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第八話 私ではない私

 瞼の裏に光を感じる。

 鳥の囀りが微かに鼓膜を振るわせ、徐々に意識が浮上していく。

 もう、朝か。

 ヨゼフィーネが支度に来る頃かしら。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、ゆっくりと瞼を開けた。


「あれ……?」


 私のベッドじゃない。

 私の部屋は全てが白いのに、いま私の目には、茶色い木目の天井が映っている。

 オークだろうか。それにしても妙に天井が高い。

 そんなどうでもいいことを考えていると、急に足元の方から、がちゃり、と音がした。

 扉が開いた音だろう。

 音のした方を確かめようと体を起こそうとしたものの、何故か体が酷く重たく、思うように持ち上がらない。


「うっ……」


 思わず声がもれる。

 まるで数か月ぶりに起き上がったかのように、体が悲鳴を上げる。

 声も掠れているような気がする。

 私……私は……何か大事なことがあったような……。

 ぼんやりと霞む頭を必死に稼働させていると、ふっと全てがクリアになる。


「アルノー様……!」

「きゃあーーー!!!」


 私の口から言葉が出るのと同時に、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。


「奥様‼︎ 大変ですお嬢様! お嬢様が‼︎」


 ふくよかな女性が叫びながら、部屋を飛び出していく。

 彼女はメイドのお仕着せのような服を着ていた、ように思えた。

 ぽつんと部屋に一人取り残され、部屋を見回す。

 王宮と比べると、随分と質素な造りの部屋だ。寝室ともどうも様子が違う。

 私が寝ているベッドの右手に上階へと繋がる階段があり、反対側には両開きのドアがある。

 さっきのふくよかな女性が飛び出していったのは、両開きのドアの右手にあるドアだった。

 ここはまるで、絵本の挿絵で見た貴族の屋敷のエントランスホールのようだ。けれどそれにしては、広さが私の部屋の半分もありはしない。

 ならば平民の家? にしては、先ほど扉から出て行ったのはメイドのように見えたけれど……平民でも裕福な家ならメイドを雇ったりするのだろうか。

 窓や階段の手すりには、趣味の悪い黒色の布が掛けられている。

 何で私はこんなところに寝ているのだろうか。それにこのベッド、すごく狭くて固い……。

 そう思ったところで、ふと気付く。

 これはベッドではない。棺だ。

 私はどうやら、白いシルクの貼られた箱に入れられているようだ。

 胸元に視線を落とすと、どうやら私も白いシルクの服を身に付けている。

 目線が高いから、何かの台の上に置かれているのだろうことが分かる。

 そして、私の周りには隙間を埋めるようにして詰め込まれた百合の花。

 まるで今まさにこれから、私の葬儀が行われるような。


「レベッカ‼︎」


 急に大きな音を立てて扉が開かれ、ぞろぞろと人がホールの中に雪崩れ込んでくる。

 みな一様に、黒い服を身に付けているのが見える。

 先頭に立つのは、ブルネットの女性。健康的に陽に灼けているが、その美しさは少しも鳴りを潜めていない。

 お母様には劣るかもしれないけれど、それでも美しい女性だと思った。驚きに見開いている瞳は、美しい翡翠色だ。

 その後ろには、赤毛の壮年の男性。

 女性に比べて、かなり大きい。筋肉がかなり付いているのと、こめかみから顎まで繋がったひげが、まるで熊を彷彿とさせる。実際に熊を見たことはないけれど、図鑑で見た挿絵はまさに彼のようだった。

 そんな彼は驚愕に口を開いたまま固まっている。

 先頭に入ってきた女性の肩を抱いて引き寄せているから、二人は夫婦なのかもしれない。


「お姉ちゃん⁉︎ 本当に、お姉ちゃんが生き返ったの⁉︎」


 二人の隙間から割り込むように、幼い少年が顔を出す。

 五歳かそこらであろうか。髪の色は女性と同じブルネットで、瞳は男性と同じヘーゼルだ。

 きっと二人の息子なのだろう。顔立ちは可愛らしいが、どこか男性と似ている雰囲気を感じる。

 大人になれば父親のようになるのかもしれない。

 そんな風に観察をしていると、ふと、彼らの言葉が引っかかった。

 レベッカ……? お姉ちゃん……?


『君は別の新しい人間として生まれ変わるってことさ』


 アルノー様の言葉を思い出す。

 そうか。

 私は、別人として生まれ変わったのか。

 両手をじっと見つめる。肌の色が違う。以前より少し色が濃い。

 それに、異様に腕が細い。

 状況から考えて、つい最近亡くなったこの子の身体に、魂が憑依したということだろう。


「これは奇跡だ……! アルノー様! 感謝します‼︎」

「分かるレベッカ⁉︎ あなた、一月(ひとつき)前から高熱を出して寝込んだまま、昨日……。本当に何ともないの? 息は苦しくない?」


 アルノー様に祈りを捧げる男性と、心配そうに私の肩に手を置いて覗き込む女性。

 その二人を見上げながら、様子を伺っている少年。

 全く知らない人たちだ。


「あの……」


 恐る恐る棺の中で立ち上がろうとしたけれど、力が入らず倒れ込んでしまった。

 咄嗟に、男性と女性が私を支える。心から私を心配している表情だ。


「お父さまと、お母、さま……?」


 二人の様子からして、間違いないだろう。

 赤の他人ではない。きっと二人はこの身体の持ち主の両親だ。

 そうは思っても、思わず疑問形で聞いてしまった。


「お父様……? どうして急にそんな呼び方を……」

「気分が悪いの? それはそうよね、だってあなたさっきまで……。大丈夫、パパとママが付いていますからね」


 怪訝そうな顔で一瞬顔を見合わせた二人だったが、すぐに私の体調のせいだろうと心配し始めた。

 そうか。この身体の持ち主は、両親のことをパパやママと呼んでいたのか。


「お姉ちゃん! 僕も! 僕もいるからね!」


 弟だろう少年が私の手をぎゅっと握り、必死に訴えかけてくる。

 それがとても可愛らしく、きっと姉弟仲がよかったのだろうことが伺えた。


「ありがッ……」


 感謝を口にしようとしたところで、激しい頭痛がした。

 同時に、また洪水のように多くの映像が頭の中に流れ込んでくる。

 これは……この身体、レベッカの記憶だ。

 有難いことに、アルノー様はパトリツィアだけでなく、レベッカの記憶も継承してくれたようだ。

 しかし一度に大量の記憶が流れ込んで、今にも頭が破裂しそうなほどに痛む。


「どうした!? 頭が痛むのか!?」

「今すぐお医者様を! 誰かお医者を!」

「お姉ちゃん! また死んじゃやだよーー!!」


 パパはおろおろしてただ横で困惑しているし、ママは大声で使用人に指示を出し、弟は大きな声で泣き出した。

 まさに大混乱。


「大丈夫……、平気だから、落ち着いて……」


 逆に気持ちが落ち着いてきて、冷静に状況を受け入れられるようになってきた。

 徐々にレベッカの記憶が頭に染み込んで、馴染んでいくような感覚を覚える。目の前の彼らに対しても、先ほどまでの初対面の人間に対する憚りのようなものが薄れていくのを感じた。

 私の表情が緩んだのを見て、やっとパパとママはほっとした顔を見せた。


「そうか……。良かった」

「ああ! こんな奇跡があるのね。良かった……良かったわ……!」


 ママが私を抱きしめ、その上から覆い被さるようにパパが私を抱き締める。

 小さな弟……ウルリヒが、その隙間からぎゅっと私の手を握る。

 レベッカも家族にとても愛されていたのだということを実感した。


 家族の手を借りて棺から出て、レベッカの自室へと移る。

 葬儀用のワンピースもそのままに、慌てて駆けつけた主治医の診察を受けることになったのだ。


「驚いた……。本当に、すっかり良くなってる」


 私のことをあれこれと触診した医師が、思わずというように呟いた。 

 医師の言葉に、固唾を飲んで私を見守っていたパパとママは手を取り合って歓喜の涙を流している。

 ウルリヒは「じゃあもしかして一緒に遊べる⁉︎」と言って、椅子に腰掛ける私の足の上ににこにこと上半身を預けてきた。

 診察をしてくれた年配の医師は、本当に信じられないとばかりに目を見開き、やがて胸の前で手を握り合わせてアルノー様への祈りを捧げ始める。

 無理もない。レベッカの持病も含め、すっかり健康体になってしまったというのだから。

 レベッカの記憶によれば、彼女は幼い頃より体が弱く、ベッドから碌に下りたことがないような人生だったようだ。

 呼吸器系の慢性疾患があるようで、ちょっとしたことですぐに風邪を引き、それが重症化してしまう。

 熱を出し寝込むこともしばしばで、今回は特に症状が重かった。

 一月(ひとつき)の時間をかけてじりじりと気力と体力が失われ、三日ほど前から意識を失い、ついに昨日、心臓が止まってしまったのだ。

 その辺りのことはレベッカの記憶でも曖昧だが、医師や家族の話を聞く限りそうなのだろう。

 しかし不思議なことに、医師の言葉の通り、私の身体には何の違和感もない。

 ずっと寝たきりで体の筋力がないけれど、気持ちとしては今すぐにでもベッド下りて、屋敷やその周りを見て回りたいくらいだ。

 強いて言うなら、ひどくお腹が空いていた。


「あの……何か、食べ物をもらえない? お腹がぺこぺこで……」

「……そうだよな! ずっと食べてないものな!」

「今すぐ用意させるから待っててね!」


 私の言葉にまるで感極まったようなパパとママが、急いで部屋から駆け出していく。

 医師も「まずはスープなど消化のいいものから!」と言いながらそれを追いかけていった。

 残されたウルリヒはきょろきょろとそれを見回して、改めて私の顔を見つめた。


「お姉ちゃんがお腹が減ったなんて言うの、初めて聞いた!」

「そう……だったかしら」

「そうだよ! いっつも『何も食べたくない』って言ってさ、その度にパパとママが悲しそうな顔するんだ。だからもっと言った方がいいよ!」


 そうか。確かにレベッカの記憶では、いつも食事の度にうんざりしていたような気がする。

 きっと体調が悪かったせいだろう。

 不思議なもので、レベッカの記憶は全てあるものの、その時の感覚までは共有されていないのだ。

 だから、レベッカがどれほど辛かったのか、私には分からない。

 けれどこの痩せ細った腕を見れば、相当に苦しんだのだろう。

 (パトリツィア)の死は特殊だったから、死の苦しみが分からない。

 それが良いことなのか悪いことなのか、判断が付かなかった。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、パパがスープと大量のパンや焼き菓子を持ったトレイを持って慌ただしく部屋に戻ってきた。

 ママはその横で山ほどのフルーツの入ったバスケットを下げている。


「だから! 急にそんなには食べれんでしょう! まずはスープとパンをほんの少しになさい! フルーツは林檎をほんの一口ですよ!」


 まったく言っても聞かんのだから! と文句を言いながら後から部屋に入ってきた医師は、それでも視線が優しい。

 きっと、レベッカの心配をする両親のことを嫌というほどに見てきたのだろう。

 しかも昨日は、その最愛の娘を一度見送ったのだ。極端な反応も仕方ないと思っているに違いない。


「ありがとうパパ、ママ。先生の言うように、スープとパンを少しもらうわ。ママ、林檎も一口食べたい」

「もちろんだとも‼︎ さあさあ、ちょうどいい温度になっているからな」

「ベラ! 林檎を剥いて! レベッカが食べたいって言ったのよ‼︎」


 大きな体を丸めてそっとテーブルにトレイを下ろすパパに、再び部屋を出ていったママ。

 ベラというのは先ほど見たふくよかなメイドの名前だ。

 ただ食事をするだけなのに、飛んだ大騒ぎ。けれど、それが微笑ましかった。

 パパの用意してくれたスープを一口スプーンで掬って飲むと、私は思わずほっと息を吐き出した。


「美味しい」


 パトリツィアの時に飲んでいたスープとはまた違う。

 なんだか素朴で、とても優しい味だった。


「そうか……! そうか……‼︎」

「レベッカ! 林檎を剥いてきたわよ!」

「ありがとう、ママ」


 林檎を一口齧り、また美味しいというと、パパとママは再び瞳を潤ませて感激している。

 なんだか、それを見るだけでお腹がいっぱいになりそうだった。

 思わず涙ぐみそうになると同時に、罪悪感が胸をちくりと刺す。

 これほどまでにレベッカが息を吹き返したことを喜んでいるのに、もうレベッカはここに居ないのだ。

 その事実を、私は見て見ぬ振りをした。

熱の原因は肺炎でした……。

体調を見つつ投稿していきます。

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