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第六話 祀の島へ

「お父様。お母様。お兄様たち。私、立派に生贄になってみせます」


 私は小さくそう呟くと、帆船から目を背け、糸杉を見上げる。

 そしてゆっくりと、島の入り口の階段を登っていった。

 階段を登り切ると同時に、ざざーと、波の音が聞こえた。

 波の音を聞くのは、生まれて初めてだ。

 レーベン王国を発ってから今の今まで、海はしんと静まり返っていた。

 これは私の心理的な錯覚なのか、それとも、アルノー様の御業(みわざ)によるものなのだろうか。

 ――ああ、私は一人だ。

 ふっとそう思った。

 無音の中にいるよりも、音の中にいた方が余計に孤独を感じるのだと、初めて知った。

 これまでの人生で、本当に一人になったことなど一度もない。家族がいない時でも、かつてはオスカーやヘレナが、昨日まではイザークやヨゼフィーネが常に傍に居た。

 家族が惜しみない愛情をくれていたからこそ、一度も感じることのなかった孤独という感情。

 それに気付いて、小さな解放感と、大きな喪失感を感じた。

 いや、私は一人じゃない。ここには、アルノー様が居る。

 足を止めて、目の前の糸杉の林を見上げた。

 海からこんなに近いというのに、あまりに背が高い。鬱蒼と広がる杉の葉が、光を遮り地面を暗くしている。

 この林に一歩足を踏み入れたら、もう出られない。そんな直感が私の胸を支配した。

 思わず足がすくむ。忘れようと見ぬふりをしていた恐怖が、大きなうねりとなって胸に広がった。

 けれど、ここで佇んでいても小舟が帰ってくるわけでもない。

 一つ、大きく息を吸い込む。意を決して私は林に足を踏み入れた。

 

 一歩林に踏み込んだ瞬間、ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。

 不思議だ。明らかに空気が先ほどまでとは違う。

 思わず止まりそうになる足を無理やり動かして、ゆっくりと林を進んでいく。

 もう昼過ぎだというのに薄暗い林の奥に、一か所だけ、光が差し込む場所があった。

 意図的にそこだけ陽が当たるように計算されているような。

 その直感はどうやら当たっているようだった。

 何故なら、光のあたる地面には、まるで磁器のように滑らかな白い石碑が横たわっていたからだ。


「これが……」


 話に聞いていたとおりの光景だ。

 地面に埋め込まれるようにして設えられたそれは、墓石をそのまま横たえた程の大きさだ。

 かつてこの島に神殿を築いてから誰も手入れをしている者はいないはずなのに、艶を保ったまま塵一つその上に落ちていない。

 石碑には、古代文字が刻まれている。

 私には読むことができないけれど、司祭たちから聞いた話では、アルノー様を讃える詩が刻まれているのだという。

 私はじっと石碑を見つめたまま、思わずごくりと喉を鳴らした。

 この一月(ひとつき)、何度も練習したことを頭で繰り返す。


(大丈夫。あんなに頑張ったもの。ちゃんとできるわ)


 自分で自分を叱咤して、ゆっくりと石碑の前に跪いた。

 そして左手を水平に差し出して、上から右に、右から下に、右手で繰り返し空を切っていく。


「我が世界の均衡を保ち、平穏と安寧を与えしアルノー神よ。我らに力を。我らに救いを。今ここに、汝の糧となりし子羊を捧げん」


 良かった。ちゃんとつかえずに言えた。

 そうほっと胸を撫でおろした、瞬間。

 石碑がほんのり光を纏ったかと思うと、すぐに眩いほどに輝きを放ち、一帯を光で白く染めた。

 あまりの眩しさに、思わず腕で顔を覆いぎゅっと目を閉じる。


「ああ、来たね。待っていたよお嬢ちゃん」


 男のような、女のような。

 まるで美しい旋律のような声が耳に届いた。

 ゆっくりと腕をどけ、恐る恐る瞼を開けると、石碑の上に、一人の男性が優雅に立っていた。


「っ!!」


 声にならない悲鳴を上げ、どすりと尻もちを突く。

 確かにさっきまでは誰もいなかったのに……今、目の前にいるこの人は……まさか。


「やあ! お察しのとおり、ぼくがアルノーだよ」


 まるで歌うような軽やかさでそう言うと、彼は私の左手を取り、甲にキスを落とした。


「ほ、本当に……?」


 信じられない。だって、今目の前にいるこの人は、ただの人間にしか見えない。

 紫がかった黒い髪は、肩で切りそろえられていて。

 皺の一つもない黒いスラックスの先は裸足だ。

 プリーツの入った白いウイングカラーのシャツに、黒い革のサスペンダーをしている。

 正装のようでいて、首元は寛げられており蝶ネクタイを結ばず掛けているだけ。

 その上に、髪色と同じてろんとしたベロアのフード付きの上着をラフに羽織り、腕をまくっている。

 まるでどこかの貴族子息がパーティーから帰り、部屋で寛いでいるような印象だ。

 垂れ目がちの金色の瞳が、私の反応を楽しむように細められている。

 ふとよく見ると、瞳孔が横に開いていることに気付く。それが唯一、彼が人ならざるものだと示していた。

 私がずっと想像していたアルノー様は、絵画で見たことのある豪華なローブを纏った老人の姿だったから、あまりにも予想外すぎて言葉が出ない。

 ともすれば軽薄そうに見えるこの人が、本当にアルノー様なのだろうか。


「軽薄そうとは、随分と失敬だな」

「⁉︎」


 声に出ていたかと、慌てて口を押える。

 しかしそんな私を面白がるように、彼はにやにやと笑いながら顔を近付けた。


「声に出さなくても、君の考えていることは全部分かってるよ。なんせ、これでも神だからね」


 その言葉に、愕然とする。

 彼には……アルノー様には、全て筒抜け。隠し事など出来ないのだ。


「申し訳ございません……!」


 まさかアルノー様にこんな不敬なことを思ってしまうなど、私は王女失格だ。

 もしもアルノー様がご機嫌を損ねて、約束を反故にしてしまったらどうしよう。


「たかがそんなことで約束を違えたりはしないよ。……正確には、できないと言った方がいいけれどね。ぼくと君たちとの決まりごとは、契約だから」


 契約。

 神という神秘的な存在に不釣り合いな固い言葉に違和感を覚えるも、私はほっと胸を撫で下ろした。

 ふうと息を吐き出してから、気を取り直して地面に臥す。

 小さな石が脛に刺さり、一瞬ちくりとした痛みが走る。けれどそんなことは、今はどうでもいい。

 ……アルノー様に、私の覚悟を分かっていただかなければ。


「誠に申し訳ございませんでした。寛大なお心に、感謝申し上げます。それでは……私の命で、レーベン王国の平和を守っていただけますか」

「まあまあ待ちなよ。お楽しみは最後に取っておこう。もう少しゆっくり話そうじゃないか」


 そう言い終わるや否や、アルノー様は右手の指をぱちんと鳴らした。

 次の瞬間、糸杉の林は一瞬にして消え去り、深い漆黒の闇と、白い石碑だけが残された。


「え!?」

「先ほどの場所は、まあぼくの神殿の入り口というとこかな。ここが本来のぼくの居場所。何もなくてつまらないだろう? そう、ぼくは退屈しているんだ。何せここには何もないからね。君たちのことも、祈りを通じないと何も見えないし。だからね、君みたいな子をもらうことにしてるんだ」

「私みたいな……えっ! これまでにも私のように捧げられた者がいたのです⁉︎」

「おやおや知らなかったのかい? ……ほう、なるほどこれは」


 私の頭の中でも覗いたのか、じっと私を見つめた後、アルノー様は途端に声を立てて笑い始めた。


「あ、アルノー様……?」

「ははは! これは傑作! 君最高だね! こんなに面白い子は最初の子以来初めてだよ!」

「えっ……面白い、ですか……?」

「うん! ほんっとうに面白い!」


 アルノー様は何も説明する気はないのか、ただ一人腹を抱えて笑っている。

 私はただ、呆然とそれを眺めているしかない。

 それにしても、私以外にもこれまでアルノー様に身を捧げた者がいるというのはどういことだろう。

 王家の記録にないということは、もしかすると王族ではないのかもしれない。

 確かに、それなら私が知らないのも頷ける。けれど、それなら何故お父様や司祭たちは何も言わなかったのだろう。

 もしかして、彼らも知らなかった……? そんなことがあり得るのだろうか。

 ふと気付くと、笑うのをやめたアルノー様が、私をニヤニヤと見つめていた。

 いつの間にか思考に耽っていたようで、内心慌てる。

 きっとこの焦りもアルノー様には筒抜けなのだと思うと、今すぐ穴があったら入りたいような気分になった。


「ぼくは贄の子たち介して俗世を垣間見て、この退屈を凌いでるんだけどね。大体贄に出される子ってさ、虐げられてる子ばっかりなんだよ。虐待されてたり、そこまでじゃなくても愛されてない子ばっかりでさ。ただ悲惨なだけの人生っていうのは、刺激的なようでいてそればかり続くと退屈なんだ。だから、君みたいな子を待っていたのさ!」


 つまり……それだけ私は皆から愛されていたということだ。

 そう思うと、いかに私が恵まれていたのかと、そう実感して胸が熱くなる。

 アルノー様にも気に入っていただけたようだし、きっと、家族たちに恩返しができる。 


「ああ、でも面白いのは、まさに今これからさ」

「今これから……? それは、どういう……」

「今日は気分がいいから、君にも見せてあげる」


 そう言うやいなや、アルノー様は左手を私の頭にかざした。

 私は何故だか、ひどく嫌な予感がした。

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