第四話 見つけられない場所
あれは私がまだ八歳の頃。
私のお気に入りの遊び場、王宮の中庭で、かくれんぼをしていた時だ。
オスカーが鬼になって私を探しているのを、背の高いパンパスグラスの隙間から、笑いを噛み殺して眺めていた。
『パトリツィアさまー! どこですかー?』
『くすくすくす』
両手で押さえた口から、思わず笑い声が漏れる。
オスカーが必死に私を探しているのを見ると、嬉しくてつい笑ってしまう。
『見つけました! パトリツィア様』
『もう! 私を嵌めたわね!』
『そんなことはありません。ただ、パトリツィア様は隠し事が苦手でいらっしゃる』
『やっぱりそうなんじゃない!』
頬をぷくりと膨らませながら、腰に手を当てて怒る。
そんな私を優しげな青い瞳で見つめて、オスカーは笑った。
『諦めてください。どこに居ても、私はパトリツィア様を見つけられますから』
そう口にするオスカーが何故だか眩しくて、急に恥ずかしくなり、ぷいと顔を背けてしまったのを今でも覚えている。
なんだか、それが愛の告白のように聞こえたのだ。
『……じゃあ、もし私がどこかに連れ去られてしまっても、絶対に見つけてくれる?』
『もちろんです。そもそもそんな事態にならないよう、しっかりお守りいたしますけどね』
オスカーは私の前に跪いて、頭を垂れ、騎士の誓いの真似事をしてみせた。
その様が、とてもかっこよくて――。
「けれど、貴方の方が先に居なくなってしまったわね」
記憶の海から意識を浮上させて、私は筆を置いた。
自室のテラスで、最近の日課になった写生に取り組んでいるところだった。
テラスから見える海の光が眩しくて、ベールを深く被り直す。
オスカーがこの国を去ってから、三年とちょっとの月日が流れ、私は十六歳になった。
ヘレナの代わりに寡黙な侍女が付き、オスカーの代わりにやけに賑やかな護衛が付いた。
二人が私の前から消えても、日常は変わらずに続いていく。
そのことに虚しさを覚えながらも、私は私の心を守るために、見てみない振りをした。
あの後、運良く病の後遺症も現れず以前と変わらない健康を手に入れた私は、絵を学び始めた。
当たり前だと思っていた健康も、親しい人も、幸せも、当然のことではないのだと目の当たりにして、何か、私が今生きている証のようなものが残したくなったのだ。
私は王女なのだから、そんなことしなくても家系図には残るし、肖像画だって何枚も描いてもらったことがある。
けれど、そういう表面上のものじゃなくて、私の魂というか、心というか……そういうものの一片を残しておきたいと、そう思ったのだ。
と言いながらも、全然上手く描けない。
今だって、このテラスから見える王都の街並みと海の景色をどうにかカンバスに収めようとしているけれど、どう見てもたくさんの白い箱が質量のありそうな青に押しつぶされているようにしか見えない。
どうやら私は絵の才能が皆無だったようだ。
結果はいまいちだけれど、それでも私は暇があれば、絵を描く毎日だった。
オスカーの思い出を頭から追い出して、もう一度筆を取る。そしてもう塗る場所がないほど塗りたくった、青い絵の具を再び筆に取った。
家族は皆、年に一度の『託宣の儀』に参加している。
話にしか聞いたことがないけれど、儀式はアルノー様の居る祀の島を望む海辺で行うのだという。
一度でいいから参加したいと思っても、結婚するまでは王宮から出られない決まりだ。仕方ない。
そう言えば、お父様はいつ私の結婚相手を探してくるのだろう。
今なら分かる。本来なら、オスカーを私の結婚相手にするつもりだったのだ。
騎士団長の息子であり、この国でも名家の一つであるシュトルツ伯爵家の嫡男。王女の下賜先としては十分だろう。
だから幼い頃から一緒に行動をさせて、私との相性を見ていたに違いない。
私自身、そうなったら良かったのにと、今でも思う。
それがオスカーがあんなことになってしまって、お父様も悩まれているのだろう。
けれど、私もあと二か月もすれば十七歳になる。
十七歳になれば、成人として扱われる。だからそろそろ相手が決まるはずだ。
正直、どんな人が来てもオスカーを忘れられるとは思えない。オスカーは私の初恋だったし、それは今でも変わらないのに。
それでも、私は誰かと結婚するだろう。それだけが、私が王宮から外に出る道なのだから。
「外に出たら、この王宮を絵に描いてみたいなあ」
「パトリツィア様が描いたら、たぶん砂の山みたくなるんじゃないっすか?」
私の独り言に応えたのは、新しい護衛のイザークだ。
明るい金髪にそばかすだらけの顔、ちゃらちゃらしていて無駄口が多く、背もあまり高くない。エルンストお兄様と同じくらいだと思う。
オスカーとは恐ろしいくらい真逆だ。
「うるさいわね。いいのよ別に。私が描きたいだけだもの」
彼との付き合いももう三年になるから、躱し方も慣れたものだ。
「全然上手くならないっすよねー」と続けるイザークを無視して、ペタペタとカンバスに絵の具を塗りながら、私は再び景色を眺めた。
王宮を頂点として、海まで続く急傾斜に王宮と同じ白壁の家々が張り付いたこの王都の景色は、この国で最も美しい景観の一つなのだという。
海を渡る温かな風と、抜けるように青いこの空は、この街にとても似合っている。
王宮から見えるこの景色も素敵だけれど、海から見上げる王宮も、きっと美しいに違いない。
そしてそれを見るのも、もうすぐだろう。
コンコンと、ドアにノックの音が響く。
みんなが『託宣の儀』から帰ってきたのかもしれない。
「パトリツィア様、陛下がお呼びだそうです」
それまでずっと、置物か何かかのようにじっと動かず入り口の前で静かにしていた侍女のヨゼフィーネが、使用人からの伝言を引き継いで伝える。
やはりみんなが儀式から帰ってきたのだ。
思わず笑顔になり、すぐに行くと答えたところで、ふと不思議に思う。
「そういえば、儀式の後すぐに私を呼ぶなんて初めてのことね」
「なんかパトリツィア様と関係のある神託でもあったんすかね?」
イザークの言葉に、確かにそうかもしれないと思う。
もしや、私の結婚相手のこととか?
そんな予感が頭をよぎって、半ば緊張しながら部屋を出た。
しかも呼ばれたのはお父様の執務室ではなく、正式行事の時にしか使わない謁見の間だった。更に緊張感が高まってくる。
ドキドキとする胸を右手で押さえながら謁見の間に入ると、玉座にお父様とお母様、クラウスお兄様が並んで座っており、横には宰相のゲオルグが立っていた。
ディーディリヒお兄様もエルンストお兄様も、壇上の下に立っている。
何故かみんな真剣な表情で、一体どうしたのかと私は困惑してきょろきょろと視線を彷徨わせた。
「パトリツィア、今日、神託の儀式でアルノー様からのお言葉を賜った。ひと月後、王家の末娘を祀の島に送るように、と」
「祀の島に……? でもあそこは聖域で、人が立ち入ることはできないのでは……?」
そう答えたところで、ハッとする。
苦しみを堪えたような表情のお父様、ハンカチを握りしめて目をぎゅっと瞑っているお母様。
目を逸らすクラウスお兄様、いつもの姿からは想像がつかないほど真剣な顔のディーディリヒお兄様、下を向き、肩を震わせているエルンストお兄様。
みんなの様子を見れば、分かる。
これはつまり……、私を生贄にせよとのことなのだ。
初代王家の始まりに犠牲となった、ツェツィリーアのように。
「そんな……」
私は思わず、その場でがくりと膝を突いた。
そんな、まさか、私が。
思わず翡翠のペンダントを握りしめる。
これまでの歴史の中で、アルノー様が生贄を欲したという話は聞いたことがない。
もちろん、私はお兄様たちのように歴史を勉強したことはないけれど、さすがに王宮で過ごしていれば耳に入るだろう。
それに絵画の間に飾られた歴代の王族の肖像画に、そんな解説を付した人は誰もいなかった。少なくとも、王族から生贄だなんて、そんな例はないはずだ。
「パトリツィア……。実は、何代か前から、王の粛清の力が弱まってきているんだ。その為だろう。この国は、今未曾有の危険に晒されている。お前には、きちんと伝えたことがなかったがな。ゲーグナーたちの活動が活発化してきていて、国のあちこちで暴動が起きているんだ。この国に和平を取り戻すためには、力を回復しなければいけない。それを私たちはずっとアルノー様に願ってきた。そして今日、神託が下ったんだよ。新たな『ツェツィーリア』を差し出すようにと」
お父様の苦しそうな顔を見れば、きっとこれ以外の選択肢はないのだと、よく分かる。
そもそもこの王家の存続は、アルノー様との契約の上で成り立っている。
仮にこちらからの願いだとしても、アルノー様から要求された時点で、私たちは跳ね除けることなどできない。もしそんなことをしてしまったら、逆にどんな罰を下されるか分からないのだ。
理解した。今の状況を、全て。
けれど、項垂れたまま動けない。信じたくない。嫌だ。死にたくない。
せっかく病から回復して、結婚して、これかれ新たな人生が始まると思ったのに。
何故私が? なんで私が犠牲にならなければいけないの?
どれくらいの時間そうしていたのか分からないほど、私は床に膝を突いたまま、目を瞑ってこれが夢であれと何度も願う。
けれど目を開ければ、無情にも、これが夢ではないことを突きつけられた。
拒否権はない。私にも、家族にも、この国にも。
不思議と涙は出なかった。皆の視線が、私に集まっているのを感じる。浅く呼吸を繰り返して、最後に一度、大きく息を吸い込む。
そして私は両脚にぐっと力を入れて、なんとか立ち上がった。
「……分かりました。この国の全ての人々のために、自らを犠牲にする勇気。その献身こそが、我がレーベン国王家の始まり。ツェツィーリアの意志。謹んで、その大役を成し遂げてみせます」
王族として生まれ、これまで多くの利益を享受してきた。この国の誰よりも大事に育てられたという自負もある。
アルノー様がそんな私をと望むのならば、それに答えるのが、王女としての責任だろう。
いくら女だからと言っても、王族の矜持を学ばなかった訳じゃない。
……何よりも、もし私が受け入れなければ、きっと家族に災いが降りかかる。
これ以上、親しい人が苦しんだり、居なくなったりすることは耐えられない。
震えそうになる足を心の中で叱咤して、私は気丈に笑顔を作った。
「パトリィツィア……!」
お母様がわっと両手で顔を覆い、嗚咽をあげる。
クラウスお兄様が肘掛けの上で両手をギュっと握りしめているのが見える。
「……我が娘よ。私はお前を、誇りに思うぞ」
お父様は、震える声でそう言った。
こうして、私は十六歳の夏。
アルノー様の元に、生贄として捧げられることが決まった。
何とか公開できて良かったです……。
でも相変わらず熱が続き、明日はどうか分かりません……。




