どうかそのときは、お前はここで隠れていてくれ」
かくれんぼ日和だと、青年は言った。
──────これは、とある公園のお話。
「今日はかくれんぼ日和だね」
そう、僕らの方を見て、微笑みながら青年は言った。
九月下旬。彩がうまれる季節のこんなある日。遊びが終わるころに、突然青年はやってきた。何億人目かになる来客だった。まだ中学生くらい……いや、見る人が見れば小学生に見えるのだろうほどに、まだ幼いように見える青年は、落葉の絨毯の音を楽しむように鼻歌を歌いながら、くるくると回っていた。その姿にどこか既視感を覚えた。嗚呼、そうだ。習いたてのバレリーナの子だ。将来なるのだと、笑っていた、あの小さな子。だがしかし、今日の来客はあまり小さいとはいえない青年だ。烏のように黒く美しく短い髪がふわふわと揺れ、白いパーカーのドローストリングがそれにつられるように動いている。別れを知らせる鳥も鳴きだし、葉が風に乗って小旅に出る。そんな、夕暮れのひと時のこと。
くるくるふんふん、青年は踊り歌い、カサカサ、サワサワ、自然も思わず話し出す。カーカーキーキー、鳥も鳴きだし、やがては小さな交響曲となっていた。指揮者は青年、主旋律も青年、演者は青年と葉、伴奏は落葉、裏音に風の音、アクセントに鳥の音、観客は勿論僕。小さくて小汚いこの公園で、美しい交響曲が人知れず響いていた。
少しずつ雲が流れゆき、やがてそれは束となる。黒とはいかず、白とはいかぬふわふわとした雲が、この交響曲を耳にしたいと渋滞を起こす。沈みゆくあの太陽も、覗かせるあの月さえも、交響曲を聴きたがっているようだった。魅力という魅力はないけれど、知る人ぞ知る美しさ。それに心を奪われたのは、どうやら僕だけではなかったらしい。
間も間も青年は踊っている。誰もいない公園で、静かにステップを踏んでいる。微笑を浮かべ、空を飛んでゆく鳥のように、あるいは、自由を手にした子犬のように。
──────ダンスホールは突然始まり突然終わる。
青年が来て、どれほどの時間が経っただろうか。突如、青年はこてっと転び、ぱたっと倒れた。落葉の絨毯がそれを受け止め、風はいつの間にか止んでいて、しかし青年を癒すように、葉が一枚ひらりと青年の頭に乗っかった。ここからは青年の表情は見えないけれど、きっと穏やかな顔をしているだろう。
夕焼けに染まったふわふわ雲は、さて用は済んだというように散ってゆく。太陽はいよいよ沈み、月はつまらなそうに昇りかけている。星が次々と顔を出し、街灯が青年を照らす。見上げてみれば、もう淡い瑠璃色の空。鳥もとっくに巣に帰り、子供と共に過ごしているのだろう。僕はというと、夜の冷え込みにぶるりと体を震わせて、それでもただ、青年の挙動を見つめていた。
───その時。
「コウさん」
ぴくり、青年の体が震えた。
一人の男……なのだろうか。クリーム色の髪の毛に、青を基調とした学生服を着ている人物。その肌は陶器のように白く、まるで人間ではないかのようだ。いや、実際人間ではないのかもしれない。────なぜなら本来目があるはずのところが、黒いアイマスクによって覆われているからだ。しかし不思議なことに、アイマスクには動く線がある。それもただの一本線ではない。漢字の一の下に縦の棒線を引いた、青い線。いわゆる、ジト目と呼ばれるものだろう。時折人間のようにまばたきしては、無感情に開かれている。
「アロ」
「そろそろ帰りましょう。遅くなってしまいます」
“アロ”と呼ばれたその人物は、寝転がったままの青年を見下ろすように見ている。僕には見つめることしかできないのがどうにも悔しい。見下ろさないでと、叫びだしたかった。
しかし青年は見下ろされることには気にしていないように、ゴロゴロゴロゴロと転がって、四肢を投げ出していた。純白のパーカーが土埃に染まっているのが視界に映った。
「まだ、もう少し……」
「いいえ、もう帰らないとアマネさんに怒られてしまいます」
“アロ”の言葉に、青年は少しの間唸ったあと、ゆっくりと上半身を動かした。頭に乗っかっていた一枚の紅葉が、青年の腹の上に落ちる。青年はそれをくるくると回しながら持ち上げ、街灯に透かしていた。“アロ”はというと、その様子を黙って見つめていた。僕と同じように、しかし、僕よりも無機質に。
「帰らないとか」
「そうです。だから、帰りましょう」
青年が“アロ”を見つめる。ここからでは、 “アロ”の背しか見えない。───姿勢がいいと思ったけれど、それにしても薄っぺらい背を見て、やっぱり人間ではないのかもしれないと思う。だがしかし───
──きっとこの世界の誰よりも、姿勢がいいのだろうな……。
そう感じたからこそ、そこに人間味を感じなくてまたゾッとする。
「……せっかく、家出したのに」
「たったの数時間でしょう。外出と変わりありません」
拗ねたような声を出す青年に対し、 “アロ”は淡々と返していた。カサリ、と音が鳴って、まずい、と思った。大人っぽい子のほうが多いけれど、実はまだまだ子供である、という子はたくさんいる。家出をした、ということは、ある程度まだ子供なのだろう。大人になろうとした証だ。それを否定されると、これくらいの子供は大抵、機嫌を悪くする。……と、僕は思う。
しかし、この青年は違った。
呆れたようなため息の後、青年は立ち上がった。
「……帰ってやるかあ」
ぱさぱさと、服に付いた紅葉を払う。青年が前を向いて歩きだす。交響曲を奏でているときと打って変わって、重い足取りだ 。
「はい。帰りましょう。アマネさんが待っています」
「兄ちゃんのことはいいんだよ」
「喧嘩したのでしょう」
────────カサリ
「あいつが悪い」
「テレビを観ていたコウさんにも非はあります」
「だからって……俺のギター捨てることないだろ」
────────カサカサ、カサリ
「アマネさんはテレビを観てばかりでは駄目だと、前々からおっしゃっていたでしょう」
「でもさあ」
────────ザク、カサカサ、ザクザク
「アマネさんが夕食を作って待っています」
「……何作ったの」
────────カサカサカサ、ザクリ
「 “お楽しみ”だと言って、私にも教えてくださいませんでした。生憎私にはまだ嗅覚機能がないため、判断することはできませんでした」
「……そう」
────カサカサ、カサカサ
「じゃあ、早く帰ってやらないとね」
青年らの背中が遠くなってゆく。話し声が遠くなってゆく。そうしてまた、静寂が訪れる。
月はのぼり、雲は去り、星が輝き、風が吹く。絨毯が乱れ、あちこちから葉の擦れる音がし、鈴の音が鳴り響く。それはまるで、子守歌のような、それでいてしかし、おやすみは言わせたくないような。
誰も知らない、静かな夜に響く僕らのうた。
どこか寒いような、暗くて、弱くて、静かな静かな……───そんなうた。
──もういいかい
声が聞こえた。驚いて目を開くと、突然光に襲われた。しばらく瞬きを繰り返していると、どこからか寝息が聞こえてきた。目が慣れてきたところで、パッと目を開く。するとどうだろう。ただ失われた緑が、枯れた草が果てもなく続いている大地に、僕はたたずんでいるではないか。はてここはどこだろう、と考えるうちに、どこか重みを感じて、足元を見た。
そこには、一人の少年がいた。
高校生くらいだろうか。成人はしていないような気がする。長くもなく、短くもない黒髪を雑に結い、ボロボロの服を着ている。そこまで来て気づく。……己の視線が低いことに。いつもより、少しばかりだし、心なしか程度だけれども。そういえば、ここまで枯れた大地にいたことがあったろうか。こんなに何もない場所にいた覚えはないが……いや、確かにいた。いたはずなんだ。どこだった? ここは、ここでは、誰と────……
閑話休題。
ここからでは少年のつむじしか見えない。少しべたついていそうな、不潔な髪だった。けれど、顔は美しかったような、気が、する。服はところどころが破けていて、よく見れば赤が滲んでいるところもあった。見える肌がすべて黒くて驚いた。土汚れだった。農作業でもやっていたのだろうか。それにしても、傷が多いように思うけれど……。
じっと少年を見つめていると、ふるふると緩く頭が振られたのが伝わった。目を覚ましたようだ。目を擦って伸びをする姿に、少し安心する。───寝ている姿が、死んでいるようにも見えたから。
少年がふと、こちらに視線をやった。黒い目だった。光も入っていないような瞳だったけれど、美しい瞳だと、僕は思った。口はきゅっと噤まれている。しばらく見つめあう時間があり、どうしたものかと悩み始めたころ、少年は視線を外して遠くを見た。
────かくれんぼするもの よっといで
そんなフレーズが耳を掠めた。低いともいわず、高いともいわぬ、至極中性的な声だった。美しく伸び、ゆるやかに抑揚がつけられた。これはなんだ? どこから……────そう見渡したところで、目の前の、少年から聞こえるのだと気が付いた。あの小さな口から、こんなにも深く、美しい声が出せるとは。僕は驚いて、少年を凝視した。
────もういいかい まあだだよ
少年は、誰に聞かせるわけもないように、幼い子に読み聞かせるように歌い続ける。僕はただ黙って聴くだけだ。……なんだか、心が静かに浄化されていくのを感じた。例えば神秘的な森の中にいるような、例えば海の前で佇むような、例えば、空が紅く染まる頃、公園に行って感情に浸るような……。
────もういいかい ……まあだだよ
ふと、声が小さくなっているのに気が付いて、いつの間にか瞑っていた目をこじ開けた。少年を見ると、口を噛むようにして、何かに耐えているようだった。突然どうしたのだろうと思い、さわさわと体を揺らせば、少年はふっと笑い、ただ、静かに口を開けた。
「まあだだよ、だって。私はもう、もう十分待ったというのに」
ほろりと零して、また、沈黙が続いた。しばらくして、すん、と。鼻を啜るような音を僕の耳は拾った。ぽたり、ぽたり。どこからか溢れ出てきた雫は枯れた大地を潤していく。やがて大雨に代わり、雷の音も轟くようになった。
「いつまで、待てば良いのだろう。いつまで待てば、兄さんは、もういいよと言ってくださるのだろう。……せっかくの、かくれんぼ日和だというのに」
解答のない問いが宙に浮かんで、雨に紛れるようにして消えていった。僕は何も言うことができず、ただ、さわさわと揺れるだけだった。それに少年はまたふっと笑って「慰めてくれているのか?」と、僕を上目遣いで見た。口は、先ほどとは違って、今度はゆるやかに小さく弧を描いている。
「お前のそばにいると、どこか安心するよ。……有難うな」
少年は静かに目を伏せて、僕に触れた。割れ物を扱うような手だ。今日だけで、何度彼に驚かされるのだろう。目を見開いていると、少年はまた僕に体重を預け、遠くを見た。
「お前はこの先ずっと、ここに残るだろう」
少年は語りだし、微笑んで言う。
「もし、私の命が消え、彷徨ってしまったときには、私はここにいたいから」
────だから、どうか、そのときは……
────歌がやがて微睡となり、夢となり…………そして、痛みとなった。
ドシドシ、ギシギシ……! そんな鈍い痛みが伝わってきて夢から醒めた。普段蹴られているのが可愛いくらいだ。ただ不思議と、どこか冷静な自分がいた。キーンとした耳鳴りは案外すぐ終わり、カーンカーンという音を耳が捕らえた。老いぼれの耳も、少しは機能するらしい。
ゆるゆると目を開けると、僕よりも断然若いしわだらけの青年が、僕の体を切りつけていた。あれは……斧? 青年は何度も何度も何度もその刃を振るい、僕を、僕の、息の根を止めようと懸命になっていた。
────嗚呼、潮時か。
古くからここに居座る僕を、少しもしない間に撤去するということは、風の噂で知っていた。……し、自分でもどことなく察していた。僕は、ここに居座りすぎた──生きすぎて、しまったのだ。僕の体の中は空っぽだし、もう、虫やら何やらに食われて、元々後先少ない命だった。だから、それなりに、覚悟もしていた。
もう、青年が何を話しているかもわからない。老いぼれの耳はやはり機能しないようだ。水の中にいるように、くぐもって聞こえる。まあ、水の中に入ったことはないのだけれど。
キリキリと痛むこの体は、徐々に感覚がなくなっていく。
嗚呼、ここまで短かった。長いようで、短い、己の生涯。たった、たった、──たった数百年、ここに居座れたことが幸せだった。移り行く世界と人々の間で、学ばせられたことは星の数ほどあった。──楽しかった。嗚呼そうだ、楽しかったんだ。僕のありもしない口から言葉が発せられることはなかったけれど、楽しかったんだ。
後悔なんてない。……ない、はずなんだ。
────嗚呼、でも。ただ、ただ一つ、心残りといえば。
『もし、私の命が消え、彷徨ってしまったときは、私はここにいたいから』
あの子の笑顔を、また、見たかったものだ。もう、あれから何年も経ってしまった。とっくの昔に彼の命は消えているだろう。けれど、あの、あの歌声を、もう一度、聴きたかったものだ。
嗚呼、昼間の彼には会えぬのだろうか。野次でも何でもいいから、僕の最期を、見届けてほしかった。あの交響曲は、数年ぶりに僕の心を動かした、ただ一つ、唯一の歌なのだから。最期に、あの歌を聴きたかった。
────もっと、欲を言うならば、彼らのような人間になりたい。
────もう一度、彼らの優しい、……優しい、歌を、笑顔を……
そんな願いも空しく、僕は数百年の命に幕を下ろした。
────これは、とある公園の木の話。
支離滅裂な文だったと思いますが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
良ければ感想お待ちしております。ご指摘等ございましたら、こっそり教えてくださると大変助かります。
処女作なのでとてもとても暖かい目で見てくださると嬉しいです。
どうか暖かいコメントをお願いします…!
改めて、ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。




