<10・消失。>
それは、実に奇妙な光景だった。
一階、二階、三階、四階。
靴箱、廊下、階段、教室、図書室、職員室、用務員室、校長室、理科室、音楽室、美術室、備品倉庫、体育館――。
あらゆる場所を、みんなで連れだって見て歩いた。それなのに、本当に人っ子一人見当たらないのである。
自分達、二年二組の、今日登校してきた生徒たち。それと山吹先生以外、誰一人としていないのだ。
「おかしいやろ、こんなの……!」
沙穂が思わずと言った様子で声を上げていた。
「だ、だって。うち見たで?自分達の教室に来る時……一階通って、一年生のクラスの教室もちらっと見たんや。廊下は静かだったけど、教室にはまだ人いたし。トイレから出てきた女の子もおったで」
「お、俺も俺も!」
はい!と瞬が手を挙げる。
「来る前に、三年生の先輩のとこ行ったんだけど……先輩は来れてなかったんだけど、教室には他の先輩が数人いたし。みんな登校してきてないなんてことなかったぜ!?」
「マジか」
「あたしも人見た。廊下ですれ違った子いたぞ」
「わ、わ、私も……」
エリカが、湯子がそれぞれ告げる。その向こうで、三つ子の兄弟がうんうんと頷きあっていた。
「先生」
亞音が苦い顔で告げる。
「先生確か言ってましたよね?校長先生が休校にすることに決めたって。ってことは、校長先生はいらっしゃっていたんですよね?」
「え、ええ」
山吹先生が頷いた。
「他にも数人先生が来ていたし……というか、用務員さんはうち、泊まり込みのはずです。この雪で、どこかに出かけたとは思えない。何故いらっしゃらないのかしら……」
「職員用トイレにも、誰もいませんでしたしね。これ、どういうことなんでしょう」
どんどん、空気が重たく、冷たくなっていくのを感じる。自分達が話している一階の廊下には暖房がきいていないからというのもあるが、それだけではあるまい。
何か、とてつもなく恐ろしいことが起きている。此処にいる全員がそれを感じ取っているのだ。いや。
「だから言ってるのに」
ただ一人。
灰田美冬だけが、にやにやと笑ってはいたが。
「これは、ニコさんが始めたゲームなのよ?ゲーム盤の邪魔になる人間は排除するに決まってるじゃないの」
「ゲーム盤、だって?」
「ええそうよ」
ゆいなの言葉に、頷く美冬。
「由緒正しき、人あらざる者とニンゲンのゲーム。ニコさんがゲームといったからには、あの時にはもう知らないうちにわたし達はゲーム盤に並べられた駒になっていたということ。でも駒を並べるにはチェスボードが必要だわ。だから用意した。この学校を、チェスボードに見立てたのよ。チェスをする時、まず最初に盤面を綺麗にするでしょう?そして、使う駒だけを並べるはず。チェスボードに、リバーシの石や碁石が並んでいたら困るでしょ?そういうものはすべて片付けるの、ゲームが違うから」
よくわからないが、それはつまり。
「……他の先生たちとか、他の生徒は、ゲームに邪魔だからどこかに避けられちゃったってこと?」
「あるいは、わたし達の方が学校そっくりの異空間に閉じ込められてるのかもね。他の生徒を全部神隠しするより、そちらの方が簡単かもしれないわ。どっちみち、わたし達の方をこの学校に閉じ込めておかないとゲームが成立しないでしょうし」
「!」
その言葉を聴いて、慌てたように京が廊下の窓にとびついた。末弟の行動を見て、英と貞もそれに従う。
「あ、開かない!」
こんこんと雪が降る外。冷え切った窓枠をぐいぐいと引っ張る京。ゆいなは気づいた。彼等が引っ張る窓の鍵が開いていることに。
そう。
鍵がかかっていないのに、窓が開かないのだ。
「嘘……!」
慌ててゆいなも駆け寄った。別の個所の窓を、鍵を開けた上で引っ張る。右、左、一応上や下にも引いてみた。ついでに、窓ガラスに拳も叩きつけてみる。しかし。
びくともしない。
自慢じゃないが、自分は結構な怪力だ。他のちょっとした硝子なら素手で叩き割れる自信がある。そもそもそれ以前に、普通の窓なら多少鍵がかかっていても強引にこじ開けることができただろう。――それがまったく、ぴくりとも動かないのだ。
鍵がしまっている、というかんじではない。
接着剤で窓がくっついているというのでもない。
そうまるで、この空間にぴったりと窓を貼り付けてあるような。向こうに見える雪景色も何もかもが張りぼてで、この向こうにはただ虚無が広がっているようにと思わせるような、違和感。
「くそっ……!」
「あ、ちょい待って、亞音!」
亞音が廊下を走っていく。靴箱に向かっているのだと気づいて、慌てて沙穂が声をかけた。彼女とともに、ゆいなも亞音の傍へ走る。この状況、一人になるのは危険だと判断したためだ。
亞音は靴をさっさと履き替えると、玄関の扉に飛びついた。こんこんと降る雪が、扉のすぐ傍まで積もっている。硝子は冷え切っていた。生徒の登校時間、玄関がしまっているはずがない。
それでもやっぱり、亞音は扉を開けられないようだった。手の先が真っ白になるほど力をこめているのにだ。
「ほ、本当に閉じ込められてるの!?うそでしょ……!?」
「こんにゃろっ!!」
ゆいなと沙穂も同じく引っ張ったり押したりを繰り返すが、やっぱり無駄だった。冗談きつい、と言わざるをえない。
自分達は、この学校に閉じ込められている。
先生一人と、生徒十一人。このメンバーだけで。
「どうしよう……」
靴箱に走ってきた少年少女達の中で、やはり湯子が一番限界が近いようだった。再び嗚咽を漏らし始める彼女の背を、エリカが支える。
「どうしよう……どうしよう、どうしよう、どうしよう!私死にたくない、死にたくないよう……!なんで、なんで?ニコさんなんか知らない、知らないのに!」
「お、落ち着けって、湯子。な?」
呼びかけるエリカの顔も青い。
「せ、先生……」
助けを求めるように、ゆいなはこの場にいる唯一の大人へ声をかけた。山吹先生は、それでも自分がしゃんとしなければと思っているらしく、顔色が悪いながらも皆に指示を出したのだった。
「……とりあえず、教室に戻りましょう。此処は寒いですから」
***
教室ならば、暖房がきいている。会議をするにせよなんにせよ、廊下で立ち話をするより遥かにマシなのは間違いなかった。
いくら屋内とはいえ、学校の廊下は寒い。構造上の意味でもだ。あまり体が丈夫ではない人もいるし、暖房がきくあったかいところにいた方が健康面でも良いのは間違いないだろう。
唯一不安なのは、あの黒板の文字だ。
『だからこれは、ゲーム。
わたしはお前たちの中にいる。
わたしを見つけて止めれば、お前たちの勝ち。
じゃあ、ゲームスタート』
みんな、心のどこかで思っている。
あのチョークの文字を書いたニコさんとやら。目に見えないその存在は、今もまだあの教室にいるのではないかと。
あの部屋にいれば、その祟りに見舞われてみんな死ぬことになるのではないか、と。
もちろんだからといって、教室以外の場所が安全だなんて誰にも言えるはずがないのだが。
「え」
教室に戻ってきた自分達は、黒板を見て固まることになった。
さっきまで、ニコさんが黒板に書いた文字が全て消えている。黒板消しの位置が動いていることからして、ニコさんがわざわざ消していったということだろう。
代わりに黒板にでかでかと書かれている文字は、これだ。
『とりあえず、一人目。』
ひとりめ。
その意味を咀嚼するまで、しばし時間がかかった。
「……おい!」
亞音が鋭い声を上げた。
「全員いるか!?確認しろ!!」
「!!」
まさか、とゆいなは周囲を見回す。
今叫んだ亞音。その隣で驚愕の表情を浮かべている沙穂。相変らずにやにや嗤いを止めない美冬と、おろおろしている英、貞、京の三兄弟。完全に固まってしまっている瞬と、それから泣き声が大きくなっていく湯子、慰めているエリカ。紙のように白い顔をした、山吹先生。
――足りない。
ゆいなを合わせても、十一人しかいない。自分達は、先生を入れて十二人いたはずなのに。
いないのは。
いつの間にか、いなくなっているのは。
「ねえ」
泣きながら、湯子が告げた。
「真梨衣、ちゃん、は……?」
まさか。
そう思った瞬間、ゆいなは走り出していた。そうだ、いつから彼女はいない?少なくとも職員室に行く前までは彼女も一緒だったはずだ。こんな非常時なのに、ホームルームの時間にも気にせずポッキーを食べていて呑気だなと思った記憶があるのである。
実際、彼女の机の上には、ポッキーの空箱が置かれたまま。間違いなく、彼女はそこにいたはずだ。
――いつからいない?くそっ……集団で移動したせいで、一人欠けても気づかなかったなんて、ほんと馬鹿だった!!
「真梨衣ちゃん、真梨衣ちゃん!どこ、どこにいるの!?」
叫びながら、唯奈は走り回る。こんな時、無駄に広い校舎がうらめしい。大昔にまだ子供の数が多かったころのまま、広い校舎を使っているのがアダとなった。使っていない教室も多いから、探すだけでも一苦労だ。二階にはいない。ならばとりあえず一階を探すべきかと思ったその矢先だ。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
鋭い悲鳴が、響き渡った。
何事かと思えば、西階段の前で湯子とエリカが茫然と座り込んでいるではないか。
まさか、とゆいなは彼女たちに駆け寄る。どうか嫌な予感よ、外れてくれと思いながら。だってそうだろう。
――そりゃ、ホームルームの時間にお菓子食べてるような子だけど!呑気だし、マイペースだけど!でも、でも……人に危害を加えたりとか、傷つけたりとか、そういうことするような子じゃない。悪い子なんかじゃないのに!!
否、真梨衣だけではない。
このクラスに、そりゃあ合わない子はいるけれど――それでも、理不尽な目に遭っていいような子など一人もいなかったはずだ。自分が知る限りいじめだってなかった。不良なんてカテゴリの子もいなかった。喧嘩もたまにはあったけれど、断じて警察や救急車のお世話になるような事態に発展したことはなかったはずだ。
こんなところで、壊れていいはずがない。
自分達の学校が、クラスが、世界が、こんな形で――!
「ま、真梨衣ちゃん!」
そして、唯奈は見つけてしまうのである。
階段の下、血を吐いて倒れている――真梨衣の姿を。




