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第三話 すれ違う命

「ヘレナが亡くなった……?」


 その夜、オスカーから聞いた言葉が信じられず、私は固まった。

 深夜だというのにオスカーの言葉で一気に眠気が覚めてしまい、ベッドの上で上半身だけを起こして、白いネグリジェの上に掛けたレースのショールを、ぎゅっと握りしめる。

 ヘレナはつい数日前まで、ぴんぴんしていたのだ。

 ついこの前、可愛らしい大きなアンバーの瞳を輝かせて、ディーディリヒお兄様とさっき目が合ったなどと嬉々として語っていたあのヘレナが、死んだ?


「そんな……なんで……」

「まだ分かりません。昨日、確かにヘレナは父親の葬儀に参列したはずなんです。それなのに、王宮に戻ってから急にあんなことに……。毒によるものだという見方が強いようです」

「なんで? ヘレナはとてもいい人だったでしょう? 明るくて、気配りができて……」

「でも、彼女は王族付きの侍女だったんです。それだけで、狙われる可能性はゼロじゃない」


 オスカーが眉間に皺を寄せて、何かを堪えるような顔で言う。

 彼の持つ燭台の火がぱちぱちと爆ぜて、その表情を悲しげに照らし出していた。

 オスカーとヘレナは、当然に親交があった。そんな人が亡くなるのは、騎士といえども辛いに違いない。

 どことなくオスカーの顔色が悪いように思う。けれどきっと、私も同じような顔をしていることだろう。


「調べがつくまでは、なるべく自室から出ないようにしてください。パトリツィア様に万一のことがあってはいけません。警護も増やしますから」

「ええ……ええ、分かったわ」


 私は生まれて初めて晒された悪意に、ショールをかき合わせながら、がたがたと震えが止まらなかった。

 お父様は歴代の王の中でも、人々に慕われる賢君なのだ。誰もがそう評している。それなのに、私たち王族に敵意を持つ人間が居るのだろうか。

 確かにゲーグナーのような者たちも居るけれど、こんな風に私の近くまで迫ってきたことはない。

 もしかして私もヘレナのように……と考えれば考えるほど、悪寒がして仕方がなかった。


 しかしその悪寒は、恐怖によるものだけではなかったようだ。

 翌日、私は激しい悪寒と高熱、それに喋ることが儘ならない程の咳で、生死を彷徨うことになったのだから。


「これは……今西の辺境地域で流行している流行病です」


 私を診察した宮廷医は、そう言った。

 お父様やお母様、お兄様たち……あのエルンストお兄様までもが私の部屋に訪れている。

 朦朧とする頭でそれを眺めながら、ただただ何故という疑問が浮かんでいた。


「でも、パトリツィアはそんな所に行ってないわ。……もしかして、ヘレナが………?」

「昨日亡くなった侍女と症状は酷く似ています。そう考える方が妥当でしょう。彼女の亡くなった父親が生前どこに行っていたのか、確認されるべきかと」


 ヘレナが流行病………? 毒じゃないの……?

 宮廷医が「うつるかもしれないから近寄らないでください」と家族を部屋から追いやっていく。

 お願い、私を一人にしないで。置いていかないで……。

 霞む視界の先に、残った力を振り絞って手を伸ばす。

 しかし、無情にも、ドアはぱたりと閉まった。

 私は死ぬのだろうか。

 オスカーは何故いないのかしら。オスカーは無事なの?

 死にたくない。まだこれから楽しいことがたくさんあるかもしれないのに。

 そう考えれば考えるほど、自然と頬を涙が伝った。

 私はただ、首から下げた翡翠のペンダントを握りしめることしか出来なかった。

 

 それから、どれだけの時間が経ったのか分からない。

 一瞬のようにも、悠久のようにも思える時間の果てに、誰かが私の手を握りしめた。


「オスカー……?」


 ゆっくりと瞼を開けると、そこには、まるで鳥の嘴のような革のマスクを被った男が居た。


「だ、だれ……⁉︎」

「さあ、早くこれを」


 マスクで声がくぐもって、一体誰だか分からない。

 けれど小柄で細身な体格から、エルンストお兄様に似ているような気がした。

 男は私の体を、優しくゆっくりと起き上がらせ、何かの小瓶のようなものを唇に押し付ける。

 意識が朦朧として抵抗らしい抵抗は何も出来ないまま、私は口に当てがわれた小瓶の中の液体を、そのまま喉に流し込んだ。

 まるで喉がカッと焼かれるような激しい刺激で、瞬間的に思わず咽せてしまう。


「ゲホッゲホッ……これはゲホッ」

「これで大丈夫……大丈夫だ……」


 男のその呟きは、私に話しかけているというよりも、まるで自分に言い聞かせているように聞こえた。

 しかしすぐに、私の視界は暗転する。


「大丈夫。これできっと、生きられる」


 薄れゆく意識の中で、男がそう呟いたような気がした。


 それから数週間の時間をかけて、私は回復した。

 最初のうちは部屋に瘴気が漂っているからと最低限の身の回りの世話をする使用人しか来なかったけれど、私自身それどころではなかったから寂しくはなかった。

 熱が下がって起き上がれるようになってからは、家族も使用人たちも、宰相のゲオルグも見舞いに来てくれた。

 意外にも、寡黙なクラウスお兄様が一番最初に見舞いに来てくれて、青紫色の小さな星が集まったような花を庭園から摘んで枕元に飾ってくれた。

 後から聞いた話では、あの時私が飲んだ液体は流行病の特効薬で、それを手に入れてくれたのは、なんとエルンストお兄様だったのだそうだ。

 あの鳥の嘴のようなマスクの男は、やはりエルンストお兄様だったのだ。

 お兄様がもし薬をあれほど早く手に入れてくれなければ、私は今生きていないかもしれない。

 私が流行病に罹ったのは、やはりヘレナからうつったのだろうということだった。

 ヘレナのお父様は仕事で西の辺境まで行っており、そこで流行病に罹ったということだった。

 ヘレナが葬儀に駆けつけた時には、既にお父様は棺の中だったけれど、ヘレナは生前お父様が療養していた部屋の掃除をしたそうだ。

 その時に、部屋に残っていた瘴気に触れてしまったのだろうということだった。

 事実、ヘレナの家族は皆、同じ症状で亡くなってしまったのだそうだ。


 それは、もう完全に熱が下がり、数日後のこと。

 そろそろベッドに居ることにも飽き飽きし始めた頃、あの朦朧としながら死の淵に立ったあの日以来初めて、エルンストお兄様が部屋に訪れた。


「どうだ? 調子は」

「かなり気分が良くなったわ。もう問題なく歩けそう」


 ベッドから体を起こし、微笑んで言う。

 これまで六年も顔を合わせて居なかったというのに、まるでそれが嘘のようにするすると言葉が出てきた。これが血の繋がりということなのだろうか。

 まだ戸惑いはあるけれど、それでも、私はエルンストお兄様には心から感謝していた。


「調子に乗って歩き回ったら駄目だぞ。かなり体力が奪われたはずなんだ。少しずつゆっくりな」

「ええ……。ねえ、エルンストお兄様。お兄様が、薬を必死に探してくれたのだと聞いたわ。本当にありがとう」


 ずっとお礼が言いたかったのに、きちんと伝えられていないことが気になっていたのだ。

 私の言葉を聞いたお兄様は、照れ臭いような面映いような、それとも違うなんとも不思議な表情でそっぽを向いた。


「妹が苦しんでるんだ。その……当然のことだろう」


 ぼそっとそう呟いたエルンストお兄様に、なんだか私は胸がじーんとしてしまって、感動で言葉が詰まって上手く出て来なくなってしまった。


「ありがとう、ありがとうお兄様……」

「分かった分かった。俺もずっと、お前に謝りたかったんだ。子供の頃とはいえ……悪かったな。嫌なこと言って」

「いいのよもう、そんなこと……」


 思わず瞳から涙が溢れる。

 まるでこの六年の蟠りが、すっと溶けていくようだった。


「そんなに泣くな。体に障るぞ。無理をするとオスカーみたいに」


 そう言いかけて、エルンストお兄様はハッと口を手で覆った。

 明らかに口を滑らしてしまったと顔に書いてある。


「オスカーみたいにって、どういうこと……? ねえ、今オスカーはどうしてるの⁉︎」


 死の淵から生還して、私はすぐにオスカーのことを聞いた。何故オスカーはここにいないのか。同じように病に罹ったのではないか。

 何度も色々な人に聞いたけれど、「今は他の任務があって離れている」と言われていた。

 オスカーはずっと私の護衛として居てくれたのに、そんなことある訳ないということは分かっていた。けれどはっきりそう言われたら、そう信じるしかないと思っていたのに……。

 しばしエルンストお兄様は逡巡した後、まるで観念するようにはあと息を吐き出して、口を開いた。


「オスカーもお前と同じ流行病に罹ったんだ。薬で熱は下がったらしいが……あいつは直接ヘレナに触ったからだろうな。まだ目が覚めない」

「え⁉︎」


 頭をハンマーで殴られたような気がした。

 あのオスカーが、誰よりも鍛えていて、屈強で、風邪なんてほとんど引いたことのないオスカーが、まだ目覚めないっていうの……?


「オスカーは……助かるの……?」

「分からない。ただ……医者は助かる確率は低いと」

「そんな……‼︎」


 私は思わず体をくの字に曲げて、シーツで顔をぐしゃぐしゃに覆った。

 まさかオスカーが、あのオスカーが、死ぬっていうの?


「オスカー……! オスカー……‼︎」

「……あいつは普通の人より体力があるだろう? だから、きっと大丈夫だ」


 私の背中にそっと手を置いて、エルンストお兄様は優しくそう言った。

 お兄様の顔は見えなくても、私を慰めてくれていることは分かる。

 けれど、私の心は嵐のように吹き荒れていて、このシーツのようにぐしゃぐしゃだった。

 

「お願い! オスカーに会いに行かせて!」

「駄目だ! 何よりお前もまだ完全に回復していないだろう!」

「嫌よ! オスカー! オスカー!」

「落ち着けパトリツィア!」


 私たちの叫び声に、外にいた護衛が何事かと部屋に駆け込んでくる。

 騒ぎを聞きつけたお母様やディーディリヒお兄様もやって来て、一時はかなりの大騒ぎになった。

 病で失った体力を精一杯使って暴れたけれど、結局、オスカーに会いに行くことは叶わなかった。


 やがて、オスカーは病を治すために、この国を離れたと聞いた。

 オスカーのお父様であるフリッツは騎士団長の地位を辞して、一人息子のために賭けに出たのだという。

 私は、最後までそれを伝聞でしか知ることができなかった。

 私が王女だから。王宮から出ることが出来なかったから。

 こうして、私がオスカーと顔を合わせることは、二度となかったのである。

実は現在パトリツィア同様高熱を出しておりまして、明日も更新できるか分からない状態です。

更新できなかったら申し訳ありません……。

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